「新しい酒を古い革袋に入れる」(新約聖書マタイ伝)とは、新しい内容を古い形式で扱うということの意で、これでは内容も形式もともに生きない! と暗喩している言葉のようだ。
だとすれば、この "逆" もまた "真" だと言うべきなのだろうか。つまり、「新しい革袋に古い酒を入れる」ことも、ミスマッチであり、"新しい革袋" と古い酒の両方を台無しにしてしまう......。
今現在衆目を集めている "電子書籍(eBook)" を、まさしく "新しい革袋" として見なしてみると、もしそこに "古い酒" を流し込む粗雑さを続けるならば、 "新しい革袋" としての "電子書籍(eBook)" は、その可能性を閉じてしまうのであろうか......。
"電子書籍(eBook)" というメディアは、もちろん多面的な可能性を持っている。しかし、そうした多面性に幻惑されずに、その "正体" 、その "本質" (コアな部分)を掴んでおきたい、とこれまでにも書いてきた。それが、一時的なブームに終わらせないための秘訣だとも思えるからである。
では、その "正体"、その "本質" とは何であるのかと言うと、言い当てるのにやや戸惑うわけだが、どうも、一般的な "コンテンツ" のキャリア(運び手)なのではなくて、いわば "メッセージ" のキャリアなのではないか、との意を強めている。
この解釈に促されたのは、次のブログからであった。長くなるが、意が損なわれないように引用しておきたい。
<本づくりというのは、そういうもんだと思っていました。本が売れるようにコンテンツを体裁よく整えること。ところが、そんな仕事を十年つづけて「もういやだ」と思ったときに、まったく種類のちがった本づくりにぼくは出会うことになりました。それは、有志が集まって「自分たちのメッセージを届けよう」とつくりだした出版活動でした。......
「コンテンツ」という考え方は、メディアの発想です。メディア、媒体、つまり物理的な本を販売することで、出版業界は利益を得ています。出版業が売るのは、インクで汚した紙の束です。この紙の束に価値をつけるのがコンテンツです。......
コミュニケーションにおいては、メッセージが本質です。一方から他方へ通信が行われるとき、そこで運ばれるのは情報です。メッセージは、個人がなんらかの意図をもって発信した情報とでもいえるでしょうか。......「伝えよう」「伝わってほしい」という人間の意図が裏づけとしてあるものが、メッセージです。
こう考えると、単純にメディアに集客することが目的の「コンテンツ」と、情報発信としてのメッセージの勝負は最初から決まっています。「伝えよう」という意図があるから、情報は伝わるのです。「白紙だと売れないから」「検索にかかるために必要だから」という目的で生産される「コンテンツ」には、最初からコミュニケーションの原動力が備わっていないんですね。......
昨今の電子出版を巡る議論は、基本的には「電子出版をどのようにビジネスにするか」というお話です。電子出版という枠組みをつくってしまった。あるいは、ビジネスになる電子出版という枠組みをつくりあげようよというのが論点。そして、枠組みができたら、そこにコンテンツを流し込んで一儲けしようという筋書きです。これが現実です。...... けれど、現実がそうであっても、そこに伝説を打ち立てねばならないと思うのです。ぼくらがメッセージを伝えるための新しいメディアとして、電子出版という新しい枠組みをつくるのだと。メディアは目的ではなく手段なのだと。......>(<言葉職人のデスクトップから/コンテンツとメッセージ>)
自分が今、"電子書籍(eBook)" というニューメディアに託そうとしているイメージは、この理解・主張とかなりの程度重なっていると感じている。
ちなみに、この日誌でこの辺について書いた以前の文面も引用しておく。
<確かに、"電子書籍(eBook)" というテーマが脚光を浴びているのは、それらを閲覧するリーダーである "プラットフォーム" に関わる技術的、ビジネス的領域での "加熱" があることは否めない。
だが、こうしたインフラ整備が進んだとしても、これらを活用して "新しい読書形式" を受け入れる受け手側に積極的な呼応がなければ、ここまで "加熱" することにはならなかったはずだ。つまり、技術的、ビジネス的領域での動きは、一見先行しているように見えはするが、実は、 "受け手の一般個々人の側" に、"電子書籍(eBook)" やその "プラットフォーム" のようなプロダクツを願望する兆候が既にあったのだと考えられる。よく言われる「こんなモノが欲しかった......」というあのセリフが言い当てているように......。
こうした側面に眼を向け直して、"電子書籍(eBook)" というモノに託す人々の "潜在的願望" の実像をもっと良く照らす必要がありそうで、もし、その部分を軸足にして行かないならば、この "加熱ぶり" も一時のブームとして終わる可能性もあり得るのだろう。
つまり、"電子書籍(eBook)" というテーマの "本質面" とは、こうした現時点での "受け手の一般個々人の側" の、その "感性・意識の変貌" にかかわる問題ではないのかと予感させられるのである。
......
と言うことになると、"電子書籍(eBook)" を "淡々と楽しんでいる" 人々というよりも、むしろ "電子書籍(eBook)" を "唯一無二の掛け替えのない存在" だと感じて、思い入れをしている人々の "ニーズのあり方" をこそ吟味してみることが緊急の課題ではなかろうかと......。
そう思い定めると、一見、ローカルなサンプル的現象だとして看過されかねない "ケータイ小説" というジャンルとその参画者たちの実態こそが、意外と "電子書籍(eBook)" の "本質面" を "先駆け" 的に照らしていたのかもしれないと思えてきたりするのである。>(<("電子書籍(eBook)"というテーマで、テクニカル面と"本質面"の両面を見つめたい! (当日誌 2010.10.10)>)
ここでの<"電子書籍(eBook)" というモノに託す人々の "潜在的願望" の実像>とか、<むしろ "電子書籍(eBook)" を "唯一無二の掛け替えのない存在" だと感じて、思い入れをしている人々の "ニーズのあり方">というのは、象徴的に言い直すならば、"メッセージ性" への切望という意味ではなかったかと反芻しているところなのである。
なお、この "メッセージ性" についてこそはもっと "丁寧に" 説明されてよいかとは思うが、今日のところは、
<コミュニケーションにおいては、メッセージが本質です。一方から他方へ通信が行われるとき、そこで運ばれるのは情報です。メッセージは、個人がなんらかの意図をもって発信した情報とでもいえるでしょうか。......「伝えよう」「伝わってほしい」という人間の意図が裏づけとしてあるものが、メッセージです。>(前述の<言葉職人>さんのブログ)
という叙述をお借りしておきたい。
ところで、以前に、<"電子書籍(eBook)" の "正体" とは、"セルフ・パブリッシング" の可能性が盛られた新しい "表現装置" なのだと言ってみたい。>(<("電子書籍(eBook)"の"正体"をあぶり出せ!/"セルフ・パブリッシング"への可能性! (当日誌 2010.10.11)>)とも書いた。
実は、この "セルフ・パブリッシング" という点にしても、低コスト的視点もさることながら、何よりも<「伝えよう」「伝わってほしい」という人間の意図が裏づけとしてあるものがメッセージ>だとする "メッセージ性" の視点と深く関わることなのである。
"セルフ・パブリッシング" の起動力とは、<「伝えよう」「伝わってほしい」という> "メッセージ性" 以外の何ものでもないと思われるからだ。
つまり、"電子書籍(eBook)" とは、現代の技術的環境がプロデュースした見事なアウトプットなのではあるが、実は、その足元には現代環境に生きる人々を取り囲むコミュニケーション枯渇状況、その結果としての "メッセージ性" への切望状況が横たわっているのであり、これらが "電子書籍(eBook)" を "逆照射" しているのてはないかと思われてならない。
"電子書籍(eBook)" という "新しい革袋" を充たすべき "新しい酒" とは、一見溢れ返っていそうで実のところは希薄で寂しい限りでしかない "メッセージ性" なのではなかろうか...... (2010.10.25)
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