2009年9月 アーカイブ

 不況という経済問題の陰で頓挫させられている重要な事柄は少なくない。 "共同性" や "友愛" もそうなのだろうし、 "コンプライアンス(遵法性)" もそうだ。
  "市場原理" だ、 "収益性" だ、 "国際競争力" だと "言い訳の言葉" には困らないご時世ではあるが、そんなことで貴重なものを軽視・無視することは、ありふれた表現だが、確実に "将来に禍根を残す" 結果となる。
 その "禍根" は、無関係な領域での災いとして現れるならまだしも、ホームグランドそのものを荒らし、屋台骨をも蝕むという、まさに天に唾する結果になりそうだ。つまり、経済自体を立ち行かなくさせる "時限爆弾" を仕掛けるようなものなのかもしれない。

 人はとかく、 "当面は" という観点で事に処しがちだ。 "当面、大丈夫であるならば......" というふうに。そして、言うまでもなく、悪事に走る当事者たちが気に掛けるのは、
 "当面は露見しない" というその一事であるに違いなかろう。
 そうした勝手な思いを厳しく叩くことはもちろん不可欠である。だが、さらに重要なことは、社会に埋め込まれてしまった悪行というものが、たとえ "当面は" 潜伏して目立たなくとも、後に、思わぬ惨事を引き起こす遠因となりかねないこと、それをしっかりと想像することではないかという気がしてならない。こんなことは、新型インフルエンザ流行の推移を想定するだけでもわかりそうである。



















 薄ら覚えでも、自分の言葉と記憶でものを書いたり喋ったりすることに徹したいと思っている。この日誌を書く場合にも、 "コピペ" (コピー&ペースト)でお茶を濁すことも少なくない。
 確かに、不確かな情報を振り回すのは良くない。まして、不確かな "引用" をして何かを言おうとするのはまずい。ひょっとしたら、かつて、研究生活もどきをしていたこともあり、ことさら "出典" にこだわるクセがついてもいそうである。
 情報の出所に正確であろうとすることは大事だし、そうしておけば、後日、その情報を再活用をする場合にも効果的である。
 ただ、情報やその "出典" に正確であろうとする、そうしたことに拘泥することの弊害もまた確実にありそうな気がしている。
 昨今の住宅地では、右を見ても左を見ても真っ暗闇じゃございませんか、じゃなくて、犬や猫がウジャウジャいるじゃございませんか、と感じる。
 犬の場合は、近所で飼われている幸せものたちの鳴き声であり、ウォーキングなどの際に、犬も歩けば棒に当たるじゃなくて、人が歩けば犬と出会うがごとくに行き当たる散歩させられている小型犬たちのことだ。
 そして、猫たちも、さすがに首輪(市民権? 身分証明書?)のない野良猫たちの姿はさほど見かけないが、わが家でのような飼い猫たちの存在は今やメジャーであろう。
 その証拠といっては何だが、ホームセンターなり、コンビニなりには、ペット・フーズをはじめとするペット関連用品コーナーは実に盛況である。
 そうした棚の前では、やたらに "悩む" 素振りの顧客たちが長時間貼り付いていたりする。このご時世、ほかに "悩む" ことはたらふくあろうに、先ずもって "うちの子" たち ―― 最近、飼い犬や飼い猫のことをそう呼ぶアホーがめっきり増えた。特に若い女性に目立つ? ―― のことで悩みたがっている模様だ。ホントの "うちの子" たちのことはどうなってるのかが気になる......。
 最近、留意していることは、せっかく習熟した技術などを "錆びつかせない" こと。
 以前から書いていることだが、IT関連の技術、といっても大したものでもないが、それらは習熟するのに多少の手間が掛かり、それなのにしばらく放置しておくと、まるで乗らない自転車がいつの間にか錆びるように、えーっと、どういうことだったっけかな......、なんぞとまごつくことになる現象のことだ。
 それこそ一日の "始業点検" ではないが、忘れたくない技術については、時間をおかないかたちで幅広く当たっておくことが不可欠だ。深く入り込むことまではしなくとも、そうそう、こういう "手触り" だったのだ、というような感触を繰り返しておくことが大事なようである。

 そんなことを考えてみると、この "悪化経済" の中で、せっかく習熟した技術をむざむざと忘却の彼方に置き去りにしてしまう人々が、決して少なくはないのではないかと思い至った。
 技術などを錆びつかせないベスト環境とは、オンザジョブ、つまり実務継続以外ではないはずだろう。仕事として技術を駆使せざるを得ない状態であれば、とにかく忘れようがない。まさに、技術発揮にまつわる一連の能力は "アクティブ" なステイタスに置かれることになるからだ。
  "ITやデジタル技術" がさまざまなジャンルで応用・活用されているのはわかる。
 ただ、ビジネスやゲームなど、要するに収益の出やすい "有効需要" に傾いているのも事実ではなかろうか。
 当然といえば当然のことなのだが、もっと "地味" でありながら苦悩に苛まれている人々を大いに支援するジャンルにこそ援用されないものかとつくづく思う。
 念頭にあるジャンルとは、 "介護" の領域である。それも、介護施設でのサービス合理化というようなものではなく、巷に埋もれ、そして今後ますます苦悩の度を深めていくに違いない、個々の "在宅介護" の現場に光が射すような援用は何かないものだろうか。

 もちろん、医療厚生制度の問題など社会的制度の改善・改革が待ち望まれる。現在、ズタズタになっている現実を認めざるを得ない "地域コミュニティ" の再構築といった課題もすぐさま思い浮かぶ。
 昨今、報道でも、 "介護疲れ" による "悲惨な事件" のことが頻繁に伝えられている。被介護者のみならず介護をする者が高齢化していたり、そうでなくとも孤立した環境の中での過労や絶望の淵で、言い知れない苦悩を背負わされているようだ。
 マイナス現象ばかりに目を向けていてもしょうがないが、相変わらず現状の "景気動向" は不安定きわまりないようだ。
 株価の動きにしても、今日あたりは "大幅な反落" を迎えている。

<日経平均、反落 終値278円安の1万265円
 25日の東京株式市場で日経平均株価は大幅に反落。終値は前日比278円24銭(2.64%)安の1万265円98銭だった。野村による巨額の公募増資が金融株全体への売りを誘い、野村は値幅制限の下限(ストップ安)で比例配分された。前日に需給主導で急伸した反動や前日の米株安、円相場の強含みも嫌気され、下げ幅を300円超に拡大する場面があった。......>( 2009.09.25 NIKKEI NET )

 株価の変動に一喜一憂することはないにしても、気になるのは、この国の "内需(国内需要)" に関する指標だ。いわゆる "非製造業=サービス業" の動向がやはり気になるところだ。以下、関連記事を引用してみる。
 銀行に用があって、久しぶりに町田駅付近に出かけた。
 昨日だったかと思うが、町田駅付近では雑居ビルのシャッターへの発砲事件があった。何とも物騒なご時世である。
 そんなことは別にして、久しぶりに駅近辺に足を運ぶと、このところ人ごみから遠ざかっていた自分のような "田舎者" は、その殺伐とした雰囲気に圧倒されそうになる。
 何だか、それぞれ皆が "金銭感覚" を剥き出しにして蠢いているように感じてしまったのだ。何がどうというわけでもないのだが......。
 あらゆる "需要" が冷え込んでいるこんな時期に、どんなジャンルであれ対価を支払って商品なりサービスなりを手にしようとする人は少ない。
 いや、そうしたジャンルがないというわけでもないのだろうが、今度は、対価がとてつもなく低くて話にならなかったり(たとえば、介護労働など)、あるいは、そうした羽振りの良いジャンルとは自分側が縁もゆかりもなかったり......。
 これが現在の悩ましい現実なのであろう。
 製造業も悪戦苦闘しているようだが、製造業の場合、必ずしも期待どおりにはゆかないにしても、国内需要だけに縛られず発展途上の中国や東南アジアに目を向けることができる。もっとも、今も書いたように一頃のような "特需" 的な盛況さは望めない。
 ようやく、涼しくなってきたので庭で片付け作業や大工作業をする気になってきた。
 ただ、つい先ほども思い立って夕刻の庭でごそごそとやっていたら、蚊の猛攻撃を喰らってしまった。顔といわず腕といわず素足の甲まで、肌の出ているところを十箇所ほど刺された。今も痛痒さで始末に負えない。
 日中に同じことをしていた時には、 "構えて" 、蚊取り線香を脇に置いたりして往なしたのでさほどでもなかった。が、先ほどは "丸腰" であったため被害を大きくしてしまった。 "被り蚊帳" でも着込まねばなるまいか......。

 庭に "サンルーム" を設えてしまったのと、テント風の物置を未だ残しているため、庭はめっぽう狭くなってしまった。まあ、(日曜)大工作業などをしない分にはどうということもないのだが、そんなことをしようとすると、狭くなっちゃったなぁ、と気づかざるを得ない。
 それでも、無用に汗をかくようなこともなくなった今頃となると、狭くなった空間であってもちょっとした作業なんぞをしてみたくなったりする。
 今日の昼食後には、 "追加剪定" をした梨の木の枝を整理した。つれづれな気分でというか、猫の毛づくろい気分でというべきか、要するに "もったり" とした心のありようで
行った。
 単純な作業や、誰が文句を言う筋合いでもないことを、 "淡々と" やるというのは実に精神衛生上悪くない。
 このところ、クルマを使わずにもっぱら "歩き" と "チャリンコ" に徹している。
 しかし、あまりにクルマから遠ざかると、ここでもまた "勘" が鈍ってしまうようだ。
 今日は、恒例の墓参りにクルマで出かけた。おふくろや家内を同乗させなければならなかったからだ。
 自分でも何となく "ご無沙汰感" がなしとはしなかった。おまけに、多少寝不足という点が災いしていたかもしれない。
 月に一度、もう何十回となく走っている道を、危うく間違えそうになってしまった。それがひとつであり、もうひとつは、立ち寄ったショップの駐車場で、バックの際にバンパーの角を壁に接触させてしまったのである。幸い、物損にもならず、クルマへの損傷もほとんどなくて済んだ。
 それにしても、 "勘" が鈍るとはこういったことを言うのかと驚いた。よくペーパー・ドライバーの危険がささやかれるが、まさにそのとおりではないかと思う。
 身体の振る舞い(運動神経?)の "慣れ" というのは恐るべしと言うほかない。トラックなどをレンタカーで借りた時にも、スタート時は何やらぎこちない感触である。が、4、5分も操っているとほとんど違和感を感じなくなる。これもまた "慣れ" なのであろう。
  "テレパシー" とか "念力" とかに関しては、それらを "超能力" と呼ぶべきかどうかは別にして関心は向けている。 "非科学的" と言えばそうだが、逆に、 "科学的" であることがすべて正しいことなのかと疑問を持つならば、あながち "非科学的" というレッテルをあちこちにベタベタと貼るべきではなさそうだ。
 今日の関心事は、視点は違うが、 "念力" 、 "念ずる" こと。

 脳と身体との関係の仕組みは、興味深いというだけではなく、 "脳卒中" などの成人病が社会的にますます注目される時代環境では無関心ではいられない。
 時々、あの "長嶋元監督" の姿をTVなぞで見かけるが、元気そうにしているのに対して相変わらず右手が不自由である姿には気の毒だという思いが込み上げる。
 詳細をよくは知らないが、やはり "脳卒中" などによる脳神経の損傷とその "リハビリ" とは想像を絶する難題なのであろう。
  "技術的な勘や感覚" というものは、どうもやはり時間を空けるべきではなさそうだ。
このことはここでも何度も書いているが、間違いなさそうだ。と同時に、何か現代人が疎んじやすい何か重要なことを暗示してそうな気がする。
 今日も、同じ辛酸を舐めてしまった。当該の技術的事柄には二ヶ月ほどブランクを空けてしまっただろうか。そうすると、案の定、戸惑ってしまうのである。
 こうしたことはもう何度も実感しているため、必要に迫られなくとも "表敬訪問" というか "ご機嫌伺い" というか、軽くアプローチしておいた方が "再開" した時に無難だとは思っていた。にもかかわらず、ついついご無沙汰してしまっていたのだ。

 人間関係でも、困った時だけ手前勝手に顔を出す無作法は嫌われ、その結果、望むことがうまく叶えられない、といったことはありがちである。日頃から、それとなく接触しておく如才なさが必要なようだ。
 逆に、しつこく通い詰めると、相手も根負けをするかのように意が叶ったりもする。どうもこれは、論理的問題だけではない事情が人間関係には含まれていることを裏書きしているかのごとくである。
 そして、人間の脳活動もまったくこの道理と似通っていそうな気がする。論理や単なる知識の記憶だけではない "周辺的な諸々" が思考や作業を助けているに違いない。だから、 "周辺的な諸々を巻き込む繰り返しの動作" というものが重要となるのだろう。まさしく、それが "練習" というもののエッセンスなのかもしれない。
 やはり眼が放せないのは "政治主導" へという舵切りにまつわる動きであろう。
 今日も、<鳩山首相、事務次官に訓示「官僚たたきではない」>( asahi.com 2009.09.18 )との記事があった。
< 鳩山由紀夫首相は18日昼、首相官邸に各省の事務次官を集め、政治主導をめざす鳩山内閣での「心構え」を訓示した。鳩山内閣は事務次官会議を廃止したほか、次官の定例記者会見を中止する方針を決めている。「脱官僚依存」の方針に官僚側の警戒感が強まっているため、首相自ら真意を説明する機会を設けた。
 鳩山首相は「事務次官会議の廃止ばかりが注目を集めているが、官僚たたきではなく、政治家が独り立ちして当たり前のことを行う第一歩だと理解してほしい」と説明。「脱官僚依存」という方針に困惑することなく、行政実務に専念するよう求めた。>(同上)

 昨日書き残したテーマもこれに関わっている。
 上記の<鳩山内閣は事務次官会議を廃止したほか、次官の定例記者会見を中止する方針を決めている。>という点なのだ。
 早速、 "新内閣" は斬新な施策を次々に打ち出してきた。国民の期待に応えるべく、 "スピード感" を持って対処してほしいものだ。 "国民が最悪の状況の中で苦しんでいるわけですから、一刻の猶予もないはず......" といった閣僚の発言には好感が持てる。

 感想を二点書きたい。
 一点は、 "直接的" と "間接的" との違いについて。もう一点は、 "アカデミズム(学識者たち)" も襟を正せ! という点だ。
 先ず、 "直接的" と "間接的" との違いという点。
 相変わらず、TVの報道番組などでは、 "新内閣" に対する一般市民の声と称してインタビューをしている。そして、何を一番望みますか? という "紋切り型" の質問で当然ながらの "紋切り型" 回答を引き出している点なのである。つまり、その回答は "景気回復" ということになる。
 そんな回答を聞いていると、気持ちはわかるが、じゃあ "景気回復" って何なんですか? と問い返したくもなる。収入が減ったり、無くなったりして困っているのは、あなただけではなく、みんな同じですよ。
 それに、政治に短兵急に "景気回復" を急かせれば、 "目先の景気刺激対策" という対症療法をことさらに注目させて、本来の "抜本的治療" が先送りにされるだけであろう。
 現に、現在の "景気浮上感" は、前内閣が闇雲に打った "目先の景気刺激対策" が鎮痛剤のごとく効いているだけの話であろう。だから、このままだと後半年もしないうちに元の木阿弥になるであろうことも、一部では予想されてもいる。
 いよいよ "鳩山新内閣" がスタートする。
 いろいろと "危ぶむ" 声もありそうだが、 "勘所" を外さなければ存外成果を挙げそうな気がする。これまでが "非常識" 過ぎたからだ。野党に下った自民党などが、 "常識" 水準を取り戻すにはとてつもない時間が掛かるであろうが、新内閣が正攻法で "常識" を目指せば自ずから実績となっていくものと推定する。

 ただ、 "非常識" な連中が一掃されたわけでも何でもない。むしろ、賢い人々は大所高所に立ってものを感じ考えるが、 "非常識" な人々の得意技は "逆恨み" と相場が決まっている。なぜならば、 "非常識" な人々がそうあるのは、そもそも "常識" というものをどこか "逆恨み" 的に見下しているところがあるからで、そんな人々であったら国民に良かれと思われることであろうが、あるいはたとえ自滅のワナにはまろうが、燃え上がる "逆恨み" の情念を消すことはできないのかもしれない。

 昨今の "CG(コンピューターグラフィックス)" の発展は目を見張るものがある。  今日、ふと以下のような記事を見つけ何ということもなく好奇心が惹かれた。  ちなみに、ネットを閲覧していて楽しいのは、時々、えっ、と思わされるちょっとした技術的なサプライズに遭遇することだ。こういう場合は、バカにしたり見過ごさずにとりあえず閲覧してみることにしている。  もちろん、そうしたいという衝動が立ち上がるからしかたないのだが、こうした対象に反応していくことが日常的な思考に刺激になるとも考えている。

<バーチャル看板  博報堂DYメディアパートナーズ(DYMP、東京・港、佐藤孝社長)は12日、愛媛県域のテレビ局と組み、スポーツの生中継番組で競技場の看板広告をCG(コンピューターグラフィックス)に置き換える「仮想看板」を導入する。画面に映った看板の位置を検出して、内容をCGで精密に描き直すもの。視聴者には実在する看板と見分けがつかないという。>(日経産業新聞 online 2009.07.10 )

 他のサイトの紹介では<「バーチャル看板企画」は、バーチャルグラフィックス技術を使い、ピッチャーがボールを投げてボールがミットに収まるとバックネットフェンス上のバーチャル映像が球速を表示する仕組みになっている。>とあった。  実在のバックネットフェンス上に "無地の看板" を設えておき、その看板の位置をTV画面上でリアルタイムに検出しながら、TV画面上にバーチャルな看板を描き出すというものらしい。

 かつて、農民からの年貢は "搾れば搾るほど取れる" とほざかれたそうだが、現在、この言葉をそっくり当てはめてみたいのが "官僚機構" とその亜流たる "地方官僚機構" に対してだということになりはしないか。
 相変わらず、県庁レベルでは<約30億円に上る千葉県の不正経理問題>というような "別世界" での出来事のような不祥事が続いているし、悪名高き "厚労省" では相も変わらず税金ロスでしかない "天下り" が横行している。
 <窓口いつもガラガラ 厚労省OB天下り先の雇用開発協会>、<厚労省所管の独法、天下りOBの年収指示 事業委託先に>(以上 asahi.com 2009.09.13)。そして<天下り先家賃も丸抱え 厚労省系行政法人、委託費を濫用>( asahi.com 2009.09.14)が加わった。
 こうした報道を知る限り、新政権が "官僚機構" のムダを本気で追求するならば、 "搾れば搾るほど取れる" という可能性がありそうな気がしてならない。まさか、仮にも公の組織なので、 "叩けばほこりの出る......" とまで口汚く言いたくはない。
 しかし、 "この種の不祥事" を許せないとばかりに目配りしてきた国民にとっては、一向に改善されていないことに憤りを感じるはずだ。まあ、時の政権が許容してきたのだと考えればわかりやすい。
 昨日の新聞の夕刊に以下のような記事があった。 "脳科学" という言葉に惹かれて目を通した。「脳」に関する情報への人々の人気のありようや、「脳科学」と哲学、経済、芸術との連携が着目される状況ならではの記事であろう。
 ただこの記事を読むかぎり、 "脳科学" と呼ばれる「科学」は結構 "荒っぽい" ような気がしないでもなかった。

< 宝くじが当たったとする。
①あなたは1200万円、他の人は900万円
②あなたは1260万円、他の人は1710万円。
どちらを選ぶ?
 手取りが多い②が選ばれそうだが、他者に勝ちたい①を選ぶ人も多い。...... 大学生の男女30人で調べたら、4割が①を選んだ。
 自分の利益が減っても他者の利益をより減らす「いじわる行動」だ。「いじわる」の本質をさぐるため、まず、単純にいじわるを受けた場合の脳の動きを分析した。
 ...... 脳の血流の変化を機能的磁気共鳴断層撮影(fMRI)で測った。「いじわる」されたときの脳は、とくに変化がなく普通に受け止めた。逆に、自らの利益を減らして相手の利益を増やす「親切行動」を受けると、不審に思って考える脳の部分が活発になった。
 チームの○△×□教授らは「人の本質はいじわる行動」との仮説を立てた。...... >(2009.09.12 朝日新聞 夕刊/土曜フォーカス 『脳科学 不思議の園 「思考」を測る技術進む』」)
  "小さな金魚鉢" で飼われた金魚たちは、 "広い水槽" に移されても中々新しい水槽のその広さには馴染めないと聞いた。小さな範囲をぐるぐると回っているとか......。
 しかし、やがてその金魚たちも鼻ッ端をぶつける壁がないことに気づいたり、車幅感覚とでも言えそうな行動感覚が慣れるに及ぶと広い水中エリアをスイスイと泳ぐことになるらしい。

  "小さな金魚鉢" とは、われわれに即して言うならば、とかく "閉ざされていた" 従来の生活空間のことである。そして、 "広い水槽" とは言うまでもなく "グローバリズム経済後の現代" の生活空間である。
 ところで、われわれは上記の金魚たちのように、<行動感覚が慣れるに及ぶと広い水中エリアをスイスイと泳ぐ>というような楽観的帰結に至っているのであろうか。
 よほどのことがない限り "クルマ" を利用しないようにし始めた。ここに来てガソリン価格が再び上がっていることや、CO2排出削減という点もある。が、何よりも運動不足解消という観点から "自転車" を使うべし、という思いが強い。
 幸い、ここしばらくは雨も降らない。(明日は降るとかだが......)真夏日の炎天下を走るのはやや辛いが、次第に気温も下がり始めて、これで秋雨の頃となるまでは "自転車" で何ら問題はなさそうである。問題は、乗らないでいると使う筋肉が衰えてすぐにバテてしまうことだ。
 このところの毎朝一時間ウォーキングで、歩くことには何ら苦労しなくなったようだが、自転車はしばらく遠ざかっていたためか、疲れはしないまでも腿の筋肉があれこれと愚痴をこぼす身体となっている。
 昨日の "レンタル・サーバ" のダウンは、やはり "重症" だったと見え、その復旧までには12時間も掛かったようだ。ただ、心配していたデータ消失が皆無であったのは幸いであった。多分、ディスク障害の箇所から自分のデータ・エリアが離れていて影響を免れたものと思われる。
 運が悪い場合には、一ヶ月分とかのデータが消失してしまい、ユーザ自身がその間のデータを再度アップロードしなければならないというような悲惨な事も起こり得る。
 自分の場合、このように "デイリー" で更新を行っているため、そんなことにでもなればその徒労感ときたら言い知れないものがある。
 先ずはホッとした次第である。

 今日は、ひょんなことで朝から気が滅入っていた。別に珍しいことではなく、昨今のご時世では、誰でもがいつでも可能なことであろう、気が滅入り、落ち込んだ気分となるのは......。
 自身を振り返っても、毎日がそんなふうであろうか。 "気分" なるものが、独りがとぼとぼと山の稜線を危なげに歩いているような、そんな図のようである。いつでも、足を滑らせて険しい谷間へと落ちることができる(?)。
 先日、書いた<人はなぜ落ちる(落ち込む)のかといえば、 "這い上がる" ためなのだ>というハッタリめいたセリフは、こんな日常の感覚の文脈があったればこそ、妙に響いていたのかもしれない。

 つい先日、契約している "プロバイダ" のサーバ・ダウンがあったかと思えば、今日は "レンタル・サーバ" がダウンした。
 よくあることではあり、気をもむことではないが、それでもサーバ・ダウンが起きると、サーバ・データのバックアップが万全とは行かず、アップロードしてきたユーザのデータが "飛ぶ" ことが予想される。しかも今回の事故は、今朝発生した後、現在もなお復旧できていないところを見ると、厄介なことになっているのかもしれない......。
 前回の別の "プロバイダ" の事故でも、スクリプトやデータが "何世代" かバックしてしまっていることが判明し、自前でそれらを修復したばかりだったのである。今回もそうした自前の手間が掛かるだろうという点が気になるところだ。
 たぶん、この日誌も、ブログ形式の方は今日中にアップロードはできないのではないかと危ぶんでいる。
 各地の博物館で "興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」" が催され、 "阿修羅像" の人気の高さは実証されている。
 自分は、今回の催しが行われるずっと以前から "阿修羅像" の魅力には惹かれてきた。何といっても、その "憂いやあどけなさ" を含んだ上品な表情に好感を抱いてきたのだ。
 ただ、待てよ~、という疑問が湧かないわけではなかった。
 というのも、 "阿修羅のごとく......" と引き合いに出されるように、阿修羅は "戦闘の神" だからである。なのに、まるで少年や女性のような表情というのが、何とも解せなかったのである。

 今日の新聞報道に、 "なるほど" と頷かされる記事があった。
 今日も昨日に引き続き、 "HP上のデータ更新簡易化" を "CGI" で作成する作業に当たった。
 過去に、 "日替りHP" という "力作(?)" を作ったこともあり、プログラム(スクリプト)の基本ロジックはすでに完了させている。これから如何にコアの部分だけを取り出し、使い勝手のよいこじんまりとしたシステムへと圧縮するのかが課題であった。
 しばらく "CGI" のプログラム(スクリプト)を扱う作業から離れていたため、勘を取り戻すまでにいくらか試行錯誤はあったものの、今日あたりは、まずまず勘が戻り、思い描いたシステム構造がほぼ出来上がってきた。
 システム作りの楽しさは、思い描いたシステムへと着々と接近して行く点にあろうかと思う。ロジックの暗礁に乗り上げた際には、 "胃がキリキリと痛む思いの苦痛" となるが、それも解消した時の "ヤッタ~感" をより増幅するための不可避の関門のようなもので、いわば貴重な "スパイス" だと言うべきなのかもしれない。
 漸く日中も過ごしやすい気温となりはじめたので、気分良く作業ができる。
 この間、ウェブ上の技術的事柄でちょいと実現させたい案件があり、この二、三日取り組んできた。
  "CGI" を駆使した、HP上のデータ(テキスト、画像)更新の簡易方法とでもいうもので、特別難易度が高い課題でもない。
 ただ、今や、HP上のデータ更新は "デイリー" で行わなくては意味がないほどにリアルタイム性が求められる風潮となつている。特に、ビジネス絡みのHPであれば、より新鮮なデータの掲示でなければチャンスを作り出せないはずだ。
 しかし、この "デイリー" でのデータ更新という作業は、やはり厄介で面倒な作業である。そんなところから、 "ブログ" 方式のHPが人気を集めたという経緯もあろう。
  "ブログ" 方式のHPはこうした課題に対しては、多分ベストに近い解決策に匹敵すると思われるし、自分も採用している。
 この一ヶ月間、ウォーキングはほぼ毎日所定の一時間コースをこなしてきた。毎日継続していると疲れをほとんど感じなくなるものの、何せ、同じコースだと気分に厭きが来るのも否めない。
 そこで、ここしばらく足を向けていない薬師池コースへ向かう気になった。ただし、このコースは所定のコースの優に二倍の距離と、坂道も急で長い。つまり、機械的に済ますわけにはいかない決してラクではないコースなのだ。
 だが、そちらを選ぼうという気になったのは、いくらか体力に余裕が生まれていたこともあったが、たまには異なった景色を見ながら、厭きの気分を拭いたいという思いがあったからだ。
 今日は、PCに関して実につまらないことで時間をつぶしてしまった。
 特別の環境変更をした覚えがないにもかかわらず、突如としてインターネット接続が不能となってしまったのだ。
 まあ、ネットに関しては、最近、ワイヤレスLANの設定をした覚えがあり、また、LANの延長ケーブルを追加したという経緯はあった。しかし、それらは設定後、問題なく稼動していた。
 一応、そうした追加設定に何らかのエラーが残っていたのかと点検してみたり、はたまたネットワーク環境設定全体を総点検してみたりしたが埒が明かない。
 いよいよ狐につままれたような気分となり、あれこれとムダとも思える点検を続けていたところ、何と、ウイルス対策用のソフトにおいて、インターネット環境を遮断する "緊急ロック" というオプションを "オン" にしたままだったのである。
 今でも変わらないと思われるが、専門的な技術を売りとする会社、たとえばソフト開発会社などにおける "上司と部下" との関係というものは、それなりに難しいものだ。
 特に、上司が技術畑出身者でない場合は "混迷" を極める。たとえ、技術者の経験を積んで管理職となった上司であっても、昨今の技術進展の速度を考えると、どうしても現役の技術者である部下たちとの間に空隙が生まれることは否めない。
 もちろん、技術部門の管理職の役割は、部下たちと新しい技術要素に関して競い合うことなんぞではなく、顧客や市場の動向を踏まえたり、ビジネス的要素を鑑みた、あるいは部下たちの能力育成の観点にも立ちながら、いわば幅広い視野に立って部下たちを管理・指導することのはずである。
  "風" が吹いたから民主党の圧倒的勝利が成ったともっぱら言われている。確かに、小泉内閣時の郵政選挙の際には "まやかしの風" が巻き起こされたかもしれない。
 当時のことを振り返ると、 "まやかしの風" の正体は、何あろうマス・メディアの "肩入れ" だったのではなかろうか。 "刺客" だの "改革なくして......" だのとマス・メディアが提灯持ちのバカ騒ぎをしたことがありありと思い起こされる。巨大な業務用扇風機で引き起こされた "まやかしの風" であったわけだ。
 日本人が、 "風" だの "空気" だのと得体の知れない作用力に影響を受けやすい体質を持っている点は否定しがたい。 "神風" という言葉を誰もが知っているこの国ならではの文化的特徴のひとつなのかもしれない。
 昨晩は台風の影響で涼しかったせいか、 "深い睡眠" がとれた。やはり、睡眠は時間の長さよりも "深さ" だと改めて思い知らされた。今日は、概して気分が良く、すっきりとした頭で、仕事の方の進み具合も悪くはなかった。

 睡眠といえば、相変わらずよく夢を見ている。このところ、刺々しい内容からは離れて、どちらかというと楽しい夢、しかも "ハイテンション" となって嬉々としているような夢を見ている。
 残念ながら、それがどういう脈絡で "ハイテンション" となっていたのかが思い出せないでいる。何でも、複数の誰かと歓談したり会話をしていたようなのだが、誰だったかが限定できない。

 いつも書くように、夢というのは "はじめに感情ありき" の産物のようであり、決して事柄としての因果関係の推移ではなさそうだ。楽しいというちょっとした感情が先行して生じると、その後に取って付けたような論理での事柄イメージの連鎖が形成されるような感触である。
 よく言われるように、突如物音聞こえてきた場合とか、膝を立てて寝ていてその膝が急に倒れたりした際、そうした感覚が感情の起伏を促し、まさにそれらを意味づけるかのような事柄のストーリーを夢として描き出す......、という仕組みのようである。

2020年11月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          














関連サイトへのリンク


  • 電子書籍(eBooks)制作にフォーカスしたサイト
  • 明けない夜はないことを確信するサイト
  • Green(地球環境改善)にフォーカスしたサイト
  • ソフトウェア技術者やSEのための評価と育成、人事考課制度を考えるサイト
  • さまざまな業種・業態でご利用可能なモバイル活用の予約システム!
  • 創作小説『海念と保兵衛』のサイト
  • 創作小説『かもめたちの行方』のサイト
  • 当ブログ推奨の商品を展示したAmazon ストアー!
  • 当AdhocBlogブログの過去のエントリー
  • 株式会社アドホクラット当時のサイト

★売れ筋! No.1!
家庭用"放射線測定器"

日本通信 bモバイルWiFi ルータ+1 ヶ月定額SIM BM-U300W-1M
価格:¥ 20,208
国内配送料無料 Amazon





このアーカイブについて

このページには、2009年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは、
 2009年8月
です。

次のアーカイブは、
 2009年10月
です。

最近のコンテンツは、
 インデックスページ
で見られます。

過去に書かれたものは、
 アーカイブのページ
で見られます。

年月別アーカイブ