漸くこの間の課題に一区切りをつけ終わった。
今日は比較的暑くはなかったのが幸いであった。それでも、フィニッシュの力仕事は大量の汗をダメ押し的に流させた。汗のことはどうでもいいが、先ほど、ほっとした気分で湯に入り、体重を計量したところ、しばらく切れなかった70キロを割り込み、結局この二ヶ月で2、3キロの減量を果たしたことになる。
ちなみに、この間、自分とともに事に当たってくれた若い社員は4、5キロの減量となったと話していた。この辺の数字の変化が、この間の "イベント" のズッシリとした重みを表しているようだ。
この "イベント" の詳細については、体力と気分が落ち着いてから書くこととして、とにかく今日は久々に気分がほっとしたという点だけを書いておく。
外では、漸く蝉の鳴声がかまびすしく響くようになった。薄暮に響くそんな鳴声を耳にしていたら、ふと、緊張を続けて単独登山をした八ヶ岳を下山した夏のことを思い起こしたりした。身体が溶けるほどの鈍い疲労感と、それを貫き支える一筋の充実感とが危なげにバランスをとっている奇妙な感覚...... (2009.07.31)
あんなに強い照りと暑さがあったのに、夕刻の今は、空が雨雲で不気味に覆われ、気温も下がり始めた。天気予報どおり雷雨になりそうな気配だ。
今日も、朝から汗かき放題の肉体労働をして、欲するままに冷たいものをがぶ飲みし続けた。晩酌のビールも美味いには違いないが、流し放題の汗の後の清涼飲料水ほど美味いと感じるものはなさそうだ。単純な生理的感覚に応じるというのは、まさに "単純明快" で心地良いということなのかもしれない。
今現在となってみれば、いろいろと取り越し苦労や気苦労をしたものの、何とかなったんだ、という思いがしている。もちろん、時間の経過だけが事を進めたはずはなく、その時その時の総力の積み重ねが全体を先ず先ず進めたわけだ。
一ヶ月、二ヶ月前には、推量し切れない作業量やその他未知数が渾然一体となって目の前に立ちはだかっていた。きっと首尾良くやり遂げるのだろうとは心のどこかで確信してはいたものの、それでもやはり小さからぬ不安感に苛まれ続けていたようだ。
やるべき事が山積する中、概略のスケジュールはあったものの、伏兵が現れた場合も含めての個々の作業の詳細が掴めないまま、とりあえずは手が付くことから前倒し気味に片付けて行くことに努めた。それしかなかったと言える。
物事を成し遂げようとする場合、できれば全容とその構成要素個々のボリュームとを推定して、リアリティのあるタイム・スケジュールを作るのがベストではあろう。いわゆるプロジェクトとはそうしたものだと考えてもきた。
しかし、現実というのは必ずしもそう綺麗には処せないもののようだ。いや、計算通りには進めにくいのが現実だと言えるのかもしれない。
そうした場合、全体の進捗は "気力・気概" に依存するとともに、絶え間ない "勘働き" を持続させるしかない。従って、この間、猛烈に体力を消耗させることになったが、同時に気を張り詰め続けなければならなかったことで、気苦労疲れが著しかった。
まあ、こんなことで押し潰されるような自分だとは思っていなかったので、とにかく眠っている底力を搾り出せるだけ絞り出し、あわよくば、今後のパワーのベース作りにでもしてやろう、という算段であった。
その甲斐は幾分かはあったかと感じている。この歳になって今さらのように思うのは、感情、気力、体力を巧みにコントロールすること、そしてしたたかな忍耐力を自分のものにしておくことの肝要さであろうか。知識だ知性だと偏ることの非現実性を改めて痛感している...... (2009.07.29)
どこの家でも急に荷物が増えると困るものだろう。あるいは、急にではなくとも、どこの家庭でも増え続ける家財に手を焼いているのかもしれない。
昨今では、貸し物置というか、レンタル・コンテナなんてものも密かに人気を博している模様である。多分、上記の事情が背景にあるのだろう。
この間、自分もこの問題で悩ましいほどに頭を使ってきた。レンタル・コンテナついても考えてみた。が、さほどのスペースでもないのに、意外とランニング・コストが高くつきそうなので却下した。
もちろん、自宅の庭にスチール製の物置を増設することも候補に挙げてはみたが、一度設置するとほぼ半永久的に庭の一角を占め続けるのにやや抵抗感があった。モノというのは、固定的に留まらせてしまうと、不必要なモノでもキープし続けてしまい結局はある時にまとめて廃棄する流れとなりそうだ。だから、半永久的なスペースに "安住" させるものではない、というようなことに目を向けたのである。
今現在は陽も出ているが、夕刻は雷雨になりそうだとの予報があった。そこで、夕刻に予定していた荷物の運搬作業を朝一でやっつけることにした。
朝は晴れていたのはいいが、その分、気温も高かった。そんな中で、滝のように流れる汗をかいて、そこそこ重い荷の積み込み、積み降ろしを敢行した。
そんなことで、昨日の "骨休め" で養った英気があっという間に消費されてしまい、日中はしばらくよれよれ状態で過ごすこととなった。
まあ、こんな肉体作業の集中も今週一杯で一応終了する予定であるが、それにしても今回の "イベント" は、なまった身体に容赦なく負荷をかけてくる代物であったことか...... (2009.07.27)
今日もその気になればやるべき事がないわけではない。しかし、そう力んで後でリバウンドを生み出してもつまらない。思い切って休息の日と決めた。
朝のウォーキングから戻ってからというもの、湯に浸かったり、マッサージ・チェアに座ってうたた寝をしたりと、 "骨休め" に専念している。たまにそうした休息をすると、思いのほか疲れの取れ方が効果的であるようだ。
だが今日は暑い。陽射しも強く、ここ何日かの雨交じりの空模様とは打って変わった夏日そのものである。こんな日に汗をほとばしらせて力んでいたら、とんでもなく体力を消耗させただろうと想像し、骨休めの日として正解だったと得心している。
今週もまた、何かと気忙しく動き回らなくてはならないので、今日一日はのんびりと過ごそうかと思っている...... (2009.07.26)
朝の9時から日暮れまで、一日中、庭で作業をして過ごした。またまた汗を流し放題に流すこととなったが、加えて変わりやすい天気の番人のような役を果たすことにもなっていた。
昨日も書いたとおり、ここしばらくの雨含みの天候は困ったものである。
朝一、庭に出て、今日の作業、テント型物置の組み立ての段取りをしている時には、晴れた陽気で十分に暑い一日を予感させていた。
そんなことで、隣家でも奥さんが布団干しを始めていた。しばらく雨天続きであったためか、今日こそはと待ちあぐねてのことのようであった。
自分の方とて、今日は晴れであって欲しかった。これから組み立てようとしているテント型物置が完成した暁には、いくらでも降ってくれても構わない。しかし、その作業中に降られたのでは甚だ具合が悪い。だから、朝一の時点での晴れた状態は安堵させるものだったのである。
山口県の防府の特別養護老人ホームで集中豪雨災害により多くの死者をも出す事態となったのは痛ましい限りだ。
有識者の指摘では、やはり温暖化傾向の影響で異常気象となっていること、集中豪雨が発生すれば日本の多くの箇所で同様の悲劇が生まれやすいとのことである。既にこれまでにも何度も似たような災害が発生したことは記憶に新しい。
誰がどうだと即断することは難しい点もあろうが、やはり政治・行政が国民生活の安全を守るという基本理念から大胆に対処すべきだと考えたい。
抜本的には温暖化現象阻止に向けた国際的働きかけをすべきであろうし、また、国土の安全を守るという観点から、危険が及ぶ可能性の高い地形・地域に土木建設工事を推進することも優先すべきだろう。意味のない高速道路建設なんぞよりも、国民の生命が脅かされる状況への緊急対策が急がれて然るべきであろう。
ここ最近、重いモノを動かすような "肉体労働" を続けているためか、やたらに空腹感が自覚される。しかし、そこそこ食べていても、2キロほど体重が落ちている。
おそらく、筋肉を使うことで "基礎代謝" が活発となってそんなことになっているのかと推測している。
ウォーキングなどは続けていたが、そういえば、全身の "筋肉" を使うような生活からはとんと離れていたようだ。やはり、一定程度 "筋肉" を使い込まなければ "基礎代謝量" を上げることにはならないのかもしれない。そして体重を下げることには......。
今日も、ホッとする間がないほど追いまくられる気分で一日を過ごした。やるべき事は確実にこなしてはいるつもりなのだが、次から次へと雑事が湧き出てくる。
まあ、頭の中での概略スケジュールに沿って事をこなしては来たが、いざ、事に着手すると何やかやと枝葉末節の副産物が発生してしまうというのが現実のようだ。
そんな中で最も厄介なのは、 "想定外" の出来事ということになろう。ほとんど想像だにしなかった "既知" の事柄に、ええっ、と思わされるような事態が生じると、時間も頭の働きも梃子摺らされてしまう。
この間、事務所と自宅を問わず、不用品の整理・処分を "自前" でやり通してきた。詳細はおくが、通常ならば業者に依頼するはずのものについても大半を "ドゥ・イット・ユアセルフ" で賄った。
根本的な動機は、コストを掛けたくないというセコイ次元にあったが、ほとんど不可能っぽい状況をどうやら突破しそうな今、痛感することが二、三ある。
そのひとつは、モノに対する感じ方の変革である。モノを入手する際には、その処分法まで含めて判断すべきであり、永遠に持ち続けるとか、いつでも捨てられるといった "幻想" のもとでイージーに考えるべきではない、という点だ。
そして、当然、使うモノは随時点検・整理をしておくべきで、いつか使うだろうというこれまた "幻想" に陥っていてはならない。その方が、むしろ使う有効なチャンスを増やすことにもつながる。
こうした、現在の環境に応じたモノへの感覚を取り戻した気がしているのだ。
この三連休、パーフェクトに肉体労働に徹したことになる。
テーマは、 "庭の空間再配置" とでも言えようか。半坪大のスチール物置を単独で移動させたのもその一環であった。
もちろん、収納物を再点検するために一度すべてを庭に広げることにもなった。さながら古道具屋、いやゴミ集積場と思えた。
結局、かなりの部分をゴミとして捨てることとなる。庭木の整理で生じた枝類を含め、大変な量の廃棄物が発生することとなった。ちなみに、休み明けにゴミ処理場に持ち込もうとして積み込んだワゴン車の荷台は満載状態となっている。
事務所のみならず、自宅でも、書斎から物置に至るまで、ゴミに類するモノを後生大事に保管し続けてきたこととなる。我ながらあきれ返っているところだ。
わが家の近所の持ち家は、自分たちも含めて "団塊世代" の家庭が多い。ひょっとしたら、大半がその部類であるのかもしれない。
そして、それに関して思い当たることは、ひとつが "定年退職" を迎えていそうなことと、もうひとつが同世代の親御さんたちがいよいよ "要介護" 状況に至っていそうだという点である。
昨日も若干書いたが、それに該当しているご近所さんがそれぞれ "ありそうだ" 。
ところで、やはりこの人も団塊世代なのだが、近所のことに関する "情報通" のその奥さんとうちの家内が最近会う機会が乏しく、その人からの情報が途絶えているため、なかなか "正確な情報" が入ってこない。だから、たとえ隣家のことであっても推測の域から出られないでいる。
ホームセンターで "(コンクリート)ブロック" なんぞを買い込むのは久しぶりのことだ。事のついでに、自宅庭先の "物置" を整理および再配置をしようというのだった。
事務所の方でモノの大整理をし続けてくると、自宅の方もやらないでは済まなくなってくる。もう長年、放置してきたためである。
先日、庭が隣接するお宅で "物置" を増設することがあった。増設中に "了解" を求める挨拶があったが、快く応じた。ちょうどわが家の風呂場の窓側であり、その "物置" が設置されることで "目隠し" の機能を果たすため、文句を言う筋合いでもなかったからでもある。
これは余談だが、隣家のそうした変化の背景には、高齢の親御さんを迎え入れなければならない事情があったような気配である。
既に、もう片方の隣家でも、ご両親を迎え入れ、その前に "バリアフリー" の工事をされているのを知っていた。これも余談であるが、こちらのご両親の方は、移動されて何ヶ月も経たないうちに、気の毒にも高齢のお父さんが亡くなられた。お母さんが遺されてさぞかし寂しい思いをされているのだろうと想像した。
やはり、運送屋も顔負けといった重労働をした翌日の疲れは応える。身体のどこが痛いというのではなく、全身のだるさと気分の気だるさが尋常ではない。
おまけに今日は朝から小雨が降る鬱陶しい天気なので、それも合わさって何となく "一服モード" の一日となっている。
気力、体力のテンションを上げている時は、それなりに気分も高揚して "ハイ" になっている。きっとアドレナリンが大放出されて、 "ランナーズ・ハイ" と似た状態となっているのであろう。
しかし、一晩寝て区切りがつくと、まるで "青菜に塩" といった体たらくとなってしまった。時間が経てばいくらか持ち直すものかと期待したが、ダメである。身体も気分も、ますますヨレヨレになってきた。年寄りの冷や水、とでもいうものか......。
まあ、今日は成り行きに任せてムリをしない方が良さそうな気配だ...... (2009.07.17)
じっとしていて "熱中症" になっても不思議ではないような暑さの中、今日は、幌付き1トントラックをレンタル予約していたため、この間、整理をして備えたモノの搬送処分のために大汗をかくことになってしまった。
朝9時から始動して、つい先ほど4時過ぎまで、モノの重さと暑さとにがっぷり四つ相撲を繰り広げた。何回かの搬送で処理した総重量は優に1トンは超えていたものと思われる。
とにかく "熱中症" になることだけには注意をして、清涼飲料水などをこれまでになく頻繁に口にした。
久々に、一日目一杯の重労働をしたことになるが、大学生時代に体験した鉄工関連のアルバイトのことを思い出したのは、身体の正直さゆえなのかもしれない。
ところで話は変わるが、自分が身体を目一杯使って働いたからというわけでもないが、今現在、仕事というものの "ボトルネック" は何か、ということを考えさせられた。
とあることを依頼していて、なるほどなぁ、と痛感したまでで、客観的な根拠は度外視している。
その "ボトルネック" とは、仕事というものを恙無く成し遂げるためには、 "現場の事情" をいかにリアルに掌握するか、の一点に掛かっていそうだという点なのである。
とかく、不景気な景気状況では、製品やサービスへの "需要" というものにばかり目をむけがちであろう。極端に言えば、 "需要" がない! という "仮想敵" とばかり闘おうとするのかもしれない。
モノを片付けるとは、 "分類" することで秩序づけるということになろうか。
重いモノを動かしながら片付けるという作業も疲れるが、この "分類" しながら秩序づけるという頭を使う作業もどうしてなかなか気疲れを誘うものだ。
そして、片づけが進むと、当然のごとく、まるで "分類不能" と思われるようなモノばかりが残ってしまったりする。そして、そういうモノが散らばっているのがいつまでも視界に入っていると、やれやれというように疲れがどっと出てくるわけだ。
まるで、私たちをどうしてくれるの? と言い張っているように見えて、それでいて細かいことに気を遣うのがもはや億劫というほどに疲れていたりすると、いやー、ひとまとめに捨ててしまおうか......、という気分にさえなりかねない。
都議選の結果、そして「バカタロー解散」など、ちょいと前ならばいろいろと感想や能書きのひとつもこくところだったはずだ。
しかし、最悪に "劣化" し切った現在の政治に感想も何もない。ただひとつ、現首相は環境がどうなろうと、首相専権の解散権をぶっ放つだろうとは想像していた。「バカヤロー解散」の首相(吉田元首相)の孫としての意地を発揮せずにはいられないというのが麻生首相の正体なのだろうと......。
養生するというような殊勝な考えがないため、右肩の鈍い "痛み" が一向に良くならない。ペインクリニックでの "神経ブロック注射" も二度ほど受けたが、今回は即効性はないようだ。医者の見立てでも、数回以上の回数が必要になりそうだと言う。まあ、気長に対処するしかなかろうと観念しているところだ。
何度も書くように、こうした筋肉の "緊張性筋炎症候群" は、ほとんど "心因性" のものだと思われるため、そう簡単には取り除けないものだと見なしている。
おさらいしておくと、<何らかの "心理的緊張" によって、自律神経を介し、身体各所の「筋肉」、「神経」、「腱・靭帯」に、 "血流不足" による "酸素欠乏" が発生し、これが "痛みや痙攣" の原因となっている "筋骨格系疾患" >(2008.12.16)だそうだから、その< "心理的緊張" >の事情にまで遡らなければならないわけだ。
そうして考えてみると、この "異様な時代環境" にあって、< "心理的緊張" >と無縁になろうとするならば、宗教的生活に入るか、心を捨て去るか......、いずれにしても大変な "自己変革" を要することになる。
むざむざと捨てることになるモノを喜んで活用してくれる人がいればありがたいことだ。その一人がおふくろである。
この間も、事務所の方で不要となったいろいろなモノを、打診しては持ち込むことになっている。別に押し付けということではなく、不便をしていると推定して打診してみると、「じゃあ、使う」との回答があったりするのだ。ただ、おふくろは唯々諾々とするタイプではないため、気に入ったモノは大いに喜ぶ反面、そうでない場合は "前向きでの注文" を出す。
モノ入れ棚ボックスなどについても、背丈の高いものだと、「上の二段を切り取ってもらったら使う」なんぞと言う。背丈の高い家具は圧迫感があって嫌だと、道理に合った理由なので、まあしょうがないかと応じることになる。自分にとってはさほどの手間でもないので、まあいいかということだ。
今日は、どちらか選んでもらおうと二つのモノ入れ棚ボックスを運んで行ったら、余った方の心配までしてくれたので気分が良かった。
「どうせ捨てることになるんなら、隣の家でもらってくれるかどうか聞いてあげようか」と言ってくれたのだ。そして、結果的には、喜んでもらってくれることになったのだ。 考えてみれば、不要物というのは、だれにとっても不要だというわけではない。欲しいと思う人もいるはずであろう。それを、壊して廃棄して、その際には廃棄処分エネルギーまで消費するというのが、自分のような世代にとってはいたたまれない。
だから、偶然にも欲しがる人が見つかったりすると、なぜだかとても救われた気分となるのである。
まあぁ、今日も一日汗だくだくで過ごすことになった。思えば、7月の暑さに身体じゅうで "対抗" したのは何年ぶり、いや何十年ぶりであろうか。
振り返ると、7月、8月という夏場の時季は、長い期間、デスクワークという名のもとに直の暑さを回避し続けてきていたはずだ。だから、ウォーキングなどでかく汗を除けばろくな汗をかかなかった。
まして、全身の筋肉がけだるくなるほどの作業による汗なぞはすっかり忘れてしまっていた。それが今年はどうだ。よんどころない事情があってのこととは言いながら、すでに大汗をかくはめとなっているし、たぶん、この夏中はこんな状況が続きそうな気がしないでもない。
ならばこの波に乗って、この際、なまり切ったこの身体を "鍛えて" もいいのかとも考えたりする。いや、 "鍛える" というのは大袈裟であろう。
ある人に言わせると、相応の歳を過ぎるともはや身体を "鍛える" ということはあり得ず、ムリをすればただただ身体が傷むだけだそうである。だから、ほどほどに "慣らす" というのが正解なのだろう。
確かに、身体にせよ気分にせよ、 "慣らす" という点になると結構いけそうな感じがしている。
肩の痛みがどうこうと言っている割には、このところ重労働(?)で汗だくとなっている。事務所内の模様替えその他で、何十キロもある物を持ち上げたり、移動させたりとして、ただでさえ蒸し暑い昨今、しばしば滝のように汗を流している。
多分、物を持ち上げたりして力を使う筋肉と、右肩の痛みの症状をもたらしている筋肉や神経とは別系統なのかもしれないと思っている。作業をしている際はさほど気にしないで済んでいるからだ。
むしろ、ありったけの力をこめて力仕事をするというのはその時はもちろん辛いものがあるが、一段落したりすると "爽快感" さえ覚えたりする。
そんな時、落語の中の言い回しではないが、 "極楽の余り風" のような気持ちの良い風を受けたりすると、 "身体が達者" だということは何と幸せなことだろうかと痛感したりする。
この "奇妙で過酷な時代環境" にあっては、不平不満を言っていては切りがなかろう。とにかく、 "往(い)なしつつ" マイペースでやるほかないわけだ。
そんな心境の中、時々バカなことを考えたりする。
生きること、生活することに、ひょっとしたら存在するのであろう "基準値" を思いっきり下げてみてはどうだろうか......、と。
その "基準値" というのは、人が生きる上で、ものを考えたり感じたり、判断したりする際に、知らず知らずのうちに "基準" とでもしているような水準のことなのだ。
よく言われるように、バブル時代を経験した者にはどうしてもそうした時代の贅沢さや、大雑把な感覚が染みついているようだ。まあ、庶民の場合は贅沢さといっても高が知れているし、その後の "冷や飯" 的環境をいち早くなめさせられてきたため、バブルの酔いなんぞとっくに醒めてはいる。
しかし、必ずしもそんなまともな人々ばかりが世の中にいるわけではない。何だかんだと言いながらバブルの酔いの余韻を手放さずにここまで来ている者もいるに違いない。
だが、そんな人たちは、恵まれているようでありながら、結構、辛いのではなかろうか。というのが、相応の "高い基準値" を引き摺っているはずだからである。
とあるコラムを読んでいたら、次のような表現に出会った。
<私はネットの情報がゴミの山である日本においては、新聞社なくしてジャーナリズムが維持されるとは思わないが......>(「新聞の窮状はネットやITでは救われない」/岸博幸の「メディア業界」改造計画/NIKKEI NET IT+PLUS )
要するに、ネットに押されて新聞の発行部数が低迷する現実、かと言って新聞社がネットに軸足を移動させたところで、ネットから得られる広告収入は従来の収入を埋めるものとはなり得ないというような深刻な問題を論じているのである。
どの国でもジャーナリズムがますます劣化している事実は否定できず、その原因の底辺に、残念ながら "紙" の新聞収益の低迷という兵糧攻めの現実がありそうだ。
権力による言論操作という側面や、若い従事者の人材の劣化という面もあるかに思えるが、コストや収益というシビァな面での足枷が、新聞ジャーナリズムを急速に蝕みはじめていそうである。
バカバカしくて話にならないご時世にふさわしく、バカバカしいことを今日は書こうかと思う。夢の話である。
夢は年がら年中見ている。そして目覚めて覚えている夢を解析(夢解き)することもしばしばである。まあ、こじつけ的な解釈をしては悦に入るという他愛なさではある。
ところが、二、三日前に見た夢は、余りにもバカバカしくて解釈に行き詰まっている。今日は、他に書くことも浮かんでこないため、そんなことを書こうかと思う。
場所は、どうも現在住んでいるところではなく、かつて住んだのであろう周囲に田畑の光景が窺える郊外のようであった。
そこで、ある日突然、 "馬" を飼うことになってしまったのである。しかも、 "ダーク・ホース" 、 "黒い馬" である。
その経緯は不鮮明なのだが、どうも "迷い馬" をしかたなく飼うという事情のようなのだ。そして、飼うといってもいたって手がかからず、放し飼いにしており、散歩に連れて行くこともしないで済んでいる。夕刻になると "ひとりで" 散歩に出向くのだ。
どうしてこんなに "ゴミ" ばかりを抱え込んでいたのかと、我ながら恐れ入ってしまう。昨日に引き続き、今日も自宅は書斎の整理作業を行った。
幸い、懸念した "右肩" の痛みの方は沈静化している。やはり "治療" の効果は現れたようだ。
それにしても、 "ゴミ" の出方は尋常ではない。昨日もかなりの量が積み重なったのに、今日、別の箇所を洗い出したところ、出るわ出るわの騒ぎとなってしまった。まだ、 "目をつぶっている" 箇所が二、三あるため、今後もその気になればまだまだ "無尽蔵" に出てくるはずである。宝の山であればこれほどうれしいことはないが、粗大ゴミなのだからうんざりするだけだ。
昨日せっかく、3年ぶりの "神経ブロック注射" の治療を受け、右肩の痛みが和らいだのに、今日は調子に乗って書斎の片付け作業に精を出したところ、ややぶり返してしまったようだ。
身体の方にしても、そりゃないでしょ、と嘆いているのだろう。
痛む右肩患部にしてみれば、 "痛み物質" が堆積して悪循環を繰り返し、もはやこれまでと "救急" 隊に "消火剤" を投じてもらいやや落ち着きを取り戻したところで、またまた "騒ぐ" ものだから、 "痛み物質" という "野次馬" たちがまたまた集まってきてしまったじゃないか、と嘆いているのかもしれない。
そう言われれば、ちょいと力み過ぎの一日であった。
気の利いた "アイデア" の教材だなぁ、と思った。
昼食のために事務所から出た際、近所の幼稚園の窓際に可愛い展示物があるのを見つけたのだった。隣同士の教室二部屋の窓にそれらはあった。
10センチ四方くらいであろうか、画用紙のようなもので作られた "Tシャツ" を模した紙片が、まるで万国旗のように、いや実は "洗濯物" としてズラリと "干されて" いたのである。窓の端から端に渡され垂れ下がった "洗濯干しロープ" に、20枚ほどの模擬 "Tシャツ" が "干されて" いたのだ。それも、それぞれが2~3センチほどの小さな "洗濯ばさみ" 二つでロープに固定されており、いかにも洗濯物を干しているという雰囲気が出ていた。
外側からは "背中" 部分の白地しか見えない。が、教室側からは見えるはずの前面部分にはたぶん、園児たちが思い思いに工夫した "デザイン" が描かれているのであろう。自分がデザインした "Tシャツ" が "干されて" いるのに、チラリチラリと視線をやる園児たちの表情が彷彿としてくるようだ。
ほんのちょっとした "アイデア" ではある。だが、きっと子どもたちも意表を衝かれて引き込まれていたのではなかろうか。部外者の大人が、窓の外から見て "あれっ" と思わされたくらいだから、面白いことには目が肥えている今の子どもたちにとっても、そこそこ関心を引いたのではなかったかと想像する。
こういう類の "アイデア" 、何でもないことなのだが、それでいて人の心をちょいと揺さぶるような "アイデア" というもの、そんなものが自分は好きである。
何日か前の晩であった。晩酌の酔いを醒ますべく戸外に出てみた。
雨がやみ、程よい風が吹き実に心地良かった。何気なく夜空を見上げると、濃いネービー・ブルーを背景にして、途切れ途切れとなったいくつもの白っぽい雲が、右手方向から左手方向へと滑るように流れて動いていた。
小さな塊の雲たちは、まるでさまざまな動物たちが一斉に移動しているようだと思えた。あの巨体の雲は、バッファローか? あれは、ムササビか? あれは、オオアリクイのように見える。下の方でこじんまりとして移動しているのは野ウサギの群れか? 後ろの上方で流れ、前の一群に追いつこうとでもしているのは、獲物を狙うワシのようにも見える。
以前にとあるTV番組を観て、いわゆる "残飯" 類を家畜の飼料へとリサイクル加工する組織が生まれたことに喜ばしい気分となったことがある。
ベルトコンベアに "残飯" 類を載せ、家畜飼料に向く素材を人手で選別していたようだった。それがまとまったところで、特殊な加工工程で家畜飼料にするようであった。
日本のような、食品廃棄で世界一の量を出している国にあっては、こうしたリサイクル処理がどんどん活発化すべきだと痛感させられたものであった。
ところが、今日、残念な新聞報道に接した。自分がTVで知った工場であるかどうかはわからないが、たぶん同一処理工場なのではないかと思う。
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