SNS: 2012年2月 アーカイブ

 "ソーシャルネットワークサービス(SNS)" は "時代環境" と "人の本性" とをしっかりと照らし出す "鏡" のような役割を果たしているのかもしれない。
 "時代環境" と言えば、ネット上での "プライバシー" は日ごとに危うい状況へと追い込まれているかのようである。
 そして、そのためかこれまで "無頓着(?)" だったかもしれない "プライバシー保護" について、利用者個々人が相応に意識するようになってきたかのようだ。
 その傾向を奇しくも下記の【 引用記事 1 】:SNS ユーザーの間で「友だちから削除」が増加中/japan.internet.com/2012.02.27 が表わしている。
 調査の結果、SNS サイトでのプライバシー設定に以前よりも注意を払うようになっていることが明らかになったというのである。

 環境変化で次第に変わってくるものがあるかと思えば、片や、"変わらぬ" ものは "人の本性" であるのかもしれない。
 下記の【 引用記事 2 】:ネット上で共有する記事やコンテンツと本当に好きなものとの落差は大きい-Diggの調査結果より/TechCrunch/2012.02.25 では、"SNS" 上で照らし出された "人の本性"、その一つであるに違いない "見栄っ張り" 根性の度し難さが叙述されている。
 人びとが実際に読むものと、Facebook Timelineで共有するものとの、違いを調べる調査の結果、両者の間には見過ごせない "隔たり、落差" が認められる、というのである......。




















 東日本大震災の際、"SNS(Facebook,Twitterなど)" の活用は、人々にタイムリーな情報を与え、どんなにか人々の不安や恐怖感を癒し続けたであろうか。それについては、もはや広く知れ渡っている。( ex. 東日本大震災でSNSが私たちを支えて助けてくれたこと | DIME

 そんな中で、<特にリアルタイムの情報収集に威力を発揮し、地震発生直後の安否確認から現地の被災状況、復興支援計画に至るまで、今回の震災に関するありとあらゆる情報発信に使われているTwitter(上記サイト)に対して、実名利用で比較的プライバシーが保てることから、位置情報や個人情報が公開しやすく安否情報の確認に使えたと言われるFacebook(同上)は、"知人・友人" の "安否確認" においては的確に役立ったと評価されている。

 現在、"大震災予測" については日本各地で指摘され続けるといった "不安な日々" でもある。こうした状況下で、Facebook が「災害用伝言板」を世界に先駆け日本で開始することになった、という。( 下記引用サイト記事:Facebook、「災害用伝言板」を世界に先駆け日本で開始/INTERNET Watch/2012.02.27

 なお、この運用に向けて、いわば "予行演習(?)" が2月28日~29日に日本国内限定で機能のテストを実施というかたちで行われるとのことだ。
 こうした「災害用伝言板」は、もちろん使われないに越したことはない。が、いざという場合には慌てることもあり得る。"予行演習(?)" には参加しておこうか、と......。

 何によらず物事には "両側面" が備わっていると思われる。
 そして、往々にして、長所(可能性)と短所(課題・問題点)とが分かち難く結合し、まるで "ヤヌス(双面神)" のような状態であることが少なくない。

 ソーシャルメディアと "政治" との関係について考える場合(下記参照)、ソーシャルメディアについても、こうした "二面性" に留意すべきかと思えた。

 ◆参照 SocialMediaと政治!課題は,"にもかかわらず鈍感な日本の政治"に各論で迫る事!( 当誌 2012.02.24 )
 ◆参照 "仕掛人"が語るこれからが本番"ウォール街占拠"運動/第3政党,ロビンフッド税!( 当誌 2012.02.24 )

 ソーシャルメディアはいろいろなかたちで理解されているが、今注目してみたい点は、それらが、"ゆるやかな部分結束" によって展開しているという特徴を持っていそうな点である。
 今回、下記に引用するサイト記事: 「【日本版コラム】ソーシャルメディアの「怒れる人々」 野尻哲也のアントレプレナー・アイ/THE WALL STREET JOURNAL 日本版 | ビジネス・企業/2012.02.23 」では、3点の特徴づけがなされているが、その1点目で以下のように述べられている。

<言うまでもないことだが、ソーシャルメディアでは簡単に自分の意見を表明し、他者に賛同することができる。そのために必要な行為は、PCや携帯電話で投稿するだけ。旧来的なデモや署名活動への参加と比べたら、物理的なハードルは圧倒的に低い。またソーシャルメディアでは、部分的な論点に限って結束できるという、良い意味での都合のよさがある。お互いが直接顔を合わせる機会が少ないため、何かしらのイデオロギーや他者の人格を全面的に肯定する必要がない。他者の考えにズレを感じたら、人知れずその輪から外れることもたやすい。このようにソーシャルメディアの緩やかで部分的な結合性が、より多くの人々の感情の受け皿となる。>

 つまり、ソーシャルメディアでの "ゆるやかな部分結束" は以下の点によって "促進" されることになる。
 1.必要な行為は、投稿するだけで、物理的なハードルは圧倒的に低い
 2.部分的な論点に限って結束できるという、良い意味での都合のよさがある
 3.人知れずその輪から外れることもたやすい

 しかし、考えてみればこれらは "促進" 要因であるだけではなく、まさにそれぞれが "二面性" を秘めてもいるわけだ。
 まず "政治的" 活動の場合、"継続・持続" という条件が不可欠であるのに対して、"1" や "3" は、運動が "下火" に向かった際には逆作用をも果たすことも懸念される。
 さらに、懸念されるより重要な問題は、"2" であろう。一般的に "政治的" 活動の最終局面では "政策化" が想定されざるを得ず、その際には "オピニオンの多面性" がより上位の "アジェンダ(争点、政策)" に "収斂" されなければならないはずであろう。この "収斂局面" が必ずしも容易いことだとは思えない。
 この局面において、"ゆるやかな部分結束" の状態、運動は、"織り込み済み" とさえ言える決して小さくはない "試練" を避けるわけにはいかないのだ。この辺の事情は、ソーシャルメディアをフル活用した "ウォール街占拠" 運動が今現在遭遇している大きな課題なのでもあろうし、大統領選でソーシャルメディアを駆使したオバマ大統領が抱えている苦境だとも言えそうだ。

 ソーシャルメディアは、こうした "二面性"("ヤヌス(双面神)" )を秘めているから良くない、というのでは決してない。
 それは、いわば "ボトムアップ" 活動全般に共通する不可避の課題と言うほかなく、ただ、"ネット上の" という条件があるだけに、この "想定範囲内の伏兵(?)" を十分に意識した活動スタイルが求められると思われるのである......。

 今、各企業によるソーシャルメディアの活用はますます高まっている。そして、どう展開すれば効果的なのか、奏功するのかと、各企業が鎬(しのぎ)を削っていそうだ。
 そんな中で、"ソーシャルメディア活用ランキング" というものが発表された。
 下記に引用したサイト記事(【 引用サイト記事 1 】:「 ソーシャルメディア活用ランキング、1位ユニクロ--20万人を店舗に 目黒譲二/CNET Japan/2012.02.23 」)がそれである。

 第一位は "ユニクロ" であったという。で、"どうしてそうなのか?" が当然、関心の焦点となるはずだ。
 当記事中には、<既存のブランド力に加え、Facebookとの連動企画で、店頭で位置情報登録すると、その場で最大2000円の割引クーポンが当たるキャンペーンを実施。20万人超を店舗に誘導し、売り上げにつなげた。>とある。
 そこで、この調査が実施された<2011年12月28日~2012年1月17日>の直前に実施されていた "キャンペーン" について下記引用サイト記事(【 引用サイト記事 2 】:「 ユニクロ、Facebook チェックインで2,000円クーポンなどがもれなく当たる「UNIQLO CHECK-IN CHANCE」を開催/japan.internet.com/2011.11.17 」)を振り返ってみた。
 確かに、この "キャンペーン" はまさに創業62周年に向けた "総力戦" の観を窺わせる。
 企業による "ソーシャルメディア活用" の "お手本" さながらだと言うほかなさそうだ......。

 ソーシャルメディアの普及が、"政治" 状況に影響を及ぼしていること、あるいはその可能性などに関する "総論!" についてはほぼ周知のはずではないか。今問題なのは、"希望的観測(?)" から "リアルな各論!" へと突き進むことだと思われる。

 今回、後半で引用している記事:「 ソーシャルメディアで政治を変えることができるか 【Social Media Week 鈴木寛 x 津田大介】 #smwtok/WIRED JAPANESE EDITON | CULTURE/2012.02.21 」は、"総論!" 的内容としては概ね了解できる。そして "総論!" に留まったのが、"イベント向け対談" という文脈のためだったのであろう点も了解する。
 しかし、それにしても、もう少し "辛口(リアル)!" であって欲しいという思いが禁じえなかった。もはや "待ったなし" 水準にある "政治" 状況と対峙するには、今少し "ポリティカル(戦術)?!" な視点をも交えた "各論的" な議論でなければならなかったのではないか、と思うからだ。
 "ソーシャルメディア戦略" とでも言うべきスキームがなければ、"政治的ソーシャルメディア" というものは "小田原評定" や "床屋政談" と区別がつかなくなりかねない......。
 ソーシャルメディアとしての "対マスメディア対策"、"新しい公共性創造" のための具体的手順、ソーシャルメディア成熟の阻害要因対応、"ソーシャル・キャピタル" との連携、ソーシャルメディア・リーダー育成対応、"アジェンダ形成過程" などなどといった具体的ジャンルでの課題に踏み込んで、"政治" 状況とソーシャルメディアとのリアルな関係について議論して欲しかった。今求められているのは、もはや "総論" 水準ではないと思われる......。

 "政治" 状況においても、ソーシャルメディアが果たす役割の重要性や可能性が大であることはもはや周知の事実であろう。しかし、現状では "にもかかわらず!" という実態水準であり、そのことが問題なのであろう。
 以下の "別記事" では、この "にもかかわらず!" の地点からこそスタートすべきだと述べているかに思われた。

 <ソーシャルメディアの普及とグローバル化によって、社会的なパワーバランスは明らかに変化しました。グローバルなレベルでの双方向のコミュニケーションが当たり前となり、一般大衆でも容易に世界の常識を知り、意見発信や合意形成を行えるようになったことで、一部の"権威"やその取り巻き (既得権益層)と普通の一般大衆とが対等の立場に立てるようになったのです。一般大衆の方が、数が圧倒的に多いことを考えると、社会のパワーの源泉は一部 の"権威"から一般大衆の側にシフトしたと言っても過言ではないのかもしれません。>ソーシャルメディア普及に伴う 民主主義の変質に鈍感な日本の政治/岸博幸のクリエイティブ国富論|ダイヤモンド・オンライン/2012.01.13

 この筆者は、このように、政治ジャンルでのソーシャルメディアの役割の重要さを踏まえた上で、"にもかかわらず!" 以下のような現状にあることこそが問題なのだと注意を喚起しているのであろう。

 <社会保障・税一体改革は、いかにもオールドファッションなやり方で策定されています。御用学者が多数を占める審議会や 税調で検討するとして実際には官僚が中身を作り、それを民主党の中で国会議員だけで検討して最終版としました。......社会保障や財政の本当の状況について素人でも分かるような形で情報は提供されていません。......国民的な議論を喚起して広く意見を求めることもしていません。>(同上)
 <いったい日本の政治と行政は、いつまで20世紀的な価値観の下で政策を決定しようとするのでしょうか。そして、消費税増税に賛成するマスメディアは、いつまでそうしたオールドファッションな民主主義の御先棒を担ぐのでしょうか。>(同上)

 ソーシャルメディアと "政治" 状況との関係というテーマは、一般論と現状の政治実態とのこの "落差!" を凝視することから議論されるべきなのだと聞こえてくる。ソーシャルメディアは、"官僚主導型政治" にどう迫れるのか......、それをしっかりと見据えた取り組みでなければならない。
 そして、その時、"御先棒を担ぐマスメディア" の問題が避け難く視野に入ってくるのではないか、と......。

 ソーシャルメディアと言えば、"ステマ(ステルスマーケティング)" を思い浮かべる人もいれば、"アラブの春" や "ウォール街占拠(OWS)" を想起する人もいる。
 が、このところ "ウォール街占拠(OWS)" の話題が途切れがちだったかに思われる。
 そんな中で、突然(?)、この運動の "仕掛人" と言われてきたカナダの雑誌発行人のカレ・ラースン氏が、これまでにはなかったかと思う同運動についての "サマリー" な語りを披露している。
 その記事は、下記引用のサイト記事:"ウォール街占拠"運動の仕掛人カレ・ラースンに聞く 「世界の若者たちは新しい経済モデルを求めている!」/DIAMOND online | World Voice/2012.02.22 で伝えられている。

 そのきっかけは、"ダボス会議2012"(この1月25日からスイスの保養地ダボスで開催された世界経済フォーラム年次総会)で、<「これからの資本主義をどうしたらよいか」についての議論が相次いだ>ことのようだ。
 また、<5月のシカゴでのG8サミットに向けた運動を準備中で、実は"占拠"運動はこれからが本番という意気込みからのアピールでもありそうだ。

 この運動の主旨を概ね了解していた自分にとって、今回注目してみたポイントは、以下の4点であった。

 1.投機的な国際取引に課税する "ロビンフッド税"の導入を求めている点。

 2.長期的戦略としては 米国で第3政党を立ち上げる戦略を描いている点。

 3."米大統領選" への対応としては、仕方なくオバマに投票するかもしれない。という点。

 4.ポスト米国型経済モデルの先には、注目すべきは日本である。との見解が示されている点。

 これらの諸点への評価はいろいろとあろうかとは思われるが、今のところ何ら行動的とはなっていない自分が口を差し挟むことは差し控えたいというのが心境か......。

 どちらかと言えば "バーチャル" な人間関係が比重を占めていた "ソーシャルメディア" であったかもしれないが、"実名で交流" する Facebook などの浸透によって、"リアル空間" に寄り添った使われ方の比重が増し、その注目度も高まっているかのようだ。
 "ソーシャルメディア" は "バーチャル"(匿名登録)が良いか、"リアル"(実名登録)が良いか、それは一概に言えない。それぞれに一長一短があるし、ケースバイケースなのであろう。
 むしろ最も大事なことは、切実に希求された "人と人とのつながり" に対して、"ソーシャルメディア" という場が "どれほど有効に活かされているのか"、またその可能性があるのかという点であるに違いない。

 そんなふうに思いを巡らせる時、ふと気づかされる点がある。"新たに形成" される "人と人とのつながり" としての "ソーシャルメディア" 活用ばかりに目を向けるのではなくて、種々の点で "支援・補完" されるのを待つかのような "人と人とのつながり" ( "傷み" が進む "リアル・コミュニティ"!)自体への着目があってもよい、と。
 Facebook などによる "リアル空間" に寄り添った "バーチャル空間" の使われ方が示唆していることの一つには、そんな点があるのかもしれないと......。

 確かに、"ソーシャルメディア" という "バーチャル空間" での人間関係の場に "人と人とのつながり" の新たな転機を見出そうとする、そんな傾向の足元には、いろいろな点で行き詰まった(?) "リアル空間でのコミュニティ" が横たわっているはずであろう。だからこそ "バーチャル空間" での場が志向されたのだとも想像される。
 したがって、たとえ "リニューアルな視点" からとは言っても、その "リアル空間" に再び目を向け直すことは、困難極まりない回帰志向だと言えなくもない......。
 だが、果たしてそうなのかどうか、それは未知数であろう。"リアル空間" と "ソーシャルメディア" 上の "バーチャル空間" とが相互補完的に "融合" されたかのような、そんな "人と人とのつながり" をイメージすることは決して不可能ではないのかもしれない......。

 "リアル空間" における基本的な "人と人とのつながり" は "家族" だ! そこでの "家族間コミュニケーション" が、"ソーシャルメディア" 上の "バーチャル空間" によって "支援・補完" され得るという着眼に気づかせたのは、下記に引用した二つの記事であった。
 コミュニティに関して、"リアル空間" と "バーチャル空間" との "融合" をマクロな視点で予想するフリージャーナリスト・佐々木俊尚氏の見解と、"IT と家族コミュニケーション関係"研究のお茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授・石井クンツ昌子氏による調査結果である。

 ソーシャルメディアは興味深く利用できる。だが、望みの情報に巡り合ったり、うっかり見落としたりしないためには "こまめなアプローチ" が必要となる。何よりも、煩わしさを厭わないことが求められる。
 ところで、ソーシャルメディアの役割には、"情報流通" と "人と人とのつながり" の2つがあるとされるわけが、今書いたように、前者にあたる情報収集においては、とにかく異なるサイトに散らばる情報を丹念に追う姿勢が要求されて手間ひまがかかる。
 昨日は、どちらかと言えば後者の "人と人とのつながり" を維持することが意外と厄介であることを書いた。( c.f."ワン・フレーズ・ポリティクス"を想起させるSNS!みんな"ムリ"させられてる?( 当誌 2012.02.1 )
 しかし、ソーシャルメディア上で日々大量に提供される情報を相手として "目当ての情報" をタイムリーに入手しようとするのも、結構、骨の折れるタスクに違いなかろう。

 "情報収集" を目当てにしてソーシャルメディアを利用している利用者が多いとも聞くが、そんなこともあってか、ソーシャルメディアからの"情報収集" に対してスマートな支援をする "ソーシャルマガジン(ソーシャル雑誌)" と言うアプリが注目を浴びているようだ。ソーシャルメディアが一つの流行だとするならば、次に流行するのはこれではないか、と目されてもいるらしい。
 下記引用のサイト記事:最新情報ひとまとめ、SNSの次は「ソーシャル雑誌」/日本経済新聞|業界動向/2012.02.18 は、そうした動向を報じている。
 実際、iPad で<「Flipboard(フリップボード)」>を使って、リストの "Facebook" を覗いてみると、自分が "いいね!" を施したサイトの最新記事サマトリーが、まさに "フォト" 付の "雑誌記事" のようにページ・レイアウトされて表示されている。
 個々の記事をタップすると、そのサイトのウェブページがスムーズにブラウザ画面として表示されるので、気になった記事の全文もチェックすることができる......。

 手間がかかるサイトの巡回が不要というだけのことがあって、関心を持ったソーシャルメディア・サイトが実にラクラクとチェックできてしまうのは快適この上ない。
 Flipboard(フリップボード) は "iPhone向けアプリ" もリリースされているし、この種の "ソーシャルマガジン" サービスはほかにも続々と登場しているとのことで、"次の流行" と目されても無理はないのかも......。

 ひと昔前、『自民党を変えます』『日本を変えます』『構造改革なくして景気回復なし』と、ショートなスローガンを絶叫する首相がいたのを思い起こす。それをマスメディアは "ワン・フレーズ・ポリティクス" だと揶揄したりもしていた。
 良い悪いの観点から離れると、そうした手法が政治家としては一定程度奏功していたのであろうという、そんな印象が残っている。
 聞くところによれば、そうした "ワン・フレーズ・ポリティクス" 手法の出所は、とある "広告業界" トップとの会食だったとも言われてもいる。真偽はともかく、頷ける話である。
 それと言うのも、広告業界と言えば、まさに "ワン・ワード"、"ワン・フレーズ" でのコピーが消費者のココロを掴むかどうかの生命線だからだ。

 "SNS" というのはツイッターやフェイスブックによる "交流" の場であるが、まるで "ワン・フレーズ・ポリティクス" の世界とも言えそうか......。特に "投稿字数に制限" のあるツイッターでは、"コピーライター" の職業的苦痛にも似たものが強いられているのかもしれない。
 確かに、現代という "忙しい時代" にあっては、どんなジャンルにおいても "要約" や、"ブリーフィング" の作法は不可欠ではあろう。それは分かる。そして、専ら "分かり易さ" が過度に求められている時代の傾向を睨むならば、"ワン・フレーズ・ポリティクス" 的手法に目が向けられる風潮に納得感が生まれたりもする。

 しかし、物事は "白黒" がつき易いことばかりとは限らず、それゆえに "ワン・ワード"、"ワン・フレーズ" で表現できることばかりとは限らないはずだ。いやむしろ、複雑化し、錯綜した現代にあっては、環境も人の心もその表現においては費やす言葉を制限するのが難しいのが現状ではなかろうか。逆に言えば、そうであるからこそ "ワン・ワード"、"ワン・フレーズ" 方式での表現が "ムリ強い" させられているのかもしれない。
 そして、"SNS"、"ソーシャルメディア" の場では、いつしか "ワン・フレーズ・ポリティクス" 的手法が定石と見なされつつあるのかもしれない。
 元々、これらの場は、必ずしも政治やマーケティングの場と言うより、平凡な日常的 "交流" の場であっただろう。そんな場に、表現手法のある種の "ムリ強い" 傾向が見受けられそうな気配である。

 こんな思いに意を強めさせたサイト記事があった。下記引用サイト記事:SNSを自在に使いこなす若者がSNSに傷つき悩んでいる/香山リカの「ほどほど論」のススメ|ダイヤモンド・オンライン/2012.02.13 だ。

 "ソーシャルメディア" を "相対化" する眼差しがジワジワと広がっているような気配を感じる。そりゃそうなのかもしれない......。
 マスメディアでは、"ソーシャルメディア" の本質論なんぞは踏み倒し、もっぱら "マーケティング( or マネタイズ )" ジャンルに視線を定めつつ、どの企業がどんな新製品ツールをリリースしたとか、どんな新サービスを始めたとかという "ごみネタ" ばかりの "御用取材" に明け暮れていたのでは、たとえ "ソーシャルメディア" に好意的な者とて "興醒め気分" になりそうである。
 また、それを埋め合わせる程に、一般利用者間での "交流" に内実が伴っていれば話は別となろうが、この辺についても現状では "?" がつきまとっていないとは言えない......。

 かく言う自分も、"そんな気分" に浸されながら昨日はややクールな記事を書いたりした。( c.f. "ソーシャルメディア"は平凡な事実に立ち返るべし!"前提"があってこそ活きる!( 当誌 2012.02.15 )
 まだ "ピーク超え" したと言うには早い気もするが、"熱し易く、醒め易い" 国民性や昨今流行り(?)の急速な "持ち上げ、突き落とし" 現象(マスメディアの "マッチポンプ" 的習性?)という傾向を踏まえれば、あながち見当外れではないのかもしれない......。

 こんな空気を見透かしたかのように、下記引用サイト記事:「発信箱:ネット革命の正体=伊藤智永(ジュネーブ支局)/毎日新聞/2012.02.15」 は、"ソーシャルメディア" を "シニカル" に扱き下ろしている。
 およそ "65%" 程度の共感(?)を込めて引用しておきたい......。

 "ソーシャルメディア" はいろいろなことを考えさせるものだ。利用者の立場でもいろいろと考えさせられることに事欠かないが、きっと、コンテンツ制作提供側にとっても、果たしてこんな仕組みでペイできるのか? と悩んだりする向きもあるに違いない。
 たぶん、"コンテンツ(著作)のあり方" 自体が "問われ直している" という "大変な過渡期" に遭遇しているのではあろうが、この辺の問題に関しては "奥行きが深い!" ため、腰を据えて考えてみなければならないような気がしている。

 そんな観点に立ってサイト記事を振り返ってみた時、下記引用サイト記事:忍び寄る新たなネットバブルの正体 ソーシャルの名のもとにあなたが消費される デジタル植民地時代がやってきた/岸博幸のクリエイティブ国富論|ダイヤモンド・オンライン/2011.02.12 に出会った。
 ちょうど "一年前" に書かれた記事ではあるが、"その主旨" は何ら風化していないかに思えた。"その主旨" とは、"コンテンツ制作提供側の立場を憂えるもの" だとして、取りあえず了解しておく。

 現在、一世を風靡している "ソーシャルメディア" に対し、当筆者は歯に衣を着せない表現をしている。

<今回のネットバブルのキーワードは"ソーシャル" ...... ソーシャルメディアの企業や、ソーシャルな機能も駆使したハフィントン・ポストのようなサイトがその主役 ...... 今回のネットバブルの本質は、ユーザーなどローコストなコンテンツを作る者から搾取して、そのコンテンツをユーザーに過剰に共有させるという点にある ...... フェイスブックなどのソーシャルメディアやハフィントン・ポストなどのサイトは、プラットフォームを提供するだけで、そこを利用する者が作るローコストなコンテンツを使い倒すというかたちで"地代"を徴収している ...... 今回のネットバブルの主役たちは凄まじいまでに錬金術に長けている

 当筆者が "牙をむいている(?)" のが、凄まじいまでに錬金術に長けている とされる ソーシャルメディアの企業や、ソーシャルな機能も駆使したハフィントン・ポストのようなサイト であることは、搾取、使い倒す、"地代"を徴収という表現からもすぐに分かる。
 要は、"他人の褌で相撲をとる" ことで膨大な収益を上げていることへの "憤り" と言っていいのかもしれない。この辺は受けとめ方が分かれるところだろうが、共感を覚える向きも少なくなさそうだ。
 ただ、それだけではなさそうである。"こんな仕組み" の中では、"コンテンツの劣化傾向" に歯止めが掛からなくなる! と憂慮しているスタンスが透えて見えるからだ。
 冒頭の "果たしてこんな仕組みでペイできるのか?" と懸念する "コンテンツ制作提供側" から、"クリエイト意欲" を殺ぐことになれば "良質なコンテンツ" がスポイルされ、駆逐される......、そんな可能性が容易に想像できるからである......。

 様々な悪条件によって日本経済が概してヘコむ中で、ソーシャルメディアの "ソーシャルゲーム" は "元気な柱(?)" の様相を見せていた。
 だが、下記引用サイト記事:「国内ソーシャル3社に変調の兆し、事業モデルに弱点 編集委員 小柳建彦/日本経済新聞/2012.02.09」 によれば、グリー、ディー・エヌ・エー(DeNA)、ミクシィの国内ソーシャル3社に "変調の兆し" が出ている、とのことだ。

 "日本のソーシャルゲーム業界" に関しては、別な記事で以下のような懸念が語られていたため、やや注意を向けていたところでの "アラーム" である。

<ソーシャルゲーム業界はアイテム課金収入が収益のメインであるため、ヘビーユーザーを増やす必要があります。そのためにテレビCMで芸能人を起用するなど、とてもコストがかかっており、収入が急増して好調のように見えても、同時に支出も増えていますから、決してビジネスとしておいしい状態ではないと思います。そうは言っても、SNSやソーシャルゲームは、日本で頑張っている数少ないプラットフォームプレイヤーなのは間違いありません。ですから、正しい形で永続的に"日本型ビジネス"をする方向に進化をしてほしいですね。> ( 「【テーマ13】 日本の文化やジャーナリズムはこのまま衰退するか ネット、スマホに搾取されるテレビ・音楽業界の行く末 ――岸 博幸 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授/ダイヤモンド・オンライン - 2012年の論点を読む/2012.01.30」

 そこでは、<ネット世界では、コンテンツ業界が垂直統合型で担っていた流通網は崩壊し、流通は他人まかせ、つまりプラットフォームサービスを提供するグーグルなどの米国ネット企業が事実上、情報の流通を担うようになって>しまい米国ネット企業の一人勝ちとそれによる日本の国益搾取の現状が危惧されていたのである。
 そうであるだけに、その "日本のソーシャルゲーム業界" が "変調の兆し" を見せているという観測からは、やや考えさせられてしまった......。

 この世界には、物事の "不均衡" を言い当てた "80対20の法則(パレートの法則)" というものがあるという。たとえば、もし成果全体の 80% が、全体メンバーの 80% によって成し遂げられていたのなら、何の不思議もないわけだが、多くの場合、20% のメンバーによって達成されている、というのだ。
 裏返して言うならば、メンバーの 80% は、成果全体の 20% 分しか貢献していない......と。あるいはまた、交通事故の 80% を 20% のドライバーが占めている......と。
 周囲の現象をシビァに思い返してみるならば、なるほど、と頷かされてしまうから興味深い。

 下記引用サイト記事:「Facebookユーザーの7割以上は「受動的」/WIRED JAPANESE EDITON - BUSINESS/2012.02.06」 は、そうした "法則" をも思い起こさせる。
 要するに、Facebook という超大規模な "SNS" が回っているのも、同社が超膨大な収益を手にしているのも、"20~30% の利用者(「パワー・ユーザー」たち)" のおかげではないか......、というわけだ。

 Facebookユーザーの7割以上は「受動的」だという点は、事の "片面" について述べたに過ぎない。
 しかも、この「受動的」という点は、しばしば指摘され続けてきた。

 ◆参照 SNSユーザーの多数派は「見るだけ」で「テレビ好き」
 ◆参照 <意外とつぶやかないスマホユーザー 「Twitterつぶやき数」は1日2回以下が約70%>意外とつぶやかないスマホユーザー/"何となく暇だから"閲覧! が案外多い実情!( 当誌 2011.12.16 )

 むしろ、ここで注目すべきは、もう "片面" の事実ではないかと思われる。もう片面の "20~30% の利用者(「パワー・ユーザー」たち)" 存在こそが、超巨大なFacebook を成立させているからなのである。
 そもそも、いわゆる「パワー・ユーザー」たちがいるおかげで、大多数のFacebookユーザーは、自分が貢献する以上の情報を得ていることになる。
 また、同社にとって貴重な閲覧数を稼いでくれているのは、少数の「パワー・ユーザー」たちによるものだとも言える。さらに37億ドルという巨額の売り上げをもたらしてくれる広告にしても、少数の「パワー・ユーザー」たちが "ページ数" を増やしその分 "ディスプレイ広告" を増加させているからなのである。

 Facobookの課題は、コンテンツを単に入手し消費するだけという人々を、今後も維持することにあるとされる。そして、今後懸念される収益性に関する最大のリスクのひとつは、ユーザー・エンゲージメントの低下だと明言されてもいるとかだ。
 とすれば、この "ユーザー・エンゲージメント" を生み出している少数の「パワー・ユーザー」たちの動向こそが、Facobook社の最大関心事だと言わなければならない......。

 Facebook社の新規株式公開(IPO)申請で判明した同社の財務状況については、昨日も紹介した( 米Facebook上場申請で、非公表だった同社の業績が明らかに/前期比80%増成長!( 当誌 2011.02.03 ) )が、さらなる新情報が伝わっている。

 下記引用サイト記事: FacebookのIPO申請でわかった6つの新事実/WIRED JAPANESE EDITON - BUSINESS/2012.02.03 によれば、以下の驚くべき6つの新事実が浮かんでいるという。

  1. Zynga社の大きな影響力
  2. モバイルをマネタイズしていない
  3. Twitterにならった「スポンサード投稿」?
  4. いまだに「ザッカーバーグのサイト」であること
  5. ユーザーベースの巨大さ
  6. 知的財産裁判の問題

 明るみに出た "米フェイスブック" の経営状況の "数字" は、経済不況が荒れ狂う現在の世界経済から、まるで異次元へと飛び抜けた観さえある水準だ。
 "株式上場" 自体に関しては、すでに周知の事実となっていただけに、何らの驚きもないようだが、下記引用サイト記事:フェイスブック上場申請 広告けん引、80%成長/日本経済新聞/2012.02.02 から見る一連の業績 "数字" は、今さらのように同社の "巨大規模" に目を向けさせる。

 インターネット広告収入というものがいかに威力のあるものかを知らされるとともに、業績成長率では同業種のグーグルを大きく上回っているとなると、やはり "SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)" というジャンルに立脚したことの狙いが奏功したと言うべきなのであろう。
 下記記事でも、実名で交流するネット上のインフラに近づきつつあるとあるが、まさに事実上の "インフラ(社会基盤)" としての位置づけへと進撃していると言えそうだ。

 今、"電子書籍" が溢れ返るように出版され続けている。そんな中で、"電子書籍" とは一体何であるのか? いや、それ以前に "(紙の)本" とは何であり、何であったのか? という問いもまた改めて浮上していそうだ。
 技術のイノベーションに任せて、何でもあり、で良さそうな気もしないではないが、こうした問いに耳を傾けて何らかのベクトルを探ってみることも興味深い。

 今回レビューしてみたい下記引用のサイト記事: <「本」は物体のことではない。それは持続して展開される論点やナラティヴだ - 読むが変わる from 『WIRED』VOL.2/WIRED JAPANESE EDITON - MAGAZINE/2012.01.28 は、広範囲に渡って淡々と述べられているかの印象だが、意外と含蓄があり示唆的だと思えた。
 語り手の主要な関心事と思われる「本とはなんだ」という再定義が必要というポイントに目を凝らしてみると、三つのキーワードが注目されて良いかと思えた。 ナラティヴ(語り/ストーリー) ソーシャル キュレーションの三つである。

ナラティヴ(語り/ストーリー)

 「本」は、その物体のことを指しているわけではない。「本」とは、持続して展開される論点やナラティヴ(語り/ストーリー)のことだとされる。

 このナラティヴ(語り/ストーリー)という表現には大いに共感を覚える。
 "ナラティヴ" とは、物語、物語文学のほか語りという意味があるが、"主体的に語る" という意味が適切ではないかと思う。最近は、"ナラティブセラピー (Narrative therapy)" という精神療法もあるらしいが、自分に軸足を置かない客観に対して、"自分=主体" に立脚した( 自分の "視座" を持った! )語り、それが "ナラティヴ" の本質であり、また "「本」" の正体ではないのかと......。

ソーシャル

 「本」は、"読む" こと、"書く" ことの両面において "ソーシャル" な性格を持っていること。

 書き込みをしたいし、カット&ペーストしたいし、読んだものを「シェア」したい。タブレットの登場によって、こうしたことがより簡単になった。つまり読書は「ソーシャルな行為」になった

 <考えてみれば、かつて読書という行為はソーシャルなものだった。字が読める人が少なかった時代、読書は読める人が読んで聞かせる行為だったからだ。そしていま、読むという行為は、またソーシャルなものになりつつある。テキストや本はネットでシェアされ、テキスト同士はハイパーリンクでつながっている。

 メディアはよりソーシャルな存在になってきているいま「書く」ということがよりパブリックな行為となって、読者から連絡があったり、書く過程をツイッターで中継したり、「書く」ことに付随する行為も変わってきている。紙の媒体では刷ってしまったら修正はできないが、いまの世の中では、自分の作品を半永久的に修正し続けることも可能
 元来「本」というものが持つ "ソーシャル" な性格が、今 "電子書籍" によって蘇ったと見てよいのだろう。

キュレーション

 "キュレーション(Curation)" とは、<「情報を価値付けし、情報と情報をつなぎ合わせて新しい価値(文脈=コンテキスト)を生み出す」という行動や概念>( 参照 スマホとは"機能をキュレートされたデバイス"!/"キュレーション"概念に注目!( 当誌 2011.08.31 ) )だと理解するなら、「本」(「雑誌」だけではなく)と "キュレーション" とは別物ではないかと思われる。

 「雑誌」とは、アイデアや視点の集合体を、編集者の視点を通して見せるというものぼくが今後「雑誌」を作るとしたら世界でいちばん高い雑誌」そこでは、究極のキュレーションを目指す

 10年後には「本」そのものは基本的にすべて無料になる。そして会員は、本をガイドしてもらうというサーヴィスに対して定額の会費を払う。......このようになっていくと、生身の人間の「ガイド」の存在価値もあがるだろう。アルゴリズムよりすぐれたガイドが欲しければ人間を雇えばいいわけだ。今後、アルゴリズムと人間のキュレーション

 以上の三つのキーワードが照らし出している点は、アバウトに過ぎるかもしれないが、「本」というものは "人間としての視座" から産出されるものだという点なのかもしれない。

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