この "サンルーム" からは、直線距離で数十メートルという場所にその "町内広場" はある。その "広場" で今夕は "盆踊り大会" (単に "盆踊り" というのと "盆踊り大会" とは何がどう違うのかは定かでないが......)が開かれている。
今日は "サンルーム" に置いた機材を使わざるを得ず、午後からは風通しのために両側のガラス戸を開け、網戸にして作業をしている。網戸でも、しぶとい "蚊" は "侵入" してくる。すでに、脛(すね)をぼこぼこに刺されてしまった。
"侵入" といえば、 "かねと太鼓の音頭" の響きがうむを言わさずに "侵入" してくるのである。 "盆踊り" ならぬ "盆踊り大会" とあってか、三波春夫だの北島三郎だのの尋常ではない響きの歌声が容赦なく "侵入" してくるのである。
例年のことであり、過去、虫の居所の悪かったある年なぞは結構腹が立ったりしたものだったが、今年は、どういうわけか淡々として受けとめている。今年の現時点での状況ほど、騒がしさの "侵入" 度が強烈であったことはないにもかかわらずである。
意識のどこかに、 "かわいいもんだ......" とでもいうような "見なし" があるのかもしれない。そう思わせるほどに、長期に渡るこの "猛暑" が憎々しい宿敵の座を占めてしまっているのであろう。この "猛暑" の攻撃に比べたら、どんな不愉快な代物も "かわいいもんだ......" となってしまいそうではないか。
今日も、その宿敵からの無慈悲な攻撃をどうかわすかで右往左往したような気がする。かわいそうに "毛皮のコート" を脱ぐに脱げない内猫たちなんぞは、キッチンの床の上で "面積最大化" を図るかのような格好で放熱しながらグッタリしていた。ウンザリ感をとっくに通り越しているかのようだ。
で、"盆踊り大会" の、まるで開き直ったかのような騒がしさを肌で感じながら、ふと思ったのは "納涼" という二文字である。確か "盆踊り大会" の "まくら言葉" となっていたはずである。
"納涼" とは「暑さを避けて涼しさを味わうこと。暑さを避けるため、工夫をこらして涼しさを味わうこと。」を意味する。そうしてみると、今年のこの "猛暑" の夏ほど、"納涼" というこの言葉が再評価され、輝かしく復権した年はなかったかもしれない。
さしずめ、今年の "納涼盆踊り大会" は、何だか、幕末の "ええじゃないか" という "大衆乱舞" を彷彿とさせないでもない。 "猛暑" と "不景気" な世相に、開き直って "抗う" 庶民の "平成・ええじゃないか乱舞" とでも言ったら気を悪くする人もいるのだろうか。
そう言えばご近所の同世代の奥さん。毎朝、家の前の道路に "打ち水" を欠かさない、それだけでも分かる庶民(職人)気質のおあねえさん。滅法、 "盆踊り好き" であり、すでに今年も近隣から何度もの御呼びがかかり大活躍されたとのこと。
ただ、さすがに今年の "猛暑" には応えたのであろうか、ご本人曰く、 "ぶっ倒れて失神" までしてしまったらしい。しかしそれでも、今夜の地元の "納涼盆踊り大会" には欠席するわけはいかないでしょ、という弁であった。 "盆踊り好き" だというのはもちろんのことながら、こんな "猛暑" なんだから踊らないわけにはいかないでしょ、といった "開き直り" のような心境をもうっすらと垣間見る気がしないでもなかった。
そうなんですよねぇ、何もかもが狂ったこのご時世、「六分の侠気、四分の熱」ならぬ "六分の開き直り、四分の忍耐" とでもいうスタンスが必要なのかもしれませんなぁ...... (2010.08.08)
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