yasuo hirose: 2010年3月 アーカイブ

 もう学校関係の卒業式も終えた頃なのであろう。街中を歩く若い子を、そんな目で見てみると、現時点では "所属ナシ" とも見えそうな子たちもいそうな気がしてくる。
 つまり、これまで "所属" していた小学校、中学校、高校などを卒業し、今は春休みのために上級の学校に入学することもなく、いわば "無所属" という状態にある子たちのことである。
 自身を振り返ってみると、こうした期間の感触というものは、夏休みとも違う "不安定" な気分であった。 "自由" だと言えばそうであるが、やはり、むしろ "不安定" と言った方が妥当だろう。特に、自分の場合、大学入試で一年間 "浪人" をしていたが、その時のこうした春は何とも居心地の悪い "不安定" さであったかに覚えている。
 人は、どんな組織であろうが、日頃、その "所属" を鬱陶しいものと感じているのかもしれない。 "所属" することによる "恩恵" や "誇り" なんぞというものよりも、 "所属" に伴う "拘束感" に大なり小なりの鬱陶しさを感じるのが実情かもしれない。
 が、いざ、一切の既存組織からの "所属" から離れる、外れると、妙に "不安定" な気分となるのもまた事実のようだ。



















 先日、新聞で "つげ義春" と "ねじ式" という懐かしい言葉を見つけた。確か、筒井康隆(作家)氏が「漂流 本から本へ」の記事で振り返っていたものかと思う。
  "つげ義春" のマンガは、昔から好きであり、結局、マンガに加えて "写真集" や "紀行文" など、その著作の大半を手元に置くほどである。自分としては、どことなく "落語" が好きな動機と似通っているという印象を持っていたりする。

 上記の筒井康隆氏の一文は、作品 "ねじ式" の紹介にとどまっていて特に触発されることもなかったが、改めて、松岡正剛氏の 『松岡正剛の千夜千冊』/第九百二十一夜【0921】04 年1月22日/つげ義春『ねじ式・紅い花』1988 小学館文庫 に目を通し、何か重要なことに気づかされる思いがした。そのことを書こうかと思う。

 相変わらず10度未満という肌寒さが続いている。が、もう4月になろうとしているのだからいくら何でもこんな冴えない日は続かないだろう。天気予報でも、明日あたりから10度を上回る陽気になるとかだ。
 そんな中、戸外を歩くと、桜を初めとしてさまざまな樹木が目に映える色の花を咲かせ始めている。
 先日もウォーキングの際、遊歩道に面した庭で鮮やかに花を咲かせ、満開となった一本の樹木を巡って他愛無い会話をしているのが聞こえてきた。
「綺麗に咲きましたね。これは何という木ですか?」
と、通りすがりの初老男性が、庭の中のその家の主人に話しかける。
「知らないのかおとぼけなのかわからないけど、これは桜ですよ! ええ桜ですよ!」
 何とも、その主人の "素っ気ない受け応え" に、こちらまで違和感を感じたものだった。当の桜の木にしても、せっかくその咲きっぷりの見事さを誉めようとしてくれているのだから、主人のその対応を苦々しく思っていたに違いなかろう。
 確かに、その木は桜は桜なのだろうけれど、われわれが "花見" の場で仰ぐ桜とは異なっている。高さも人の背丈程であり小振りな姿であった。自分とて、一見、遅咲きの梅かなんぞと思ったりしていた。よくはわからないが、きっと、早咲きの、名のある種類の桜なのではあろう。

 この日本社会での<"言語力"が危ない>問題は、いろいろな分野でささやかれながら、 "サッカー" のジャンルで話題となったことがある種の "きっかけ" だったかと思える。
 この点は、この日誌(下記の ②『 "サッカーのワールドカップ日本代表" も訓練課題にする "言語力の育成"  (2009.11.27)』)を参照していただきたい。
 なぜ "サッカー" なのか? には、それなりに必然的な理由がありそうである。

< "試合中に仲間に自分の考えを伝える能力の不足" という点は決して軽視できるものではないというのだ。そして、それを克服するには "言語力" 教育に力を入れるべきだという。
 そもそも、めまぐるしく状況が変わるサッカーは野球とは違い監督が指示できることは限られている、自分がどんなプレーをするべきなのか、仲間にどうして欲しいのか、選手には自分で考えそれを伝える力が何よりも必要とされるという。
 したがって、言語力の強化によって、選手たちの意思疎通だけでなく "プレーの質" も上がる、と。プレーにはすべてに理由があるはずで、考えないで判断しないでプレーする習慣をつけてしまうことがいちばん怖い、のだと。>(下記の ②)

  "地デジ番組の録画&DVDコピィ" については、すでに "手馴れた" 段取りで行っている。その状況は、既にこの日誌でも書いているので必要とあれば参照していただきたい。( c.f. 「PCを介しての "地デジ番組の録画&DVDコピィ" 体験レポート」
 とりあえず、先ず先ず観るに耐える解像度( 720×480 )表示と、アスペクト比 16:9 の横長画面表示のDVD( DVD-RW )が作成できるため、 "地デジ番組の録画&DVDコピィ" としては一件落着の位置に到達している。
 だが、 "不満" な点が無いわけではない。主な点は次の通りだ。
 1.メニュー画面を付け加えたり、余分な部分の削除などの "編集" ができない点。
 2.出来上がったDVDのコピィ( "孫コピィ" )ができないため、バックアップ無しの状態が不安である点。

 こうした "不満" は、もちろん "地デジ番組" が、「CPRM = Content Protection for Recordable Media」というプロテクションによって保護されているからしかたがないということになる。このプロテクションの主旨は十分に理解できるし、 "違法コピィ" で金儲けをしようとするような不届き者が現れがちな世相であるから、了解できないこともない。
 ただ、 "「コピー・ワンス」(Copy Once)" 方式から "ダビング10" 方式に改善されたとは言っても、一部のユーザーにとっての使い勝手が良くないのも事実だ。
 その結果が、上記二点の "不満" に収斂(しゅうれん)することになると言えそうである。

 利用中のOSほか常用アプリソフトを収納した "HDD" の "クローン・コピィ" を作っておくと、いざというときに慌てないで済む。また、より "容量が大きく回転数の早いHDD" への "換装" をしようとする際にも、さほど手間を掛けずに目的を達することが可能である。
 これは、短くないPCライフを送ってきた自分の、 "苦い経験" をも踏まえた一つの教訓でもある。
 そんなことから、 "システム・ドライブ" の "HDD" を "クローン" として "コピィ" しておくこと、そしていざという際にはそのまま取替えて使うなり、現行 "HDD" に再度 "クローン・コピィ" をして使うなりという手順をいろいろと試行錯誤して来た。
 そんなことから、現状で最も簡便だと思われる "HDDクローン・コピィ" 手順を、何回かに渡ってこの日誌にも書いて来た。

  "ALS(筋萎縮性側索硬化症)" の患者さんたちの "閉じ込め症候群(TLS [totally locked in state])" の問題に接する時、注意と関心を喚起されるのは、何と言っても患者さんたちの "yes/no という意思" の確認、患者さんたちとの "コミュニケーション" という課題であるに違いない。
 先日来触れてきたTV番組 <命をめぐる対話 "暗闇の世界"で生きられますか /NHKスペシャル 2010年3月21日(日) 午後9時00分~9時49分 NHK総合テレビ> における<照川貞喜さん>の場合も、献身的に介護されている奥さんが、五十音を読み上げたり、五十音が表示された透明板を活用したりしながら、<照川さん>の思いを一文字一文字拾い上げて "紡ぎ出して" おられた。そのご苦労は並大抵のものではない。
 しかし、<照川さん>の場合は、正確には "TLS [totally locked in state]" ではなく、頬の筋肉運動が可能であるため、それを介した "yes/no という意思" の発現が "コミュニケーション" を成立させることができる。
 だが、一切の "随意運動" が不可能となった「完全な閉じ込め状態=totally locked-in state (TLS)」の場合には、一体どのような "コミュニケーション" の可能性が残されているというのであろうか。

 一昨日に書いた "閉じ込め症候群" については、想像以上に多くの方々が関心をお持ちなのを知った。
 もちろん、自分自身もこの問題に関しては強い関心を禁じ得ないでいる。人間の "命" の問題ばかりか、 "生きること" 自体に関し、あるいは人間という存在を問い返す意味で、鮮明な光を照射しているかのように感じさせられるからなのかもしれない。
 いま少し、 "閉じ込め症候群" について考えてみたいと思い、自分なりに入手可能な情報にも当たってみた。そこでまたいくつかの事を考えさせられることになった。主に書きたいことは三点ほどある。が、今日はその一つにとどめたい。

 先ず、その一つとは、なぜ、この "病" とその "症状" に関して少なくない人々が関心を寄せるのだろうか、という点なのである。多くの事を "他人事" として "スルー" させがちな現代人であるにもかかわらず、なぜこの問題には関心を寄せるのか......。
 確かに、こうした "病" に侵された気の毒な人たちは増え続けているようで、多くの人たちの近辺にもそうした患者さんがおられるのかもしれない。そのために、 "他人事" とは思えない、という場合も大いにあり得るはずだ。また、この "病" の症状の "過酷さ" が、言い知れない "恐怖感" を誘うのも否定できない理由の一つだろう。しかも、 "難病" とは、誰が襲われるかわからない "偶有性" を持つものである点も理由になっているのかもしれない。

  "道具" というものは、事を便利に処理させてくれたり、運んでくれたりする。当然のことであり、だからこその "道具" なのであろう。
 自分も、 "道具" には人一倍の関心を寄せる人間だと自認している。現在では、 "PC" や "IT" という、現代の "道具" 、デジタル・ツールを多用し、 "乱用" までしていると言えそうだ。

 ふと思い返して、シニカルに "この実情" を振り返る時、機能的な効用であるに違いない効率性という事実とともに、今ひとつ、 "重要なファクター" が潜んでいるかに思われてならない。
 それは、何か "主観的な側面" の事柄であり、簡単に言えば "達成感・満足感" だと言えるものであるのかもしれない。 "道具" なしではできなかったに違いないことが、いとも簡単にできてしまうことに伴う、その "感覚" のことなのである。
 オレって、できるじゃん! という自己満足的な "有能感" だと言っても外れてはいないだろう。これがさらに嵩じると、オレって、スゴイじゃん! という "全能感" へと舞い上がってしまうのかもしれない。

 最近はほとんど経験することはないが、以前には時々 "恐い経験" をすることがあった。いわゆる "金縛り" という、睡眠と覚醒のはざ間で生まれる不快な状態である。
 関連サイトによると、<脳が起きている状態であるレム睡眠時に、なんらかの原因で目を覚ましてしまうと、自分では意識があるのに、体が自分の思うように動かせない状態になること>( 金縛りの原因と対策 - 睡眠障害~睡眠の悩みについて~ )とある。
 こんな時に、脳が体を動かすように指令を出したとしても、筋肉が緩んだ状態のため、筋肉に指令が伝わらない。それで、自分の意思で体を動かそうとしても、動くことができない。要するに "随意運動" ができないということである。
 <医学的には、この状態のことを、睡眠麻痺>と言うらしい。そして<覚醒と睡眠がうまく切り替わらない状態の時が、金縛りが起きやすい時といえます。例えば、睡眠に入る直前や、明け方などにふいに目覚めてしまった時が金縛りになりやすい時です。完全な覚醒状態にあれば、筋肉にも力が入るので、ほとんどの場合が自分の意思で体を動かすことができます。>(同上サイトより)と。
 しばしば徹夜をする人や、いろいろな理由で睡眠のリズムがバラバラな人など、そしてストレスが蓄積している時や睡眠不足が重なった時などに起こしやすいようだ。
  "金縛り" 状態の "恐さ" は、もちろん、 "思うように動けない" という "随意運動不可" という点にあるわけだが、もう一つその点と関係して、外界や他者から "孤絶" してしまうことの恐怖という点もありそうな気がする。
  "孤独" には慣れている、耐えられると "豪語" する者にとっても、その強制的な "孤絶" 状態には、何がしかの恐怖を感ぜざるを得ないのではなかろうか。

  "忘却" という生理的メカニズム( 防衛機制?)が、 "今を生きる" 生きものにとっては、あながち軽視できない仕組みであることを一昨日書いた。
 多分このメカニズムは、生きものが、現実的環境で生き残るという生存のために、限られたパワーから少しでも "ムダ" なエネルギーを消費しないようにと、いわば "エコノミカル" な戦略戦術を選択している......、と言えるのかもしれない。

 思い起こすのは、いつぞや観てなるほどと頷いたことがある、 "赤ちゃん" に秘められた能力に関するTV番組である。
 生まれて間もない "赤ちゃん" は、これから遭遇するであろうあらゆる現実環境のために、大人以上の幅広い "潜在力" を秘めているらしい。たとえば、確か、 "音声" を聞き分ける能力にしても、まさに万国の言語 "音声" に対して反応できる "潜在力" を持っているという。
 これに対して、成人は母国語の "音声" はもちろん微細に聞き取れる能力を高めているが、他国の言語の "音声" に関しては、特に特殊な発音部分などについては "聞き流し" して単なる "音" と解するようになっているらしい。 "英語耳" とか何とか言われて話題にされるのは、その辺の事情に関係しているものと思われる。
 このほかにも、日常的動作(運動神経)にしても、あらゆる可能性から、人間として行動するにあたっては差し当たって "ムダ" だと見なされた(誰かが見なしたというよりも、この辺は、DNA情報の発現であるのかもしれない)運動神経は "機能不可" となって行くのだという。
 まるで、PCにアプリケーション・ソフトをインストールする際の、ユーザーの好みによって取捨選択できるオプション機能のような印象さえ受ける。
 暖かくなったのはいいが、今日はやたらに風が強かった。自転車に乗っていても、砂埃が横殴りで吹きつけてきたり、一瞬、よろめきそうにもなった。
 また、その強い風で自転車が横倒しにさせられた光景を、あちこちの自転車置き場で眼にすることにもなった。
 確か今日は天気予報でも全国的に "荒れ模様" だと報じていたように思う。そして、こんな強い風のせいなのだろうか、静岡県では<東富士演習場で野焼き作業中の男性3人が死亡>( asahi.com 2010.03.20 )という痛ましい事故があったようだ。事情はよくはわからないが、強風のせいだとしたならば、こんな気象コンディションの崩れが予報された時に、ただでさえ危険と隣り合わせの "野焼き" をよく敢行したものだと、違和感を感じた。しかも、 "災難救助" の総元締めでもある自衛隊のホームグラウンドで、そんな事故が起きたとなると、どうして? という思いを禁じえない......。
  "慣れ" というものは侮(あなど)れないと思った。
 先週、急に襲われた(?) "飛蚊(ひぶん)症" のことである。直後には、こんな鬱陶しい影がこの先ずっと視界を邪魔するのかとげんなりしていたものだ。
 だが、一週間が経過しようとする今、不思議なほどに "さほど気にしなくなった" のである。別に、その影が薄まったわけでもない。注意を向けてみると、相変わらず、カールした髪の毛のくずのような影がしっかりと残っている。しかし、注意を向けなければ、気にしなくて済むような状態になったから不思議な感じである。
 眼科医もそう言っていたし、サイト上の掲示板にも体験者が同じことを書いていた。要するに、 "慣れてしまう" と気にもならなくなるということなのである。
 ただ、明るい陽射しの中を歩くと、その影が濃くなるためか鬱陶しさを感じないわけでもない。そこで、このところは "サングラス" を掛けるようにして誤魔化す算段をしている。まあ、そうでもして "気にしない、気にしない" の構えで臨むことにしている。
 考えてみるならば、世の中にはいくらでも "気の毒な後遺症" を背負ってしまった人たちが少なくない。
 知人のある方も、何年か前に "くも膜下出血" に見舞われ、幸い命に別状はなかったものの、半身の痺れとか、感覚機能の麻痺が残っていると聞く。中でも、気の毒なことに "味覚" の感覚が戻らず、何を口にしても苦々しい反応となってしまうという。
 歳をとると食べることの楽しみがクローズアップされてくるであろうに、それが理不尽にも突然奪われてしまうのは何とも残酷な話である......。こうした方たちにも、 "慣れ" という "救済の女神" としての慰めがひっそりと訪れて欲しいものだ。
 今日は、 "ノートPC" のメンテナンスに時間を割いた。好きなことであると知らず知らずのうちにのめり込んでしまうようだ。
 特に必要性に迫られていたわけでもなかった。なのに、まるで "組み木細工" のように組み立てられている "ノートPC" を、小さなネジをなくさない用心をしながらオーバーホールして不調部分を点検してみたり、少しでも性能を上げようと、メーカーサイトのダウンロード・サービスから最新のドライバ、やBIOSを降ろして、アップデイトしてみたり、と甲斐甲斐しく動き回った。
 おかげで、二台の "ノートPC" が使い勝手良い状態に蘇った。別に何ということもないのだが、不調で悩み落ち込んでいる様子のPCを元気にしてやると、悪い気分はしないものだ。
 しかし、PCというシステムは、少なくない複数のハードとソフトとが調和と性能とを目指してアッセンブルされているため、不調・不具合が生じてもなかなかその原因を特定することが難しい。
 しかも、パッタリと動きが止まってしまうわかりやすい症状から、 "なんかヘンだという感触的なもの" まで程度はいろいろとあり、特に後者の場合は厄介だ。
 おそらく、それに気づくことがなくストレスを感じながら使い続けている人も少なくなはずであろう。お隣の家の子どもが毎晩毎晩、 "DV" で泣き叫んでいても何のことか気づかないご時世だから、PCの不調なぞという微妙な現象の変化なぞは気づかなくて当然なのかもしれないが......。
 身体の "故障" と同様に、身の回りのモノも突然に "不調" に陥る。それも、昔のように手の込んだモノでなければホイホイと直せるのだが、昨今の製品はとかく部外者には手が出せない代物となってしまった。
 この間も、システム・キッチンの二箇所の部分で "不調"・"故障" が発生した。一つは水道の蛇口関係で、もう一つはガス・コンロであった。
 家内がクレームを上げて来たので、では......、と覗いてみたものの、それらの "不調" はとても外から見た限りでは要領を得なかった。メーカーが、まるで部外者を寄せ付けないようにガードを張っている気配さえ感じた。
 結局、家内がメーカーのサービス窓口に電話をしてサービス・エンジニアに来てもらうことにした。もちろん、彼らはそればかりを専門に手掛けているため、あっと言う間に原因を突き止め、あっと言う間に修理して、あっと言う間に "高額な修理代" を請求していった。 "出張料" や "技術料" や何だかんだと、取替え部品の価格の十倍以上の額だったのだ。 "ぼったくり" とまでは言いたくないが、こんな不景気な時期に家事に関する道具の "修理費" 一回で一万円内外の出費を強いられるのは決して愉快ではなかった。
 たまたま、日頃定期的にプロパン・ガスを運んで来る業者にそのことを家内が話したところ、うちに頼んでくれれば十分の一で済んだのに......、と言っていたそうで、それを聞いてさらに不愉快になったものである。
 気がついてみると、自分は、 "Amazon" の "上客" あるいは "常連客" となっているのかもしれないと思う。 "衝動買い" はもちろんのこと、出来る限り購入することを抑制しなければならないと思いつつも、ついつい "クリック" を連ねてしまう愚か者である。
  "気を許す" ワケは、先ずは "品揃え" であり、 "欲しいと思うモノ" を扱っていなかったためしがないこと。そして、とにかく "入手までに時間が掛からない" こと。さらに、昨今では "価格面での魅力" も次第に大きくなっている。それだけ、 "捌く量" が増大して、仕入れ価格を下げることに成功しているということなのであろう。
 このところ、PC関連商品にしても、 "秋葉原" 通信販売ショップからの購入はメッキリと減り、専ら "Amazon" ルートとなってしまった。 "送料無料" という特典を活かすと、 "秋葉原" 価格をわずかながら下回ることが多いからであろう。
 また、 "Amazon" サイトを利用すると、 "商品情報" が手っ取り早く了解できてしまうという情報面での便利さが否めない。まさに、 "Amazon" の "情報戦略" に見事に絡め捕るられている自分だと痛感する......。
  "飛蚊(ひぶん)症" の発生からまだ一日ということで、とにかく、右目の視界の鬱陶しさといったらない。明るい陽射しの下でのウォーキングでも、どういう眼差しにすれば比較的気にならないで済むかと、いろいろと試行錯誤しながら歩いたりせざるを得なかった。
 何しろ、ややうつむき加減となると、右下の視界の半分ほどに数本のカールした髪の毛のような格好の影が、眼球の動きとともについて回るのだ。ただ、気にせずに視線を前方に向けて遠目にしていると薄っすらとした存在感しかなくなり、これで "往なす" しかないか......、と思ったりもした。
 この "邪魔者" はそう簡単に消え去ることはなさそうだから始末に負えない。多少の移動はあるようだが、悲観的に言えば "生涯の障害" だと見る向きもある位だ。ということは、 "往なし" ながら "慣れ" の境地に至るしかないということのようなのである。
 一昨晩に "奇妙な夢" を見たこととは関係があるとは思えない。が、昨夜からちょっとした "身体の異変" に見舞われてしまった。
 眼のちょっと変わった症状に "飛蚊(ひぶん)症" と呼ばれるものがある。
 明るい所や白い壁、青空などを見つめたとき、目の前に虫や糸くずなどの "浮遊物" が飛んでいるように見えることがある。視線を動かしてもなお一緒に移動してくるように感じられ、まばたきをしても眼をこすっても消えず、暗い所では気にならなくなる、というような症状のことだ。
 そもそも、眼球の中の大部分は、 "硝子体(しょうしたい)" と呼ばれるゼリー状の透明な物質でできているという。
 角膜と水晶体を通して外から入ってきた光は、この "硝子体" を通過して網膜まで達する。ところが硝子体に何らかの原因で "濁り" が生じると、明るい所を見たときにその濁りの影が網膜に映り、眼球の動きとともに揺れ動き、あたかも虫や糸くずなどの "浮遊物" が飛んでいるように見え、 "飛蚊症" として自覚されるという。
 で、この "濁り" には、 "生理的な原因" によるさほど気にしないでもよいものと、 "病的な原因" によるものとがある、と言われている。
 やはり今日のような春めいた陽気だと自ずから活動的となる。
 朝のウォーキングも少し足を伸ばしてみようかと思ったりしたし、戻ってからも、久しく封じ込めていた物置の整理をする気にもなった。
 かねてより、かつてそそくさと仕舞い込んで行方不明となっていたとあるモノを出さなくてはと思っていた。が、結構厄介な探索となりそうだと想像すると、肌寒い日に外気にさらされながら立ち往生することは敬遠された。
 そこへ行くと今日のような陽射しと暖かな気温だと、日向ぼっこがてらに一汗かいてみるか、という気分にもなる。

 目当てのモノをどこへ仕舞い込んでしまったかなかなか見当がつかず、多くのダンボール箱を外に引っ張り出す羽目になった。中腰でそこそこ重量のある箱を動かすのは注意を要した。ギックリ腰にでもなったら、せっかく良い陽気になり活動的となろうとしているのに、水を差されるからだ。
 ところで、そんな単調な作業をしながら、自分は、昨日の夢のことを思い起こしていた。久しぶりに、ありありとした "奇妙な夢" を三本立てで見たからだ。
 何とかならないものかと "深刻な事態" を案じる。この春に向けた "就職内定率" (今春卒業予定の大学生・高校生の就職内定率)が "8割" だという現実のことだ。
 これからが人生の "本番" だという、伸び盛りの若い人たちの活動の場が無いということは、本人たちもさぞかし無念で、また肩身の狭い思いに苛まれていることだろう。
 と同時に、ただでさえ "少子化傾向" の深まりで新しい就労人口が心もとないそんな時に、社会が "ルーキー" を迎え入れたり、育てたりすることができないというのは、とてつもなく大きな "社会的損失" であると思われる。

<卒業予定の2割が就職決まらず 大学・高校生調査
 今春卒業予定の大学生の就職内定率は2月1日現在で前年同期に比べ6・3ポイント低下し、80・0%だったことが12日、厚生労働、文部科学両省の調査で分かった。比較できる2000年の調査以降、過去最低で、同年前後の「就職氷河期」よりも依然として低い。
 高校生の内定率は1月末現在で6・4ポイント下回る81・1%。過去最低だった03年の74・4%を上回ったが、就職氷河期と同程度の厳しさとなっている。
 厚労省は「景気の動向による影響が大きく、企業も求人を出せない状況が続いているのではないか」としている。
 調査は全国の国公私立大の62校を抽出し、就職希望者に占める内定者の割合を調べた。調査結果と文科省の学校基本調査から推計すると、約56万人の大学生が今春卒業予定で、就職を希望する40万5千人のうち内定しているのは32万4千人にとどまっている。
 高校、中学は厚労省がハローワークと学校を通じて調べた。>( 2010/03/12 16:26 【共同通信】)
 このところ、この日誌は "PC関連" に偏っている。別に何を書かなくてはいけないとでもいうような制限があるわけではないので、まあいいか、と思って書いている。
 今日は、PCを介しての "地デジ放送" (予約)録画とその "DVD焼き" (CPRM対応メディアによるもの)について、その後の経過を書くことにする。
 PCを介した "TV録画" と "DVD焼き" については、もう何年も続けてきた。まるで "オタク" さながら、録画済みDVDの数は大変なものとなってしまい、整理に困るほどだ。
 最近はそこまで手が回らなくなってしまったが、一時期までは録画済みDVDのホワイトレーベルに、録画コンテンツの画像とタイトルとをインクジェットプリンターで印刷をするといった手の込みようなのであった。

 以前は、アナログTVの録画でしかなかった。精々、受信状況を調整してよりシャープに映るようにしたものだったが、従来テレビのアスペクト比(縦横比)である " 4:3 " という、かなり粗くて古めかしい感触の画面を文句も言わずに録画し、それをそのまま "DVD焼き" をしていたものだ。
 ただ、TV録画をする以上、せめて簡単な方法で "予約録画" のできることが最低条件であったため、それにふさわしい "システム" を設えたのだった。
  "I-O DATA" のTVチューナー付きビデオ・キャプチャである "GV-MVP/TZ" という小型のUSB外付けデバイスである。これは、 "S端子" 付きで比較的綺麗な画像を作ってくれた。また、 "コンポジット端子" が付いていたため、ここに "画像安定装置" という名 "プロテクト(CPRM)解除装置" を "試験的に" 付けて、 "地デジ" 対応を図らせてもらったりもした。ただし、 " 4:3 " 画面でしかキャプチャできないという中途半端なものであったが......。
 それでも、たとえ " 4:3 " 画面ではあっても、 "地デジ番組" が、録画できて、しかもそれを編集できる(CPRMコンテンツの場合は原理的に編集不能!)という点は無視し難かった。あまり大っぴらにはできない話ではあるが......。
 ところで、前記の "GV-MVP/TZ" には、便利な "添付ソフト" が付いており、中でも "mAgicガイド" と "mAgicTV" は、実に使い勝手がよい。前者は、番組テーブルが表示され、そのテーブルのコマをダブルクリックすると "予約設定" 画面を介して予約が可能になる。また、後者はPCのディスプレイ上で放送中の番組が視聴できるというちょい便利なツールだ。サイズが可変のため、ディスプレイの片隅に置いて気になる番組をチェックすることも可能なわけだ。

  "HDDクローン・コピィ" に関しては、やはり皆さんご関心がおありのようだ。中には、試してみたい......、ということでメールで質問して来た知人もおられた。
 その質問の一つは、現在使用中の "OS" は "Vista" なのだけれど大丈夫だろうか? というもの。
 自分が実施したPCの "OS" は、 "XP" と "Vista" の両方であり、いずれも問題はなく成功した。ベンダー・サイトの解説では "WINDOWS 7" にも対応しているとの表示もあるが、それは体験していないのでわからない。

 もう一つの質問は、< "クローン・コピィ先HDD" を、IDE接続ではなくて、 "USB接続" でもOK>とあったが、 "USB・外付けHDD" を使うのか? あるいは "裸のHDD" ならば、それをどのようにして "USB接続" するのか? という疑問であった。
 この点に関しては、盛んに "有難い点" だと持ち上げながら、そう言えば "説明不足" だったかと思い、改めて追加説明をさせていただくことにした。
 実は、ここではちょっとした "特殊アダプタ" を使ったのだった。別に、メーカーとの関係はいっさいなく、宣伝する必要はないのだけれど、結構、便利だと気に入って使ってきたものである。
「 IDE/SATA⇔USB2.0変換ケーブル GH-USHD-IDESA 」
<対応ドライブ:IDEインターフェースの内蔵型2.5インチHDD/3.5インチHDD、IDEインターフェースの光学ドライブ(DVD-ROM、DVD-R/RW、CD-ROM、CD-R/RW)、SATAインターフェースのHDD>( Amazon の記事より。ちなみに、Amazon で、\.2,412.- で購入。)

  "HDD換装" を手っ取り早くこなす方法については以前に書いた。( c.f.当日誌 「"HDDクローン・コピィ" も "パーティション編集" もできるフリーソフト! ......」 2010.02.11
 その後、思い立った時にとばかりに、現在使用中のPC数台のすべてに "バックアップ用" の "クローンHDD" を設えた。こうしたことは、 "思い立った時" に "慣れの勢い" に任せて一気に済ませておくに越したことはないと思えたからだ。
 とにかく、このフリーソフトが有難いのは、 "クローン・コピィ先HDD" を、IDE接続ではなくて、 "USB接続" でもOKという簡便なところである。その昔は、何かと面倒なIDE接続で同種のことを行っていただけに、手数の掛からない "USB接続" 方式は実に有難いと思えた。
 その甲斐あって、まずまずつつがなく完了させることができた。これでどのPCについても、もし、現行のHDDがトラブルに見舞われてしまった際には、何ら慌てることもなく保管した "クローンHDD" と速やかに挿げ替えればよいだけとなった。

 昨日の "琵琶湖マラソン" は、先日の東京マラソンの時と同様に小雨が降り肌寒い天候の中での実施であった。アフリカ勢のランナーたちはさぞかし辛かったのでは、と想像したりしていた。
 そんな中で、昨日のTV中継は、ちょっと変わった楽しみ方をしてみた。
 実は、アナウンサーや解説者の "音声" が無いと、結構、 "新鮮な臨場感" があってこれもまたいいものだ、と思ったのである。というのは、たまたま、 "TVの設定" で "主音" のみとし、解説などが流される "副音" を消していたのだった。以前に行った録画の時の設定を引き摺っていたのだ。

 すると、当たり前の話だが、 "主音" のみだと聞こえてくるのは、競技場やコース周辺で拾われた音のみであり、場内放送、アスリートたちを追うカメラマンを乗せたクルマの音、そして沿道で応援するファンたちの声援、といった "環境音" だけがのどかに聞こえてくるのだ。まるで、自身が競技場や沿道にぽつねんと立って観戦しているような、実に "自然なリアリティ" を感じたのである。
 確かに、ゼッケンを付けたランナーたちがどんな選手なのかというような事情はわかりにくい、というか、わからない。しかし、そんな事情を知ること以上に、ランナーたちの走行状況や表情が、むしろよく読み取れるような気もしたものである。解説者などの音声情報が無い分、自分なりに想像力を駆使するからであろうか。
 また、周囲の "ステレオ環境音" が、これまたリアルに聞こえてきたりして、結構 "味なもの" であった。さしずめ、日頃、調味料だらけで食べていた野菜を、生のまま直に口にして、食材自体の新鮮な食感をじっくり味わっているような気さえした。
 クルマが "バッテリー上がり" になってしまった。
 原因は明瞭だ。最近はほとんど利用しないためセルフ充電がなされないこと、そしてこの寒さのため、バッテリー液が機能低下したためである。
 こうなると、ブースター・ケーブルでつないでエンジン起動を図ってもいいのだが、まだここしばらくは寒さが続きそうなので、クルマからバッテリーを外して屋内に入れ、 "バッテリー充電器" で時間を掛けて充電することにした。

 若い頃、格安の中古車に乗っていた当時は、冬場になると "バッテリー上がり" に見舞われ、しばしば "バッテリー充電器" で対処したものであった。
 当時は比較的走らせることが少なくなかったにもかかわらず、そんなことがたびたび発生していた。整備士に調べてもらうと、バッテリー自体が古いだけではなく、クルマ本体側のセル・モーター近辺の部品の劣化が原因だとかであり、それを直すには相応の修理費が嵩むということだったかと思う。
 ならば、マメに "バッテリー充電器" で対処しようと思ったのだった。
 が、一々、バッテリーをクルマから降ろすのは面倒過ぎると考えた。そこで、 "バッテリー充電器" 側のケーブルを延長し、ボンネットを半開きにしながら、オンラインで "一晩掛けて" 充電するという "のどかなこと" をしていたのである。
 最近は、 "ハイブリッドカー" や "電気自動車" が注目され、ガソリン注入ならぬ、 "ケーブル使用による充電" の光景がTVなどでも映し出される。しかし、そんな光景を見ると、なぁに、自分なんぞはもう何十年も前に "同じようなこと(?)" をやっていたさ......、と思わないわけでもないのである。
 まったく、この時季は気温の "乱高下" が激しい。その模様をTVが折れ線グラフで表示していた。まるで、不安定な株式相場の変動のようである。
 もともと、春先のこの時季は "三寒四温" と呼ばれる行きつ戻りつの気温変化があるわけだが、それにしても今年の変動は激しい。ニューヨークなどに何十年ぶりの大雪をもたらしている "北極寒気団" の、その特殊な動きが原因だとも聞く。やはり、地球温暖化現象が災いして、異常気象気味の現象が引き起こされているだろうか。
 今日の天候は、昨日が "春、真っ盛り" のような陽気であっただけに、何とも意気消沈させられる "冬戻り、戻り冬" と言った寒さである。

 今日あたりはこんな寒さなので話は別だが、最近、陽射しがあって暖かい日には、いつものウォーキング・コースの川辺の遊歩道は、カメラを携えた中高年が目立つようになった。いずれも、カメラには思い思いの望遠レンズを装着して、いかにも "野鳥" (カワセミ)を撮りたいという一心が見え見えの光景である。
 昔は、 "カメラ" を趣味にすると "おカネが掛かる" と言われたりしたこともあった。カメラやレンズなどの機材自体が比較的高価であったし、また現像したり、プリント、そして引き伸ばしなどフィルム写真ならではの処理費用も馬鹿にならなかったからかもしれない。
 が、デジタル・カメラが主流となった現在では、事情が一変した。贅沢を言わなければ一眼レフカメラもさほど高くはないし、何よりもその後の処理が簡便である点、これがデジタル写真ならではのメリットであろう。撮ったものすべてをプリントせずとも、安直にデジタル画像で確認したり、楽しんだりできるからだ。
  "農産物直売所" は相変わらず盛況なようだ。
 その空気にあやかろうとしてか、自宅の近所の農家でも、玄関近くの庭の一角に簡易スタンドを作って、 "どれでも100円" といった貼り紙でアピールして "にわか直売" に打って出たりしている。
 昨日のTV番組であったか、この "農産物直売所" をまた報じていた。ちょいと関心を向けたのは、そのコンセプトが単に "安い" という視点から "美味しい!" という視点へと移行していることを伝えていたからであった。
 もともと、 "農産物直売所" のセールス・ポイントは、その値段の安さとともに、 "新鮮さ" という点にあったかと思う。やはり野菜は "新鮮" なものほど美味しくて価値があるからだ。
 が、その "新鮮さプラスα" が追求され始めているようなのである。生産者農家におけるちょっとした配慮と手間を掛けることで獲得される "プラスαの美味しさ" に目が向けられているというのである。

 そして、この路線は "直売所" の管理方式によって支えられている、という点が注目に値すると思った。
  "農産物直売所" の盛況さは、そこに農産物を展示販売しようとする農家の新規参入を促進するわけだ。それじゃぁ我が家も......、ということだ。
 しかし、供給者数が無闇に増えるならば、どこでも "ドロ沼化" している低価格競争に突っ込み、やがては "安かろう悪かろう" の轍を刻むことは目に見えていそうだ。
 そこで、とある "直売所" が知恵を絞ったシステムというのが、振るっていると思えたのである。それは、同一農産物の展示販売で、 "後続" として新規参入する者は、これまでのその "販売価格" 水準以下であってはならない、というのである。
 一見、新規参入を締め出すための非合理的な仕切りのようにも見えるが、その狙いは、 "後続" 参入者は "より高く評価される" 品質の良いものを携えて参入してください! というメッセージなのだそうである。
 つまり、このシステムは、低価格競争ではなくて、 "品質向上競争" とでも言う路線を支援しようとしているわけである。これは、実にリーズナブルで "頷けるコンセプト" だと思えた。
 今どき、PCが壊れたと言って騒ぐことはない。そこそこ使える低価格PCはいくらでもあるからだ。
 しかし、留意しなければならないことも無くはない。そんなことに遭遇してしまった。
 かなり使い込んだPCならば、いわば "耐用年数" が過ぎたのだと思って諦めざるを得ないだろう。貴重なデータさえキープされていれば、 手間とコストは掛かるが、"新規購入PC" に "再設定" を施したり、常用アプリケーション・ソフトを "再インストール" すればそれで一応済みそうである。
 後は、個人データなどを残さないように処理して、壊れPCを処分すればよさそうな気もする

 が、 "問題が残る" 場合もあり得る、ということなのだ。
 昨今の "アプリケーション・ソフト" は、その "使用権" を "ライセンス" として扱うのが一般的だ。かつてのように、 "ソフトCD" を購入すれば、何台もの複数PCにもインストールして流用するわけには行かないものも増えている。
 また、よりバリューのある "アプリ" であれば、Windowsの "OS" と同様に、 "オンラインでの認証" を要求したり、その上でその "複数制限数" を "2台、3台" までと制限する場合もある。
 自分が利用している "Webサイト構築ソフト" や "ウイルス対策ソフト" などもこうした "制約" が条件となっている。
 その際、ソフトベンダー側での "監視手段" としては、ユーザー側のPCハードの、言ってみれば固有のIDである "MACアドレス" (ネットワークアダプタ(LANカード)に設定されている固有の番号で、OSによって Ethernet Address、アダプタアドレス、Physical Address とも呼ばれる)というものを掌握するようである。昨今のPCでの "ネットワークアダプタ" はマザーボードと一体化している場合が多いので、いわばPC判別の "DNA" に相当しそうである。

  "バンクーバー五輪" がつつがなく終了し、TV放送も静かになった。
 が、<白い思い出>を "無粋(ぶすい)" に融かすかのように騒いでおられる面々もいる。やはり、 "ちょっと違うんじゃないの!?" と横槍を入れてみたくもなる。いずれも、 "無粋" さの根底には "国粋(こくすい)" (その国家・国民に固有の、精神上・物質上の長所や美点)に執着するかのような心根が透けて見えるようだ。
 ナチスに "利用" された時代のオリンピックイベントならいざ知らず、グローバリズム現代のオリンピックにあっては、 "国家" の影は "背景色" 位に落ち着いていいように思えるが......。
 その一つが、 "ロシア" の動きだ。 "やっぱり、そう来るのか" なぁ、という思いであった。

  "チリ大地震" は復旧もままならぬかたちで、刻一刻と過ぎる時間とともに被災者数が膨れ上がっているようだ。巨大地震の災害規模というのは、通信網が寸断されるだけに、深刻な状況がなかなか掴みづらく、そして伝わりにくい。
 チリの現地ではもちろん苦痛、苦悩が頂点に達していることだろうが、遠く離れた国々で暮らすチリ出身者や関係者たちの不安や心配も、この "音信不通" 状態では計り知れないものがありそうだ。
 ちなみに、ちょうど一年前に、我が家で "救命" した子猫、 "ミミ" を貰ってくれたご家族のご主人がチリの出身者だったそうだ。しかも、しばしばTV報道で登場するコンセプシオン出身だとか。
 家内が何気なくそのことを思い起こしたのである。それで、その奥さんにメールをしたところ、やはり現地と電話が通じなくて、親戚・友人・知人の安否を大変気遣っておられるとのことであった。

 去年の今頃はケータイのメールで、その後の "ミミ" の様子などが写真添付で送られてきたりしていた。どこにでもありそうなケータイ・メールを通じた手軽なコミュニケーションである。
 自分は、もともとケータイやケータイ・メールを活用する方ではなく、この方がめずらしい位に、もはやこの便利なツールは一般的となっている。いや、ケータイはこの現代の日常生活にとっては不可欠だというステイタスさえ獲得していそうだ。
 だが、ケータイという便利な通信ツールは、 "巨大なITインフラ" に浮かぶ木の葉のようなものであり、もしその "インフラ" が中枢部の機能麻痺に陥ったとしたら、目も当てられない事態が引き起こされるわけであろう。
 現に、 "チリ大地震" ではそうした "インフラ" が壊滅的に崩壊した模様であり、パーソナルな日常的コミュニケーション不能どころか、重要な社会的機能を麻痺させる結果となっているようだ。

 間際にならないと本気になれず、もちろんやる気も沸かない。毎年そうである。結構、時間はあるにもかかわらず、 "そんなこと" に時間を割く位なら、他にやるべきこと(やりたいこと)はいくらでもある......、と構えてしまうわけだ。
 かと言って、そのことを完璧に黙殺するわけでもなく、そこそこ気にしたりして、脳裏を過ぎらせては嫌な思いになったりもする。さっさと済ましてしまった方が精神衛生上もよかったはずだったわけだ。

 何の話かと言うと、 "確定申告" のことなのである。
 そう言えば以前、とある脳科学者が、こうした税務処理を何年も怠り、当局から指導を受けたり "追徴税" の罰を受けたりと世間を賑わしたことがあったか。そのご当人は、大層な人気者で飛ぶ鳥も落とす勢いで稼がれていたようだったから、税務処理なぞは "自前" でやろうとせずに、専門の会計士なり税理士なりを賄えばいいのに......、と思ったりしたものであった。
 自分とて、相応の稼ぎがあったなら、こんな税務処理なんぞを "自前" でこなそうとは思わないはずである。ところが、如何せん、専門家に任せなければならないほどの稼ぎの規模ではないから、しかたなく "自前" でやろうとするわけである。
 そんなわけで、今月15日が期日なので3月になってしまった今日、ようやく手を付ける運びと相成った。この節目の日を外すと、あとは自堕落になってしまいそうな予感がしたからである。

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