今朝は、いつものウォーキングを2ラウンドしたことになる。
晴れて、昨日までの怪しい雲行きもなさそうだったので、事務所まで往復してみることにしたのだ。ちょうど事務所にモノを取りに行かなければならない用もあったので、そうしたのだった。
事務所までの距離は徒歩で一時間、いつものウォーキング・コースとほぼ同等である。それで往復となるから、結局、ウォーキングを2ラウンドしたのと同じこととなるわけだ。
今日の天候は、かなり強い陽射しに戻っていたため、思いのほか汗だくとなり消耗したようだ。しかし、久々の明るい陽射しは風景に活気を与えていた。
まだまだ存在感のある夏雲を浮かべる空であったが、それらの雲を通して覗く空は真っ青であり、そのコントラストには目を引くものがあった。
あまり見慣れない道を歩いてみるというのは、大したことではないにせよ幾分かの新鮮さが伴うものである。こんなところに公園があったかとか、この道はこんなところに通じていたのかと気づかされるというようなことである。
陽射しの強さがなければ、もっとのんびりと気分転換ができたはずだが、何分にもまだまだ暑く、汗だくとなり、何となく急く気分もないではなかった。
文字通りの涼しい秋となったならば、こんなふうに近辺の見慣れない光景を見ながらの散歩、ウォーキングというのも悪くないかと思えた。もちろん、ちょいと準備をして自然を残しているスポットに出向くのが良いに決まっているが...... (2008.08.31)
用があって午後、事務所に出てきたが、どうもまたまた空模様が怪しい。そこそこで切り上げて帰宅した方が良さそうかと思っている。
気象情報では、今日、明日は "前線" の停滞で列島全体が不安定な天候になる模様だ。雷や降雨量にも警戒が必要なのかもしれない。
まるで、時季はずれの "台風" 騒ぎとなっているようだ。これで、秋本番の台風シーズンとなったらどんな手痛いことになるのかと、これからのことも心配になってしまう。
しかし、この豪雨に関するニュースなどの報道によれば、死者などの犠牲者や土砂崩れその他による家屋損壊などが発生しているようで、決して軽んじることはできない状況のようである。
ホントにヘンな時代になったものだ。矛盾だらけの人の世のみならず、自然界までが "機嫌が悪い!" 振る舞いをぶつけるかのようだからだ。
昨夜は、夜通し続く "閃光と雷鳴" で随分と睡眠が妨害されたが、その際、この昨今の "機嫌が悪い自然" に対して、まさに "人格的" な意思のようなものを感じたりしたものだった。
もう昔の話となるが学生時代、『偉大な生涯の物語』(1965年、出演: イエス・キリスト...マックス・フォン・シドー, バブテスマのヨハネ...チャールトン・ヘストン, 百人隊長...ジョン・ウェイン, 監督: ジョージ・スティーブンス)という映画を鑑賞した。その映画のクライマックスは、もちろんイエス・キリストがゴルゴダの丘で処刑され、復活を遂げるという場面である。
その時、天が裂けんばかりに雷鳴が轟き、その場に佇むローマ軍の "百人隊長/ジョン・ウェイン" が複雑な表情で天を見上げるシーンがあったかと覚えている。
明らかに、彼はその雷の "閃光と雷鳴" に "神の存在とその意思" とを感じ取っていたかのようであった。その雷の激しさが、彼に、イエスはきっと "神の子" であるに違いない、という確信と、必ず奇跡の復活を遂げるであろうという強い予感とを抱かせた、というそんな演出になっていたようなのである。
ひょっとしたら自分はこの世に生まれていなかったかもしれない......。そんなことを慄然として感じさせられたものだった。
1945(昭和20)年8月6・9日に、広島・長崎に原子爆弾が投下された事実は誰もが知るところだ。ところが、<原爆が投下される直前の7月下旬からの日本本土での予行演習のため、プルトニウム原爆と形も大きさもそっくりに作り、大量の爆薬を詰めた巨大爆弾>、<「模擬原爆パンプキン」>が投下されていたことを知る人は少ないのではなかろうか。(引用は、「NHKオンライン」より)
自分も、NHK番組『その時歴史が動いた 第333回 模擬原爆パンプキン ~秘められた原爆投下訓練~』(8月27日 (水) 放送)を観るまでは知らなかった。
投下場所は各地に点在しているようだが、その一つに<大阪市東住吉区田辺>という実に馴染み深い地名があったことを知ったのである。
何と、この<大阪市東住吉区田辺>とは、自分の生家のあった "鷹合町" から1キロも離れていない隣の町であり、現に、叔母の家があった場所なのである。幼い頃にはよく遊びに連れて行ってもらったことがありありありと記憶に残っている。
番組では、<大阪市のパンプキンが投下された場所の近くの路地に、犠牲者の遺族が私費で「模擬原子爆弾投下跡」の碑を建立。毎年7月26日、地域住民が集い追悼式が行われている>として、その<追悼式>の様子が伝えられていた。<模擬爆弾>ではあっても、通常爆薬が大量に詰め込まれていたために、少なからぬ<犠牲者>が出ていたとのことだった。
最近は、 "迷惑メール" はサーバー側で選別し、弾いてもらうサービスを受けているため、不快なメール類を目にすることが少なくなってはいる。そうしたメールは、先ず開かないため、定かには酷いであろう中身のほどは不明である。
ただ、その酷さは、付けられた表題を目にするだけでも容易に想像がつくというものだ。いろいろなジャンルにまたがっているが、要するに "いかがわしい" という点だけは共通している。とにかく、興味や欲望を煽って、 "騙そう" というつもり以外ではなさそうだ。それも、常に "もっともらしさ" を常套手段としているから、中には "騙される" 者も現れるのであろう。
どんな "手口" を弄するのかに興味を感じないわけでもない。と言っても、もちろんメール開封などという危険なことは絶対しない。そこで、警戒しながらその種のサイト、例えば、 "SEO" 関連で、 "一気にアクセス数増大!のノウハウ伝授" なんぞという見るからに怪しげなサイト、あるいは、株取引関連で、 "暴騰寸前の株銘柄を掴む!方法提供" なんぞというサイトを興味半分に覗いてみたりする。
そうしたサイトでは、とにかく、アウダコウダと長ったらしい口上を並べ立てて、どこまで行っても提供価格の表示などが探せなかったりする。それが一つの特徴だったりするのかもしれない。そして、最近では、 "信用度" を膨らまそうとしてなのであろう、どこから持ってくるのか、提供側の若い男の顔写真まで掲載したりしている。見ようによっては、カリスマ気取りの表情と見間違えたりしないでもないし、あるいはいかにもマヌケっぽくも見えたりする。
あまりの暑さを避け、事務所に出ることにした。
盆休みのせいか道路の交通量は極めて少ない。盆と正月と言うが、正月と同様に戸外は閑散とした雰囲気となっている。
故郷のある人は帰省しているのだろうと想像した。わかる気がする。同じ暑さだとしても、都会の猛暑ほど味気なくかつ不快なものはない。逃げ出したい思いがするのは誰しも同じなのかもしれない。子ども時代の記憶に残った、今よりはましなかたちで残されていた自然の思い出に惹かれて帰省するというのは十分にわかるような気がする。
とは言っても、ガソリン代が高止まりしているので、クルマ利用の帰省は差し控えられているのであろう。しかし、公共交通を利用すればいいはずなのだと思う。
そして、この際、遠距離移動にマイカーを利用する "惰性" から脱却してしまえばいいのかもしれない。時代は、とっくにこうした "惰性" を許す状況ではなくなっているのだろう。公共環境に対して "無責任" 過ぎる市場主義経済に踊らされ、煽られて無意識に行っているのを順次自覚的に受けとめて行くに越したことはなさそうだ。
幸い、今の若い世代には "クルマ離れ" の傾向があるとかだが、それは悪くない傾向のように思える。
先日の話題ではないが、今後、「鬱の時代」が50年は続くのだとしたら、何はともあれ "バブル時代" や「躁の時代」の悪しき名残りからは速やかに脱却するのが順当なのかもしれない。いや、いち早くそうしたことに気づき、それを実践する者が時代変化が生み出す軋轢だらけのトンネルを、被害少なく通過して行けるのかもしれない...... (2008.08.16)
今日のように陽がかげってくれるとありがたい。それでも気温は30度内外はあるようだ。が、ほっとすることは確かであり、この間暑いために敬遠し続けていたベランダの清掃を午前中に敢行することにもなった。
無用なモノを片付けたり、植木鉢を整理したりしてすっきりとさせたのはよかったが、 "蝉喰い猫" にとっても、蝉が捕まえやすくなったようで、さっそく一匹を捕獲した。助ける暇もあったものではなく、例によってキッチンにある自分の餌皿に素早く持ち込んだ後、すっかり平らげてしまった。
蝉が "不覚" をとるのにはワケがあるようだ。ベランダには半透明の樹脂でできた屋根があり、ベランダに迷い込んだ蝉は、その屋根に何度もぶつかっては床に転げ落ちたりするのだ。猫はその顛末を見ていて、ここぞと跳びかかって捕まえるようなのである。
聞いた話では、野鳥たちのあるものは、大きなガラス窓などに突進してかわいそうなことになったりするとかである。都会の建築構造というものは、野生の動物、昆虫にとっては甚だ迷惑な代物のようである。
それはともかく、この猛暑の小休止はどの程度続くのであろうか。
蝉たちには気の毒であるが、涼しくすがすがしい秋の到来が待ち遠しいものである...... (2008.08.10)
NHKの紅白歌合戦の模様でもなく、はたまた北朝鮮のマス・ゲームでもない物々しい人海戦術のイベントを見せられた。素晴らしいと言うべきなのか、どこかあざとさが見え見えで、やはり胡散臭さが拭い切れなかったと言うべきか......。
とにかく、これはオリンピックの開会式なんだかんね、と親切に注釈されなければ、一瞬もニ瞬も、これは何? 真夏の夜の夢? 私は一体何を見てることになるの? と不安に襲われ、当惑させられてしまう、そんな重苦しさであった。
それにしても、一糸乱れぬ巨大なマス・ゲーム、それと合体したハイエンドのIT技術、これらが国威発揚的に誇示されてしまうと、丸腰で無防備に見ている者はまるで取り付く島がなくなってしまうではないか。こんな引田天功の巨大スペクタクルマジックのようではなくて、スポーツ競技者個々人の汗と涙の個人技が引き立つような、そんな "地味で大人しい式典" でも良かったんじゃないの? とそう思えた。
だって、いくらその訓練や練習方法が科学化されたり、IT化されたとしても、スポーツの大半は個々人が自身の肉体的・精神的限界と向き合うこと以外ではなく、それはそれは地味な営為ではないのか......と。
皮肉っぽい感想を書いてしまったが、やはり、現在全人類が地球温暖化問題などの未曾有な危機的問題に直面していること、そして、中国とて国内外に深刻な矛盾と問題を抱えているという事実など、そんな状況が通奏低音となっているからなのである。やはりこれらとしっくりと馴染み、違和感のない色調が望ましいと思えたのであった。
早く、各競技者たちが "等身大" のスケールで技を競い合う、オリンピックの内実自体を楽しみたいものである...... (2008.08.09)
久しぶりに近所の書店に行ってみた。
特に探し物の本があってのことではなく、買い物の途中、あまりの暑さをかわすべく入ったのだった。クーラーの効いたところでしばし涼もうとしたのだ。が、まあ結局は、二千円近くの本を買うことになり、一時の涼しさを相応に "買った" ことになった。
雑誌売り場を覗いていたら、 "立ち読み禁止" ならぬ "盗み撮り禁止" というような意味の貼り紙を目にした。
<ケータイ・デジカメなどで書籍のページを撮ることはご遠慮ください!>
というような文面が棚に貼り付けてあった。
なるほど、昨今は、そういう手合いがいるのか、と気づかされた。
"夏休み" のつもりでいても、自宅に居るのはあまり快適ではない。こう暑いと木造住宅の自宅はクーラーの効き方もパッとせず、家内も例によって実家の母親のケアで不在のため、結局、事務所に出てきてしまった。
事務所のクーラーのの方が効果的であり、ここで作業をする方がはるかに過ごしやすい。まあ、何ら気分が変わらないのが最大の難点ではあるが......。
熱帯夜が続いているためなのか、どうも熟睡ができないようであり、そのためか精神衛生の状態も芳しくないような気がしている。
最近のトラックバック
ケノーベルからリンクのご案内(2015/01/12 08:53):ケノーベル エージェント01/12
ケノーベルからリンクのご案内(2015/01/08 08:46):ケノーベル エージェント01/08
ケノーベルからリンクのご案内(2014/11/23 08:50):ケノーベル エージェント11/23
ケノーベルからリンクのご案内(2014/11/22 08:55):ケノーベル エージェント11/22