yasuo hirose: 2009年3月 アーカイブ

 こんな時期、やはり "公務員" というのは気がラクなのであろうか?  "公務員" には "公務員" としての辛い部分もあるのだろうけれど、そう易々とリストラされたり路頭に迷うことになるというような民間企業関係者のようなどんでん返しが無いだろうと思えるからである。
 今は何といっても、 "不安定な雇用" をはじめとして、いわば生存権までが脅かされているような環境である。だから、異次元空間に住む人たちのような "公務員" っていいなあ、と思う人が少なくないのではないかという気がする。



















  "SEO( Search Engine Optimization 「検索エンジン(最適化)対策」)" についてのスタディの一環で、自社関連のサイトを "SEO" の観点で急ぎ見直しをかけているところである。
 このスタディが進むにつれて、痛感せざるを得ないのは、これまでの自分たちのサイト運営が何と杜撰でいい加減なものであったかということである。
 やはり、Google をはじめとした検索システムの環境はわずかな期間の間に飛躍的に進展し、また、これらの進展と歩調を合わせているユーザー側の動きも大きく前進しているようである。
 それだけ、ウェブ環境というものがビジネス一般にとって不可欠な基盤となっているということなのであろう。 "キーワード検索" の課題が、ビジネスに鋭く食い込んでいる実情がひしひしと伝わってくるようである。
 本当に、うかうかとしていると、マメにメンテナンスをしているサイトに水を空けられかねない、と感じさせられる。
  "天邪鬼" が、ふと "いとおしく" 思える気分となった。何とも、はや "天邪鬼" なことである。
 ちなみに、その言葉の意味はというと、<わざと人の言に逆らって、片意地を通す者。>とあり、さらに<昔話に出てくる悪者。人に逆らい、人の邪魔をする。天探女(あまのさぐめ)の系統を引くといわれるが、変形が多い。仁王や四天王の像がふまえている小鬼。>(広辞苑より)
 また、 "天邪鬼" のメジャーデビューは "瓜子姫" とかいう説話だそうだ。あんまり覚えがないが次のような話らしい。
<民間説話の一。老婆が川で拾った瓜から生まれた瓜子姫が、美しく成長して殿様へ嫁入るためのしたくに毎日機(はた)を織る。そこへ天邪鬼が現れ、姫に化けて嫁入りしようとするが、すずめ(その他の鳥)の知らせで露見し、無事に姫は嫁入りする。>
 この話からすれば、やっぱり "天邪鬼" の方が "瓜子姫" よりもおかしくて、興味深い。一番いただけない(?)のは "すずめ(その他の鳥)" だったりして......。そんなワケ知り顔をして "御注進" に及んだりしてはいけませんよ、とでも言いたいような気になる。
 まるで騙まし討ちでも食らったような、そんな薄ら寒い天候となっている。自分はどうということもないのだが、一度は春めいた陽気に恵まれたものだから、植物にしても、また動物たちにしても面食らっているのではなかろうか。桜なぞが気の毒である。併せて、花見を当て込んでいた者たちもお気の毒ということになろうか。
 今頃は子どもたちも、宿題の心配がない春休みのはずであろう。それに、高速道路料金の変更があり、ガソリン価格もひとまず落ち着いていたりするので、ドライブで遠出をしている家族もありそうだ。なおのこと、春めいた天候であったらみんな久々に癒されたであろうにと思ったりした。
 自分はというと、相変わらずの休日出勤をしている。つい先ほどまで、黙々と "地味な作業" に埋没していたところだ。そうした "地味な作業" も、別の目ぼしい仕事の大事な前提となるだけに厭わずにこなしておこなければならない。ただ、こんなことをするために休日出勤をしているのか、と思うと多少いじけ気味とはなる。
 以前に、妙なことを考えたことがあった。もっとも常に妙なことを考えようとしているようではあるが......。
 何かの拍子に、利き腕は右利きの自分なのであるが、左手を頻繁に使って "両利き" となるよう訓練しておいた方がいいのかな......、と思ったことがあった。別にそれで何かをしようと積極的な意図があったわけではなく、もし、右手が不自由になったらさぞかし困るだろうという取り越し苦労の気持ちからだったようだ。
 同様に、昨晩、入浴していてつまらないことに思い至ったものだった。
 掌を握って拳を作り、先ず小指を立てる。次に、薬指を立てる。すると、薬指は立つことは立つわけだが、小指の "直立姿勢" ほどには立たない。角度にしてみると、45度くらいでフリーズしている。あれっ、以前からこんな風だったかな? と、入浴中はヒマでしかないから、妙に悩んだりした。右手と同様に左手も薬指は惨めな日陰者といった状態であることを今さらながら気づく。
 それで、その薬指をむきになってムリやり立てようとしてみると、腕の内側の腱が突っ張るような痛みが走る。まるで、身体の方から、そいつはムリなんですよ、そういうものなんですよ、と諭されているような気分となったりした。
 今朝の通勤時、クルマから見えた西方の山々の景色は実に素晴らしいものであった。残雪の山岳部分だけが、まるでスポットライトを浴びたかのように浮き上がって目に届いたのである。実に神々しい雰囲気を湛えていて、優れたカメラマンが見せてくれるちょっとした映像のような光景であった。
 見とれていては運転の方がおろそかになるので、渋々とわき見を止めたが、気分に余裕があった頃であれば、カメラ、カメラと騒いでいたはずである。
 東京地方の空はどんよりと曇っているのに対して、北や西の方面は雲が切れて、明るい青空となっていた。そうした局地的な天候の差が奇しくも編み出した偶発的な光景だったのであろう。人為的に願っても早々叶えられるようなシーンではなかったと思えた。
  "反俗精神" という懐かしい言葉を思い起こしている。かつては多くの芸術家たちがこの言葉を心と活動のバネにしていたのかもしれない。感性、感覚をマヒさせる "俗っぽい" 事柄から、一歩でも離れ、跳び出し、その汚染から逃れるとともに、未踏の領域に踏み出す意地に満ちていたのであろうか。
 この言葉ですぐに思い浮かべる作家は、太宰治ということになろうか。精神を惰眠に導くだけでしかない "俗っぽい" 事柄への嫌悪感を誇示し続けた作家だったと言っていいのだろう。
 こう書くと、すぐさま、いやそうでもなかったようだよ、結構、俗っぽいところがあったとも聞くし......、というような人が出てくる。
 そりゃ、そうでしょうよ、人間なんだからいろいろな側面があり矛盾してもいるはずだろう。概してどうだったか、あるいは、特に何を志向していたかにこそ注目すべきなのであって、重箱の隅を突付いてヒマ潰しをしたり、他人の揚げ足を取って溜飲を下げようとする者たちこそが、週刊誌的視点そのまんまであり、まさに太宰治が嫌悪した "俗っぽさ" そのものなのではなかろうか。
 ソフトウェア・アプリケーションには、それをディスプレー画面上で走らせる際に概観や使い勝手を変更できるものがある。ソフト機能の実質に変わりはないのだが、 "包装紙" が異なるとでも言うべきか。
 そうした "包装紙" のことを "スキン(skin)" と言うそうだ。
<アプリケーションソフトの外見に関する情報を格納したファイル。
 ソフトによるが、スキンは複数のファイルからなっており、スキンの機能を定義するファイルや画像ファイルが1つのスキンに含まれている。
 スキンを使用するには、スキンを適用するアプリケーションソフト側の対応が必要で、このアプリケーション側の対応機能のことは「スキン機能」などと呼ばれる。>(IT用語辞典 e-Words のサイトより)
 自分も以前、<Windows Media Player>を使う際に、「表示」のメニューで<スキンモード>だの<スキンセレクタ>などというものに遭遇し、何だこりゃ? と首をかしげた覚えがある。
 ほかのアプリケーション、DVD Player などの "画像系ソフト" の操作パネルであったかもしれないが、そこでも同じようなチョイスがあったようだ。
 要するに、 "画像系ソフト" を楽しむ者向けには、機能だけを提供するのではなく、画面の周囲環境であったり、操作パネルであったりというもののデザインセットをも好みに応じて提供する、というもののようである。
 あまりシャープな響きがあるわけではないのが惜しい点ではある。
  "ホープ(Hope)ページ" という "マイ造語" を使ってみようかと思っているのだ。
 もちろん、ホームページ( Homepage )といういい加減聞き飽きて、何の感慨も伴わなくなった言葉に置き換えてみたいがためである。
 本来、ホームページ( Homepage )はそこに盛り込まれた新鮮な情報、ユニークな情報などが、閲覧者に何がしかの感動を与え、そして程度の差こそあれ "希望( Hope ! )" を喚起させてきたのではなかったかと振り返る。
 やはり季節は春になったのだと再認識する。日の出時刻も既に6時台を割り込み、5時40分(東京)頃となっている。昨晩、就寝前にラジオで確認できた。朝方に目覚めた時、6時前なのに外が明るくなり始めているのには気づいたが、もう5時台の半ばに近づいていたわけだ。
 もう一つ、春の季節を感じさせたのは、ウォーキング時の出来事であった。
 このところ土日も出勤を続けているため、境川・遊歩道でのウォーキングを休んだりもしていた。今朝は、川の鯉たちの様子にも心が向いていたので、出かけてみた。
 出掛けから小雨混じりであまり天気が良くなかったが、鯉たちへの餌(食パンの耳のサイコロ切り)を小袋に入れて、 "花咲か爺さん" よろしく出向いた。
 そこで気づいたのであるが、川の鯉たちの食欲がにわかに旺盛となっていたのだ。ちょっと以前には、動きが鈍く、撒いた餌を川の流れで流されるままにしていた時期もあった。また、それらの流れる餌を追うというふうでもなかったから、俊敏なカルガモが遠くからそれに気づき、たちどころに横取りされたりもしていた。
 まあ良く働くものだと自分ながら感心しているところである。
 こんな働き振りが何年も前から始まっていたならば、ちょっとした財をさえ成していたかもしれない(そんなワケはなかろうが)と......。
 今日はまさに春の陽気であった。が、そんな陽気を味わったのも、昼食時に外出した時だけのことであった。しかし、確かにこうした陽気は人に優しい。とかくヒリヒリとして痛んでいるのかもしれない多くの人の心に優しい。何がどうだということはないにしても、ホッコリ(?)とした気分にでも誘ってくれるようである。

 さて、今日もまた "SEO( Search Engine Optimization 「検索エンジン(最適化)対策」)" についてでも書こうかと思っている。
 この間、やたらにこの件にこだわっているのは、仕事上の止むを得ない理由もあるにはあるが、久々に挑戦し甲斐のあるテーマに遭遇したと感じているからかもしれない。
 しかも、 "机上の空論" 的に正体が見えにくいわけではなく、PCやネット環境を駆使するならばかなり "実感" 的な手応えを感じながら立ち向かえるため、遣り甲斐が得やすいと言えるのかもしれない。ちょっとした "知的ゲーム" のようでもあり、 "凝り性" の自分としては、 "嵌まる" べくして "嵌まった" ような対象でもある。
 理論面というか、考察面も興味深いのであるが、いわゆる "チューニング" 作業という面も大いにある。試行錯誤の余地を十分に残した作業対象だと言える。だからこそ、思考回路がそこそこ刺激されて引き込まれるわけでもある。

 毎日欠かさず丹念に(?)この日誌を書き続けている割には、ホームページ(HP)全体のメンテナンスに関しては随分と "ずぼら" なことであったかと反省している。
 しかも、それでいて、最近では "SEO( Search Engine Optimization 「検索エンジン(最適化)対策」)" を云々しているのだから矛盾だらけだ。
 そこで、 "紺屋の白袴" だと揶揄されないように、自社のHPのリニューアルに向けて重い腰を上げることにした。
 正直言って、これまでは "SEO" 的配慮に高を括ってきた。大したコンテンツを掲載しているわけでもないのに、どこかで "コンテンツ至上主義" に居直って、端的に言えば思い上がっていたに違いない。
 また、HPレイアウトやデザインにしても、 "SEO" 的観点で熟慮することなく、好みの見栄えだけでムリなことを平気でやってきた嫌いもある。
 だから、他人(ひと)様にに向かって"SEO" がどうのこうのと言う前に、自社のHPを徹底的に改造して、お手本を示す必要があったと言える。
 追々に手掛けつつ、"SEO" としての効果を実地体験していこうと考えているところだ。
  "SEO( Search Engine Optimization 「検索エンジン(最適化)対策」)" には様々な興味深い方法があるものだ。
 その中でもかなり重要な方法の一つとして、自分・自社のHPについての "サイトマップ" のファイルを "検索エンジン" 側に送信しておくというものがある。
  "検索エンジンロボット" は、24時間、世界中の数多のHPサイトを "巡回" し、各々のサイト内を "徘徊(?)" しながら、そのサイトの "素性" を見回し、めぼしい金品ではなく、情報を収集する。この情報収集によって、あの、われわれが日頃活用している "キーワード検索" が可能となるわけなのだ。
 そして、昨日も書いたように、今や、どのHPサイト側もこの夜な夜な "徘徊(?)" する "検索エンジンロボット" の、その到来を、気持ち悪がるよりも、どうぞジックリご覧になっていってくださいネ、と歓迎しているのである。
 というのも、この "徘徊(?)" = "巡回" によって収集された情報によって、自分・自社のHPが "検索結果" の上位に表示されればありがたいと望むからである。
 これはあたかも、小学校などの先生による "家庭訪問" で、親御さんたちが先生に好印象を与えれば、ことによったら成績評価が上位になるのではないかと過剰期待することと似ていなくもなかろう。
 今さら言うのも何だが、 "ネットビジネス" について考察を突き詰めてゆくと、やはり "SEO( Search Engine Optimization 「検索エンジン(最適化)対策」)" というテーマに行き着くようだ。
 つまり、インターネットで何かをしようとすれば、とにかく自分なり、自社なりのHPができるだけ多くの人の目につかなくてはならない。そうでなければ、どんなHPの内容アップにパワーを割いても報われないことになる。
 そして、今や、ネット・ユーザーの9割以上が閲覧時に "キーワード検索" をして目ぼしいサイトの検索と絞込みを行っているという。
 一頃は、先ずは "ポータル・サイト" なんぞを開いて、その中の関連サイトを当たるようなこともしていた。しかし、 "検索システム" が飛躍的に機能アップしたことにより、ネット・ユーザーはとにかく Google なり Yahoo! なりのキーワード検索システムにお伺いを立てることになった。
 自身の場合を振り返っても、こうした "キーワード検索" によってそれなりに当初の動機を果たすに至っている。しかも、余程のことがない限り、 "検索結果" の上位のサイトのいくつかに飛びついて、疑問なり関心なりが向いている事柄についてのページ閲覧を急いでしまう。
 大前研一氏が的を射た発言をしている。
 <第167回 日本の景気対策に欠けていること(経営コンサルタント 大前研一「産業突然死」の時代の人生論/日経BP社 "SAFETY JAPAN" )>の中から二点ほど引用してみたい。
 その一は、<お金のない人にばらまいても景気はよくならない。使ってくれる人、使う余裕のある人の背中をポンと押す動機をつけるために金を使う。これが、わたしが主張してきた景気対策であり、「心理経済学(講談社)」の要諦(ようてい)である。>であり、その二は、<ケインズ経済学では公的部門が有効需要を創出して雇用を増やし、その結果消費が伸びるという間接的なやり方を説く。しかし、成熟経済が金融危機に陥っている場合には、これでは全く効果がない。米国も日本と同じ轍を踏み、全く効果がないと思われる需要と雇用の創出策に70兆円近い予算を通した。残念ながらうまくいかないだろう。雇用というのは結果であって、目的にしてはいけない。雇用創出を目的とした政策で、先進国で継続的な効果が認められた事例はない。>である。
 技術的な "ちょっとしたこと" に拘ったために、今日は一日の大半を費やしてしまった。結局、未だに解明できず徒労感に襲われている。
 いつものように "ネット検索" のお世話にもなったのだが、これはというヒントも得られず、むしろ、自分の疑問点の方が "ユニーク" or "難易度が高い" or "馬鹿げている" かのどれかなのかと思い知らされることになった。
 ただでさえ何かと気分が急かされているこんな時に、まるで "道楽者のもの調べ" のような按配となってしまったことに我ながら嫌悪感さえ感じている。
 もっと時間を上手く、スマートに使って行かないと、100年生きても間に合わないのではないかと......。
 「私は嘘しか言いません」というフレーズをとあるサイトで見た。
 ちなみに、『雑誌の新聞』という、雑誌記事見出し情報のサイトであり、<AERA [3月16日号] >の<養老孟司の大脳博物館>と題するコラムらしい。
 別に、このフレーズに関する養老孟司氏の意図するところを厳密に吟味するつもりではない。ここでは、養老孟司氏の諧謔性に富んだ視点だけに注目できればそれでいい。
 記事の関係事項として、<麻生太郎首相、定額給付金、河合隼雄>などが挙げられているので、その発言が "ブレる" ことで今や定評のある<麻生首相>を揶揄っているのだろうことは推測可能だ。<河合隼雄>の名が挙がっているのは、ことによったら臨床心理学の観点から "嘘" というものについてアプローチしているのかもしれない。
 そそくさと昼食を終えると、にわかに胃の辺りがしくしく痛んできた。休日の事務所なので胃薬を探すこともできない。鞄のどこかに胃腸薬の残りでも隠れていないかと探したがそれもなかった。ドラッグストアにでも出かけようとも思ったものの、まだ外は雨が降っている。まあ、我慢できないほどの痛みでもないので、無視するほかなかった。
 こうした突然の体調不良に至ると、万事 "お一人様" 的に行動する自分はやや気分が滅入ってくる。先々のことをも含んで考えてしまうからなのかもしれない。
 最近は、救急車を大したこともないのに呼びつける人が多くなったと聞く。確かに勘違いをしている人もいるようだが、要するに、 "お一人様" 的生活をしている人が少なくないということなのではなかろうかと想像した。

 自分の仕事の "進捗" がパッとしないので、情けなくなってくる。とにかく前進していることは確かなのだが、想定する目標イメージに対していかにも遅れをとっている。
 単純な力仕事ではないのだからとか、品質を考慮し過ぎているからだとか、いろいろと弁解染みたことは思い浮かぶ。
 ついでだから、この "進捗遅れ感" とでもいうべきものを槍玉に挙げて書いてみようかと思う。
 多分、自分の "仕事やその他やるべきこと" に関して、この "進捗遅れ感" を感じていない人は少ないのではなかろうか。ひょっとしたら、 "仕事やその他やるべきこと" のみならず、 "やりたいこと" についても同様なのかもしれない。
 とにかく、なぜ自分はこんなにも "処理能力" が劣っているのかと、嫌というほど感じさせられるのが "現代環境" というものなのであろう。
 いよいよ春の陽気となってきたようだ。陽射しの素晴らしさに魅せられて、午後、そんな陽射しの中をウォーキングした。といっても、事務所の近辺の散歩といったところである。それでも、世相にまみれてこびりついた水垢のようなものを一瞬忘れ去るかのような爽快感が味わえた。大げさに言えば、知らない土地へ旅したりするとこんな気分になれるのかなぁ、という情けないことを思った。
 陽気は朝一番から良かったため、今朝は、いつもよりも一時間ほど早く起床した。こういう陽気であれば、きっと朝から気分良く過ごせそうだと思ったからかもしれない。
 もっとも、最近は早目に就寝するようになってしまった。よほど次の日への急ぎの用件でもなければ、うだうだと夜更かしするようなことは避けるようにしている。仕事に全力投球をしなければならない時期に、ムダな疲労を重ねることはないと割り切っているのだ。
 そんなわけで、昨晩も午後11時には、90分サイクルの第一回目の眠りに入っていたはずである。こんなふうに、就寝後、3~4回起きてしまい "フルコース" の眠りがとれない難点が続いており、早寝を心がけているのもそんなところに原因があるのかもしれない。
 今さらのように気がついたが、日が長くなったものだ。特に今日は晴れているためか、もうすぐ午後5時になろうとするが、窓の外はまだまだ明るい。
 この日誌を書く今頃は大分暗くなっていたような覚えがあったためか、改めて日が長くなってきたのだと気がついたまでのことである。
 考えてみると、季節の移り行きは実に "慎ましやか" だ。まあ、TVなどの天気予報番組がうるさく騒いでいるが、それがなければまさに "慎ましやか" そのものであろう。

 そうしたものが実に少なくなってしまった。何でもが "過大なインフォメーション" を随伴させて、そのくせ "前触れ倒れ" のような雰囲気でやって来ては、人々を "期待倒れ" の思いに追い込む。
 これもまた、市場経済と一体化した情報化時代の環境的特徴なのであろうか。 "インフォメーション(情報)" は、消費者の "購買" を引き出すための "撒き餌(魚をおびき寄せるために撒く餌)" 以外の何物でもなさそうだ。言ってみればそれらは、 "オキアミ(オキアミ目の甲殻類の総称。多くは3センチ内外。海産で外洋浮遊性、海鳥・魚類の餌として重要)" みたいだと言えそうである。
 こうした時期だからこそ気をつけなければならないことがあるようだ。
 誰もが "仕事" に飢えている。ますますこの傾向が強まりつつある。そんな時に、唐突に "仕事" の話が舞い込んだなら、大体が嬉々として飛びつくのではなかろうか。
 元来、 "仕事" の受発注は "相互信頼" の関係の上で成り立つ。その典型が、日本では "親会社-子会社" といった親子関係にも模せられる "相互信頼" であろう。
 そうした縦型の関係ではなくとも、 "馴染み" の関係で暗黙の "相互信頼" が培われて問題なく運用されてきたはずである。
  "身体の疲れ" はそこそこムリが利くようである。だが、 "頭の疲れ" の方は、まさに "下手な考え休むに似たり" と言うように、ムリをしたところで効果はなかなか上がらない。肉体労働は、強制的な指示がそこそこ有効でも、頭脳労働というものに強制を加えてもあまり効果が期待できないのと同じことなのかもしれない。
 別に意地を張っているのでもなく、先月から土日の休暇を返上しつつ仕事のはかが行くべく努めている。そんな中で思うことが、身体の疲れと頭の疲れとの違いなのである。
  "カスタマイズ" という言葉をよく耳にする。
 好みや個性、独自性が強調される風潮があれば当然ながら、自己の状況に見合った "カスタマイズ" という "改変" があったとしても何の不思議もない。
 ただ、この "カスタマイズ" というアクションにも一定の "ルール" がありそうだし、そんなウルセェーこと言うなよ、というならば、まさに "自己責任" という杓子定規な言葉を引き受ける覚悟がいりそうだ。
 そうした事情を呑み込まずに、 "自己流" に勝手なことをしておいて、手に負えなくなったら、さぁーて、と言って頼る相手探しに奔走するとしたら、みっともないことこの上なかろう。
 今日も "休日返上" での出社だ。今日は仕事に関する来客のためやむを得ない事情だったと言える。天候が春めいていたこともあり、まあいいかという感触である。
 昨今、ふと感じることは、自分だけでなく世の中のほとんどの人たちがいよいよ "不機嫌" になっていそうだということである。
 逆に言えば、現在のような時代風潮の中で、ご機嫌だったり、明るく朗らかに振舞っている人がいるのかしら......、と思うくらいである。もちろん、営業的立場、職業的立場でそうせざるを得ないケースは除くことになる。
 そうすると、誰も彼もが、 "針ねずみ" のような刺々しい雰囲気で他者と接しているのだろうか......、と想像してしまうのだ。
 確か、こんなことは数年以上前の、小泉政権が欺瞞的に構造改革やグローバリズムの旗印を掲げ始めた頃にも書いた覚えがある。あの時以来、世相はメキメキと悪化し、人々は "過剰競争意識"、"言い知れぬ不安感"、"自己中心主義" などを強め、 "針ねずみ" へと姿を変えて行ったのではなかったかと振り返る。
 鬱陶しい天気が続いているが、黙々と、あるいは粛々と仕事に埋没している。陽気が良いと気が晴れるものの、浮かれがちな気分ともなり気が殺がれそうか。こう悪天候だと窓外に目をやることもなく作業に集中できるので丁度いいのかもしれない。
 今日は比較的気分が良いという自覚がある。たぶん、昨夜の睡眠が "良質" であったからかもしれない。そのひとつの指標となるのかもしれないが、楽しい夢を見ていたようである。 "釣り" の夢である。

 身体の "痛み" というものが、 "脳を介して生じる" ことは知られている。
 つまり、仮に、指先に怪我をしてそこが痛む場合、確かに、怪我をした指先から "痛み" 感覚の元になる "痛みの源信号" とでもいうものが "脳" に向かって発信されるようだ。そして、 "脳" がそれを受け取って "精査・受理(?)" してはじめて "指先の痛み" として自覚されるらしい。
 要するに、 "痛み" の直接的原因は、指先なら指先の患部にあるには違いないが、どうも "痛み" の感覚の実体は "脳" の方にありそうである。
 例えば、怪我をして出血しているために、止血しようと指の根元などを押さえるとする。しかも、度を越して押さえ過ぎて "しびれ" が生じたとすると、当初の "痛み" が和らいでしまったり、消えてしまったりもすることもある。別に怪我が直ったわけではないにもかかわらず "痛み" が頓挫する現象などを思い浮かべると、やはり、 "痛み" というものが "脳を介して生じる" と考えざるを得ないのかもしれない。

 今日は朝から気分が良い。昨夜から気にしていた技術的作業のとある問題点を、朝一番の作業で "楽勝" してしまったからである。
 それで、ヨカッタ、ヨカッタで早々と通り過ぎても構わないのだろうが、むしろこうした推移は後日のためにも書き留めておいた方が良さそうだと思い至った。
 問題の周囲や前後、そしてその解決に向けた着眼点、さらにその解決に至った試行錯誤の実情などについて振り返っておくことにした。
 昨日は天候も良く、そうしたこともあってか実に気分良く仕事ができたものだった。それに比べて、今日は、天気も最悪ならば、気分の方も優れず、おまけに仕事に関してもパッとしない。
 天候の方にもそう言いたいが、一体、この山から谷へのような急激な変化というのはどうしたことかと思う。
 そうした天候に引き摺られる "お天気屋" の自分の気分にも呆れているが、ことによったら若干の体調の崩れが災いしているような気がしないでもない。何しろ、先月はやや力む調子で土日の休暇を吹っ飛ばしてきたのだから、相応に疲労やストレスが溜まっている可能性はあろうというものだ。
 やはり晴れた陽気は気分が良い。何がどう好転していなくとも、明るい陽射しと青く澄み渡った空は、なぜか、捨てたものでもないよ、という気分を支えてくれる。
 そんなことで今朝は、しばらく見渡すことができなかった遠方の山々の稜線をも目にすることができた。通勤時のクルマからの眺めである。例年に比べて、積雪が少ないためか、雪を被った部分とそうでない部分とが可愛らしく美しいコントラストを作り出し、この時期ならではの山岳の存在感を示していた。その光景は、今日も精一杯やるべし、というそんなエールを送ってくれているようでさえあった。
 冷え冷えとした天候であるが、今日から三月だ。二月はあっと言う間に過ぎ去った感じがしている。課題の大きさから比べれば甚だ物足りない成果でしかなかったが、この時期の貴重な時間を先ずは気力で埋め尽くした感がある。
 無意味な "不安感の泥沼" に足を取られなかっただけでも上首尾であったと、とりあえずは自足しよう。この調子に弾みをつけて、課題に対してとにかくベストを尽くして挑もうと思う。まさに今こそ "一心不乱" な姿勢での力の発揮を仕出かしたい。

 恐らくは、今現在、自分のような心境で張り詰めた気持ちでいる人々が決して少なくないのだろうと推測する。置かれた状況の違いによって、いま少し余裕のある人もいるだろうし、また逆にいま少し追い込まれた心境に至っている人もいるかもしれない。
 しかし、五十歩百歩の程度の差こそあれ、今回の "得体が知れない危機" が、個々人の生きる未来を存分に脅かしている事実は共通しているかと思われる。

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