東日本大震災: 2011年3月 アーカイブ

 米紙ニューヨーク・タイムズが、<日本で「地震、津波、原発で何十万という国民が被害を受けたことから、被災地以外でも、少しでもぜいたくにみえる活動はすべて非難されるようになった」とし、日本国民のすべての層が生活面での「自粛」をするようになった>(下記参照)と報じた記事は、いろいろな角度から受け止められているようだ。
 「対岸の火事」のように受けとめられては迷惑だとする向きもあろう。やっぱりヤンキーの感性には馴染めない......、とする受け止め方もないではない。

 しかし、結局、自分はこの記事を "合理的・実践的" だと評価しようとしている。
 先の見えない原発事故問題が象徴するように、この巨大震災がもたらした "桁外れの被害" は、まだまだその "全容" が見えていない。ことによったら、自分も含めて全国民は、未曾有の出来事を推し量るそんな尺度を持たないところから "過小推定" にまどろんでいるのではないかと、ふと感じたりするからなのである。
 
 つまり、決して "杞憂" なんぞではなく、この国、この社会は "崩壊・滅亡" への崖っぷちに立たされていながら、"先が見えない" ことだけがパニックを回避させている......、と言っても過言ではないのかもしれない。それほどに、一瞬のうちに "巨大なダメージ" を被ってしまったのだと思われる。
 だから、この災害からの復旧と復興には、 "膨大な国民的エネルギーが不可欠" なのであり、その規模の尺度もまた、計り知れないと言うべきなのであろう。少なくとも、<自粛>という "共感の美徳" のみで賄えるものだとは思えないのだ。
 いや、むしろ、<自粛>が "内向き" な心理現象に起因する "自縛・金縛り" に通じるものだとするならば、とても、立ちはだかっている前途多難に対峙することはできないのではなかろうか。




















 今回公表された "原発敷地内土壌からプルトニウム検出" について、当局は、口を揃えて "憂慮" を表明した。
 <「健康影響は考えられないが、燃料棒の損傷があることを示している。放射性物質が漏れないようにする(原発に)あるべき五重の壁が破れたことを示す。憂うべき事態だ」>(経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官)
 <「周辺のたまり水で、強い放射線が計測されていることと併せて、燃料棒が一定程度、溶融したことを裏付けるものだ。大変深刻な事態で、そのことによる周辺部への影響を阻止し、収束させることに全力を挙げている」>(枝野官房長官)

 それにしても、巨大地震による被害規模の "全容" が不明であることと同様に、原発事故の "外延(広がり、外堀?)" が掴み切れていないという点が残念である。
 事故の "外延" 把握とは、事故の "定義づけ" と同義であり、そこから "定義できない" 問題は解決され得るのか? という疑問や不安が生じることにもなる......。
 一刻も早く、事故の "外延" を掌握して、"外堀" を手堅く埋め尽くすことが望まれる。

 現時点での、福島第一原発での "高濃度放射能汚染" 状況への、当局の対応は、どう贔屓(ひいき)目に見ても "右往左往の混乱" だと見えてしまう。

 少なくとも、事態の "客観的把握" 、"測定" だけでも正確であって欲しいと思うのだが、その辺に関する "錯誤" が伝えられたりすると、無用な不信感のみが刺激される......。

 考えてみれば、多くの国民の生命と健康とにかかわる問題でありながら、事実上、第三者の立ち入りが不可能で、まるで "密室状況" とも言える現場において、責任当事者側のみしか対応できないというこのシチュエーション自体が、まさに "異常事態" なのだと思えてくる。愚痴めいてしまうが、"客観性" が担保されにくい、こうした状況の到来こそが避けられなければならなかったはずである......。

 "災害とその復旧時" という "危機的状況" においては、平常時に潜伏していたさまざまな問題が露呈すると思われる。"危機的状況" でのみ "真価が発揮される" というような都合の良い事態は想定しにくいと言うべきなのであろう。

 そして、"情報公開と共有" という視点での問題点は、公的組織・私的組織を問わず現在の組織全般にはありがちなウイークポイントとして指摘され続けてきた。
 恐らくこの点は、東電にかぎらず、あらゆる組織が "脛(すね)に疵(きず)を持つ" かたちで抱えている忸怩(じくじ)たる問題なのではなかろうか......。

 防災対策では、"緊急避難行動" の予行演習はなされている。だが、かなり重要なはずだと思われる "緊急時の情報共有" に関してはやや素通りされていそうでもある。
 地震情報などの「緊急避難情報」システムについては周知徹底され始めていると見える。しかし、そうした "総論的情報" の共有に加えて、適時必要となる "個別緊急情報" の伝達となると、個別の集団組織における "日頃の情報の流れ方" のあり様がにわかに浮かび上がって来て、決め手とさえなってしまうのではなかろうか。

 現時点で、集団組織が抱え込んでいるコミュニケーション体質の問題が、"緊急時" には思いもよらぬ悲劇を生み出さないともかぎらない......。
 報じられている下記の問題、"緊急時" における "情報共有" の欠落が引き起こす惨事という問題は、まだまだ尾を引くと想定される復旧対策の前途に、かなり重大な警告を発していると思えるのだが......。

 <今は日本全体が、被災者のために何ができるかを考え、愛他精神が広がっている。>(下記記事より)というのは、まさにそのとおりだと思う。
 ただ、被災者の悲痛な思いとそうではない者たちとの境遇の差は余りにも大きい。また、"ボランティアと彼らへのニーズ" との "ミスマッチ" という皮肉な現状も伝えられてもいる。
 解消できない "ミスマッチ" はあり得ないはずであり、にもかかわらず生じる "ミスマッチ" は不幸でしかない......。
 今日、関心を向けた事柄は、この "リアルな地獄" にあって "愛他精神 = 思いやり" という尊いものが、不幸にも "不発" に終わり、実らないことがあるとすれば、その "ミスマッチ" は是非とも回避すべきだという点なのである。
 "ボランティア" 活動に関わる点はまた後日述べたいと思うが、それ以前の重要な課題として、<被災者への接し方>という緊急テーマについて紹介したいと思った。注目に値する記事は以下のとおり。

 やはり、"放射能汚染" の問題は想像以上に重苦しいようだ。
 原発トラブルの "三原則" は、「止める」「冷やす」「閉じ込める」ということだそうだが、最後の "放射性物質を「閉じ込める」" という課題が、ここに来て不可解なかたちで表面化しているようである。
 もっとも、この最後の課題が梃子摺るようであれば、われわれの日常生活は長期にわたって脅かされ続けることになる。
 ここは、関係専門家たちの総力を挙げた活動によって、後戻りしない対策を講じてもらいたいものである。

 福島第1原発からの "放射性物質漏えい" は、波紋を広げ続けている。
 この問題が、まるで "鵺(ぬえ)" のように扱いにくいのは、先ずは "放射性物質" というものが "invisible(目に見えない)" だという点、さらに、"摂取制限基準値" への見解が必ずしも一律ではなく、幅がありそうな点などからであろう。
 こうした状況から、一方では "無防備" となったり、また逆に "過敏" となったりもし易いのだと思われる。
 加えて、"放射性物質" による傷害が確認されるのに多大な時間経過を要することや、また、上記の "過敏" 反応が、根拠の乏しい "風評被害" などを呼び起こし、経済的混乱とそこでの被害者を生み出すという事情も、事態を複雑なものにしている。
 "実被害" の可能性と "風評被害" の現実とは、限りなく "オーバーラップ" しているのがもどかしいかぎりだ......。

 被災者救援、原発事故修復も緒に就いたばかりであり、こうした緊急度の高い課題でさえ、未だ "先が見えない" 状況となって尾を引いている。
 そんな状況で、二、三歩先の事態やそこでの課題にまで目を向ける余裕がないというのが現実であるのかもしれない。
 しかし、何事によらず "スピード" が支配している現代にあっては、二、三歩先、三、四歩先への目配りが乏しいままの当面対応では、かえって事態打開の可能性をも閉ざしてしまうことに繋がりかねない......。
  "原発事故" 問題については、"風評被害" といういわば "事後問題" が既に "同時進行" してしまい、救援物資輸送機能自体に支障をもたらしたり、再起を図らんとする被災者たちのマインド面に暗い影を投げかけたりもしている。
 "情報公開" を大原則としつつも、無用な不安発生を阻止する "情報制御" をも睨まなければならないところが難しい点であろう。

 政府当局においては、緊急課題への迅速で果敢な対策が要請されるとともに、二、三歩先、三、四歩先への冷徹な目配りをも踏まえて、よりトータルな復旧への幅広いルートを確保してもらいたいものだ。緊急事態の際にこそ "先手必勝" 策が望まれる......。
 賠償問題に関しても、その "大筋!" を一刻も早く公表すべきだと思われる。

 今回の巨大地震による "大津波の猛威" と "福島第1原発の事故" は、世界中を震撼(しんかん)させた。そして、発生10日が経過した。
 今後も尾を引くに違いない "原発の危機!" をしっかりと記憶に留めるためにも、"初動10日間" の経過を再確認しておきたい。

<【大型検証】次々と襲う未体験の危機 緊迫の10日間、総力戦
 東京電力福島第1原発の事故は20日、発生から10日目を迎えた。燃料の露出や炉心溶融、水素爆発―。日本の原発が初めて経験する危機が次々と襲う。技術の粋を集めたはずの最前線で、何が起こったのか。最悪の事態回避へ向けて続いている総力戦の経過をたどった。......>(<【大型検証】次々と襲う未体験の危機 緊迫の10日間、総力戦/【共同通信】/2011.03.20>

 以下、同記事をより読み易くすべく、内容を変えることなく "図表化" させてもらうことにした。

 東京消防庁などによって実施された "放水作業" によって、<3443マイクロシーベルト>から<2625マイクロシーベルト>へと<818マイクロシーベルト>減少していることが報じられている。
 放水効果に関しては厳密な調査が行われているようだが、取りあえず "喜ばしい数字" として受け止めたいものである。

<放水後の放射線量 減少傾向に
 東京電力は、20日午前11時前から記者会見し、福島第一原子力発電所の敷地内の放射線の量は、放水が始まった19日午後から、引き続き減少傾向にあることを明らかにしました。
 東京電力によりますと、福島第一原子力発電所の3号機から北西におよそ500メートル離れた「事務本館」北側の放射線の量は、19日の放水が始まる前の午後2時に、1時間当たり3443マイクロシーベルトだった値が、20日午前8時半に、1時間当たり2625マイクロシーベルトに減少し、18時間余りで818マイクロシーベルト下がったことを明らかにしました。>(<放水後の放射線量 減少傾向に/NHKニュース/3月20日 11時30分>

 事故原発機への" 放水作業" は、放射線汚染に抗いながら、警視庁、自衛隊、消防庁などによって推進されている。
 この "" のねらいは、<燃料が過熱、破損して放射性物質が漏れるのを防ぐことと、燃料そのものから出る高レベルの放射線量を下げて周辺で作業しやすくすることの二つの効果がある。>(下記の報道)とされる。まさに、 "緊急対策" だということだ。

<冷却と放射線防止の効果 電源復旧までのつなぎか
 事態打開のため、17日に続き18日も行われた福島第1原発3号機の使用済み燃料プールに対する放水作業。燃料が過熱、破損して放射性物質が漏れるのを防ぐことと、燃料そのものから出る高レベルの放射線量を下げて周辺で作業しやすくすることの二つの効果がある。だが、放水量が少なく、効果は本格的な冷却機能を回復させる電源復旧までのつなぎにとどまりそうだ。
 原発の核燃料は、核分裂反応を終えて発電の役割を果たした後も、発電過程でたまった生成物による熱が生じ続ける。そのため通常はポンプで水を循環させて水温を40度前後に保ったプールに約1年半浸して冷やしている。
 3号機では、容量約1400トンのプールに514体の燃料集合体が入っている。ポンプを動かす電力が地震で失われ、水温が上がって蒸発、水位が下がって燃料上部が一部露出しているとみられている。露出で過熱した燃料からは揮発性が高いセシウムやヨウ素などの放射性物質が漏れ出て空気中に拡散する危険性が高い。
 また使用済み燃料は毒性の強いプルトニウムなどを含み、強い放射線が出ている。水はこの放射線を遮蔽(しゃへい)する効果があり、露出した燃料を水で覆うことができれば放射線量は低下し、現場での作業がしやすくなる。
 ただ放水量は数十トン単位にとどまり、「焼け石に水」との指摘もある。住田健二(すみた・けんじ)大阪大名誉教授は「放水だけで効果があるかは極めて疑わしい。電源を復旧させて(ポンプを動かし)、プールの水を冷やすのが本来の姿で、急ぐべきだ」と話している。>(<冷却と放射線防止の効果 電源復旧までのつなぎか/共同通信/2011.03.18>


 "戦後最悪" の震災後一週間が経過した。
 被災者の救援活動および原発事故での危機回避対策の、それら双方が、"長期化" し、"息の長い" 対応とならざるを得ないことが伝えられている。
 こんな状況で、注目できた報道は以下のとおりだ。

 (1) 先ず、"国際原子力機関(IAEA)" の動き。現状の原発事故への国際的視点と、今後の "放射線汚染" 度の監視体制が注目される。「日本だけでなく権威ある国際機関も独自に観測することで、日本国民が安心できるように貢献したい」との天野事務局長発言。
 (2) 原発事故の緊急課題となっている "冷却" 措置に関する追加的対応の動き。ここでは、東京消防庁が「屈折放水塔車」、「遠距離大量送水車」という車両を駆使して対応することへの期待。<政府の対策本部からの要請>はもっと早くても良かったか......。
 (3) 最後に、この "長期化" する被災者救援、復旧事業を考える時、さまざまなことが懸念されるが、その一つとして、被災者・支援者に伴う "苦痛・苦悩との闘い" という課題も小さくない。特に、子どもたちや高齢者にまつわりつくことが警戒されている "PTSD(心的外傷後ストレス障害)" も大いに気掛かりとなる。
 どのようにして "息の長い闘い" を継続して行くかに当たっては、さまざまな具体的方策実施に加えて、"耐え続ける人々" をどう "勇気づけ、鼓舞できるか" という課題も見過ごせないはずかと思う。
 そんな観点に立つ時、差し当たって以下の二点に目が留まった。
 その一つは、<選抜高校野球、予定通り23日に開幕>であり、もう一つは<イチロー外野手が1億円寄付 大震災の義援金>である。こうした "元気" と "勇気ある決断" は少なからず "苦痛・苦悩と闘う人々(子供たち)" を精神的に支援すると思えた......。

 災害地に緊急に届けられるべき物資(ガソリン、灯油、食料品その他)が、無用の不安に駆られた「非」被災地地域での "買い溜め" などの過剰行動によって "圧迫" を受けているとか......。予想されている真冬並みの気温低下が大いに気遣われる。
  "買い溜め" などの行動に出る人々ばかりではないのだろうが、考えようによっては、ただ "美談" レベルの "良識・善意" だけに寄り掛かるのはいかがなものか、という思いが打ち消せない......。
 長年の "消費行動" の習性や "自己防衛" 本能的な生活行動が、急遽、"博愛" 的行動へと転換すると期待することの方が現実遊離なのかもしれない。それを見つめた、そんなクールな "リアリズム" が必須なのではないかと......。
 これは、下記の "電力消費" についても同様であり、原発事故対応や災害地での避難民救出についても同じことだと思える。ボランティアなどの復旧に関するプラス勢力を結集することはもちろん重要なのだが、同時に、事態を撹乱することにつながるマイナス要因を目敏く除去してゆく強力な管理もまた欠かせないと思われる。

【 号外(?) 】 東北地方太平洋沖地震の被災地状況の推移には大きな関心が向かうところである。
 とともに、これに加えて、国民の多くが不安で苛まれているのが "福島原発事故" を巡る問題であろう。
 国民の不安を増幅させているのは、当局や国によっても状況把握・認識が必ずしもスッキリしないこと、そこにも理由がありそうな気がしている。
 それは、問題が "専門的" な事柄であったり、現場が "放射能汚染" で近づけないことなどから、状況把握自体が隔靴掻痒(かっかそうよう)の観を呈していることによるのかもしれない。
 こんな時こそ、無用なデマに介入させないように、多くの人が事態を "冷静" かつ "知的" に把握する必要がある。そして、そのためには、当該の事柄に関する "洞察力のある専門家" の見解に耳を傾けるべきなのであろう。

 その点で言えば、"大前研一" 氏は "洞察力" の深さは定評がある上に、同氏が元々は "原子炉" 設計のエンジニアであったことを思い起こした。
 そんなことから、同氏による、"福島原発事故" に関する詳細かつ包括的な解説の動画(YouTube)を観ることになったわけなのである。
 感想を一言で言えば、"目から鱗が落ちる" ほどに明瞭で、説得力に溢れている、と思われた。是非、多くの方がこれを観ることで、妥当な状況認識のための基本的視点を培うことができればと思ったわけなのである。
 分かったようで分からないニュース報道が続いているが、それらに接する上でも、より大きな意味があるに違いない。

映像公開(Youtube)大前研一/『東日本巨大地震 福島原発半径20km以内の住民に避難指示 』

 "危機的" な状況にあっては、情報の取捨選択、吟味についてもしっかりと注意を向けて、信頼性の高い情報を選び抜ければと思う...... (2011.03.17)

 この緊急事態の際に、こんな下劣な話題は書きたくもない。が、今後の "災害復興" を考えた時、とりあえず記憶しておくべきかと思い、あえて書いておくことにする。
 悲劇の3月11日(金)のその日、石原都知事は時期都知事選への出馬会見が予定されていた。が、東北関東大震災記者会見は中止となった。当然のことであろう。
 が、その石原都知事が、被災で不安が渦巻く中、多くの国民感情を逆撫でするかのような "デリカシー(気配り)" のかけらもない発言をしていたという。
 町内の年寄りが吐く暴言ならいざ知らず、首都の責任者が自身の立場を顧みることもなく、品位の無い発言に及んだことは、状況に照らすと "論外" だとしか言いようがなさそうだ......。

<石原知事「津波で我欲洗い落とせ」「天罰だ」
 東京都の石原慎太郎知事は14日、東日本大震災への国民の対応について記者団に問われ、「我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。積年にたまった日本人のあかをね。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」と述べた。......>(<石原知事「津波で我欲洗い落とせ」「天罰だ」/mns 産経ニュース/2011.3.14 21:37>

 こんな時期だから、復旧のために大いに協力したいと考えない国民はいないはずであろう。しかし、その分、当該の責任主体である当局は、あらん限りの能力と誠意とを発揮しなければ間尺に合わない。現時点で最大限の力量発揮をすることはもちろんのこと、もし "従前の体制" に不都合があったなら、この機にそれをも払拭するほどの覚悟がなくては当面のこの難局をも突破できないのではなかろうか。
 最前線で職務遂行に励んでいる職員の姿には脱帽もするが、理由はどうあれ、たとえ想定外の地震であったにせよ、結果責任が問われる企業責任者たちは、"危機管理" に関して "これまで一体何を講じていたのか!?" 、それが厳しく問われなければならないと思われる。
 憤りが向かう対象は、"原発"設備施工に関する "安全性確保" へのこれまでの体制の問題、"計画停電" 実施運用から見えてくる事前のシミュレーションの甘さ、さらにそこから覗える公共的企業としての "自覚の浅さ" と "日常管理のマンネリ体質" だ。
 "計画停電" においては先ず、何を今更 "需給バランス" が云々なのかと大きな疑問に襲われる。企業にとって、製品やサービス量に関する "需給バランス" なぞは "イロハのイ" であり、常に瞬時に弾き出されて然るべき数値ではないのかと......。

 直面する "生活危機" に備えて、得るべき情報はしっかりとマークすべきだ。
 東京電力が実施決定した「計画停電」に関する情報もそれに当たるが、当局内部での混乱も無しとはせず、正確な情報は伝えにくい。一応、下記の Web サイトが提示されている。(ただし、混み合ってなかなか繋がらない!)

<東京電力・「計画停電」> 

 なお、次のサイトも参考となりそうである。
<東日本大震災:需給逼迫による計画停電の実施と一層の節電のお願いについて=東京電力/毎日jp/平成23年3月13日>

 ここまで来ると、 "最悪の事態も視野に入れる" 必要も無しとはしないが、その際、念のため "家族・知人の安否確認方法" もマークしておいた方が良さそうである。
 定番の、電話による "171" は大前提として(但し、つながりにくい可能性が高い!)、インターネットの活用も知っておくべきだろう。以下、それに関して紹介しておきたい。

 今日、海外の友人からも、今回の巨大地震についてのお見舞いのメールを頂いた。海外の人々にとっても、今回の災害ばかりは見過ごせない大きな心配事と映っているようである。
 国民全体が直面する自然災害への不安に怯えるこの時期、決して "不要不急(?)" の情報とまでは卑下しないまでも、後に見送っても良さそうな案件については据え置きにすべきかと思っている。ここは、とにかくこの震災に関心を向け、何もできないとしても "ともに心配する" ようでありたいと......。

 危惧されたとおり、昨日の "東日本大震災" は、一夜明けて、その被害の規模・水準の壮絶さが想像を絶するものであることが次々と報道されている。まさに誰もが言葉を失うほどの悲惨さだ。不適切な表現かもしれないが、戦争を経験した方たちならば、"戦災" による壊滅的な破壊を想起したのではないかとも思えた。
 先ずは、不幸にも恐怖と苦痛の中で命を失った方々のご冥福を祈りたい思いだ。そして、幸いにもこの巨大な災害から、難を逃れて "命拾い" をしたわれわれは、この災害を決して "他人事" だと見なさずに、"何らかの教訓" をしっかりと学びとらなければならないはずだとの意を強めている。
 何をどうするという具体的な思いは未だまとまらない。だが、たとえ大自然による作為だとはしても、報道されているような見るに哀しい悲惨な災害光景、慎ましやかな人々の人間的生活がまるで "翻弄されるかのように" 破壊されていく光景を、真っ向から否定して行かなければ、現代の文化、文明というものの底の浅さに耐えられないとともに、絶望感を払拭して希望に至るためには必須だと思えるからだ......。

 地震発生時には、ちょうど近くのスーパーに買い物に出ていた。
 また地震か......、と最初は高を括っていた。が、すぐ止むだろう、と思った揺れが一向に止まない。経過時間が、秒の単位ではなく、分の単位へと変わっていくと、立っているのも危なっかしい状態となった。
 もはや、店内に居ることは危険だと考え、外の駐車場に出ようとした。と、その時、店内の照明が途絶えた。
 冷静さを失うほどではなかったが、自然に足早となっていた。
 この地震はただ事ではなさそうだ、と思い、いつもポシェットに携帯していたトランジスターラジオのイヤホーンを耳に当てた。飛び込んで来た、マグネチュード8点何々という数値や、大津波警報云々という情報が尋常ではない地震規模を物語っていた。
 二、三日前の東北地方の地震の時も、津波情報に関しては、「念のため......」という水準だったのに比べ、「該当地域の方々は "直ちに" 避難してください......」という緊迫したアナウンサーの声は、実態の詳細はまだ分からないにもかかわらず、"とうとう迎えてしまった!" のか......という、漠然とした深刻さを感じさせられた。

2020年11月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          














関連サイトへのリンク


  • 電子書籍(eBooks)制作にフォーカスしたサイト
  • 明けない夜はないことを確信するサイト
  • Green(地球環境改善)にフォーカスしたサイト
  • ソフトウェア技術者やSEのための評価と育成、人事考課制度を考えるサイト
  • さまざまな業種・業態でご利用可能なモバイル活用の予約システム!
  • 創作小説『海念と保兵衛』のサイト
  • 創作小説『かもめたちの行方』のサイト
  • 当ブログ推奨の商品を展示したAmazon ストアー!
  • 当AdhocBlogブログの過去のエントリー
  • 株式会社アドホクラット当時のサイト

★売れ筋! No.1!
家庭用"放射線測定器"

日本通信 bモバイルWiFi ルータ+1 ヶ月定額SIM BM-U300W-1M
価格:¥ 20,208
国内配送料無料 Amazon





このアーカイブについて

このページには、2011年3月以降に書かれたブログ記事のうち東日本大震災カテゴリに属しているものが含まれています。

次のアーカイブは、
 東日本大震災: 2011年4月
です。

最近のコンテンツは、
 インデックスページ
で見られます。

過去に書かれたものは、
 アーカイブのページ
で見られます。

年月別アーカイブ

最近のトラックバック