人間は理性的である反面、度し難い "非合理性" を秘めている点は、日々報じられる不祥事のニュースに接していると嫌でもよく分かるものだ。と言って、自身が仕出かす "非合理" な行動には中々気づけないのもまた人間の非合理性の表れなのかもしれない。
下記の引用記事のとおり、結局、<われわれは自分で信じたいほど合理的な存在ではない>であるし、<われわれは、つまずく原因を知っていてもなお、転んでしまうようにできている>、そんな存在のようである。
こうした "非合理性" をもたらすのは、<自信過剰バイアス>などの様々な "バイアスや盲点" が潜伏している(ビルトイン?されている)からだそうだが、困ったことに、これらは<人間の愚かさの症状ではない。それらは人間性の本質的な要素であり、長い進化を遂げてきた脳が持つ、避けがたい副作用といえる。>もの、<このような習性は事実上、修正不可能>と見なされる......。
こうなると、"打つ手" はないかのようでもある。
しかし、ふと振り返ってみると、様々な "バイアスや盲点" が威力を発揮してしまう状況というのは、"振り込め詐欺" を例に挙げるまでもなく、個々人が閉ざされた "孤立" 環境でいろいろな情報を処理して対応する場合に目立つのではなかろうか。
閉ざされ "孤立" した環境では、情報に対する判断が頼るものは自身の思考の習慣・習性以外にはないだけにそうなりがちなのかもしれない。
また、一般的に<人間は情報を丹念に評価したり、関連のある統計データを調べたりしない。>という、そんな日常の情報処理姿勢にも少なからぬ問題がありそうだ。
たまたま、昨日は以下のようなことを書いた。
<もちろん自身もそうであるが、現代の環境に慣れ過ぎたわれわれは、"情報" の獲得にあくせくし、それが叶えば一件落着、事足れりとなってしまいがちだ。"情報" 自体の真偽や、いやそれ以前にその "情報" の意味そのものが "理解=納得" できているのかどうかは、無意識にスルーされてしまっているかのようである......。>( "バイラル・ループ"をも駆動するソーシャルメディア!平凡ながら正攻法伝播力!( 当誌 2011.11.02 ) )
<検索主義的ネット環境>下では、このような "習性" が身についてしまうばかりか、助長されさえするかのようだ。
こうした実情を思い浮かべる時、いささか唐突かもしれないが、"ソーシャルメディア" がこうした状況への "解毒剤"(チェッカー?)になりそうか......、と思ったりする。
いや、"ソーシャルメディア" のユーザーたちの "「社会とつながりたい」" という思いの中には、目まぐるしく飛び交う情報群を目の当たりにして、"孤立" と "丸腰" の状態では余りにも不安に過ぎるとする感覚が働いているに違いなかろう。
思えば、生活現場での身の回りに様々な "リアルなコミュニティ" (家族・地域社会など)がアクティブであったかつての時代環境では、想像できなかった "個々人の孤立化" 状況( "無縁社会!" )が、現状では当たり前のようになってしまった......。
こうした "孤立化" 状況は、 "孤独感・寂しさ" という人間の感情を生み出すが、それ以前に、情報認識やそれに基づく対応という次元での "ヒューマン・エラー" を引き起こしがちだという問題がさらに要注意だと思われる。
現状の"ソーシャルメディア" が、果たして、人間が閉ざされ "孤立" した環境で増幅させがちな<自信過剰バイアスや盲点>を抑制しているかどうかは分からない。だが、かつてのコミュニティの "疑似代替物" としての機能を果たす、あるいはその可能性を十分に備えた空間であることは間違いなさそうだ。
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