"ソーシャルメディア" が人々の注目を集めているのには相応の根拠があることは間違いない。しかし、その事と現に利用されている実態水準への評価は別だと考えなければならないし、さらに "とにかくバスに乗り遅れるな" 的な慌て方にも感心できない。
とかく、われわれ日本人は "熱し易く、冷め易い" と言われるが、そうした流れの足元には "みんなと一緒が一番......" という(横並び)盲信感覚があるのかもしれない。
ただ、"ソーシャルメディア" とは、"乗り遅れ" が問題となるバスや、"みんなで渡れば怖くない" ような横断歩道のようなものか、というシニカルな疑問を抱く。
確かに、今現時点では、冷静沈着なスタンスを示すことは、「王様は裸だ!」と叫ぶに似た "冷水" だと解される "空気" がないではない。
しかし、"歩きながら考える" ことが妥当なのであって、"とにかく走れ" の時代でもなかろうと思う。逆に、それが "ソーシャルメディア" を定着させる近道だとさえ思う。
その意味では、下記引用記事と同一執筆者である 大谷 晃司 の次の記事は、"歩きながら考える" タイプの記事で好感が持てた。"ソーシャルメディア" への<"気持ち悪さ">とか<最大の違和感は公私の別が薄れつつあること>などについては、軽い "空気" に圧されずにもっと真摯に考察されていい点のはずだと......。
◆参照 ソーシャルの "気持ち悪さ" と "心地よさ"/IT pro - 大谷 晃司/2011.11.18
さて、今回レビューしたいのは下記の記事である。関連分野では著名な方々のパネルディスカッション風景を伝えるものだ。
「うまい企業は組織の長がやっている」、ソーシャルメディアを小飼氏らが語る大谷 晃司2011年11月27日、ニフティが運営するライブハウス「TOKYO CULTURE CULTURE」で「ソーシャルメディアトークライブ」と題したパネルディスカッションが開催された。登壇したのは著名なブロガーでオープンソース開発者の小飼弾氏、エンジェル投資家であり「僕は君たちに武器を配りたい」「武器としての決断思考」の著者でもある京都大学客員准教授の瀧本哲史氏、「ソーシャルメディア進化論」の著者でエイベック研究所代表取締役の武田隆氏の3人である(写真1)。進行は瀧本氏が担当した。話題は匿名と実名、企業でのソーシャルメディア活用などに及んだ。
( 「うまい企業は組織の長がやっている」、ソーシャルメディアを小飼氏らが語る(大谷 晃司)/IT pro/2011.11.28 )
あらかじめ検討したいポイントを整理すると以下の3点となりそうだ。
(1)自分のTL(タイムライン)を自分の世界だと思い込んでいる "誤解" 。=プライベート空間とパブリック空間の境界に関する "誤解" と、これが由来する "コミュニティ(共同体)" 観での "誤解"!
<誤解しやすい構造>という原因もあろうが、「まさか、(このコミュニティに)"チクル" やつはいない!」と勝手に決めつける "一枚岩的コミュニティ(共同体)" 観にこそ遠因がありそうな気がする。
個人の価値観の "差異" を当然とする "コミュニティ(共同体)" 観を持ってこそ、プライベート空間とそれ以外の空間の境界も強く意識されるのではなかろうか......。
(2)ソーシャルメディアを介した、企業と顧客とのコミュニケーションの難しさ! だからこそ、<ソーシャルネットワークでうまくやっている企業は、組織の長がやっている>となる点。=企業は顧客(市場)を制御し得るとされてきた "誤解"!
企業と顧客とのコミュニケーションの難しさ!とは、コミュニケーション・スキル云々の問題ではなく、"インタレスト" においてベクトルの向きが異なる点に根差している。仮にもこれを調整しようとするならば、企業としての内部ルールに抵触しかねない "政治的判断" も必要となる。<組織の長>の登板は不思議ではなかろう。
(3)企業と個人の双方向の対話が行われることで、"我が事化" が進み、商品なり企業なりと顧客がつながっていくこと。=商品(製品)販売の主導権は企業側にあるとしてきた "誤解"!
ここで注目されるのは、一見説得力がありそうな "我が事化" ロジックのその "効力" であろうし、またこのスタイルが拡大していくこと(その必然性は高い)に伴う企業側の想定外の工数・コスト増なのかもしれない。
TLを自分の世界だと思い込んでいる人は少なくない最初は匿名・実名についての話題が展開された。小飼氏は、「レスポンスが成立しないのが匿名。責任の第一歩は何か来たときに返事をすること。匿名はそれが誰によってなされているか分からないので返事ができない、ということ」であると指摘。武田氏は「実名、匿名と別名がある」とし、ソーシャルメディアでは、この匿名と別名が混同されているという。別名は「リアルの自分とは違うアイデンティティを持っている」(小飼氏)ものであり、レスポンスが成立する以上、匿名とは違う存在となる。
こうしたなかで、プライベートな空間とパブリックな空間を考えたときTwitterについて、小飼氏は「誤解しやすい構造で、自分のTL(タイムライン)を自分の世界だと思い込んでいる人が少なくない」と述べる。もちろん仲間内だけで閉じたコミュニケーションをするための機能もあるが、基本的にはTwitterでのツイートは誰でにもオープンであるのが前提である。小飼氏は、「ある程度安心して話をしていいところだという幻想を抱かないと言いたいことは言えない。その意味でTwitterは自分を"だます"仕組みがよくできている」と語る。その一方で、前述のように「自分の世界だと思い込んでいる」誤解が、時に「カンニングした」などのツイートが発覚し"炎上"する原因にもなっているという。
( 同上サイト )
なお、結論を急げば、以上の3点を煮詰めてみると、現行の "ソーシャルメディア" 環境は、われわれの裡(うち)に長く潜んできた "誤解" を曝け出し、照らし出しているという印象が拭いきれない。
そして、これらの "誤解" 解消という課題を背負わされた "ソーシャルメディア" は、結構 "シビァな空間" のはずである。また、この "シビァさ" は、技術的環境のイノベーションに肩代わりさせる筋合いのものではないだけに、これらが担えないのであれば、"ソーシャルメディア離れ" にもつながりかねない......。
商品の感想を述べてレスポンスを得ると"我が事化"進行役の瀧本氏がFacebookの企業利用に水を向けると、武田氏は、企業が顧客とソーシャルメディアを介してコミュニケーションするとき、「企業の担当者は、ある程度自分をさらけだして、それぞれのネットワークとつながっていくことになる。それが24時間365日、その企業を代表することになり、それは難しいことである」と述べる。それを受けて小飼氏は、「ソーシャルネットワークでうまくやっている企業は、組織の長がやっている」と述べ、「『ソーシャルメディアの担当者を付けろ』という前に、まず企業を代表する社長なりがやってみること」と説く。また、一方で、こうしたコミュニケーションのために個人と切り離した「別名」があると述べる。
武田氏は企業がソーシャルメディアを活用する例として、オンラインのグループインタビューを挙げる。武田氏がかかわったグループインタビューでは、「96%がもう一度この調査に参加したいと答えている。本音が出せたという喜びがあり、その企業を通して社会とつながったと実感している」と述べる。武田氏は、こうした企業と個人の双方向の対話が行われることで、"我が事化"が進み、商品なり企業なりと顧客がつながっていくと説明する。個人がソーシャルメディアを介して、「商品の感想などを出して、その商品に関与する。そしてその商品を出している企業からレスポンスをもらう。そうするとその製品がその感想を出した人にとって"我が事化"されて、輝いて見える」(武田氏)。
最後に瀧本氏が今後1-2年のSNSの動向について問いかけたところ、小飼氏は「確実に起こる重要なイベントとしてFacebookの株式公開」を挙げた。「これだけ世の中のために重要なサービスを提供しながら、当然受けなければいけない監視を受けていなかった。まずFacebookにもパブリックカンパニーになってもらいたい」(小飼氏)と注文を付けた。
( 同上サイト )
いずれにしても、進行中の "ソーシャルメディア" は、個人にとっても企業にとっても、"心地よさ" だけが享受できるものではなく、曝け出されていく数々の "誤解" を克服する模索を強いていくに違いない。"気持ち悪さ" どころではなくなる可能性も......。
しかも、それらの主役は "人間" と "人間関係" なのであって、技術的イノベーションは脇役とならざるを得ない。それが "ソーシャル" という言葉に託された意味ではないかと思われる...... (2011.11.30)
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