今日も、"ePub editor = Sigil" を活用し、この間、手掛けてきた "ePub 電子書籍" 制作を、習作レベルでほぼ完成させることができた。
今回は、以前に作成した既存の "Web ページ" をベースにするのではなくて、"ePub" 作成用の "Web ページ" を、"XHTML & CSS" に基づきつつゼロから書き上げて挑んだ点が、自身でも "納得" できる成果だったかとほくそえんでいる。
"餅屋は餅屋"(物事にはそれぞれの専門があるの意)という言葉がある。その主旨はよくわかっている。
しかし、時代環境は "大きく" 変わった。何が変わったかというと、"スピード" の程度・尺度が一つであり、今一つは "状況への当事者感覚のあり方" ではないかと......。
前者は、"環境変化のスピード" が破格に高速となった結果、現場なり専門家なりとのコミュニケーションの所要時間さえ極小化せざるを得ないという変化である。現場サイドへの権限委譲という趨勢もこれに対応しているはずである。
この変化と密接に関係する、もう一つの "状況への当事者感覚のあり方" というのは、"環境変化のスピード" の速さに追いつくためは、どうしても "判断・決断" を急ぐこととなり、"状況への当事者感覚のあり方" というアバウト(?)なものがウエイトを占めざるを得ないということ。
小難しいことを書いてしまったが、こんなことから、現代にあっては、必ずしものんびりした時代には通用したような "餅屋は餅屋" という対応は疑問視されるということなのである。
では、どうするのか? "状況の当事者"、あるいはそれを自任する者が "エンパワーメント"(個人や集団が自らの活動に対し統御感を獲得し、組織的、社会的、構造に対外的な影響を与えるようになること......)を達成すること以外にはなさそうではないか。
つまり、"状況の当事者" が、可能な限り "周辺能力" を高めて、"環境変化のスピード" に抗して速攻的な対応をせざるを得ない、ということなのである。
この要請とその現実がわかりやすく、顕著に見受けられるのは、何と言っても "サッカー" であることは言うまでもない。あるいは、今、騒がれている "尖閣諸島" 問題も事によったら同じ文脈の問題なのかもしれない......。
前触れの "まくら" が長過ぎた。
今日言いたい点は、"電子書籍" というニューメディアの急浮上は、"情報発信者"="情報作成・加工の自前主義!" を照らし出しているのではないか、という点なのだ。
"情報作成・加工の自前主義!" と言えば、"セルフパブリッシング" が思い起こされるわけだが、どうも "セルフパブリッシング" への注目というのは、まずは "コスト面" の問題が小さくないとは言うものの、それだけでもなさそうな気がしている。
上記の "まくら" を下敷きにしてもらうならば理解され易いかもしれないのだが、大きく変化した現代環境にあって、"セルフパブリッシング" を志す "インディ" たちのそのエネルギーというものは、決して "ローコスト指向、コスト圧縮" への願望だけであるはずがない。
"インディ" たちは、"今を生きる" という "当事者" として、あまりにも旧態依然とした出版・流通業界の無いに等しい "当事者感覚" にほとほと愛想が尽きているのではなかろうか......。その思いをスプリングボードとした、そうしたエネルギーを見ないわけにはいかないはずである。
で、巷では、こうした事情を "勘違い" してか、"セルフパブリッシング" の "代行屋・代行業" というビジネスに打って出る者もいたりする。まるで "日曜大工( Do it yourself ! )" の "代行" を買って出ようという "勘違い" と酷似している......。
と言うことで、何が言いたいのかというと、"情報発信者" であろうとする者は、"情報作成・加工テクニック" にも精通した方が良い! ということなのである。
まあ、確かに、"セルフパブリッシング" に関して言えば、書籍としての "コンテンツ" 面と、その制作技術面とを分けてアプローチすること、つまり、"コンテンツ" 面だけに集中するといったスタンスもありではあろう。
ただし、その場合、結構 "妥協と忍耐"(?) とを友としなければならず、それならばいっそのこと "情報作成・加工テクニック" にも精通してしまうことの方が手っ取り早いと考えられそうでもある。
"インディ" であろうとする者は、自由に憧れるだけでなく、"何でも自分でやる!" というクソ根性が必須ではなかろうか。"器用貧乏" という揶揄の言葉なんぞに負けず...... (2010.11.12)
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