山アラシのジレンマ―人間的過疎をどう生きるか ( ダイヤモンド現代選書 ) |
<ヤマアラシという動物は、体に棘が生えています。寒い冬になると、ヤマアラシ同士が体をお互いに近づけて、相互に温め合いたい。でも棘がついているので、温めるために近づこうとすれば、近づこうとするほど、お互いに棘を刺しあってしまって傷つけてしまう。
人間関係でも、こういうことって良くありますよね。お互いにもっと仲良くなりたいんだけれども、それがうまくかみ合わなくて、お互いに傷つけてしまう。これが「ヤマアラシのジレンマ」>(下記引用記事より)
実はこの言葉、元来は、ショーペンハウエル(ドイツの哲学者)、フロイト(ユダヤ系オーストリア人の精神分析家、精神科医)に遡ることができ、レオポルド・ベラック著・小此木啓吾訳『 山アラシのジレンマ――人間的過疎をどう生きるか 』(ダイヤモンド現代選書/1974.01.)でよく知られるようになった。かなり "由緒正しい" 言葉なのである。
今回この言葉に着目したのは、この「ヤマアラシのジレンマ」という言葉が、"ソーシャルメディア" にとって切実な意味があると思えたからなのだ。
もっとも、「ヤマアラシのジレンマ」が人間関係の言い得て妙なひとつの核心を照らす言葉だとすれば、まさに人と人との "つながり"=人間関係 が展開される "ソーシャルメディア" との間で符合する側面を持ったとしても、決して不思議ではないのかもしれない。
しかし、"ソーシャルメディア" が遭遇しているある種 "ナーバスな問題" のカタチは、かなり「ヤマアラシのジレンマ」的光景と似ている! と思えてしまうのだ。
ちなみに「ヤマアラシのジレンマ」の核心は、次の3点で構成されている。
1.<相互に温め合いたい>
2.<近づこうとするほど、お互いに棘を刺しあってしまって傷つけてしまう>
3.<お互いに棘で刺しあうことがないように適度な距離間を保つこと>
片や、"ソーシャルメディア" が遭遇している現状は、仮に以下のように解釈することができる。
1."距離的隔たり" や "リアルな生活空間" を跳び越えて(ただし "媒介物(間接性)" を通して!)、"充実したつながり" を作りたい!
2.マジになるほどに、"気まずくなったり"、"傷ついたり"、"失望したり" しがちになる......。
① "匿名性"と"実名性" のそれぞれにまつわるジレンマ!
② "蛸壷化"、"繭化(コクーン)(武田隆)" などの問題( c.f. 匿名投稿 )
③ "息苦しさ、拘束の強まり( "間接性" の減退)" の問題( c.f. Facebook )
3."当たり障りのない振舞い" を選択することによって、結果的に、"発話の抑制" や "本心ではない発話" が漸増しがちとなる!
"ソーシャルメディア" は、直接的な人間関係そのものではなく、あくまでもネット・システムのメディアであるために、「ヤマアラシのジレンマ」の苦悩がそのまま再現されることにはならないのかもしれない。
また、ネット・システム技術上での工夫次第では "ジレンマ度合い" が緩和されていく可能性も期待できないわけではない。
ただ、"メディア(媒介物)" という場の "間接性" が、一方では "リアルな生活空間" での人間関係の "息苦しさ" から解放するメリットとなっているとともに、この "間接性" 自体が人間関係上の "マイナス面" を助長することも当然あり得る。"メディア(媒介物)" が持つ "間接性" というものは "諸刃の剣" だと言うべきか......。
以下、今回の「ヤマアラシのジレンマ」に関する理解で大いに参考となったサイト記事を引用させていただく。
< ■人間関係恐怖症を乗り越えるために -ATフィールドとヤマアラシのジレンマ
ATフィールドとヤマアラシのジレンマ
先日のブログで、私は人間関係恐怖症であると書きました。これは、素直に自分自身を振り返って事実だろうと思います。でも、人間関係恐怖症のままでは、何も動くことができなくなってしまいます。どうすれば良いのでしょうか。
少し前にある学生から、「ATフィールドをどのように乗り越えていくか教えて下さい」という質問をあるMLで受けました。ATフィールドとはエヴァンゲリオンに登場する言葉です。Aboslute Terror Fieldの略で、日本語で言えば「絶対恐怖領域」。他者との接触から自分を守るために作りだす心理的な壁を指します。ATフィールドはエヴァンゲリオン用語ですが、心理学的に言うと、「ヤマアラシのジレンマ」を理解することが本質的に重要です。
「ヤマアラシのジレンマ」を説明します。ヤマアラシという動物は、体に棘が生えています。寒い冬になると、ヤマアラシ同士が体をお互いに近づけて、相互に温め合いたい。でも棘がついているので、温めるために近づこうとすれば、近づこうとするほど、お互いに棘を刺しあってしまって傷つけてしまう。
人間関係でも、こういうことって良くありますよね。お互いにもっと仲良くなりたいんだけれども、それがうまくかみ合わなくて、お互いに傷つけてしまう。これが「ヤマアラシのジレンマ」の一般的な定義です。
でも実は、心理学用語としての「ヤマアラシのジレンマ」にはもう一つの意味があります。「ヤマアラシのジレンマ」というのは、お互いに棘で刺しあうことがないように適度な距離間を保つことができるような状態のことも意味しています。大人になるプロセスの一つは、お互いに傷つけないように適度な距離感を保つことを学んでいくことでもあります。
その意味で言うと、成長過程にある純粋な若者が持つ「ヤマアラシのジレンマ」と、大人になって人と距離間を持つ手法を身につけた大人が持つ「ヤマアラシのジレンマ」の二つがあります。
さて、この用語、前者の定義だとしても後者の定義だとしても、一つだけ重要な共通項があって、それは、「他人を傷つけたくない」という大義名分を持ちつつ、本音は「自分が傷つきたくない」という気持ちから発生している行為、ということだろうと思います。さて、そのようなときにどのようにATフィールドを乗り越えていけば良いのでしょうか。
ATフィールドを乗り越える方法
ATフィールドは、「中和」する方法と「破壊」する方法が本質的にはあると思います。
中和する方法としては、これはメンターの方からお聞きしたアドバイスですが、金子郁容先生のおっしゃる「弱さの強さ-Vulnerability」を身につける、という方法があります。Vulnerableとは、傷つき易い、攻撃され易いという意味で、自分がバルネラブルであることを外部示すことが大事です。そうすると、相手も近づきやすくなってくる、ということです。一方私は、ATフィールドを「破壊する」という方法があるように思います。「破壊」するというと言葉が悪いんですが、もう一つの方法は、相手の懐に飛び込む、ということだろうと思います。世の中で良く言われる「爺殺し」というのはこのパターンかなと思います。
私自身は比較的両方を試みてきたように思います。一般論としては「中和」が良いと思います。「破壊」するのは、言葉を変えると、相手の懐に土足で踏み込むということで、一歩間違えば、相手に対して失礼になり、大失敗につながります。私もこの失敗を沢山しています。でも、相手の懐に飛び込むことで、相手の本質的な魅力を「ぎゅっと」握りしめて学ぶことができる。そこに本質的なrespectが生まれる、という部分もあろうかと思います。
ATフィールドが発生しているとき、というのは、本質的な意味で、自分自身に自信がないときなんだろうと思います。本当に自分に自信があれば、自分の弱さを相手に見せても平気なはずだし、ATフィールドなんて本当は発生しないはず。
大人の「ヤマアラシのジレンマ」
先ほども述べた通り、「ヤマアラシのジレンマ」の二つの定義があります。若者の「成長痛」の側面もあれば、大人になると、もう一つの意味での「ヤマアラシのジレンマ」が発生します。私は本当に怖いのは後者だと思います。
私は、学生時代特有の成長痛の「ヤマアラシのジレンマ」の方が未来を作りだせるし、その気持ちを大人になっても持ち続けて欲しいな、と思っています。
社会においてイノベーションを生み出すときというのは、異質の人材が集まったdiversityの中での本質的なrespectを相互に創造していかなくてはならない。そのときに、「適度な距離感」を保つことが障害になることが多々あると思います。これからの時代、特にそのマネジメントをしていく能力が必要だし、良い意味でぶつかっていくことが大事です。
私自身、前者の意味での「ヤマアラシのジレンマ」を沢山の人と体験してきましたが、そこを乗り越えた人との関係が本当の意味で「仲間」になれたな、という感触を持っています。
大学時代に、「お前のこういうところが好きだ」言い合える友人より、「お前のこういうところが嫌いだ」と言い合える友人を沢山増やせると素敵だなと思います。そして、大人になってもそういう仲間を増やし続けていきたいな、と思います。自分の年齢も相手の年齢も関係なく。
私の生き方が正しいかどうかは自信がありません。でもこういう形も一つの生き方なのかな、と思います。>
( <■人間関係恐怖症を乗り越えるために -ATフィールドとヤマアラシのジレンマAdd Star/Hatena::Diary - Innovation, Creativity and Entrepreneurship/2009.05.23 )
"ソーシャルメディア" は、"マーケティング" のジャンルにおいて、"IT 側面(マネタイズ面?)" ばかりが取り沙汰されている、そんな雰囲気を感じる。それが事実ならば、多分間違っている。マネタイズ面からは距離があるかもしれないが、むしろ、"人間関係" の諸々の問題にこそ関心が向けられるべきだろう...... (2012.01.18)
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