この間、"ソーシャルメディア"の"威力!" とも言うべき展開に、まさに視線が釘付けとされてきた。また、その "威力!" が発揮される場であるならば、"ジャンルの違い" はさほど問題でないという気もしてきた。
だから、"電子書籍" をめぐる "ソーシャルメディア" にせよ、マーケティング・ジャンル、さらには "アラブの春" から "ウォール街占拠デモ" に至る政治的ジャンルまで視野に入れておこうという意識が働いていた。
恐らく、"ソーシャルメディア" についてのこうした "ジャンル横断的" な関心の向け方に問題はないだろうと今でも考えている。それというのも、人間のコミュニケーション( "ネットワーク"、"つながり" )にとっては、便宜的とさえ思われるジャンルという仕分けなぞは低い壁なのであり、これを超えて共通するものが多々あると直感しているからかもしれない。
それよりも、もし、"ジャンルの違い" ではないものを想定するとするならば、それは何だろうか? 現在、人間のコミュニケーションのあり方に多大な影響を及ぼしているものとは何か? こちらの方がはるかに重要な問いのはずだと。
そんな問題意識が、"ソーシャルメディア"の"威力!" へと目を向けさせてきたのだろう、と振り返ったりしている。
こうした思いを抱いていたところ、まさにその意を強めさせるようなサイト記事に巡り合った。
"ウォール街占拠デモ" と、マーケティング・ジャンル での事象だというべき "スタートアップ企業"(創業したばかりのベンチャー企業のこと)とをいわば "ジャンル横断的" に考察した下記引用のブログ記事である。
"ソーシャルメディア" を介して活性的に展開する両者に、通底する類似点、共通項を見出そうとする踏み込んだ視点には、まさに共感を覚えざるを得なかった。ジャンルが異なるのだから一緒にすることにはムリがある......、と事なかれ的に考えずに、こうした視点を持ち込むことによってこそ "すべての真相" が見えてくる、つまり、"ウォール街占拠デモ" の真相であり、マーケティング・ジャンル での事象での真相、そして "ソーシャルメディア" の "威力!" に関する真相が解きほぐされてくるはず、と意を強めたわけなのである。
下記叙述の中では、特に<【1】敢えて目標(ビジネスモデル)を明確にしないことでユーザーベースを拡げることに成功>という解釈は、"ウォール街占拠デモ" の "アキレス腱" とも評されてきただけに、目を見張るものがあった。
―――― <オープンソース型スタートアップとしての『ウォール街占拠デモ』
9月17日にニューヨークのウォール街で始まった『占拠デモ』("Occupy Wall Street")は、既に2ヵ月目に突入し、米国の大手メディアでは連日取り上げられ、その機運は国毎に形は異なるものの、ますます世界的に拡大しつつあります。
米国を中心とした海外のメディアによる報道やブログ記事等を通じてこの現象を見つめた際、最近強く感じることがあります。それは、この一連の『占拠デモ』運動と、近年のソーシャルメディア全盛時代のスタートアップ企業のあり方との類似性です。象徴的な点を3点、今回は取り上げてみたいと思います。
【1】敢えて目標(ビジネスモデル)を明確にしないことでユーザーベースを拡げることに成功
『占拠デモ』に関してメディアや政治経済の専門家が話題にし、時に批判的にコメントしていることに、「彼らが何を要求しているのか、目的が分からない」という指摘が挙げられます。
経済格差是正、富裕層が富を支配する政治経済システム(1%が99%を支配するしくみ)への反対、雇用創出、教育ローンの免除、税制改革等、多くのデモ参加者が掲げるアジェンダには、一筋縄ではいかない多様な要求が掲げられています。
一方、この数週間のデモ運動の様子を見るにつけ、実は明確な要求を一つに縛らないでいたが故に、多くの人の共感を招き、参加を促し、注目を集め、影響力を拡大させているように感じられます。
ツイッターやフェイスブックが最初に登場した際、明確な目標、ビジネスモデルがあった訳ではなく、ユーザーにとって意味があり、多くの人に利用、支持されることでユーザーベースを増やしていった様子が重なって思い出されます。
【2】ソーシャルメディアを駆使したオープン・イノベーション
近年のスタートアップブームを駆り立てているものとして、Twitter、Facebook、YouTube等のソーシャルメディア・ツールの活用、連携が必須ものになりつつあります。
プラットフォームとしては極めてシンプルにして、常にユーザー(参加者)からの意見、フィードバックを取り入れ、時に開発プロセスすらもオープンに解放することでイノベーションを進めていくことは、現代のオープンソース型スタートアップの特徴といえます。
『占拠デモ』の活動事体、スタート時から既に様々なソーシャルメディア・ツールを活用してコラボレーションを行い(10/14本コラム参照)、誰もが参加出来る「総会」(General Assembly)というコンセンサスに基づいた全員参加型の直接民主主義の実験のような注目に値するしくみを創りだしつつあります。何百人もが集まる集会でマイクを使わずに発言が皆に聞こえるよう、発言を繰り返す「人力マイク」の様子等は、現場の知恵の集積から生まれ、各地で使用されている特徴的なイノベーションといえます。
10月上旬にニューヨーク、サンフランシスコ等で開催された「ハッカソン」は、正にオープン・イノベーションを具現化する場所として、エンジニア達が集まり、「占拠デモ」活動を推進するためのアイディアと技術をウェブサービスに落とし込むという試みがなされました。
既にウェブ上に公開されているサービスの中には、例えば「OccupyDesign(オキュパイ・デザイン)」というサイトがあります。デザイナーから寄せられた様々なグラフィックデザイン、インフォグラフィック(データをビジュアル化したデザイン)がウェブの中に蓄積されるサービスです。デモの際にプリントアウトしてポスターとして使えるものや、占拠地でのトイレの場所や寝る場所を示すグラフィックが、誰でも使えるように集約されているのです。
日本でも東日本大震災後に数多くのデザイナーにより作成された「節電ポスター」等と同じ趣旨のものです。その他にもデモ開催中に利用出来るSMSサービス、専用Q&Aサイト、マルチメディア集約サイト「OccupyTheHub(オキュパイ・ザ・ハブ)」等、数多くのプロジェクトが専用ウェブサイト上に記載されています。
【3】秀逸なブランド・マーケティング戦略
スタートアップ企業が多くのユーザー、投資家の注目を集めるためにはマーケティング、ブランド戦略は非常に重要なポイントです。しかもお金をかけずにソーシャルメディア上で「バズ」を作り、マスメディアに取り上げられるかどうかは、サービスの明暗を分けるといってもいいでしょう。
この点において、「占拠デモ」運動における「Occupy」のキーワードは既にブランドとして世界中で認知されつつあり、「Occupy XXX」と冠した地域サイト、先ほどのウェブサービスのような関連ウェブサイトが多数生まれつつあります(その他にも親としてのポータルサイト、「OccupyParents」、世界中のデモイベントポータルサイト「OccupyTogether」等があります。
記者経験のあるボランティアで出版されている「The Occupied Wall Street Journal」は、クラウドファンディングサイト「Kickstarter(キックスターター)」を用いて数週間の間に1700名近くから7万5千ドル以上の出資を受けスタートしました。10/1に刊行されたタブロイド版4ページの創刊号は5万部、次号は10万部が刷られ、当初ニューヨークのみで配布していたものが、次号からは全米版として25万部を目指すとのことです(PDFでダウンロード可能)。
さらに驚くのは、プロボノの有志で作成された「占拠デモ」のテレビコマーシャルも、同じくクラウドファンディングサイト(LoudSauce)を通じ、約170人から約6000ドルの資金が寄せられ、今後数週間以内にESPNというスポーツ・エンターテイメント専門チャンネルで何百万人もの視聴者に対して放映予定とのことです。
日本における『ウォール街占拠デモ』についての報道は、アメリカ程はされてないこともあり、感覚的に今アメリカで起きていることは分かりにくいかもしれません。ロイターと調査会社イプソスが共同で実施した調査(10/12)によると、82%のアメリカ人は「デモ活動」を認識しており、38%が好意的、28%が批判的に感じており、大手メディアも最近は好意的に取り上げることが増えつつあります。一方で批判的な見方、陰謀説等も既に指摘されています。今後この運動がどのように推移していくかはまだ誰にも分からない状況は続いています。
ただ言えることは、この運動の本質にあるもの(経済格差、社会システムの問題点、失業問題等に対する改善欲求)は、日本も無関係でいられないという点です。そして今回取り上げたようなスタートアップ企業にも見られるような創造的なデモ活動の運営手法、テクノロジー活用、そしてマーケティング・ブランド戦略は今後のビジネス、市民活動においても多いに示唆に富む内容なのではないかという点です。>
( オープンソース型スタートアップとしての『ウォール街占拠デモ』/現代ビジネス - ソーシャルビジネス最前線/2011.10.27 )
"ソーシャルメディア" のようなコミュニケーション・テクノロジーのイノベーションがあらゆるジャンルに不偏的に浸透しつつある現代、そこでは興味深くも、人と人との "つながり" という "人間社会の基幹部分" が、国境もジャンルの違いをも超えて "共通した姿" で浮かび上がっているかに見える。世界横断的! ジャンル横断的! に。
こうした環境では、社会事象を考える上で、"ジャンルの違い" にもこだわりを捨てなければ見えるものも見えないのかもしれない。"ジャンル横断的" にものを見ることがますます重要になっていそうだ...... (2011.11.09)
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