yasuo hirose: 2010年2月 アーカイブ

 今日は一日、 "チリ地震津波情報" が列島中を震撼させ続けた。住民や船舶関連などが避難行動で割いたエネルギーは決して小さくなかったようだが、悲惨な大被害に見舞われずに済みそうなのが何よりも不幸中の幸いだと思われる。ただ、まだ第二波への警戒は解除されないようではあるが......。
 それにしても、太平洋を遥かに挟み何千キロと離れた地域での自然現象が、一日ほどの時間のズレはあったものの、その "対岸" である日本列島に確実なかたちで影響を及ぼすという自然現象の因果連関には目を見張らざるを得ない。
 50年以前にも、今回と同じ "チリ地震津波" が宮城県三陸沿岸に甚大な被害を及ぼすという過去があった。当時の状況、つまり被害を受けるに至る経緯がどうであったのかはよく思い出せない。少なくとも、今回のような "リアルタイム性" に満ち満ちた状況ではなかったのではないか。



















 湿気を含む空気だと "臭い、香り" が伝わり易いのだろうか。梅の花の香りまでは漂ってこないが、周辺の植物などの何気ない香りが漂い、そんなことからも気候が変わりつつあることを知らされる。
 今日も小雨となっているし、どうもここ一週間ほどは雨模様が続くようだ。冷えた空気での雨というのはいただけないが、気温が10度前後での雨(春雨?)だと、気分にも "潤い" めいたものが与えられるような気がしている。
 冷たく乾燥した空気だと "臭い、香り" を運ぶこともできないのだろうか。よくはわからないが、それらの要素は一定の気温と湿気とともに漂い、人や動物の "嗅覚" に届くのかもしれない。そう考えると、これからの季節、とりわけ小雨混じりの日々などは、植物たちが織り成す春の香りが気分を和ませてもくれるのだろう......。

 あえて、 "臭い、香り" にこだわるのは、これらが "記憶" を呼び覚ます重要な刺激だと実感するからである。この点はかねてより体感的に気づいていたが、どうも少なからぬ脳科学者たちもこの事実をあちこちで指摘しているようだ。
 記号情報で飛躍的発展を遂げた人間も、動物としての基本構造は、今なおしっかりと内蔵しているわけであるが、その動物たちにとっては、 "嗅覚" は重要な "生存ツール" のはずであり、その関係から "嗅覚" にまつわる "記憶" はかなり刻印が深いのではなかろうかと推測できる。
 先日も、南極の皇帝ペンギンたちの生態に関するTV番組を観た際、彼らが何千、何万組という数の親子の群れの中でその固有の関係を識別するのが "臭い" だと伝えられていた。 "臭い" と固体のアイデンティティ(ID)とが一体化しているのだと了解される。 "DNA鑑識" の水準にも匹敵する "嗅覚" パワーが動物に内在しているのは、ただただ驚かされるばかりであった。
  "内なる声(Inner voice)に耳を傾ける" という表現が、ふと思い浮かんだ。 "瞑想" というほどのことではない。ただ、 "外界" ( "過剰情報環境" )と距離を置くなり、暫時、遮断するなりして、 "静寂" の内に身を置いた時、何かが起き上がってくるのか、それとも何ということもないのか......。
 考えてみると、睡眠というのは、ある種、暫定的な "外界" 遮断環境だと言えるのかもしれない。そして、そこで見る夢というのは、一種の "内なる声" と言えないこともなさそうだ。とは言うものの、その夢という "内なる声" は、特有の、一筋縄では行かないロジックで構成されていそうだから、通常の声、つまり覚醒時の思考の地平へ拾い上げる、即ち "コンバート(変換、翻訳)" することは難題であろうが......。

  "過剰情報環境" に日常的に身を置くわれわれには、そうした喧(かまびす)しい "外界" はあっても、もはや "内なる声" が発生するような "内面" というようなものは無いのであろうか......。いや、無いというのは語弊がありそうだとすれば、 "目を向けるに値しない" ほどの地盤沈下にでも陥っているのであろうか。
  "内なる声" の象徴との扱いを受けてきた "良心" という言葉にしても、昨今ではタテマエ的に引き合いに出される( "宣誓" ?)ことはあっても、その機能的価値は風化している気配がする。 "法的規制" であったり "衆目" といった、いわば "外的(社会的)存在" が有効性を持っているのが実情のようにさえ見える。本来を言えば、人間の "良心" というものが想定されない、そんな社会は "底が抜けている!" と見なされて然るべきなのだろうが......。

 知らず知らずのうちに、ネットでの "ブックマーク" システムを愛用するようになっている。まあ、別に目新しいことではなく、今や多くのPCユーザーが利用しているシステムであろう。
 ちなみに、活用しているのは<はてなブックマーク>であり、ちょいと概要を引用すると以下のとおりだ。

<■ はてなブックマークとは
 後でもう一度見たいページを保存しておくブラウザの「ブックマーク」。通常コンピュータの中に保存されて他の人の目には触れられることがないブックマークですが、これをウェブで公開し共有すると、これまでになかった新しい体験を味わうことができます。
 はてなブックマークはオンラインにブックマークを保存する便利なオンラインブックマークツールであると同時に、そのブックマークを公開し共有することで新しい情報体験を提供する、ソーシャルブックマークサービスです。はてなブックマークを利用することで、ウェブ上の一つ一つの情報をより深く消化することができるようになり、また有用な情報をより少ない時間で見つけることができるようになります。
より具体的には、はてなブックマークは以下のように利用することができます。

■ ウェブがあればいつでもアクセスできる、個人用のオンラインブックマークツールとして利用できます。
■ ブックマークを公開できるので、はてなブックマークのユーザー同士で話題/感想を共有するコミュニティとして利用できます。
■ 旬なニュース、面白いネタ、役に立つ情報を見つけるためのメディア、情報源として利用できます。
>(「はてなブックマーク ヘルプ」より)

 今日は待ちに待った春めいた日となった。気温も10度を上回り陽射しも暖かい。戸外が心地良いというのは、萎縮しがちな心持ちが解きほぐされるようでありがたい。
 そんな陽気の良さとともに、どうということもないのだが、ここしばらく拘泥してきた一台のPCのチューニングがやっと手離れするようになり、これもまた気分解放のひとつとなった。
 完了することにさしたる意味があったわけでもないのだが、当初思い描いたゴールに達しないのがなんとも気分が悪く、拘り続けてきた。途中で放り出す気になれず、そのうち次第にむきになり始めたから始末に負えない。
 さらに、こんなことが上手く行かないでどうする、といった調子の脅迫観念のようなものが立ち上がって来て気分を一層急かすのだ。 "悪い心理パターン" そのものである。
 どうも最近は、自縄自縛的に、いや下手をすれば自虐的に自分の気分を追い込んでいるようでまずい。 "まとまった規模のターゲット" を見失い、手元の細々とした茶飯事に視野を狭めているからだろうと了解はしている。

  "先手必勝" という眩(まぶ)しい言葉がある。 "攻撃は最大の防御なり" という勇ましい言葉もある。万事、これらの言葉のごとく振舞っていられたら、さぞかし気分は爽快で、持てる力も100%以上に発揮できるはずだ。それが人間というものだろう。
 その逆に、 "守り" の姿勢に引き篭り始めて、なおかつ打つべき手も "後手後手に回る" という湿った感じの循環に足を踏み入れると、どういうものか万事が "裏目裏目" に出始める。誰もが何度も経験している成り行きのようである。
 個人的な昨今の心理について書いているわけだが、こうした雰囲気、空気に浸され、支配されつつある職場や組織も、昨今では決してめずらしくないのかもしれない。
 なんせ、今の時代環境は、何が希薄かといって、 "まとまった規模のターゲット" が設定しにくくなっていそうだからだ。いや、絵に描いた餅のような荒唐無稽な "ターゲット" ならばスイスイと並べ立てることもできよう。問題は、相応の実現可能性を宿した "ターゲット" なのである。
 やはり、 "Windows Vista" は "重過ぎる" 。別な言い方をすれば、 "オーバーヘッド" (「間接費」と言う意味から転じたコンピュータ用語。あるコンピューターの処理を実行するのに付随する作業を指すもので、処理に時間がかかるようになるなど、システムの負荷になるものを指す。)が大き過ぎる。
  "Windows 7" が登場しているのに、いまさら "Vista" というのは、テンポが一周遅れにズレてはいる。これまで、 "Windows Vista" は "重過ぎる" という評判のため、本格的に使うのは敬遠してきたのだ。が、たまたま手元にあったプリインストール版のPCを使うことになり、いろいろとチューニングをしてみると、やはり噂どおりの "重さ" を痛感したのである。
 自分はどちらかと言えば、PCは "重装備" であるよりも、頻度高く使うアプリケーション・ソフトがサクサクと軽快に稼動する、そんなOSに好感を抱く。だから、今でこそ "Windows XP" を常用OSとしているが、ちょいと前までは "Windows 2000" を愛用していた。
 アプリケーション志向の立場に立つと、上位OSに乗り換えた時、必ずしも従来使って来たアプリケーション・ソフトが、そのOSに対応しているとは限らないのも、ホイホイと乗り換えたくない理由のひとつであった。

 「減」とか「減少」という漢字が、 "耳たこ" ならず "目だこ" (?)となりそうな昨今である。
 今日も、 <09年の広告費初の2ケタ減、年間実績でネットが新聞上回る>( 2010.02.22 NIKKEI.NET ) とあった。
 景気低迷で "広告費" が削られていることは周知であったが、かなりの低迷ぶりのようだ。
<電通は22日、2009年の国内広告費が前年比11.5%減の5兆9222億円になったと発表した。減少率が2ケタ台になるのは1955年の調査開始以来初。2年連続のマイナスとなる。調査開始以来初めてインターネット広告(96年分から集計開始)が新聞広告を上回った。新聞、雑誌、テレビ、ラジオの「マスコミ4媒体」は軒並み減り、全体では5年連続で前年実績を下回った。インターネット広告はプラスとなったものの、伸び率は大幅に縮小した。......インターネット広告は7069億円で1.2%増えたものの、伸び率は08年の16.3%から15.1ポイント縮小した。......>(同上)

 昨日まで "選挙カー" からの "連呼" がうるさくてならなかった。が、今日はその "投票日" なので、戸外はすっかり静まり返っている。
 今日の投票は、 "市長" と "市議会議員" とのダブル選挙であった。ひとつの争点は、途方もない巨額な支出となる "新市庁舎" の建設如何ということであった。
 昨日も、書いたばかりである。こんな時期なのだからすべからく「ゼロ・ベース」スタンスが必須だと。
 しかし、どうも既存の首長たちは、どこからどう影響を受けるのかは知らないが、巨額な "箱もの" 投資に執着するようである。地域経済への波及効果を言いたいのかもしれないが、どうなのであろうか、旧来型の、 "箱もの" をターゲットとした "公共投資" はこの時期、有効な経済的波及効果が望めるのであろうか。
 おそらく、 "公共投資" というものが何らかの波及効果が出るのは当然であろうが、目を向けるべきは、この時期ならではの "コスト・パフォーマンス" 課題なのだということではなかろうか。
 効かないクスリというものが少ないことを良いことに、とかくクスリの処方でお茶を濁す "藪医者" のようであっては困るわけだ。クスリは効くのと同程度に "副作用" という面の問題もある。同様に、 "公共投資" での巨額支出が、将来への "重い負荷" となる事実を、一体どの程度斟酌されているのかが大いに気になるわけだ。

 あらゆる組織が "財政難!" に陥っている現在、国と言わず地方と言わずあらゆるレベルの経営組織で、 "次年度予算" の編成が "すったもんだ" の騒ぎとなっている。
 そんな中で飛び交うのが、「ゼロ・シーリング」や「ゼロ・ベース」という用語であろう。泣く子も黙る(?)「事業仕分け」という言葉もあるが......。
 「ゼロ・シーリング」とは、予算編成において歳出規模の抑制を図るために、予算要求について限度枠を設ける「シーリング方式」のうち、概算要求を対前年度同額に抑える(=増加額ゼロ)という意味だ。
 また、「ゼロ・ベース」というのは、前年度の実績を考慮しないで、すべての予算項目をゼロから査定していく予算管理方式だとされている。
 いずれも、 "従来通りには行かないよ!" という緊縮姿勢が基本となっているわけだが、前者の「ゼロ・シーリング」は、厳しいようではあっても、前年度の実績額がキープされての話だからまだ "甘い" と思える。
 それに対して、「ゼロ・ベース」の方は、まさに "ガラガラポン" とでもいうようなハードボイルドな厳しさが伴い、「事業仕分け」というのはこの典型なのかもしれぬ。

 保育園児たちの "耐寒(?)歩行" に今朝も出会った。遊歩道をウォーキング中のことである。
 行列を導く先頭の女性の先生が、「こんにちは~」と挨拶してくれたので、こちらも元気よく「こんにちは~」。すると、自分と行き交う後続の子どもたちが、バトン・リレーのように「こんにちは~」、「こんにちは~」と続いていくのであった。したがって、自分の方は延べ数回以上の挨拶を繰り返すこととなったものである。
 まるで、首相か大臣の "閲兵式" まがいである。微笑ましく、可愛いかったので何も惜しむことはなかったが、何とも忙しい思いをした。

 何の屈託もなく見える子どもたちも、それぞれが "特殊な環境と運命" の下に置かれているわけだ。親元ではわがまま放題にしているために、とかく集団生活での "拘束" を嫌がり、登園時にも "駄々をこねる" 子もいるのであろう。
 かと思えば、 "嬉々として" 登園する子もいそうである。保育園では、友だちと一緒に遊べるのに加えて、自宅ではままならなかったかもしれない "おやつや給食" が "うれしい" という子もいないとは限らない......。
 われわれの世代では小学校の頃、そんな "恵まれない子" もいたものである。何かの都合で給食が実施されずに "弁当持参" の際なぞ、そっと教室から抜け出して "ぽつねん" と校庭で暇つぶしをする子がいたりもした。まだまだ(戦後からの) "貧困" が色濃く "残存" していた時代の一光景であった......。

 何かを思い浮かべた時、 "いやぁーな感触" が訪れるということがしばしばある。
  "こいつ" はあまりよい症状(?)ではないと思いつつも、そうした心理・思考状態に陥りがちである。
 よく、脳科学者などが言うのは、 "楽しいことだけ、好きなことだけ" を考えなさい......、という正論である。脳活動が正常なフル回転状態となるのは、まさにそうした場合なのだろうと納得はできる。
 しかし、一般の生活者にとってこれは至難の業であるに違いない。
  "楽しいことだけ、好きなことだけ" に没入していたら、職場であろうが家庭内であろうが、大変な顰蹙(ひんしゅく)を買うに決まっているからだ。
 どうしたって、苦楽や好き嫌いに関係なく、 "やるべきこと" を想定し、それに腐心していかなければ生活現場の市民権を失うことにもなりかねない。

 そして、言うまでもなく "やるべきこと" というものは、大体が "楽しいこと" ではなく、また "好きなこと" でもない。それだけではなく、通常、 "困難さ" が絡み付いていたりするわけである。すると、どうしたって、 "いやぁーな感触" が巻き起こされたりもして、まともに考える前から "敗戦" 心理状態(?)に追い込まれたりもする。
 こうなると、そのネガティブな心理状態を修復することだけで手一杯のようにもなる......。要するに、 "問題先送り" を決め込むという成り行きになるわけだ。
 まあ、この時点で、勇気を振り絞ってみてもなかなか脳活動の方がついて行かないから、 "下手な考え休むに似たり" なのであり、 "問題先送り" に落ち着く方が無難な場合もありそうだ。
 今朝、とあるラジオ番組のゲストが言っていたこと。
「悪いことが起きるのは、良いことが起こる前兆......」
というような意味だったかと思う。
 なるほどなぁ、と思ったものである。こういうふうに、何事も "前向き" で捉えようとするならば、きっとそうなる確率は高まるに違いなかろう、と自分なりに "咀嚼(そしゃく)" したわけである。
 たとえば、身体に生じる "痛み" にしたところが、その "痛み" 自体は悪いことだと言わざるを得ないだろう。だが、それが "アラーム" となることによって、治療や治癒や回復に向けた次のステップが始まるというものだ。
 また、 "ピンチはチャンス" という言葉もわれわれはしばしば耳にしている。
 これらの "前向き" な発想を、いやぁ、これらは、落ち込んだ者への励ましの言葉、気休めの言葉に過ぎないのさ......、と醒めた目で見るのもひとつの見識であるには違いない。しかし、......。
 先日、PC関連の不具合について "Google" で検索し、3件ほど手を焼いていたトラブルを解消することができた。ネットの価値が再実感できたというところか。
 現在のIT環境では、使ってみてわかる、つまり経験上の知識の役割というものが小さくない。だから、こんなトラブルを経験した人はどうやってそれを解消したの? という観点で検索してみると、意外にヒントとなる情報が得られて、それをうまく活用すると効果的でありそうだ。
 今回の3件も、いわば "イレギュラー" なトラブルであり、同じ経験をした人はいないかなぁ、と思ったが、さにあらず、関係ありと思われる "Q&A" から重要な "ヒント" を得て目的を達するに至った。
 そのひとつは、日本語サイトにはなく、中国のサイトであったが、サイト翻訳の助けなんぞを借りて概要が掌握でき、不可解なトラブルの原因も確定することができた。
 時々、 "うなされる" (?)ような夢を見て目を覚ますことがあるものだ。
 今朝も "その種の夢" で起こされてしまった。人から恨まれるようなことはしていないなぞと自信を持って言えるわけでもない。が、それよりもやはり "ストレスの過剰蓄積" なのかもしれないと思った。
 夢の内容はこうなのだ。(他人の夢なんぞと思う人は遠慮なくパス!)
 何かのセミナーの講師を仰せつかって、とある会場(どうも市街地ではなく山間部の気配であった......)に行き、そこはどうにか無難に済ますことができた。そこまでは良かったのだが、実は翌日にも同じような予定が入っていたのである。連ちゃんということで、クルマで前日泊のためにそこへと出向かなければならなかったのだ。そして、誰が仕掛けたのか、そのプロセスが信じられないほどの "もたつき" 状態だったというのが趣旨なのである。

 先ず、会場を出ようとした時、
「先生、そこまで送りますよ」
と、主催側スタッフが近寄って来たのだ。何かそぐわない気がしたものの、
「せっかくだから、お願いします」
と能天気に応じる自分であった。
 そして、車内で何だかんだと話をして時間が過ぎ、
「で、先生、どこまでお送りすればいいですか? 駅でよろしいですか?」
ときたのだ。その時だった。自分がクルマで来ていて、会場近くの駐車場へ向かおうとしていたことを思い出したのである。何ともマヌケなことである。
 恐縮しながら事情を話して、だいぶ走った山道をまた戻ってもらうことになった。が、その戻り道で、よりにもよって狭い道路で対向車と遭遇したりしてひと悶着、二悶着あり、元の駐車場についた時は、とっぷり日が暮れようとしていた。
 やれやれ、と思い、自分のクルマに乗り込み、さぁて、目的地にはどうやって行けばいいのかな......、と暢気に地図を広げたりする。これもまた信じられない話であったのだが、目的地までのルートを定かには認知していなかったのである。
 クルマのそばに寄ってきた先ほどのスタッフが、これまた言ったのである。
「で、先生はどこまでいらっしゃるのですか? 」と。
 どこどこです、と自分がいったのだろうと思う。すると、
「ええっ、随分遠くですよね......」と言って、その彼は、自分のクルマからロード・マップを取って戻ってくる。
 地図を見ると、現在地から延々と離れているのがわかり、ヒヤリとする自分であった。外はますます暗くなって、もはや夜と言うしかなくなっていた。
「どの位の距離だろう?」
と尋ねた自分に彼は答える。
「三、四百キロはあるんじゃないですか? 夜道はわかりにくいでしょうし、これからじゃ大変ですね。なんなら、今晩はこちらにお泊りになってはどうでしょう? 」
 これを聞いて、そうは行かない、前日泊のホテルも予約済みだし、明日の朝ここを出ても間に合うわけがない......、ああどうしたものか......。
 こうして、さんざん途方に暮れ切ったところで、ようやく目が覚めたというわけなのだった。
 何とも、あほらしく、残酷で、また惨めな夢であった。
 これを、 "ストレスの過剰蓄積" と言わずして何と言おうかと思いながら、起きたついでにトイレへと向かっていた......。
 おまけに、そんな "あほらしさ" で始まった今日一日は、案の定、トラブル続きの一日だったから恐れ入る...... (2010.02.15)

  "喉の痛み" がうそのように治った。医者からペニシリン系の "抗生物質" をもらい、一日分を飲み終えた今朝、ものを飲み込む際の痛みがほとんど消えていたのだ。
 痛み発症から三日目、市販の風邪薬を飲み続けていたが遅ればせながら何の効果もないことを知った。 "何か間違った選択" をしているのではないかと思い始めたのである。
 つまり、これは風邪から来る症状ではなく、 "扁桃腺" 自体の "炎症" だろう......、と。そう考えると、ここしばらくはご無沙汰していたが、幼少の頃から何回となく "扁桃腺炎" に罹っていたことが思い起こされたのだ。
  "扁桃腺" とは "リンパ腺" の一種で、外部から浸入する "菌" を食い止める "関所" のような存在のようだ。そして、その "菌" は風邪の原因物質とは異なっているようで、これらを撃退させるには、 "抗生物質" しかない。かつて、そんな経験をしてもいたのでもっと早く思いつくべきであった。が、手抜かりであった。

 そう言えば、古い話だが保育園に通っていたような幼少時に、頻繁に "扁桃腺炎" に罹っていて、何やらとてつもなく "痛い手術" をしたような覚えも残っている。
 別に、犬のように "拾い食い" をする習性はなかったはずなので、どういう経路で口に "菌" が混入するのかはわからない。ひょっとしたら、自分の "扁桃腺" 自体がやや "弱い" のかもしれない。いわば "関所" に詰める役人たちが皆ひ弱な腕前の者たちばかりであり、 "賊" が侵入するとすぐに大騒ぎのパニックとなってしまう、といった具合のようである。そして、 "関所破り" の狼藉者たちに対しては、 "火付盗賊改メ" とも言うべき機動隊ならぬ "抗生物質" がお相手するしか手がなさそうなのである。

  "バンクーバー冬季オリンピック" の開会式、カッコ良かったなぁ。
 <自分は "猫系人間" なのだろうか "ウインタースポーツ" にはまるっきり縁がなく......>なんぞと斜に構えていたが、あの "オープニング・フィルム" は実に感動的であった。 "スノー・ボーダー" の巧みな滑りに目を見張ったわけだが、それも含めて "(空撮)フィルム" 全体が素晴らしい構成、出来映えだと感じさせられた。

 最初に都市や港の風景があり、ものすごいスピード感を持って山岳地域へと移行し、そして荘厳さを漂わせる険しい雪山へとあっと言う間に観る者たちを運んで行く。
 そして、山頂に立つ一人の "黒尽くめの忍者" (?)の姿をキャッチする。 "命知らず" の "スノー・ボーダー" である。
 その姿は、どこか違うのだ。某時代劇大河ドラマでのオープニング・ショットで、まるで "山頂に置き去りにされてしまった" かのようにも見えた男の図とはどこか違って、いかにも "やりそう" である。
 と、心配顔で観ている者(自分のことです)たちを置き去りにして、その "黒尽くめの忍者" は、何の躊躇もなく急傾斜の雪面へと飛び込む。ああーっ、やっちゃった、とんでもないことをやっちゃった。とすれば、行き着くとこまで行くっきゃないな......。
 しかし、まあ大丈夫なんだろう、これは "ライブ画像" ではないはずだから、コケることろなんぞ収録しないだろうから......。が、それにしてもこんな光景は "映画007" の雪山での "追っかけっこ" 場面以来となる。
 日本人の"言語力"の衰えが、各方面から指摘され続けている。確かに、そうした実感は打ち消しがたい。
 何をもって"言語力"とするのかという点から議論は分かれる可能性はある。
 ちなみに、 "言語力" とは、
<●情報を整理する
 ●考えを組み立てる
 ●根拠を示して説明する>( ex.<「"言語力"が危ない~衰える 話す書く力~」/NHK『クローズアップ現代』NO.2822/2009.11.25>)
である、と平たく考えてみよう。

 ここで注目したいのは、これらの構成要素の背後にあるものなのだ。
 図式的に整理してしまうと、<●情報を整理する><●考えを組み立てる>という前二者は "個人としての思考力" を表しており、後二者の<●考えを組み立てる><●根拠を示して説明する>は、 "(人間)関係性" を照らし出しているかに思える。
 つまり "言語力" とは、「 "個人としての思考力" × "(人間)関係性" 」である、と見なしても間違いではなさそうである。
 もちろん、両者は別個にあり得るものではなく、まさに "不即不離" (二つのものが、つきもせず離れもしない関係を保つこと)の関係にあると思われる。
  "言語力" とは、 "流れるような口調" で "通り一遍" の "紋切り型" コミュニケーションを仕出かすことではなさそうな点に目を向けたい。そうすれば、 "個人としての思考力" の側面の重要さが自ずから見えてくる。
 かと言って、周囲の誰にも理解されないような "孤立" と "唯我独尊" の状態で "個人としての思考力" にしがみついたところで、 "言語力" どころか "思考力" さえもが "痩せ細り、根ぐされ" を起こすのも目に見えていよう。

 今日のような悪天候では、 "寝休日" とするか、暖かくした屋内で "手作業" なんぞに没頭するかしかなさそうだ。自分はその両方で寒くて鬱陶しい休日を過ごした。
 昨日からの喉の痛みは、どうも扁桃腺炎のようであり、ものを飲み込むと相変わらず痛みを覚える。そんなことで、今日は風邪薬を飲んで "寝休日" を決め込むことにした。
 一応、朝に起床はしてみたものの、戸外の冴えない天候に見切りをつけることとした。こんな日にわざわざ寒さに立ち向かって、風邪を拗らせることもなかろう......と。ただ、外猫たちもさぞかし寒かろうと、湯たんぽの取替えだけはしてやることにした。

 風邪薬が効いてかすっかり午後まで寝込んでしまった。再度、強引に寝込むという手もあったが、起きて "手作業" なんぞをすることにした。
 常用のPCに、メンテ作業の仕掛かりがあり気になっていたからだ。 "HDD(ハードディスク)換装" をしようとしていたのだ。
 このところ、どうも "HDD" が不調気味であり、なおかつCPUの速度が活かし切れないモタツキも感じていた。容量が小さく、古い "HDD" を使っているとどうしてもこうしたストレスが避けられない。
 そこで、現行 "回転数5400rpm" の "HDD" を、 "回転数7200rpm" のものに載せ換えようとしていたのだ。
 昨今は、処理速度アップのために、 "HDD" 内ファイルを "整序" するという "デフラグ" 機能が一般化してきたが、もちろんこれも処理速度アップに効き目はある。しかし、よりスムーズな処理を望むのならば、より "回転" の速い "HDD" 本体へと換装するに越したことはないのである。
 大体、ノートPCの多くはコスト面からということなのであろうが、出荷時の "HDD" は "回転数5400rpm" というのが定番のようだ。メモリの増設によってもスムーズ感は増すものだが、自分の経験では "高速回転" 、"大容量" の "HDD" に交換するという選択が最も効果的なようである。

 昨日、今日の "寒暖" の差は "10度以上" にもなっている。気温の変動なぞどうということもなかろうと高を括っていたが、身体の方が敏感に反応してか、喉に痛みを覚える。風邪や扁桃腺炎でなければよいがと、念のため風邪薬を服用しておく。

 どうやら、昨日の春めいた陽気はとんでもない "嘘" であって、この二三日うちには再び降雪もありそうだとかである。まるで、どこだかの党のマニフェストさながらの "フェイント" みたいだ。

 それにしても、異常な寒波が影響しているのか、米国東部ではひどいことになっているようだ。東海岸は1947年以来の豪雪に見舞われ、首都ワシントンでも先週末から88年ぶりという大雪が降っているらしい。
 こんな冬本番だからこそ盛り上がるのであろう、12日から始まるのが "バンクーバー冬季オリンピック" だ。
 自分は "猫系人間" なのだろうか "ウインタースポーツ" にはまるっきり縁がなく、アイススケート靴はともかく、自慢ではないがスキー板には乗ったことがない。多分、このまま一生スキーを経験することはなさそうだと肩身を狭くしている......。
 したがって、 "犬系人間" の方たちがはしゃぐのであろう冬季五輪というものにはいまひとつ他人事となっている。ただただ、また "雪かき" しなくちゃならないのかい? と、どんよりとした天を仰いで憂鬱な気分となったりしているのだ...... (2010.02.10)

  "ソブリン(sovereign)リスク" という経済用語が不気味に飛び交っている。
 今日のロイター通信でも、
<東京株式市場・大引け=4日続落、欧州ソブリンリスクなど嫌気し利益確定売り>([東京 9日 ロイター])とあった。8日の米国株式市場でダウ平均が終値で昨年11月以来の "1万ドル割れ" となった事態の足元にも、この "欧州ソブリンリスク" への懸念が横たわっていたとも言われている。
 この "ソブリンリスク" と並んで目にする、これまた気味の悪い用語に "デフォルト(default)" というものもある。
 PC関連分野でも、 "デフォルト(default)" という用語があり、これは、プログラムに与えるべき値をユーザが設定しなかった場合に採られる既定値のことであり、転じて、製品出荷時設定を指したりする。
「この部分の設定はよくわからないから "デフォルト" のままで行こうか......」となるわけだ。これは、実に "平穏" な空気の話である。
 しかし、金融経済用語としての "デフォルト(default)" とは、要するに "債務不履行" という、実に "険しい" 空気の話となるのだ。 "何もしない状態" であることは共通していても、その結果、 "大損害" や "怪我人、死者" までが出かねないわけだ。

 人間と人間とが通常の "言葉" を介した会話ではなく、 "脳" を対象とした(脳波やその他の)測定機器を介して「意思疎通」や「会話」をするという可能性はいろいろと試されているようだ。
 先日は、<脳内の無意識の記憶データとの "交信" とも言える "脳指紋=脳波P300" >という実に興味深い事例について書いた。( ex. 2010.02.04)
 今回は、 "意識が無い" と目される、いわゆる "植物状態" と思われる人との "交信" 、「会話」に関する報道記事である。

<植物状態の人と「会話」 質問に脳が反応、分析 米医学誌掲載
【ワシントン=勝田敏彦】交通自己や脳卒中などで脳が損傷し、意識がないと考えられている患者との間で、機能的磁気共鳴断層撮影(fMRI)を使って「会話」することに、英国とベルギーの医療チームが成功した。声をかけても反応がみられないことなどから「植物状態」と診断された患者にも、意識がある可能性を示している。
 3日付の米医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン電子版に論文が掲載された。
 医療チームは、植物状態またはそれに近い「最小意識状態」と診断された患者54人に「テニスボールを打つところ」「自宅の部屋を歩いているところ」をそれぞれ想像するよう口頭で指示し、fMRIで脳の活動を調べた。
 すると、多くの患者の脳は無反応だったが、5人だけは脳に障害がない、健康な16人と同じ反応を示し、意識があるらしいことが分かった。
 チームはさらに、交通事故で植物状態になった男性との会話を試みた。「兄弟がいますか」といったいくつかの質問に対し、「はい」ならテニスを、「いいえ」なら自宅を創造するように指示したところ、男性は正しく回答した。
 研究から、植物状態の患者との間で一定の意思疎通ができる可能性が示されるが、治療の継続を望むかどうかを患者に尋ねたりすることには、倫理的な課題もありそうだ。
 「全国遷延性意識障害・家族の会」のウェブサイトによると、日本で植物状態の患者は一万五千~二万七千人と推定されている。>(2010.02.06 朝日新聞夕刊)

  "納豆" は好きな方であり、毎日食卓に上っても構わないと思っている。 "大豆" の栄養価は高いと "信じている" ため、 "豆腐" も好んで食べる。幕末、緒方洪庵に学んだ蘭学・医学者で陸軍の創始者でもある "大村益次郎" が、毎晩、酒の肴を "豆腐" にしていたとも言われている。さすがだとかつて思ったことがあった。
  "大豆" に含まれる "イソフラボン" の効果はかねてより注目されてきた(後述)が、ここに来て、また新たな "効能" が指摘されている。自然食、しかも日本人が親しんで来たものが "再評価" されるのは喜ばしいことだ。
 さらに、高齢化時代の "ニーズ" に見合う "効能" だとすればなおさらのことだ。

<みそ汁や豆乳を飲むと、白髪が黒髪になるかも-。豆腐やみそなどに含まれる「大豆イソフラボン」に毛を黒くする作用があることが、岡嶋研二教授、原田直明准教授ら名古屋市立大の研究グループのマウスを使った実験で確認された。研究成果は米・栄養生化学誌に掲載される。
 グループは、イソフラボン2ミリグラムを混ぜた餌を、背中部分の体毛をそったマウスに3週間食べさせた。その結果、髪の黒さに影響するメラニン色素の割合が(5匹の平均で)1・23倍に増加。見た目にも、黒くつやつやした毛が生えた。
 さらに毛根の数が増えるなど、発毛効果も確認した。イソフラボンが入っていない餌では、メラニンの量に変化はなかった。......>( 「白髪防止に大豆の力 名市大グループ実証」/2010.02.07 中日新聞

 家の中に居ると、窓の外の陽射しに騙されてしまう。暖房が効いた屋内から一歩外に出ると何と寒いことか。日陰に残った雪の存在も肌寒さを増幅させる。
 冷たい風が首筋といわず背筋といわず吹き注ぎ、ぞくぞくとする冷え込みだ。 "立春" は暦の上だけのことであるのが恨めしくさえ思われる。
 日本海側では大雪となっているというが、たとえ冷たい風が吹いても陽射しだけは春めいている太平洋側地域は、それだけでも幸せだと言うべきなのかもしれない。
 そう言えば、もうすぐ午後五時となるがまだまだ外は明るく、やはり日も長くなり始めているのであろう。

 先日ふと思ったことだが、この国日本は "四季" というかなり明瞭な季節の変化があり、これはこれで日本人に、特有な "時間感覚" を与え、やはり生活の "ペースメーカー" の機能を果たしてきたのだろうな......、と。
 何と言っても、 "話題性" に満ちているのは間違いない。仮に、 "人の世" に変化が乏しかったとしても、人々が他愛のない会話をするのには素材として困らない。
 まだまだ冷え込みますねぇ、とか、いつの間にか春めいてきたようですね、とか、天候や季節に関わるちょっとした変化が十分日常会話の糸口になり得る。
 また、 "無常観" を引き合いに出すまでもなく、過ぎ行く時間の流れというものを実感させる。これはちょうど、列車の窓外の景色が次から次へと変化する国内と、どこまで走っても原野が続くシベリア鉄道などとの違いにも似ているのかもしれない。
 要するに、季節の変化といういわば適度な変化の彩りが退屈感を払拭させる好材料となって来たようである。まあ、こう書いているとさながら農業従事者のセリフのようで、何を能天気なことを言っているのかと思われそうではあるが......。

 いわゆる "記憶" という "財産" (?)以外に、人の "脳" における "側頭連合野" には膨大な "記憶データ" が "格納" されているという話を昨日書いた。やはりこの事実はとてつもなく興味深いことだと思われる。
 自分は以前からマイケル・ポランニーの "暗黙知" という概念に関心を持ってきた。この日誌にも過去何度となく関連したことを書いてきた。「勘」、「インスピレーション」、「発見」、「創造性」というような煌びやかな人間行為が、どうもこの "暗黙知" と深く関係していそうな気がしてならないのである。
 ただ、潜在的、無意識の海に湛えられているかのような "記憶データ" (昨日の話)がただちに "暗黙知" だと言うのはいささか暴論のようである。そうした "記憶データ" は "存在" するのではあろうが、まさに "意識" を掻い潜ってはいないので、 "知識" とは言えないどころか、 "情報" というまとまりさえをも欠いていそうだ。
 つまり、「在ること」(存在)は確かだとしても、「知ること」(知識)との間には "暗くて深い溝がある" とでも言うしかしょうがないのであろう。

 もし、捜査が暗礁に乗り上げてしまった殺人事件が、意外な "証人" の登場によって解決したとしたらどうであろうか。その意外な "証人" とは、死体となった被害者自身であり、その "脳" に刻まれた "最期の光景" の読み取りだったのだ......。
 これは、 "架空" の話、実を言えば、ずっと昔、自分が推理小説に凝っていた当時に案出したプロットでしかない。脳科学が将来発展するならば、死者の脳からも何らかの情報を "読み取る(リードする)" ことが可能となるのではないかと、勇み足気味に想像したまでである。
 なんせ、夏目漱石の場合<脳は、現在もエタノールに漬けられた状態で東京大学医学部に保管されている。重さは1,425グラムであった。>(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)とあり、<寄贈された>からとは言うものの、<保管>されているのは何らかの "復活(?)" 可能性が期待されてのことでは......と、想像できなくもないではないか。

 ところで、こんな "不気味" な話を冒頭から書くのは、現代の "脳科学" はやはり驚くべき発展だと今更ながら感じさせられたからなのである。茂木健一郎氏もこれじゃあ、おもしろくて身がいくつあっても足りないはずだろう......。
 脳の中に、普段、何気なく眼にした光景などの痕跡が、本人が意識するしないに関わらず "いつまでも残り続ける" というのは、どうも事実のようである。
 人が、自身の "脳" に蓄積させているデータは、意識して "思い出せる記憶" なんぞに限られないようである。こんなことは、 "度忘れ" 気味となった人には良くわかることかもしれない。顔は思い浮かぶのに、名前が出てこない......、というケースである。つまり、 "思い出せないでいる記憶素材" が、 "思い出そうとする意識" とは別に、しっかりと存在していると感じさせられるからである。

 二者の "豪腕" 、あるいは "ツートップ" と言ってもいいのかもしれない面々が、いよいよ追い詰められているごときである。
 が、自分の予感では、大きな "禍根" を残しつつ、それでもなお "居座り続ける" という着地点を得るのではなかろうか。だからこそ "豪腕" という、半ば揶揄を含んだ "悪名" を得て来たものかとも思われるのだ。
 一方は、<朝青龍側、警視庁に示談書提出>(asahi.com 2010.02.03 )と報じられており、 "立件" 見送りに向けて "送り出し" とでも言うべき技(相手の後ろにまわって土俵の外へ押し出すわざ、だとか)が繰り出されたようである。
 が、常識的に推論するならば、 "示談書" なるものは、肩がぶつかったくらいでは交わされないものであろう。巷間では、 "~千万" という "示談金額" だったとも言われているが、そうであればその高は "被害者" 側の何らかの "被害" の深さと見合っているものだと推測されて然るべきなのではなかろうか。

<「(朝青龍関を)許します。被害届は提出しません」との趣旨の文面で、男性の署名と朝青龍関の弁護士の押印があり、示談金額が記載されている。暴行については触れていないという。 >( asahi.com 同上)

 警視庁麻布署当局が "刑事" 的側面をどう考慮するのかわからないが、すでに当事者の一角である相撲協会は "お手盛り" と言われてもしょうがないような "事情聴取" を済ませて、 "送り出し" の技を "追認する" ような判定に傾きつつあるとも聞く。
 この三多摩地域には、久しぶりの積雪があった。10センチほどであったか、朝起きると窓の外は白一色で仕上がっていた。
 今回の降雪で驚いたことは、天気予報が実に正確であったことだ。
 夕刻に雨模様となり、午後6時位から雨が雪に替わるとの予報であったが、まさにほぼ6時ぴったりにみぞれとなり、その後まもなく本格的な降雪となった。
 ちょうどその頃にクルマで走っていたため、フロントガラスに打ちつける雨やみぞれ、そして雪に替わって行くその推移がリアルタイムで実感できてしまった。
 まるで、自然の天候変化でありながら、その正確な推移からは、番組放送か何かのような人為的な出来事のように思えたものだった。昨今の気象観測と予測は、こんなにも正確な時刻を特定できるほどに巧みになったのかと思わされた。

 夜間降り続けるとのことだったので、これは積もることになる......、と覚悟はしていた。どうも未明まで降り続いたようであり、案の定、戸外は久々の雪景色に変貌していたというわけだ。
 こんな日にはすることもないウォーキングではあったが、これも一興と考え、トレッキングシューズで足元をかためて出向くこととした。
 傍で家内が、「やめた方がいいんじゃない? スッテンコロリで骨でも折ったら大変よ」と諌めていたが、そんな言葉に従う自分ではなかった。
 が、雪道に出てみると、何と歩き辛く、また一歩一歩が疲れることか。転んで骨を折るどころか、歩くだけでとんでもなく "骨が折れた" 。
 そうだなぁ、これで帰宅すれば "雪かき" も待っているわけだから、そう力(りき)まずに今日はハーフ・コースで引き上げるか......、と思い直したのだった。

  "豪腕" を "外す、外さない" という "ジレンマ" が今のこの国の問題状況を象徴しているかのようだ。
 この書き出しで簡単に思い起こすであろうことは、横綱朝青龍による泥酔暴行問題での当人への "処分" 問題だ。
  "国技" 大相撲の品格立て直しのため、度重なる不祥事の同横綱に "追放、解雇" といった大なたを振るうのか、あるいは大相撲の "興行性" に踏ん張って従来型の "緩い処分" で臨むのか......。一般市民の反応では、今回はかなり手厳しい判断に傾いている模様もありそうだ。酔っていようが何であろうが一般人に対して "プロの格闘家" が手を上げたというご法度破りが赦せないといったところか。
 ただ、クールな若い世代には、現時点での相撲界の "おもしろさ" が横綱朝青龍に大きく依存している事実に目を向けて、同横綱を "外す" ことに賛同しかねる向きもあるようだ。あるいは、モンゴルとの国際関係を慮る一翼もないではなさそうで、事態への対処にある種の "ジレンマ" 状態をかもし出しているとか......。
 おまけに、今日、相撲協会理事選挙で注目されていた貴乃花親方が当選するという新局面が加わり、 "お茶の間評定" 問題として見る分には興味が尽きないか。

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