"ソーシャルメディア" の話題が絶えない今だからこそ、極めてコンテンポラリーなテーマである「匿名性と実名性」の問題=「ネット上の人格」の問題。
いや、"問題" という表現ではなくて "テーマ" と言うべきかもしれない。"問題" と表現すると、何か "ネガティブ" なニュアンスに囚われて<アイデンティティーが抱える中核的な問題>を見失う恐れがありそうだからだ。
そもそも人間個々人の "アイデンティティー" とは何なのか? このテーマこそを、ナイーブかつシリアスに問うべきなのだろう。特に、「ネット上の人格」云々が論議を呼ぶ環境であればこそである。真面目くさって言えば、世界(秩序)のために個々人があるのか、(現実の)個々人のために世界があるのか......、に関わる本質的なテーマだからである。
このテーマを正面切って取り上げたのが、いつも斬新な切り口の記事で "心地良さ" をプレゼントしてくれる "WIRED 紙" であり、その記事の表題は下記のとおり<匿名性と実名性:「ネット上の人格」を考える>である。
この時代環境にあって、一体、"統一感ある確固たるアイデンティティー" を自負できる人がいるのかと問うてもみたい。"多重人格" の問題をあげつらうまでもなく "アイデンティティーの危機" が叫ばれて久しいからだ。
もちろん、既成社会にとって所属する個々人の "統一体" としての分かり易い "アイデンティティー" という概念が必要なことは十分に了解できる。しかし、個々人は多くが環境の産物、つまり「所属する集団」によって多くが形成されるとするならば、時代環境がとっくにかつての牧歌的な時代の「単一集団への所属」というは事情とは異なっている点に目を向けるべきだろう。
現在の個々人は、目まぐるしいほど多くの集団に「多重に所属」しているはずだ。そして、当然ながら "個々の集団向けの顔(ペルソナ)" を持たされ、現に持っていると言うべきだろう。それは別に "欺き" という種類の振舞いなのではなくて、そうでなければ社会が混乱するからと諭されているからかもしれないし、また、当人もあながち不本意ではなかったりする。"全部ホントなんです" と言いたいのかもしれない......。
要するに、元々が現代の個々人は "多面的!な人格" であらざるを得ない環境で生きて生活しているということではないかと思う。"統一体" としての個人の "アイデンティティー" というものは、かなりの無理によってキープされていると見なした方が自然なのかもしれない。
いや、事のついでに言い進むならば、ひょっとしたら "多面的!な人格" への傾向というものは、時代環境のせいだと言うよりもいわば人間本来の特質だと考えることもあながち不可能ではないかもしれない。成長と発展、可能性への挑戦が特質である人間は、その "機会" さえあれば、"多面的!な人格" 形成を志向する存在なのだ、と言ったら言い過ぎであろうか。
で、現代という時代、とりわけこれまでにはない "バーチャル" 空間を用意した "ネット時代" は、"多面的!な人格" 形成挑戦への "機会" 提供が一般化してしまった時代なのだ、と考えてみてはどうなのだろうか......。
こうした時代には、"ネガティブ" な社会現象(犯罪etc.)が発生しがちであることは周知の事実であるが、だからといって<アイデンティティーが抱える中核的な問題>までをも封殺して、"安全地帯" の拡張工事に雪崩込むのは人間として寂しい気がするのである。
さて、"自分探し" というような "ゆるい" 言葉で悩んでいるつもりのわれわれは、この際、いささか物議を醸すかもしれない視点であっても、"アイデンティティー" というものについてシリアスに考えてみても良さそうでないか。
最近のトラックバック