年の瀬となると、"10大ニュース" といった話題が取り上げられるものです。今年も、確かに記憶に留められた重大なニュースがひしめき合った。
そんな視点から下記引用サイト記事、<2011年の新語十選> に着目してみることにした。
筆者は、<2011年を象徴する10のキーワード>の個々を振り返りながら、<これらの言葉から「日常に潜む問題点の発露」という共通項を見いだしているところです。>と叙述している。
この<日常に潜む問題点の発露>についてである。
確かに、このフレーズによって "一年が総括" されそうではある。<日常に潜む問題点>という観点には大いに共感できるところだ。<2011年は「変化を受容し始めた社会が、潜在的に抱え込んでいる足元の諸問題を掘り起こした」年>であったことは間違いない。つまり、人々によって注目される社会現象が、一般庶民の日常生活からかけ離れたところで起こるのではなく、日常生活と "地続き" の場所で "発露" してしまうということ。特に、<東日本大震災>がそうであったように、一般庶民をも巻き込み、犠牲としてしまうという点が、この一年というよりも現在の "危機" の最大の特徴のように思われる。
日常生活の中に "埋め込まれた危機" が "露呈・発露" するという構図だと言っていいのかもしれない。
ところで、"大震災" という不幸に現象は、"自然現象" であるがゆえに、<発露>したと表現しても妥当なニュアンスがありそうではある。しかし、<東日本大震災>での被害をかくも悲惨な事態にした、しているのは、今なお継続中の社会問題である "原発事故" (半ば社会現象!)に由来している点は誰もが知るところではなかろうか。
さらに、巨大地震が何の予期もなく唐突に発生したものではないことを思えば、"自然現象" だから......、という見方にも少なからず疑問が生じるのである。
つまり、<東日本大震災>での被害の少なからぬ側面は、"自然現象" の<発露>という表現には馴染まないと思われるのである。
むしろ、最大限に悲惨な事態を "未然に防止" するために、潜伏し続けていた危機( "埋め込まれた危機" ?)という問題を "暴き切れなかった!" 点こそが留意されるべきかと思われるわけだ。
持って回った言い方をしているようだが、言いたいことは、<日常に潜む問題点>は、確かに "露呈・発露" してしまったのだが、そうした表現がなされ続ける限り、今後も<日常に潜む問題点>は、"露呈・発露" し続ける可能性が高いように思う。
<日常に潜む問題点>は、"事前に暴かれる" ことによってのみ最小限の被害で食い止められるものではなかろうか。
そして、"事前に暴く" ことこそが、現代の知恵であり、現代という恵まれた時代環境が担うべき役割ではないかと......。
"ソーシャルメディア" が一役買った<アラブの春>や<ウォール街占拠(Occupy Wall Street)>運動という、今年の主要キーワードの一部が示唆したのは、まさにそうした点ではなかったのかと......。
"ソーシャルメディア" が、とかく "自然ごと"、"他人ごと" で片づけようとする思考や感性の "厚い殻" を打ち破るためのツールとして活用されて行くことを、この国この社会で思い描くことは見当違いなのであろうか......。
東日本大震災: 2011年12月 アーカイブ
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