2009年6月 アーカイブ

 早いもので、今年ももう半分を過ぎようとしている。明日から7月となる。
 昨年の秋以来、経営者も生活者も、想像を超える急激な衝撃を受け、そしてその後の止むことのない余波で揺さぶられてきた。まるで、大地震に見舞われたかのような経験だったと言える。
 いや、一段落したかのような表現をしてしまったが、被った数々の被害は、決してまだまだ終息するものではなかろう。
 相変わらず "公式的" なサイドでは、景気は "底打ち" に至ったと表明している。しかし、タイムシフトのずれがあるのかもわからないが、実感が伴うのは以下の情報であろう。



















 団塊世代の大量停年に関連して、 "技術の伝承" について注目されたことがあった。それは、製造業の "熟練工" に限らず、確か、警察分野の "熟練刑事" の捜査手法も伝承されるべきだとされていたようだ。
 こうした "伝承" という課題が現在どう進んでいるのか定かには知らない。しかし、あまり大きな期待を寄せることは難しいのかもしれぬ。
 基本的には、こうした "能力・技術の伝承" の問題は "教育" の問題であり、このジャンルがにわかに充実した展開に至ったという話は聞こえてこないからである。

 こうした "先行者" の "能力・技術" をどう受け継いで行くのかという課題に関係して、時々、ふと次のようなことを "夢想" することがある。
 人間の "能力・技術" というものの "クローン" を創り出すことはできないのか、というテーマなのである。
 とりあえず "夢想" したのは、優れた "先行者" が、惜しくもこの世を去った後、後継者たちがその卓抜さを首尾よく受け継いでいたならば問題はない。しかし、いつもそうとは限らないであろう。
 そんな時、優れた "先行者" の "能力・技術" が、 "人工(知能)的に" 再現できたなら、どんなにか面白い展開になるだろうかと "夢想" するである。
 モノに対する愛着と執着を植え込まれた世代と言えるのではなかろうか、団塊の世代というのは......。
 そんな自分にとって、必要に迫られてのこととはいっても、まだまだ十分に使用・活用できるモノを廃棄処分としなければならない状況というのは心地良くない。
 このところ、そんな心地悪さが続く日々であった。しかも、昨今では、モノの廃棄処分は、愛着のあるモノに対する何がしかの思いを断ち切る苦痛とともに、 "処分費用" までが発生して、まさに踏んだり蹴ったりというか、泣きっ面に蜂だとも言える。
 こうしたことを経験して、振り返ってみれば、ただただ自身のモノの整理・管理の至らなさを痛感せざるを得ない。
 というのも、その時その時にいるもの、いらないものというこまめな判断をして整理していたならば、モノの一斉廃棄処分というような大層なことをしなくても済んだであろうと思えるからである。
 したがって、ひとえに自身の怠惰や、問題先送り姿勢が、事をこじらせたのだと反省するわけである。
 ダイエットをして体重を下げるというのはやはり至難の技であろう。いや、自覚の上での話だが、下手をすれば栄養が偏り、病気にさえなりかねないはずだろう。栄養のバランスのことを十分に見つめながらカロリー摂取量を減らす必要があるわけだ。
 こう書いても、話題にしようとしているのはダイエットではない。昨今の、あらゆる商品の "値下げ"、"値下げ競争" についてなのである。

 昨日であったか、一、二年前にインドだかのパック・ツアーの際に現地で事故にあった被害者たちが、ツアー企画会社に損害賠償訴訟を起こしたとのニュースがあった。
 簡単に言えば、低価格化が進むパック・ツアーで、価格競争に突入している関連業者たちが、 "安全な旅" という重要なポイントさえ軽んじ始めているのではないかという危惧に沿う訴訟として注目されているようなのだ。
 低価格指向のため、バスの運転手が一日9時間も勤務するという状態が果たして妥当だったのかどうかとか、現地のルートの安全性などが事前にしっかりと調査されていたのかどうかなどが争われるようだ。
 最近、再び、三度に渡ることになる肩の痛みに見舞われている。 "右肩" が上がりにくく、時代のうねりと同様に、まさに "右肩上がり" の不調ということになろうか。
  "四十肩" 、 "五十肩" と何度も経験し、ここに来てまた "長期滞在" をしているようなのである。
 不思議な思いがするのは、そうした痛みは、半年、一年とある期間はまったく無くなってしまい、おや? 治ったのかな? と思わされることがあるからだ。
 今ひとつ、憶測的に言えそうなことは、どうも、かなり持続的なストレスが続いた頃に発症しているかのような点である。
 まあ長い付き合いのため、あれこれと詮索もしてきた。そして、今では、この肩の痛みは "心因性" なのかもしれないと推測している。
 しばしば聞く言葉に "机上の空論" というものがある。これに対して、 "案ずるより産むが易し" という言葉もある。
 もちろん、事前にあれこれと考え、検討することは必須であろう。 "出たとこ勝負" という場当たり的なスタンスで上手くゆくことは少ないはずだ。
 人にもよることは間違いなかろうが、現在われわれが直面しがちな厄介な問題に遭遇した時には、必ずしも頭だけで考え、思い煩うスタイルは奏功しないかもしれないというような印象を受けている。
 とかく、この時代環境ではネット情報をはじめとして、知識情報を集めれば事が上手く進むと思いがちであろう。それは間違いではなさそうだが、十分条件ではなさそうだ。
 知識情報の重さを強調する際に陥りがちなのは、ネット環境などからのどちらかといえばイージーな方法、もっと的確に言うならば、煩わしい人間関係が絡まない方法に依存しがちな点なのかもしれない。効率的な情報収集を、と考えればどうしてもそうならざるを得ないのではなかろうか。
 しかし、こうした方法にはまり込んでの考察というものは、どうしても一般論的な問題解決アプローチからは出られないような気がする。これが、 "机上の空論" というものの実態なのかもしれない。この辺の事情をよく踏まえてかかる必要がありそうだと思っている。
  "6月危機" という言葉がある。一連の不況状況で、この6月にその "しわ寄せ" が起こり得るという話だ。
 各企業の経営状況は、とても "夏季賞与" を喜んで支払える状態ではなさそうだ。 "目減り" 程度であればまだしも、まったく支給不能という事態さえ少なくないのではなかろうか。
 とすると、従業員側が "番狂わせ" となる。一般的に、 "住宅ローン" などを組んでいる場合には、夏・冬のボーナス期には通常月の返済額よりも大幅に多い額を支払う形が多いようだ。そこから、ボーナスが大幅にカットされたり、最悪ナシという事態を迎えると、確実に "番狂わせ" が発生してしまうということなのである。
 しかも、昨年の秋以来、不況風によって通常月の収入さえ脅かされる状況が続いていたのではなかろうか。そこへ持って来て、リカバリーに回されるはずのボーナスが "ガタ減り" となると、一般家庭の家計はかなり深刻な打撃を被ることにならざるを得ないであろう。最悪、 "住宅ローン" の破綻という事態さえ起こりえる。
 米国の "サブプライムローン" という "住宅ローン" の破綻問題が、回りまわってこの国の同じ領域にも飛び火する可能性が出てきた、というのが "6月危機" の正体のようである。
 こんなところでも "大手" は貪り、 "零細" は必死で闘っているのだと感じさせられた。相変わらず、事務所内の不用品の整理一掃を図っているのだが、そうした不用品の引き取り・買い取り関連の業者でも、 "大手" と "零細" との対応には大きな差がありそうだ。
 書籍の買い取りについては、とあるチェーン店がほとんど "ゼロ査定" の多いことを書いた。その系列店舗では、いわゆるハード関連も受け入れているが、そこでも限りなく "ゼロ" に近い査定しか行わない。
 まあ、景気が悪くモノの流通が滞りがちなため、中古商品を受ける側も慎重になっていることは想像がつく。
 しかし、比較的 "大手" の部類に属する業者が、下世話な表現をするならば "やらずぶったくり" 的な商法をごり押ししているのは見え隠れしている。
 現在の景気状況の実態を知らされるとともに、そこで蠢く商売人たちのリアルな実態をも学ばせてもらっている。
 かねてより『菜根譚(さいこんたん)』には興味を抱いてきた。人によっては "座右の書" と言い切る人もいるが、それほどまでではないものの奥が深いことは確かなようだ。
 とりわけ、今のような時代環境にあっては、一々頷かされたりする。就寝前などに枕元の明かりで文庫版のそれに目をやっていると、日毎 "撹乱" され続けている気分が何となく落ち着いてくるような気がする。

 先日も、とある箇所に目が止まった。次のような部分である。
<「鼠の為に常に飯を留め、蛾を憐れみて燈を点けず」と、故人の此等の念頭は、是れ吾人の一点の生々の機なり。此れ無ければ、すなわち所謂土木の形骸のみ。>

 [訳文]
 「ねずみのためにいつも飯を残しておき、蛾が火に飛び込むのをかわいそうに思って、灯火をつけないでおく」と蘇東ば(そとうば)は詩に詠んでいる。
 古(いにしえ)の人のこのような心がけは、これこそ現在の私達が生きていく上での一つの重要な心のはたらきである。この心がけがなかったならば、まるで土や木で作った人形と同じように、まったく心を持たない形だけの人間にすぎない。
 今に始まったことではないが、毎日のニュース報道で悲惨な事件が絶えない。どんな事情があるのか推し量ることはできないにしても、どうして "もう一度やり直す" という選択ができなかったのかと悔やまれてならない。
 たぶん、この "もう一度やり直す" という選択を困難にさせている事情こそが最大の "下手人" なのであろう。
  "この事情" は、個人側の内面と社会環境側との両面にいつしか "蔓延る" ことになった現代特有なものなのであろうか。
 いや、どちらかと言えば、この時代の社会環境側の "非寛容さ" にまず目が向けられてよいのかもしれない。しかる後に、あまりにも "折れ易く" なってしまった個人側の内面の事情が問題視されるという、そんな順序が妥当なように思える。
 3、4才の男の子を連れての買い物であろうか、若い母親とそのお母さんらしき三人連れであった。急ぐ用があるようでもなくぶらぶらと歩いている。
 男の子はやんちゃ盛りで、おとなしく付き添うはずもなく、何か遊ぶネタはないものかときょろきょろと辺りを物色するように歩く。
 マンションらしき建物の玄関に来た時、男の子は、何かを見つけて二人を背にして小走りとなる。
 クルマの駐車を防ぐものか、その時には無かったがチェーンを引っ掛けるポールが何本か立っていた。背丈が自分と同じ位だからか、そして、チェーンを引っ掛けるための直径4、5センチほどの輪っかが両側に、そうちょうど男の子の耳に当たる付近についていたためか、男の子は、それを "怪獣" か "悪者" か何かに見立てたのであろう。
 そのポールを敵と見立てたつもりで、両手を空手チョップふうに振りかざして、「アチョー、アチョー」とか叫びながら挑む格好をし始めたのだった。
「痛くなるからやめなさいよ」
と母親が、その母親との会話の途中で言葉を投げる。

  "構造改革・グローバリゼーション" とかという経済風潮が深まったことにより無くなってしまったものは少なくなさそうである。この風潮の広がり、または影響の広がりをどこまで含めるかによって様子は異なってきそうだが、ざっくりと市場競争激化、弱肉強食という特徴あたりに目を向けておく。
 昨日も、TV番組の何かで、とある地域の商店街の店主たちが増え続けるスーパーやその種の大型店舗によって小売店舗は勝ち目がないと嘆いていた。
 すると、跳ね上がりの別の店主が、スーパーの従業員たちは必死の努力をしているのに対して、商店街の連中は努力が足りない、それがこんな事態を招いている......、とまくし立てたりしていた。一理ないこともないが、多分、そんなことでは済まない話になっていそうである。
  "構造改革・グローバリゼーション" という発想は、 "効率化" とはいうものの、要するに、営業範囲や事業範囲を可能な限り拡大し、大量販売を大前提にした格安な大量仕入れを推し進め、また経営の画一モードを実施してムダを省き "収益性" を高める手法以外ではない。それが、全国チェーン店の乱立を生み出し、消費者にとっては一見有難く感じられる "低価格" 商品をもたらしているわけであろう。

 われわれのこのサイトの一角には、 "SE Human Assessment ソフトウェア技術者のための評価と人事考課" というページが置いてある。( http://www.bb.din.or.jp/~adhocrat/index.htm
 まあ、一般的には "人通り" の少ないページである。それでもソフト関連会社の経営者や人事関係部門の方々が、キーワード検索か何かで訪れてくれている。
 そして、 "いまだに" このページで "ネット販売" しているコンテンツを発注してくれたりするのである。
  "いまだに" と書くのは、実は、このコンテンツをリリースして、 "飛ぶように売れた" (事実、累計すれば、全国各地のソフト関係会社一千社弱が購入してくれた経緯がある)のは、もう二十年も前(1988年~)のことだからである。
 環境変化の激しさから、一時は "そっとしておいた" のだったが、事あるごとに問合せが来るものであったから、2004年にこのジャンル専用のページを立ち上げたのであった。さすがに "旧い" コンテンツであるため、 "復刻版" とか "復刻リニューアル版" と銘打って紹介させてもらわざるを得なかった。
 ちなみに、その時に地元新聞は一面トップで次のように紹介してくれていた。

<アドホクラット SEの評価、育成ソフト販売
    サイト開設 一部を紹介 人事考課で新基準
 ソフト開発の㈱アドホクラットはこのほど、ソフトウェア技術者(システムエンジニア=SEなど)の評価と育成をテーマにしたサイトを開設し、CDの販売も始めた。「これまでの取り組みの集大成」(社長)と自信をみせる同サイトは成果主義を重んじてきたこれまでの評価システムに一石を投じる内容に仕上がっている。
 ......>( 相模経済新聞 2004.07.10 )

 過去の書類を整理し、個人情報保護に触れる可能性のあるものや、また自身のメモ類などを大量にシュレッダーに掛けた。途中シュレッダーがオーバーヒートするほどの量であった。
 一応、書類内容を再点検しながらのことなので、書かれた過去の出来事が一々蘇って来たりする。
 大体、過去の出来事を思い起こすことというのは、どんなに明朗な事柄であったとしても、一抹のうら哀しさが拭い切れないものだ。

 40代という、仕事で繁忙を極めた頃は、さすがに "メモ" を残さずには済まなかったようであり、当時、流行っていた "システム手帳" を愛用していた。
 まだ、モバイルPCなぞという便利なものもなかったため、専ら "手書き" のメモに頼り切っていたようだ。
 まだ、老眼には程遠く目は達者であったことや、根が凝り性だということもあり、細かい文字でぎっしりと手帳のページを埋めていた。また、使い勝手を良くすべく、自己流のフォーマットのページを作ったりもしており、いかにも仕事人間であったことを再確認させる。
 今日あたりは "株価" の方は幾分 "素面(しらふ)" に戻っているようだ。
 しかし、先日も書いたように、ここ最近の株価動向にはやはり "異様さ" を禁じえないでいる。実経済の動きに何がしかの明るい展望が見えてきたわけでもないのに、連日のように上昇気流を示しているからだ。
 率直に言って、この時代特有の "まやかし" をここでも見る思いがしている。政府が、瀕死の重傷患者に "カンフル注射" をするかのごとく、 "景気刺激策" を講じている部分はわからないわけではない。ただ、政府がやるべきは、目先の高揚感をかもし出すことではなく、末永い長期的展望に立って、地道に新しい地平を準備することのはずである。
 相変わらずの "ばらまき" 戦術では先々のことが余計に心配となるばかりだ。しかも、このところ再びというか、一向に変わらないと言うべきか、国民の血税が、政治的に蠢くハイエナ業者たちに流れ込むという官製不祥事が続いているのを知らされると、不透明な政府の動きに "仮差し押さえ" 的な措置にも似た "一時ストップ" を講じたくもなる。
 HP運営ではレンタル・サーバーの契約以外に、一般プロバイダーとの契約も続けている。何かと便利なのはよいが、時々ヒヤッとさせられることがある。
  "CGI" プログラムがエラーを起こし、カウンターはゼロクリアされてしまうし、FTPを使ってのアップロードも機能しなくなるのだ。
 今までにも何回かこうしたエラーに遭遇したものだが、当初は、ウイルス障害かあるいは悪意のある者によるいたずらではないかと疑ったこともあった。

 が、原因は、要するにCGIサーバーの契約容量のオーバーだったのだ。オーバーすると、多少の量であればお目こぼししてもらえるものの、気づかずに甚だしくオーバーすると、機能停止という "実力行使" を誘ってしまうのである。
 今日も、そんなことにめぐり合ってしまい、多少慌ててしまった。
 こうしたことを起こしてしまう時というのは、大体が "契約容量" のことを度外視してしまうほどに新しいページの作成に没頭してしまっている時なのである。
 そういえば今回も、そこそこ大きな容量のCGI関連ページをアップロードしていながら、そのことで頭がいっぱいとなっていたようである。
 そして、 "実力行使" をされてはじめて、あっそうだった、と気づかされる。
 久しぶりに境川遊歩道のウォーキングをした。
 休日返上の事務所通いが続いていたため、ここ最近は土日のこのウォーキングも外すことになりがちであった。
 ウォーキング自体は事務所の近辺のコースで継続させていたが、川の鯉たちへの餌やりが途絶えていたことが気になっていた。すでに、買い置いた食パンの耳が二袋、冷蔵庫の中で二週間以上冷凍されたままとなっていたのだ。
 今朝は、それらを解凍してさいの目状に切り刻み、袋詰めすることから始まった。今日はこれらをたらふく撒いてやろうというつもりとなっていた。
 鯉たちの物覚えがどんなものだかは知らない。しかし、ひょっとしたら、 "ここしばらくあの美味しい餌が降ってこなくなったなぁ......" と嘆いている鯉もいたのかもしれない。
 今日はいつもの倍の量を持ち合わせているので、コースの手前の箇所の鯉たちにも存分に撒いてあげた。
 腹を空かせていたのか、あるいは川の水の水温が上がり、パンの香りが広がりやすいためか、鯉たちの反応はけたたましいものであった。よく、春の産卵期には、川面を跳ね上がるように蠢くものだが、それにひけをとらない騒ぎで応じていた。そしてもその物々しい騒ぎを、離れた場所にいた鯉たちが感づき、猛スピードで現場へと急行するありさまであった。
 いつもは、この騒ぎにも物怖じせずに、川面を漂うパンを目指して "突撃" してくるあのカルガモも、今日は取り付く島がないとばかりに、遠巻きの位置でうろたえている様子であった。
 自宅の近所にあるとある店舗の前を通ると、いつも気になることがある。
 やたらに、手書きの説明ポスターを貼り巡らせているからだ。もちろん鬱陶しいという印象が拭いきれない。
 店の側からすれば、潜在的顧客にアピールしたいことが山ほどあるに違いなかろう。それはまるで、TVのCMの中で不快感を誘うものにありがちな "過剰説明" というパターンと似ている。どうしても "押し付けがましい" という印象なのだ。あるいは、店に入るやいなや、店員が付いて回る煩わしさを予感させてしまうと言ってもいい。

 説明が多いことに対して、 "丁寧さ" を感じたり、 "ありがたさ" を感じたりはしないものなのである。現在の顧客というものは、完全に "自分本位" なのであり、自分の自然体が侵されることを極端に嫌がる。たとえ店の者からではあっても、あれこれと言われたくはなくて、あくまでも自分が思うままにチョイスしたいのであろう。
 「お客様は神様」と言うが、「神様」は徹頭徹尾 "わがまま" なのであり、 "ナーバス" なので、その点を踏まえて "説明をしてあげます" というような "押し付けがましさ" は禁物となるわけだ。
 逆な表現をすれば、こんな "押し付けがましい" 店の者と対応すれば、いいようにあしらわれるのではなかろうか......、という懸念を感じさせることになるのやもしれない。
 やはり、こうした見通しと危機意識を持つべきなのだろうと改めて感じた。以下の記事からである。

<世界的大流行「3年続く」  WHO医務官が見通し
 【ジュネーブ12日共同】世界保健機関(WHO)が11日に宣言した新型インフルエンザの世界的大流行(パンデミック)について、WHOの進藤奈邦子医務官は同日、記者会見し「今後3年間はパンデミック状態が続く」と述べ、警戒水準(フェーズ)が最高位の「6」に長期間据え置かれるとの見通しを明らかにした。
 医務官は「今後は(冬を迎える)南半球の動向を注視する必要がある」とした上で「感染者は米国など北半球でも増加し、新型ウイルスが衰える気配はない」と安易な終息ムードを戒めた。
 フェーズ6の期間中、世界の多くの人が新型ウイルスに感染して免疫を獲得したり、ワクチンで感染被害を抑え込むことなどにより、患者数は徐々に減少。新型ウイルスはその後、通常の季節性インフルエンザウイルスと同じ扱いになるという。
 また、進藤医務官はこれから季節性インフルエンザの流行期に入る南半球について「季節性と新型の双方が同時に流行する可能性がある」と指摘。さらに、双方のウイルスが交雑し、抗ウイルス剤、タミフルに対する耐性を持った新型ウイルスが発生する危険性があるとの懸念も示した。>(2009/06/12 【共同通信】)
 ぱっとしない天候だからか、気分もぱっとしない。こんな天候が、 "梅雨" という名で始まるのかと思えば興醒めである。
 昨夜は比較的十分な睡眠をとったはずなのだが、むしろそれが良くないのであろうか。妙に、気だるい感じで包まれている。きっと、身体の方が、そろそろ "疲労回復モード" の到来だと受けとめたのかもしれない。今までにも経験しているが、張り詰めた時期に不用意に長い睡眠をとったりするとその翌日はダラ~とした感触に襲われるものだ。やはり、身体に対しては "規則正しく" を実践してやるべきなのであろう。

 昨今はなかなか "感動" という経験をしなくなったようだが、先日、全盲の若手ピアニストが世界的なコンテストで優勝した報道にはやや感動した。
 生まれつきの盲目だそうで、言葉を覚えるよりも先に、二歳の時だかに与えられた玩具のピアノを使いこなし始めたらしい。その時の写真がTVで紹介されたのを見た時、なぜだかジーンとしたものであった。
 彼にとっては、ピアノという道具が、自分が環境世界とコミュニケーションし、環境世界を認識して行くかけがえのない通路、架け橋だったのであろう。ご両親がそうした貴重な道具を与えたことにも感激したが、そのチャンスをしっかりと掴んで放さなかった彼の聡明さにも感動したのである。
 もちろん、譜面を見ることはできない。点字の譜面もあるらしいが、彼の場合は、結局耳で聴いた音楽を記憶しつつ、それを正確に再現する方法をとってきたという。まさに信じ難い話だ。まして自分のような音痴の場合は、小学校の時に "和音" を聞き分けられずに苦しんで以来、音の達人たちにはとにかくシャッポを脱いできた。
 そんなふうだから、膨大な譜面の曲を "丸暗記" して再現する、しかも、聴衆を感動させる演奏をまで実現してしまうというのは、 "神業" だとしか思えないのだ。

 こう書くと、彼の "超人" 的な技量に感動しているかに聞こえそうだが、むしろ自分の感動の対象は、月並みかもしれないが、人間という命の存在が秘めた "能力の無限性" であったような気がしている。彼と彼を支え続けた周囲の人間たちが証明した、人間の "能力の無限性" に甚(いた)く感動できたのであった...... (2009.06.11)

 もはやまったくと言ってよいほどに株式には関心が薄れてしまっている。どうせろくなことにはなりそうもないとの見切りもある。が、何よりも、この間の "世界的金融危機" を100年に一度とかの教訓とするには、すべからく距離を置く必要が絶対にあると考えるからであろう。
 しかし、世の "懲りない面々" は、どうもそうでもなさそうだ。このところ、実体経済とはかけ離れてこけおどし的に上昇を続けている株式市場を見るとはなく見ているとそんなふうに感じる。
  "リスクマネー" が再び蠢き出したとの観測もある。一般投資家たちを巻き込むための "バンドワゴン" だと言う人もいる。どちらにしても、しこたま負け込んだ機関投資家どもが、このままで下がるわけには行かないとばかりに、誰かにどこかに、 "ばば" を引かせるべく企み、蠢いているに違いなかろう。
 何かと気ぜわしい日々である。が、しかし、目先のやっつけ作業で流していたのでは頭の動きが鈍るのではないかと思ったりする。
 そこで、かねがね気になっていたネット関連のちょっとした課題に目を向けたりする。下手をすれば厄介なことにはまり込み、想定外の時間を喰われそうかとも懸念しながら、それでも挑戦したくなる。意外と "案ずるより生むが易し" に至るのではないかと、期待しつつ臨むわけだ。
 なんせ、このところ肉体労働に明け暮れていて、こんな調子では頭の中が錆付いてはいけないという妙な不安も手伝ってのことだ。

 だが、今日の挑戦は、完璧に "裏目" に出てしまった。時間が取られるという点では最悪の事態となり、今朝ほどからつい先ほどまで、ほぼ一日が喰われてしまい、なおかつ小さくない不具合箇所が残ったままである。まことに気分が良くない。
 まあ、ちょっとした "パズル" を今後に残し、身体ばかりを疲れさせることになった時の "お楽しみ" ということになる、と慰めている。
 このところ毎日が大掃除のような集中的な整理を行っている。先日来の大量書籍整理が弾みとなっているようだ。
 今日は、古くなり不要となった "二穴バインダー" を大量に廃棄処分とした。まだまだ十分に使用可能なのであるが、数センチから十センチの厚さがあるそれらは、ただただ嵩張ってしまう。情報のデジタル化は、新しいメディアやストレージの普及とともに、ペーパーレスをもたらし、ペーパー類を束ねるバインダーなどを鬱陶しい存在に変えてしまった。
 そこでこの際に処分をということになったのだが、そのままの形では廃棄処分するにも嵩張り過ぎる。まして、表紙の厚紙と内部の綴じ金具とのセットはいかにも処分不適当である。ゴミの分別収集路線に反するということだ。

 ということで、これを分離させなければならないのだが、この作業が意外に難物だったのである。リベットのような強固なピンで結合させられていて、ちょいと抉ったくらいでは外れない。
 となると "なにくそ" という挑戦心がムラムラと湧いてくるのが自分である。手をこまねいている社員に代わって、いろいろな道具類をあてがって分解方法を模索したのであった。そして、ついでだからと、自分が大量のバインダーを一挙にやっつけることになってしまった。

 何が正しい、間違っている、と言ったところで何も始まらない。そんな時代環境が大間違いなのではあろうが......。
 先日、TV報道番組で、昨今の "お弁当" の価格基準が、一頃の "ワンコイン、500円" から、 "300円" へとシフトし始めているとあった。いくら何でも、そいつは間違っていると直感した。こんな無責任な風潮は、商店を潰すだけだからだ。

 ちなみに、事務所の近所に、何と "280円弁当" がある。日頃から安い定食を商っている大衆食堂、今どきこうした名称が通用するのかどうかは知らないが、そのお店が売り出している。散歩がてらに覗いてみると、ポスターには写真が貼り付けてあり、ライスの横に三種類ほどのフライが盛り付けてある。まずまずの体裁である。
 その脇の断り書きには「おかずは店にお任せください。」とあった。そりゃそうだろう。客は、 "280円" であーだこーだと言うべきではなかろう。
 しかし、昼時に、その店の前で行列ができているという光景はあまり見かけない。
 これが、人通りの多いところであったり、高校や大学の傍であったりすればまた別の光景が見られるのかもしれない。だが、なんせ人通りが少ない通りなのである。
 事務所の前の通りは、16号線と並行して一本脇を走るかたちとなる。そんな位置関係からか、右翼の街宣カーも走れば、デモ行進も通る。
 今日は久々に組合団体のデモ行進があった。それと気づいたのは、マイクによるシュプレヒコールが轟いたからであった。
 それも、若い女性と思われる威勢の良いシュプレヒコールだったのだ。それが聞こえてくる前に男性の声も聞こえたが、ややくすんだ響きでさほど注意を喚起しなかった。
 だが、女性の澄んだ元気あふれる声は、仕事中であった自分の関心を十分に惹いた。

「米軍基地再編を撤回せよ~!」
「米軍基地再編『修正』を断固許さないぞ~!」
  "プラス思考(ポジティブ思考)" というコンセプトがあったかと思う。
 物事には裏表があり、プラス面とマイナス面とが表裏一体となっている。そこで、物事を見たり考えたりする際に、プラス面をしっかりと評価しながら考えて行こうというのがそのコンセプトの特徴ではなかったかと思う。
 それはそれで前向きな発想であるに違いない。今でも、然るべきジャンルにおいては、 "プラス思考" で邁進するのが正しいであろう。とかく "マイナス面" に目を奪われると、行動が鈍ることが否めないからだ。 "プラス面" を見ながら、虫がとにかく明るい方向へと飛ぶように行動を起こすことに、概ね間違いはないようだ。

 ただし、ことわざには、 "飛んで火に入る夏の虫" という逆説的な表現もある。つまり、 "明るい方向" が常にターゲットだとは言い切れない......。
 そんな皮肉な視点で "プラス思考(ポジティブ思考)" というものを見直す時、環境によっては、あながちそれが絶対的に良いとは言えないのかもしれないぞ、と感じたりするのである。
 たとえば、最近よく言われるようになったが、 "鬱" 病のような人に対して不用意に "じゃあ、がんばってね" なぞというような "プラス思考" 的エールを送ってはいけない、とかというように。
 考えてみれば当然のことのような気がする。 "明るく、前向きな面" だけを強調していれば何か正解を言っているようなつもりでいたのはやはりおかしい。
 この何日かで、事務所内の "蔵書(?)" を千冊ほど処分したことになる。以前ではとても考えられなかったことだ。これらの書籍を廃棄処分することに、逐一抵抗感を示さずにはいられないはずだったからである。
 それが一変した。現時点での関心の有無、あるいは今後どんなかたちで役立つであろうか、という視点で瞬時に選別し続けたのである。
 また、第一弾で "買取" 依頼をかけたとある業者による査定価格が、とてつもなく低かったことで、現時点での世間相場というものを了解したことも、廃棄処分への "雪崩現象" を誘ったこともありそうだ。
 雨が降り出しそうな曇天である。そう言えば、歩道の植え込みの紫陽花が咲き始める季節だ。普通の "丸坊主" の紫陽花もかわいいが、 "額紫陽花" というのがちょいと気取っているようで目を惹く。今、窓外を見たら、どうやら雨が降り始めたようだ。

 今日は朝から "活動的" に動いた。朝一番には、事務所周辺をウォーキングもした。また、銀行に所用があったのだが、クルマを使わずに徒歩で往復をした。汗をかいてみると、今日は湿度が高く蒸し暑くなりそうだという予感がしたものだった。
 また、これからの天候は、たとえ曇天であろうが、雨天ではない日を上手く利用しなければならないという気がしたものであった。
 そこで、かねてより、処分するためによけておいた古いPC類を "処分場" に運ぶことを思い立った。もう何度となく利用しているが、レンタカーのトラックや、自分のワゴン車にそれらを積み込んで運び込むと、クルマごと重量を測り、わずかな額ではあるが "買取" ってくれるのである。
 昨今は大抵の廃棄物は "処分費" が請求されるご時世となった。その馴染みの "処分場" では相変わらず "買取" ってくれるため、われわれのような業種にとっては実にありがたいことなのである。
 犬などを "調教" する際には、叱ることと同時に "ほめる" ことが重要だそうだ。しかも、上出来の場合には、大げさなほどに "褒める" のが良いとかである。 "条件反射" の構造をしっかりと作ってあげられるからなのであろう。

 今日の新聞記事で次のようなものが目についた。
<「お前、デキるな」でスカッと ほめてくれるサイト評判>( asahi.com 2009.06.02 )というのだが、以下のようなことらしい。
<あなたじゃなきゃダメなの――。「ほめる」をキーワードにしたインターネットのサービスが注目を集めている。「ストレスが吹き飛ぶ」「幸せな気分になれる」などと、会社員や主婦らの人気は急上昇中だ。「成果主義に疲れた現代人は癒やしを求めている」。専門家らはそんな見方をしている。......>(同上)
 モノの価値が圧倒的に低下している。これが現在の景気状態の本質なのであろう。
 今、溜まりに溜まった書籍類を整理しているところだ。第一弾として、300冊以上をまとめてブックオフという業者に回収に来てもらった。査定後に振り込むという段取りであったが、何と "7百数十円" という査定であった。
 今回は、技術書関係で不要なものを選別したのだが、購入時には、躊躇うほどに高くて数千円もしたものも多数含んでいた。それが前述のような額であったから、やや驚いたのだった。

 確かに、現時点での書籍のバリューは地に落ちていよう。新刊本でも中々売れないようだし、まして、中古本となると、嵩張ったものを保管するコストがバカにならないようだからだ。
 それにしても、ひときわ書籍には愛着を持ち、現在でも、新刊本はもちろんのこと、中古本でも目指すものならば購入する自分だ。
 よく、ゴミの回収場所に大量の書籍を廃棄すべく出しているのを見かけたりするが、何とももったいないことだと眉をしかめたりしていた。
 だが、古本屋や前述のような業者に出したところで二束三文だとするならば、当然の成り行きなのであろうか。

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