かなり難しい問題、どう考えても納得がゆく思いとはなれない問題がある。
いや、今のご時世はそんな難問だらけではないかと言われれば、それはそうなのだが、それでも、 "この問題" は破格の位置にありそうではないかと感じている。
大体、難しい問題というのは、問題自体が難解だというよりも、その問題に直面する者の "演算装置" の側に特別な事情がある場合が多いのかもしれない。
それは、たとえば "先入観" であったり "偏見" であったりするものが、 "演算装置" を正常に機能させない、というようなことである。そして、そうした "先入観" や "偏見" が強い強度、長い期間の生活実感と一体化された場合には、なおのこと始末に負えないということになるのであろうか。
回りくどい言い方ではじめてしまったが、 "その問題" というのは、なぜ "右肩上がり" でなければならないのか? そうでない状態になぜ価値が見出せないのか? というような問題なのである。
と言っても、経済現象のことだけを念頭に置いているわけではない。とりあえず、わかりやすい例だと思えるから "右肩上がり" という表現を使った。GDPにせよ、株価にせよ、通貨価値にせよ、主な経済指標は軒並み "右肩上がり" であることを止めつつある。それは一国だけの事情だけではなく、概して言えば、グローバルな広がりでそうなりつつあるのではなかろうか。 "CO 2 削減" という待ったなしの課題をも意識するならば、なおの事そう言える。
経済活動は、従来から延々と続いてきた "右肩上がり" 信仰とでも言うべき固定観念を、このまま維持していくわけには行かなくなっている、というのが大極的な見方となっていそうではないか。