"リア充" というスラングがある。ちなみにその対義語は "非リア" と表現されるそうだ。
"現実の生活(=リアル)" の充実を、"ネット行動" を重視する(浸る)者からの視点で眺めたナーバスな表現のようだ。
ところで、このところ "無縁社員" という現象が注目されている。( ◆参照 濁流に押し流されているかの状態!"無縁社会/無縁社員"!"誰とも話さず一日終わる"!( 当誌 2012.09.06 ) )
こうした "誰とも話さず一日終わる無縁社員" の現象を、"リア充/非リア" という視点で考えてみるとどうなるのであろうか......。
"非リア" と見ざるを得ない "無縁社員" たちと "ネット行動" との関係はどうなのだろうか、という視点となる。
"無縁社員" 現象の背景には、<IT(情報技術)機器が普及し、対面コミュニケーションの機会は減少(11.1%)>のせいばかりではなく、以下のような原因があると見られている。
<・自分のことしか考えていない人が多い(34.8%)
・メンバー同士の関係性が希薄(34.3%)
・世代のギャップがある(33.8%)
・仕事が縦割りでお互いの状況がよくわからない(32.4%)
・お互いに助け合う雰囲気がない(19.8%)>
これらに加えた、<経営は厳しく、仕事は増えても人員は増えず、周囲に構う余裕がない。会話はあっても業務上の報告や連絡が主体。......>という昨今の経済環境がこの現象を際立たせているのであろうか。
しかし、<IT(情報技術)機器が普及>という条件の作用は小さくなかろう。
一頃、"携帯電話" の普及が "家族関係" の "個人主義化" を促したと指摘されたものであった。"求心力" が弱体化した集団組織の関係に、"個人的に外部と繋がるチャンネル" が登場するならば、"水は低きに流れる" 譬えどおりのことが促される。"心ここにあらず" の空気が漂う人間関係......。
"誰とも話さず一日終わる" 職場であっても、こうした "個人的に外部と繋がるチャンネル" があれば、ある程度の "精神的バランス(?)" が支えられると見てもあながち間違いではないように思える。
しかし、こうして、"心ここにあらず" という中でその不完全燃焼の "心" が、"向こう側(?)" へと "転送(?)" されたとして、その顛末(てんまつ)はどうなるのであろうか。
"非リア" を "リア充" へと "変換" できるほどの何かを得ることができるのであろうか......。
ただ、"誰とも話さず一日終わる無縁社員" の "コミュニケーション" 願望は、さぞかし "ネット行動" に相応の程度で振り向けられて行くのではないかとは想定できる。表題に掲げた "分極化!" とはこうした意味を込めた。
今回は、簡単に憶測することは慎んでおこうかと思う。
下記引用サイト記事:コミュニケーション・インフレ (鈴木幸一氏の経営者ブログ)/日本経済新聞 - 経営者ブログ/2012.09.11 を、"ネット上におけるコミュニケーション・インフレ" という表現に着目して引用しておきたい。
< ...... インターネットいうと、情報の受発信の構造を根本的に変え、地球上をボーダーレスにしてしまい、国家の統制を超えてしまうことで、厳しい情報の管理・統制を、国家運営の基盤としている国々は、インターネットの普及に対して、中国をはじめとして、さまざまな対応策を施しているのだが、アラブの春のような動きは、今後とも広がるに違いない。民主化を進めたり、民主化を装う国々にとって、危険な情報通信技術であり続けることだけは間違いない。日本のように、インターネットを待つまでもなく、自由な情報の流通が実現している一方で、ポピュリズムがまん延し、政治家もマスメディアも、民衆の意を先取りし、媚(こ)びることに慣れてしまっているの国インターネットは、国を恐れさせる動きではなく、フェイスブック、ツイッター、掲示板等々、絶えず自らの情報を人に知ってほしいというコミュニケーション・インフレの渦が広がり続けるようだ。今日一日、自分が何をしていたかを、誰かに知って欲しいという欲望に取りつかれているとしか思えない。コミュニケーション病なのか、露出狂なのかとも思うのだが、そうそう皮肉を言っても始まらなくて、インターネットがもたらした、新しい行動パターンであることは間違いない。...... >( コミュニケーション・インフレ (鈴木幸一氏の経営者ブログ)/日本経済新聞 - 経営者ブログ/2012.09.11 )
不特定多数の人々によって生み出される "無縁社会" 現象と、"仕事" によって構成される職場での "無縁社員" 現象とは分けて考えられてよいと思っている。もちろん後者が "最後の砦" 的問題となる。
しかるに、職場で "コミュニケーション" が成立しないとするならば、現代の "コミュニケーション" の可能性は "全滅(?)" なのかもしれないと危惧されることになる ...... (2012.09.12)
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