昨日は、今の社会が "何かヘン症候群" に見舞われていること、その病巣が<「誰かが何とかしてくれるという他力依存の社会になった」>という点にありそうではないか、という予感について書いた。
そして、<アメとムチ式の動機づけ>が中心となって構築された "二〇世紀" 型の "OS" との決別と、モチベーション3.0へのアップグレードこそが緊急課題ではないかと。( ◆参照 何かヘンな時代状況!"モチベーション3.0/OS"へのアップグレードが緊急課題!?( 当誌 2011.01.15 ) )
"何かヘン症候群" とでも言うようなものに見舞われているこの "現在の社会" について書いたのであったが、翻って考えてみると、次の点にも関心を向けざるを得ないようだ。
それは、"社会" という部分を "企業" という言葉に置き換えてみることの意義である。
<「誰かが何とかしてくれるという他力依存の "企業" になった」>と読み換えてみるならば、不思議と、各企業が現在遭遇している難局の、その大半がムリなく納得できてしまうような気がするからだ......。
実は、ジョブズ氏の天才ぶりに対しても、各企業はあたかも少年のように拍手喝采している場合なんぞではなくて、ジョブズ氏のような人材を輩出できないでいる現時点での企業環境にこそ十分に目を凝らし、できればそれを果敢に "アップグレード" しなければならないはずではなかろうか。モチベーション3.0 というアーキテクチャーで再構成された "二一世紀" 型 "OS" への "アップグレード" に踏み出すことが急務なのではなかろうか。
先ず、この "アップグレード" の実質作業としては、<アメとムチ式の動機づけ>方式で貫かれているであろう旧態依然とした "人事考課" 制度の、その抜本的見直しが不可欠である点は言うまでもない。なぜなら、"人事考課" とは、"評価" であると同時に "動機づけ" 以外ではないからなのである。
"動機づけ" とは本来は "育成" の観点と重なるにもかかわらず、従来の "人事考課" 制度は、この "育成" の観点を退け "トップダウン的に裁く" ことのみに傾きがちではなかったかと思われる。"成果主義的人事考課" 制度のうちの粗雑な制度などは、まさに<アメとムチ式の動機づけ>という矛盾をはらんだ構造の制度化以外ではなかったようである。
したがって、もちろん "人事考課" の基本コンセプトの大幅改変が第一義となる。
( この問題の周辺については、ここではこれ以上言及しないでおきたい。関心のある方は、 ◆参照 SE Human Assessment ソフトウェア技術者のための評価と人事考課 )
ところで、今回、着目したいのは、上記の問題と密接に関連するはずの、"人事考課" の "実施スタイル、モード" の "時代即応的!" な再構築という課題なのである。これについては、下記引用記事が実にインセンティブであった。
< フェイスブック時代の人事考課「年に1度」では意味がない!?
本来は自分のキャリアについて上司と話し合う貴重な会議。でも、それが役に立っていると実感する人は少ないだろう。
多くの企業で行われている、年に1度の「人事考課」。上司と部下が面と向かい合って、過去1年の勤務態度や業績などを話し合う。そこで出された結論は昇給や異動にも直結するから、プレッシャーがハンパじゃないのはご存知の通り。
さて、この大切な人事考課を年に1度ではなく、四半期ごとや毎月・毎週と頻度を増やす会社が増えているという。というのも、年に1度だと建設的な話し合いをすることは難しい。従業員の業績を評価し、問題点を洗い出し、翌年の目標を定め、さらに給与まで話し合わなくてはならない。本来は適切な助言をして生産性を高めるための会議なのに、部下からすると一方的に批判されたという印象に終わってしまう。
実際、働く人600人以上を対象にした調査では、3分の2の回答者が、人事考課は「自分のパフォーマンスに影響しなかった」あるいは「マイナスの影響があった」と答えている。
それにフェイスブックやツイッターなどを使いこなすいまどきの社員は、もっと短期のフィードバックに慣れている。フェイスブック社自身も、「Rypple」という従業員評価システムを導入し、従業員同士で会議やプレゼンのあとに即座にフィードバックできる体制を整えている。
2003年創業の米IT企業グラスホッパーは当初、年に1度の人事考課をやっていた。
「でも1年間の仕事ぶりをたった1回の会議で総括するなんて不可能だし、馬鹿げていると気づいた」と共同創業者の一人は言う。いまでは月に2回、上司と部下が1対1で面談を行うようになった。
「問題を早めに修正できるようになり、部下との関係も良くなりました」 >
( フェイスブック時代の人事考課「年に1度」では意味がない!?/現代ビジネス - World Biz News/2012.01.01 )
◆参照 Rypple
自分は、かねてより "人事考課" という傲慢な "矛盾の塊!" にどういうわけか関心を寄せ( ◆参照 SE Human Assessment ソフトウェア技術者のための評価と人事考課 )こだわってきたりした。
そして、ある時期からは、"人事考課" というような "矛盾の塊" に関しては、"小手先のイノベーション" なぞはほとんど無意味(?)ではないかと悲観視もしていた。
中でも、「年に1度」という "七夕祭り"(?) と "スマホ・ネイティブ" の "クイック・レスポンス" 感覚との圧倒的なズレが気になってならず、密かに "スマホ" 活用の "人事考課" スタイルなどに思いを馳せらせてもきた。
それだけに、上記記事で紹介された「Rypple」が視野に入った時には、同じことに目を向ける者がいる!、"高みを目指すならば、峰で収斂する!" というような一種の感慨を覚えたりもしたものであった。
いずれにしても、人間が価値や富を生み出すわけで、そしてその多くが "動機づけ" をスプリングボードにして達成されることは疑うべくもない。
現代のような "クイック・レスポンス" 感覚が浸透した時代環境にあっては、もし "人事考課" が "動機づけ" を目指すのであれば、"年に一度" という実施頻度も見直されなければならないだろう。
また、"考課者" のレベルも "エンパワーメント" を併用して、より "現場" サイドに近づけなければならないようである。
こうした実施スタイルのイメージは、"ソーシャル・人事考課" と呼ばれてもまんざら不自然ではないのかもしれない。もちろん、そのキーコンセプトが、<アメとムチ式の動機づけ>からモチベーション3.0方式へと "アップグレード" されなければ奏功しないであろう。
ともかく、現時点のような企業環境においては、より優れた "人事考課" がタイムリーにデザインされることの持つ意味は決して小さくない...... (2012.01.16)
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