yasuo hirose: 2012年8月 アーカイブ

 今朝(8/30)もかなり強い地震があった。震源地は "宮城県沖" で、"震度5強"。昨年の東日本大震災の余震だとみられている。



 ところで、下記引用サイト記事:「南海トラフ 巨大地震と津波の被害想定公表」/NHK NEWS WEB/2012.08.29 のとおり、国は太平洋沿岸の「南海トラフ」付近で起きる巨大地震と津波被害の新たな想定を公表した。

 この4月にも同地震での "大津波" の新想定が発表されていた。

 ◆参照 <>茫然自失!?「南海トラフ」地震で新たに想定された"34.4メートルの大津波"(高知) ( 当誌 2012.04.02 )

 今回公表された被害想定規模の注目点は、何と言っても膨大な数の "死亡者" が想定された点であろう。
最悪の場合、およそ32万3000人が死亡するおそれがある>と......。

 なお、
一方で、早めの避難や耐震化などの対策を進めれば、大幅に被害を減らすことができる
としている点に注意を向けなければならない。
 東日本大震災の津波で被災し死亡した人たちの多くが "逃げ遅れ" であったとされていることを思えば、"いかに速やかな避難を実行するか" に鍵がありそうだ。ただし、南海トラフ 巨大地震での津波が、地震発生後間もないうちに沿岸部を襲うことや、避難すべき住民の中には多くの高齢者が含まれており、"速やかな避難" がかなり困難であることなどが大きな課題と目されているようだ。





















eBooks 街角書店(adhocrat)の書棚へ
 
 インディーなどによる "デジタルコンテンツ" を作家サイト上で "直販" するスタイルが広がりを見せている。かく言うこのサイトでも、左のような "スタイル"( "PayPal" の "クレジットカード決済" 連動システム )を併設している。

 先日は、この種のサービスで "SNS" 視点を盛り込んだ点において興味深い "reKiosk" という "新しいネットワークのプラットホーム" について書いた。( 参照 "インディー"アーチストたちにとっては"Web販路の確保"が重要な課題!"Kioskネット"!( 当誌 2012.08.28 )

 万事が "ジワジワと沈む" この経済情勢にあって、多少なりともネット環境で "稼ごう!" という意向もさることながら、活況を帯びている個人発の "デジタルコンテンツ" の "シェア" の動きが、"有償でのシェア" をも視野に入れ始めた、と言うべきなのかもしれない。
 そして、それに "拍車を掛けている" のが、使い易くなった "決済サービス" の普及なのであろう。つまり、"小規模な取引であっても見合う"、そんな水準へと "手数料" が下がり、加えて買い手側も売り手側も簡単な操作で済むという利便性が伴うことにより、いよいよ "使える!" という機を迎えたのであろう。

 下記引用サイト記事:「デジタルコンテンツ決済ベンチャーGumroad社がAPIをバージョンアップ、作家サイト上で直接購入できるように」/hon.jp DayWatch/2012.08.20 では、かねてより話題となっていた "デジタルコンテンツ決済仲介サービス" の "Gumroad" が、<クリエイター向けWeb APIをバージョンアップし、より簡素なデジタルコンテンツ販売を実現する「Platform API」を公開>したと伝えている。

 国内でもこの"Gumroad" というサービスへの注目度は高いようで、下記のブログなどからもその様子が推測できる。

 ◆ 参照 Gumroad(ガムロード)の使い方と注意点/ましまろな生活

 筆者のこのサイトでの "左上システム" 自体も、連動する "クレジットカード決済" は "PayPal" であるが、"API" に関しては "比較的自由度の高い" 別のシステムを活用して構成している。
 いずれにしても、インディーにとっての "デジタルコンテンツ、サイト直販" に、何らかの "決済サービス" プラス "API" というツールが欠かせないという点は間違いなかろう......。

 個体生命とてひとたび喪失すれば元に戻ることはない。だが、何千年、何万年継続してきた生物の、とある "" が "絶滅" するならば、今後、二度とその姿を見ることができなくなる。
 しかも、そうした "種の絶滅" の原因が、人間という "種" の繁栄に起因しているとなれば、"絶滅種" への憐憫を禁じえない。まして、その姿かたちは、大体が愛くるしいものが多いためか、心痛む......。

 そんな生物の中に、"ゲンゴロウ" という水生昆虫がいる。一時は、どこの水辺にも、あるいは "水たまり" にもいて、水中を上下に泳ぎ回るその動きが絶妙にかわいいため子どもたちから愛されてきた。
 かつては、お祭りや縁日の夜店でも金魚以上に人気を集めていたりした......。


「絶滅危惧2類」指定の水生昆虫ゲンゴロウ「ブログ水族館/中村 元」より

 その "ゲンゴロウ" が、ついに<絶滅危惧2類>( 下記引用サイト記事:九州でツキノワグマ「絶滅」 ハマグリも危機的/日本経済新聞/2012.08.28 )に分類され、絶滅の危険が警告されるに至ったという。

 三歳当時、自分は、大阪は今の "長居陸上競技場"(当時は競輪場) 近くに住んでいた。家の前には草ぼうぼうの広い空き地があった。いたずら盛りの子どもにとっては、そこは公園よりもずっと気に入った遊び場となっていた。
 雨が降った後の二、三日は、さらに興味が掻き立てられたものであった。草で覆われたあちこちの窪地に水たまりができて、ちょっと目を凝らせば "ゲンゴロウ" が見つけられたからだ。水水しい香りを湛えた草はらを、虫取り網を手にして歩き回った。
 ある時、その "ゲンゴロウ" を捕まえて持ち帰り、口の広い透明のビンに水を張って飼ったことがあった。水草代わりの草の切れ端も入れてやった。
 窓際にそのビンを "飾り"、その中で、いそいそと上下移動する "ゲンゴロウ" を飽きずに眺めていた、そんな記憶が今でも蘇ってくる......。

 
eBooks 街角書店(adhocrat)の書棚へ
 "電子書籍" や "デジタル音楽" を"インディー" として制作する者たちにとって、ボトルネックとなるのは、"Web 上でのその販路" であるに違いない。
 好きで制作しているのだから、"制作上での苦労" を厭うことはないはずだ。しかし、継続していくためには、スキルの向上は当然として、多少なりとも "売れる" ことが欠かせない。それは、"こころざしへの支持、支援" という何ものにも代えがたい勇気づけが与えられるからだ。

 確かに、エスタブリッシュなプラットホームに登録して、"露出度" を高めるという常套手段があるにはある。それで弾みがつけばそれはそれでいい。  しかし、名もない "インディー" の作品は "露出度" をいくら高めても結果にさほどの差が出てこないというのが相場なのかもしれない。

 ちなみに、<大きな小売サイトでインディーのアーチストをプロモートして利益を上げることは不可能である>(下記引用サイト記事:個人経営の書店やレコード店の"味"と楽しさ-その復活を目指す新タイプeコマースreKiosk/TechCrunch/2012.08.25 )という事実が率直に指摘されている。

 同記事によれば、そんな事実を出発点として、"新しいネットワークのプラットホーム" が立ち上げられたのだという。

 <インディーの作品を同じ一つのプラットホームに集めてなおかつ、大手出版社などの名前に依存せずに良い作品を世に出す方法>の構築なのだそうだ。

reKioskのユーザは、自分の好きな、あるいは自分が見つけたインディーアーチストの本やアルバムを集めて、キオスクの店主になれる店主以外の一般ユーザは、人気のあるキオスクに薦められた本を買ったり、店主の蘊蓄(うんちく)を聞いたり、お店を単純に見物したり、いちばん多くのキオスクにあるアルバムはどれか調べたりする。物販の物理的なトランザクションは一から十までサイトが担当し、キオスクの店主には売上の25%が入る

 要するに、<キオスクの店主>という、いわば "インターフェイサー" たちの SNS ネットワークプロモーション活動がこの "新しいネットワークのプラットホーム" を形成することになり、インディーアーチストたちの作品の "露出量を稼ぐ" というわけである。

 こうした SNS ネットワークプロモーション活動 を基軸にしたビジネス・モデルは、多分、誰もが一度は想定したことがあるに違いないリーズナブルな可能性を秘めていると思われる。
 ウェブが普及し始めた頃に注目を集めた、あの "ポータルサイト" の存在価値も、こうした "インターフェイサー" たちの甲斐甲斐しい活躍だったはずだ。
 おそらく、この種の "新しいネットワークのプラットホーム" の試みは今後増えてゆくに違いなかろう......。

 ただ、そうしたものに遭遇する機会を待ちつつも、筆者なぞはひたすら "孤軍奮闘"(?) するばかりであり、"右上の「セルフパブリッシングの街角書店」" のような細々とした "露出量稼ぎ"(?)に勤しんでいる......。

 全国的な猛暑をもたらしている南方海洋の気象状況が、同時に "台風の巨大化" をもたらすのではないかと、懸念されてきた。
 今回の "台風15号" はその懸念に相当するものなのであろうか......。
 下記引用サイト記事:台風 過去最大級の勢力で接近へ/NHK NEWS WEB/2012.08.26 によれば、<沖縄本島に近づく台風としては、統計がある過去60年余りの中でも最大級の勢力>>となるのではないかと予想されている。
 また、<動きが遅いため、沖縄・奄美では27日にかけて長時間、暴風が続くおそれ>も警戒されている......。


 このところ国民が釈然としない "外交問題" が急浮上している。"尖閣諸島" 問題、"竹島" 問題、そして対米軍事同盟関係の問題としての "オスプレイ" 問題などがそれらだ。
  "外交問題" に "特有の難しさ" がありそうなことは分かる。"国民感情" をぶつけ合ったところで問題は一向に解決されないであろうことも......。
 そもそも、確固たる国内法によって律せられる国内問題と比べれば、国際関係上の諸問題が "透明性" をもって解決されにくいことも了解できる。

 しかし、だからと言って、"外交問題" を "国民の理解" とはかけ離れた次元の "国家の特殊問題" と見なすことにはムリがあり過ぎる。
 ところが、現在持ち上がって来ている "外交問題" の多くは、どうも、国民を "蚊帳の外" に置き続けた自民党旧政権での外交姿勢が "大きく災いしている" と見えてしょうがない。
 いわゆる、相手国との "密約"(国民の理解を棚上げにして、ひそかに契約・条約などを結ぶこと。)である。

 下記引用サイト記事:〔大前研一「ニュースの視点」〕KON428「尖閣諸島とオスプレイ問題~前提となるファクトを考える」/大前研一ニュースの視点blog/2012.08.24 では、"尖閣諸島とオスプレイ問題" のそれぞれに、中国、米国との "密約" があったとの "事実確認(by 大前研一氏)" が踏まえられ考察がなされている。

 ■ "尖閣諸島" 問題での中国との "密約"

・中国は、実効支配の原則から尖閣諸島を日本領土として認める

 ・しかし一方で、中国も国内法では領土権を主張する

 ■ "オスプレイ" 問題に関する米国との "密約"

日本政府と米軍の間には日本国民には知らされていない「沖縄返還の条件」があり、オスプレイの配備など「軍政」に関することは米軍の意向に従うのが約束/『「民政」的には沖縄を返還するが、「軍政」的には現状(米軍)のまま』というのが、沖縄返還の条件

 "密約" だとされるこれらの事実について知る者はやはり結構少ないのではなかろうか。また、"訳知り顔!" を得意とする者は、国際外交上の "密約" なんて当たり前と言うに違いなかろう。
 しかし、この "情報化(情報公開)" が熟した時代環境にあって、"情報隠ぺい" を前提にした "密約" に依存する外交スタイルは、国民不在だというよりも、余りにもでリスキーであり過ぎる
 過去、それが採用されてきた悪癖は、自民党政権が "外交" に長けていたからというよりも、単に "長期政権" の見通しと、"問題先送り" 体質が濃厚だったからに過ぎないと言うべきだ。

 糺(ただ)されるべきは、"民意" を "蚊帳の外" に置き続けてきた "政治スタイル = 外交スタイル" のはずである。しかも、"事情を知らない者は黙っていなさい!" とでもいう傲慢かつ無責任なスタンスは時代錯誤であるに違いない。
 その意味では、下記記事にも若干不快感を誘う部分があった。

沖縄県知事がオスプレイの安全性について米軍に問い質したということですが、私に言わせれば、沖縄県知事ともあろう人が事情を知らずに何を言っているのかと思います。

 事情を知るがゆえに "雁字搦め" となり現状追認しか道がなくなる点をも想定するならば、事情を知る、知らずにかかわらず、市民・国民の生命の安全を保障しようとする意図から出るアクションの、その重みは十分に理解したいと思う......。

 空調設備の壊れたビルに閉じ込められたような酷暑だ。今年は "意地になって" かクーラーのお世話にはならないでいる。だから、飼い猫たち3匹と一緒になって、もはやヨレヨレ気味となっている。

 北極の氷も観測史上最小を更新したそうで、いよいよ "異常事態" に磨きがかかってしまった。

<今年の溶解現象は地球温暖化の影響と一致しており、気温と海水温の上昇が重なって溶解を促進したと考えられる>北極の海氷面積、観測史上最小更新する勢い 米研究所/AFP BB NEWS/2012.08.22

 で、いつまで続くのかこの "我慢比べ!"
 8月一杯はおろか、どうも9月一杯は続きそうだというのだから度を超している。しかも、気象庁も、この月末~月初の暑さには "異常天候早期警戒情報" を出さざるを得ないというおまけ付きの騒ぎのようである。



 今後3カ月の予想気温は下記引用サイト記事:厳しい残暑、9月も続く見込み 気象庁/日本経済新聞/2012.08.23 が伝えるとおり、<9月:厳しい残暑が続く10月:やや低温11月:やや高温>だそうである。
 分かりやすく全国状況を図示すると以下のようになるようだ。



 
 誰もが "ことばの軽さ"、"インフレ化したことば" が飛び交う環境に辟易(へきえき)としているのではなかろうか。

 この環境をこのようにあらしめた原因は多々あるかと思われるが、いわゆる "直接会話" に取って代わった電話やケータイ(メール)、そしてスマホの普及が大いに関係していることは見逃せないであろう。

 "直接会話" とメールや、スマホを介した "インスタントメッセージ" などとが決定的に異なる点については、以下のように書いたことがある。

"親子(母と娘)" の実験によれば、《 ホルモンの放出に関して言えば、インスタントメッセージは、直接の会話や電話での会話を補えるものではない 》(下記記事)と結論づけられたという。...... 《 母が何を言ったかということよりも、母の声自体(韻律学として認知されてきたトーンやイントネーション、リズムなど)に、癒し効果があるということを示している 》...... "インスタントメッセージ" によるコミュニケーションを "不当に格上げ(?)" してしまうことはトンデモナイ錯覚なのかもしれない。>( やはりインスタントメッセージよりも直接会話が!Socialメディア考察にヒント!?( 当誌 2012.01.17 )

 やはり、"ことば" というものは、"直接会話" が持つ固有の条件によってこそ担保されてゆくのではないかと考えさせられたものだった。
 マスメディア、ソーシャルメディアを問わず、メディアを通しての "ことば" の在り様については、それぞれ特有の機能・役割があるものの、やはり "直接会話" との違い、 "差分(?)" から注意を背けてはならないのではなかろうか。

 下記引用サイト記事(書評):ケータイ化する日本語 佐藤健二著 メディア通した「ことば」を考察/日本経済新聞/2012.08.19 では、この辺の問題意識、<メディア通した「ことば」>について考察されている。
 そして、極めて興味深い "問い"、<そのようなことばを用いて公共的な社会を築くことができるのだろうか>という "問い" が提起されている。

電話の進化と「ことばの衰弱」の深い関係 個人と個人を、いつでも直接つなげることができるケータイ。その爆発的普及の中で、「ことばの力」が衰弱し、他者との関係が薄らいでいる?! 電話の登場以降、知らぬ間に変わっていた私たちの言語空間――。「声」の獲得以後の人類史をふまえ、「社会」を担う次世代に説く「ことば」の歴史社会学。自分の「ことば」を自分の「身体」に取り戻すには。>(Amazon-内容紹介

 <メディアを通じたことばが人の間を連鎖的に伝播(でんぱ)し、場合によっては政府も無視できなくなるほどの人々を動員する力を持った現代において、「メディアを流れることばで社会は築けるか」という本書の問いは、いちど真剣に考えられるべきもの>という指摘は、現状および今後の時代環境を考える上で、ひとつの確かな視点になりそうだと思われてならない......。

 どうも中国経済は "危険領域" に踏み込んでいるとのこと。その "危険領域" とは、一方では "不動産バブル" が拡大し、他方では、"急速な経済減速とこれに伴う国内需要が伸び悩む" という "変調" !
 端的に言えば、"バブル" 対策には "金融引き締め策" が求められ、"需要創出" には "金融緩和策" が必要となるという完璧な "ジレンマ" のようである。
 下記引用サイト記事(【 引用記事 1 】):中国は危険領域に入りつつある=バブル崩壊の可能性で日銀副総裁/REUTERS/2012.08.21 では、この "ジレンマ" を次のように指摘する。

 <バブルが進んだ段階で金融引き締めの発動が遅れると、崩壊を遅らせ結果として大規模な崩壊を招くリスクがある/一方、大胆な引き締め策が経済を過剰に殺す可能性についても懸念
 そして、こうした状況を<悪性のバブル>と見据えた上で、それが<崩壊する過程で何が適切な政策かは「ほとんどわからない」>と指摘されている。

 下記引用サイト記事(【 引用記事 2 】):コラム:変容するチャイナリスク、見えない金融緩和効果/REUTERS/2012.08.21 も、中国経済のジレンマ的局面を観察しているが、2度の利下げ実施という金融緩和策が奏功していない点に着目している。つまり、"経済の減速" 面への憂慮だ。
 そして、<金融緩和が効かない可能性を示すデータや現象は、不吉な前兆と私の目には映る>と述べ、<中国リスク、具体的な想定必要な段階に>と結んでいる。

 いずれにしても、現時点での中国経済が "チャイナリスク" としての色彩を濃くしている点に変わりはない......。

 "何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能" を指す "セレンディピティ( serendipity )" という言葉がある。
 これを、単に "運が良い" という意味で受けとめるのは誤解だろう。確かに "運" も良いには違いない。
 だが、"運" とて "運も実力のうち" と言われるように、"タナボタ" で引き寄せられるものではないように、"セレンディピティ" は、漫然としていて発揮される筋合いの能力ではなかろう。
 強い "目的志向" と、絶え間ない "試行錯誤" のアクションがあってこそ、"探しているものとは別の価値あるものを見つける" ことになるのだと確信する。

今、企業人をはじめとして多くの者が、"ヒット商品" や "新しいビジネスモデル" を目指して血眼になっている。まるで、"砂漠で針を探す" ほどの困難さではあっても、それ以外に突破口はないと感じている。
 そんな状況であるからこそ、"セレンディピティ( serendipity )" という言葉もまた輝きを増すのであろう。
 いや、"理詰め" のアプローチが色褪せている昨今では、"気づく" というセンスを核とした "セレンディピティ" 能力こそがマークされていいのかもしれない。

 下記引用サイト記事:アップルに気づかされたプリント基板材料の意外なニーズ/日本経済新聞 - ものづくり進化論(日経産業新聞)/2012.08.21 は、その意味では、"セレンディピティ( serendipity )" のひとつの典型を示していると思われる。
 <プリント基板の表面に塗布し、余計な部分へのはんだの付着を防止する絶縁材「ソルダーレジスト」>を手掛けるタムラ製作所が、その製品を<スマホ最大手の米アップルに採用され、4年目の今期は年12億円強の売り上げを見込むまでに育った>という成功談である。

 本来、<余計なはんだの付着を防ぎ、基板を保護し、絶縁するというレジスト本来の目的と、色は関係ない>はずだが、製品の "色" に着目し始めたタムラ製作所の製品が、<機器内部のデザイン性を求める>アップルの眼に留まった(基盤メーカーを介して)というのである。
 折から、<アップル製品は発売のたびに分解され、インターネットのウェブサイトなどに内部構造の写真が掲載される>という事情があって、その辺から、"デザイン性の高い黒色" の基盤が "ご所望!" だったようなのである。もちろん、基盤性能としての "フレキシブル" さが踏まえられていた上でのことであろうが......。

 盆休みの期間にしばし続いてきた "株高" が、果たして景気見通しの明るい材料と見なせるのかどうか、そんな関心が20日の東京株式市場には寄せられていたはずだ。
 確かに "小幅続伸"(前週末比8円66銭高の9171円16銭)には違いない。だが、この推移は期待されたものであったのだろうか。

 下記引用サイト記事(【 引用記事 1 】):株、強気サイン相次ぐチャート、増えない売買 相場の「実力」見極めは先送り/日本経済新聞/2012.08.20 での次のような叙述が気になった。

お盆休み期間が明けたにも関わらず、商いは低調。売買に厚みがない1週間ぶりの低水準に落ち込んだ。東京市場の売買の6~7割を占める海外投資家が本格的に戻ってきたとは考え難い個人投資家も今回の株高で心理が大きく改善しているとは言い難い1000億円規模の投信設定に伴う先物買いが押し上げた分は、市場関係者が想定しているよりも意外と多いのかもしれない

 こうした消極的事実がこれから好転してゆくのかどうかであるが、次のような記事も気になるといえば気になる。
 この間、"意外に堅調" と言われてもきた "米企業の業績" についてなのであるが、決算内容から浮かび上がってきたのは、 "売上不振増益にもかかわらず!)" という事実だというのだ。
 つまり、"増益" は、<投資の拡大ではなくコスト抑制や事業の整理統合で増益を達成したのであり、このことは米失業率の高止まりに表れている>といういわば "調整" 対策によって生じさせていたというのだ。
 これまでには、こうした "調整" 局面から景気拡大へと移行して行った経緯もあったようだが、今回のケースについては異なるようである。

売上高が市場予想を上回った企業の比率が2009年以来最低の水準これは景気の減速を意味し、われわれがこれまで馴染んできた強気の業績見通しを示すものではない利益は68%の企業が市場予想を上回ったにもかかわらず、売上高が予想に届かない企業がこれほどの比率に達したのは驚き

と表現されている。こうして、"意外に堅調" と見なされてきた米国の景気に "舞台裏"(?) が見えてくると、事態の推移は予断を許さなくなりそうだ......。

 "領土問題" に絡んでの中国、台湾、韓国、そして日本にもよる "パフォーマンス(?)" が、否応なく衆目を集めている昨今だ。
 感情(勘定)を剥き出しにすれば、問題が拗れるだけであることは誰もが感じ取っているはず! だが......。

 ところで、"なぜ今なのか?" という疑問に目を向けてみると、やはり、各国の国内に充満する "不満" への "ガス抜き" という事情が見えてくる。
 中国では "第18回中国共産党大会" を控え、韓国では "大統領選挙" が予定され、この時期は、その展開に有利と見込まれる材料探しに奔走しているかのようだ。
 そして、最大の懸念材料としては、"経済低迷"="国民の不満鬱積" という懸念が否定できない。そこで、これを "はぐらかす(?)" 材料、"ガス抜き" 素材に目が向けられるのも見え見えの事情かと思われる。
 日本とて同じことで、迫る "解散、総選挙" に向けて "点数稼ぎ" をしておきたい政治勢力も大いにあるように見える......。

 そこで念のために "経済低迷"="国民の不満鬱積" 状態を裏付ける各国の "経済指標" に注目せざるを得なかった。
 下記引用サイト記事:7月の中国貿易統計、輸出が1%増に急減速/REUTERS/2012.08.10 からは、"なるほど!" と頷かされる "景気低迷ぶり!" が透けて見えてくる。
 中国では、<低調な経済指標の発表が相次いでおり>、その成長は<急速に鈍化>している。
 台湾では、<7月の輸出が5カ月連続で減少したと発表>され、韓国でも、<7月の輸出は前年同月比8.8%減と、約3年ぶりの大幅な減少を記録>とされている。

 "領土問題" は、元より "長年の放置" を決め込んできた各国の従来の政権に責任ありと言うべきだろう。そして、こんな時期、とかく冷静さを欠きがちとなる "経済混迷状況" の中で加熱させられ、また "近視眼的に利用!(政争の具!)" される事態、これほど国民にとっての不幸はない......。

 ここしばらく、日経平均株価もダウ平均株価も久々の連日株高気運を迎えている。( 17日、日経平均株価:9162円 ダウ平均株価:1万3275ドル )
 まさか、これがこのまま "継続" していくとは考えにくいわけだが、一体今後どう展開していくのだろうか?

 最近の情勢は、どちらかと言うと "抑制気味" に想定しておいた方が無難だと感じるようになってしまった。そこで、そうした論調の記事に目を向けた。
 先ずは、喫緊の推移に対する読み......。要するに、<「ヘッジファンドも夏休み中>だから......、という解説が妥当性を持つかのようである。

......もっとも、いま安定しているからといって、これからもそうとは限らない。......
 そもそも、VIXだけをみて市場のムードが金融危機前の水準まで回復したと判断するのは早計、と指摘する市場関係者は多い。ある大手証券の営業担当者は「ヘッジファンドなど投資家が夏休み中で相場に動きが乏しいことを映しているにすぎない」と断言する。8月のニューヨーク証券取引所の1日平均売買高は前年同月の4割程度という極端な薄商いだ。

 ギリシャやスペインの支援問題に、米連邦準備理事会(FRB)の追加金融緩和の行方。いずれも9月の声を聞くまではどう転ぶか読めず、読めないから相場に織り込めない。閑散市場で株価指数はふらふらと上がっても、どこまで裏付けがあるか不明。投資家は恐怖が薄れたのではなく、ひとまず恐怖から目をそむけているだけ、なのかもしれない。>( 恐怖から目を背ける不気味な静けさ(NY特急便) NQNニューヨーク・森安圭一郎/日本経済新聞/2012.08.18

 ならば、もう少し長いレンジでの "トレンド" に目を向けてみると、やはり "抑制気味" 評価とならざるを得ない記事が目についた。
 投資家は、目先の事態に飛びついてナンボの世界で生きているからそれはそれであるが、一般生活者の「これから景気どうなるの?」という関心に対しては、"消費者物価指数" という指標のトレンドが "暗示力" を持つのではなかろうか。

 いわゆる "インフレ/デフレ" を表わす指標とされ、この指標のマイナスという状況、<この状況が長く続けば、将来的に業績見通しの悪化だけでなく、生産削減につながる可能性>ありということになり、警戒し続けなければならないわけだ。日本経済は、 "95年" あたりから始まっているとされるので "十数年以上" も長引いて来たと言われている。

 で、世界の今後はというと、<世界的に物価上昇力が弱まっている = 世界で静かに進行するデフレの脅威>なのだそうであり、この辺からも当面の "株価上昇=景気小康状態(?)" への評価も、残念ながら定まってくるのではなかろうか......。

 人々の関心が "PCからモバイルへ" とシフトしているという流れは、もはや否定できない。そしてこの核心はというと、ウェブの焦点が、"デスクトップ・ウェブ" から "モバイル・ウェブ" へとシフトしている点だということになる。
 だが、この "シフト" によって "何がどう変化するのか?" というテーマについては、総論的、雰囲気的な叙述は多々あっても、詰めた考察は意外と多くない。

 そんな中で、下記引用サイト記事:「Web 3.0―モバイル・ウェブでマネタイズするための条件を考える」/TechCrunch/2012.08.13 は、状況の要点や現状の位置づけを適切に押さえて、説得性のあるかたちでまとめていた。
 長文記事は省略を施しできるだけ簡略化したいところなのだが、省くには惜しい内容が充満していた。

 全体の分かり易さを生み出していたのは、"ウェブでのマネタイズ(収益化)" という視点に絞り込んだ考察を、しかも論理的に進めているからではないかと思える。
 先ず、結論として<ウェブ企業の業績の将来はモバイルの収益化の成否にかかっている>と提起する。そして過去20年を振り返り、<Web 3.0―モバイル・ウェブの時代>としての現状の特徴を数点で捉えつつ、<極めて重要な2つのトレンド>が指摘される。

 1.<小さくなれ―まず小さなスクリーンのモバイル版から作るべし
 2.<現実と密着せよ―モバイルは現実の店舗と相性がよい

 "1." においては、<モバイルのユーザー体験>に着眼している点に留意してよいかと思う。
 そして、"2." の<現実と密着せよ―モバイルは現実の店舗と相性がよい>という点にこそ、<モバイル化されたWeb 3.0時代>の "マネタイズ" 戦略の核心があると強調する。

 <リアルタイムかつ実世界に密着した情報の利用が可能>となったモバイル・ユーザーのステイタスを活かし、<店舗に直接顧客を呼び込む>ところまでを果たす! それがモバイルWeb 3.0での "マネタイズ" なのだと。
 「ダンナダンナ! 3,000円ポッキリ!」という "客引き" ならぬ、Smartな "客引き" 機能が、ウェブ企業の業績の将来を左右する......。

 <リアルな価値を提供できなければ収益化が難しいという点>や、<単なる広告のクリックを超えて、現実の購入過程に直接関与するようなものでなくてはいけない>という点が、この時代の戦略水準である、と......。

 福島第1原発事故による放射性物質での汚染は、除染作業が進められてはいるというものの、対象地域は限られている。
 その中でも、"森林" が多い福島県(約7割)での森林地域は、まだ "調査段階(以前)" のようだ。
 その "森林" の汚染状態が見過ごせないのは、"落ち葉" が "くせもの" だという点である。

調査点毎の落葉層と土壌の放射性セシウムの濃度を比較すると、ほぼ全ての地点で土壌の放射性セシウムの濃度より落葉層の放射性セシウムの濃度の方が高いことがわかりました。 >( 林野庁「福島県の森林における土壌等に含まれる放射性セシウムの濃度の測定結果について」/農林水産省/2012.03

 田畑、農作物への影響についても、"森林の落葉層から滲み出る比較的線量の高い水が田畑に流れ込む" ことが懸念されてもいる。

 こうした状況下で、福島県の森林各地の "線量計測" 調査(汚染マップ作り)が進められ、その調査には何と、 "野生猿" が一役買っているという。地元の "野生猿" たちが調査に "協力"(している、させられている)というのだ。"期間限定の調査スタッフ" とでも言うべきか。

 その "仕組み" について、下記引用サイト記事:森の汚染:野生猿で線量計測 首に装置付け1カ月後回収/毎日新聞/2012.08.15 は興味深く報じている。

汚染度の高い地域に生息する野生の猿を捕獲猿の首に、線量計やGPS(全地球測位システム)などを備えた小型計測器を取り付けて山に放す。
 約1カ月間、計測器に空間線量を記録した後、計測器を遠隔操作で取り外してデータを回収する。


 元より "野生猿" たちは、少なからず "被ばく" しているに違いなかろうが、地元森林の除染作業へとつながるこの調査に "協力" することはやぶさかではないと思われる......。

 暑苦しいこの時期、加えて、"ろくでもない" ニュースばかりがなお一層不快感を誘う。嫌気がさしている最中に見つけたのがこのかわいいニュース!
 最近は、動物園から "脱走" する諸君が増えているようで、先日も "逃亡フラミンゴ"(旭川市の旭山動物園) の大捕獲作戦騒動があったばかり。
 長距離飛行が可能な翼があればどこへでも逃げ切ってしまうだろうな......、と思いきや、"飛行用" ではない翼を持つペンギンまでがしっかりと "脱走" を試みている!
 まあ、人間世界も "帰省" の時期! 囚われの身の動物諸君も、"仕切りの無い故郷" 恋し! というところなのであろうか......。
 しかし、このペンギンくん、捕獲されても、"あ~あ、捕まっちゃった! やっぱり、飛べる翼が欲しいよな......" とでも言っているよう。"悪びれる様子" がなさそうな風貌は、どことなく、かつての映画『大脱走』のS.マックイーンを彷彿とさせたりするからおかしい......。

 この時代は、IT 環境、経済事象、人々の感覚、そして気象現象......、と "変わる(激変する)もの" があるかと思うと、"変わらぬもの" も依然として根強く残っている。
 指し当たって、"変わる(激変する)もの" としては、昨今目に余る 荒れようとなっている"気象現象" をピックアップしてみる。そして、"変わらぬもの" として、この日本では伝統的習わしであり続けてきた "帰省行事" に目を向けてみる。

 何が言いたいの? と訝しがられそうだが、要するに、怒涛の勢いを示す "変わる(激変する)もの" が、"変わらぬもの" を浸食・駆逐しつつ、さまざまな問題や軋轢をもたらしているのが現時点の基本構図ではないかということ。
 別に、新しい観点でも何でもない。分かりやすく言えば、"文明" の進展が、"(伝統)文化" とせめぎ合い、前者が後者を浸食・駆逐しつつある......、と言っても悪くない。

 ただ、あえて着目してみたい点がある。
 現時点での基本構図は "鮮烈!" に過ぎる。グローバリズムという趨勢で拍車が掛かったこの20~30年間の "文明(?)" の普及・進撃は未曾有であったからだ。
 そして、"文明(?)" の中身を見る時、プラス現象ばかりか、"負の副産物" としてのマイナス現象も混在している現実が注目される。"地球温暖化" に端を発するのであろう "異常気象" 現象はその例以外ではない。
 また、"変わらぬもの" の内実も一様ではない。荒っぽい見方をするならば、"変わらぬもの" を代表する "伝統文化、伝統行事" の多くは致命的(?)な変容を迎えていそうだが、それを支える "人々の深層意識" の変化は推し量りにくい......。

 通常、われわれの意識は、"変わる(激変する)もの" を受け容れつつ、それらへの "適合" を目指すに違いない。しかし、"深層意識" の底の底には、"過去への憧憬(?)" にも似たかたちで、現状の変化への認識を拒む "衝動" が潜んでいたりもする......。良し悪しは別として。
 この "衝動" が、いわゆる "アナクロニズム(時代錯誤)" であることは誰もが分かるところであろう。だが、そうだからといって、ホントにそれらから自由となり切って "変わる(激変する)もの" を何の抵抗感もなく受け容れているのか言えばそれは分からない......。意外と、こうした "二重構造" あるいは "ダブル・スタンダード" で流しつつ行動しているのがわれわれではないのか、という気がしないでもない......。

 込み入った話題となってしまった。また後日ゆっくりと考えてみたい。
 ところで、"異常気象" 現象などの自然の激変に至っては、若干の "猶予(?)" を伴う社会・文化現象の変化とは異なって、"待ったなし!" の対応を迫っている。"春夏秋冬" といった穏やかな変化、人に優しい自然、そんな憧憬をもはや許さなくなってしまったのが "日本の自然" の激変!ぶりだ。
 ひょっとしたら、この変化は一過性のものでは終わらずに、場合によっては "固定傾向" として引き続いて行くのかもしれない。したがって、こればかりは、"過去への憧憬" を断ち切り、激変に見合った現代的な "治山治水対策" を抜本的に推進する必要がありそうだ......

 暦の上では "立秋"(8/7)も過ぎたというのに相変わらず "猛暑日" が続いている。まだまだ続きそうな気配が濃厚でウンザリである。
 過ごし難さという問題以上に気になるのが、この異常気象による "農作物被害"(食糧価格上昇、食糧危機懸念)だ。
 そして、ここに来てこうした状況悪化に輪をかける事態、"エルニーニョ現象" が発生したと気象庁は発表した。( 参照 【 引用記事 2 】
 
 米国などでの大規模な "干ばつ=穀物不作" とその影響が懸念される点についてはこれまでにも目を向けてきた。

 ◆参照 "食料危機再来の懸念"の中、日本の"食料自給率"2年連続40%割れ(主要先進国で最低)!( 当誌 2012.08.11 )
 ◆参照 米国での"干ばつ=穀物不作"は、食糧輸入の大半を米に依存する日本への影響甚大か!?( 当誌 2012.07.22 )

 こうした "干ばつ" に加えての "エルニーニョ現象" 発生ということなので、状況推移がなおのこと気にならざるを得ない。単に "暖冬" というレベルで済めばよいのであるが......。
 しかし、科学が発展した時代にあっては、自然現象を、それゆえに "不可抗力" だとして "言い訳の上逃げる姿勢" を当局が続けるならば、状況推移が読めない "無能力!" だと咎められかねなくなっているのではなかろうか......。

 これだけ時代環境の "停滞・低迷" が続いていれば、誰だってこれまでの "スタンス" ではマズイ! と感じるのは当然のことだろう。
 そして、受け容れ易い "解説(?)" としては、"キャッチアップ時代の「処理型」思考から目標喪失時代の「創造型」思考へ" という "お定まり解説" だ。
 しかしそんな "ニュース解説(?)" は百も承知、千もガッテンに違いない。
 明らかに、問題はその先にある。求められている "目標喪失時代の「創造型」思考" は、単に個人的営為の "自覚的ことがら" としてではなく、社会的地平での問題として見据えられてこそ、この歯がゆい課題は建設的に前進できる......。

 下記引用サイト記事:現代の成熟社会に求められる「レゴ型」思考法/WIRED JAPANESE EDITON - BUSINESS/2012.08.11 は、分かりやすいことは確かだ。
 "キャッチアップ時代の「処理型」思考" を、<目標が提示されるとそれを達成するのに血道を上げる「情報処理力」>と捉えて、それを「ジグソーパズル型」と呼ぶのに対して、今求められる "目標喪失時代の「創造型」思考" を<「レゴ型」>とたとえるのは、それはそれであざとい。

 だが、今求められているのは、"診察所見" ではなく "治療法" そのものであろう。「ジグソーパズル型」→「レゴ型」へと視点を反転させてみるだけでは、"空転する" だけに終わりかねない。
 「レゴ型」思考( "目標喪失時代の「創造型」思考" )が、何を "母胎" とし、何が "致命傷的原因" であり、今、その萌芽としては何が見出せるのか......、などを凝視した "治療法" が必要なのである。

 言うまでもなく、「レゴ型」思考が、カントの "純粋理性批判" 的作法で立ち上がってくるわけはないのであって、大小の差こそあれ "個人間関係という水平的地平" に根差すことは自明である。
 その点では、現在、"ソーシャルメディア" が注目されている風潮は理に叶っているのだと思われる。「ジグソーパズル型」思考の特徴である "迎合性、調和信仰、脱・対話......" などを引き摺っていないとは言い切れないが......。

 ところで、下記引用記事に、──ひとりひとりの図柄は共有する必要があるのではないでしょうか?というインタビューアーの "問いかけ" がある。
 この "問いかけ" を自分はこう読み換えてみた。
 "ひとりひとりの図柄は共有されることを欲する" のではないかと。あるいは "ひとりひとりの図柄は共有によってこそ定着してゆく" と。
 つまり、"ひとりひとりの図柄" というものは、個々人に "天下り" 的なかたちで訪れるものではなく、"個人間関係という水平的地平" で生まれ、その関係の中で定着して行くものではないかと思えるからだ。
 もし、こうした "個人間関係という水平的地平" が "焼け野原(?)" とされたままであったならば、個人の思いは「ジグソーパズル型」思考を延命させる "共同幻想の虚構!" に相変わらず流れ込み続けるに違いないだろうと......。

 あっと言う間に "ロンドン五輪" も閉会式(8/12)を迎える。
 まあ、こうした時期でしか報じられない記事なのだろうか、"遺伝子ドーピング" に関するきわどい記事が目についた。
 下記引用サイト記事:アングル:金メダルか死か、「遺伝子組み換えアスリート」の実現性/REUTERS/2012.08.10 がそれである。
 偶然なのか、遺伝子ドーピング万歳!/WIRED JAPANESE EDITON - SCIENCE/2012.08.10 という "同日" 記事もあった。

 "遺伝子ドーピング" とは、<筋肉の増強、血流の増加、持久力の強化といった効果をもたらし、スポーツ選手のパフォーマンスを向上させる>ために、"遺伝子組み換え操作" を行うのだという。
 もともと、この"遺伝子組み換え操作" は、加齢や病気(筋ジストロフィーなど)で失われた筋肉を復元する "遺伝子治療" として開発されたもの。

 ちなみに、以下のように実施されるらしい。

 遺伝子を他人の体に植えつけるには、ウィルスを使う。ウィルスはそもそも遺伝子だけでできた殻のようなもので、自分たちだけでは増殖することができず、寄生する相手細胞にもぐりこんで自分の遺伝子を広める不気味な物体。このウィルスの特性を利用し、ウィルスに改変遺伝子を仕込んで、生体内にもぐりこませて相手の遺伝子を改造できる。改変遺伝子を運び込むウィルスはベクターと呼ばれる。
 筋肉の生成をコントロールする実験のため、上記のScientific Americanでは、特に筋肉に「寄生」しやすく、しかもあまり害がないadeno-associated virus(AAV)というウィルスを活用する例が載っている。
>( Off | 遺伝子ドーピング/ON,OFF AND BEYOND/2004.07.01

 ところが、オリンピックをはじめ,スポーツ競技で取り沙汰される "薬物を投与、薬剤調合" による "ドーピング"、その規制強化の流れがあってのことか、それに替わる "新たなドーピング" の手段として着目され始めたのが、"遺伝子ドーピング" だということのようだ。
 規制側にとって厄介な問題は、<今の検査技術は遺伝子ドーピングを検出できるほど精度が高くないため、本当のところは誰にも分からないというのが現状> だという点。

 という事情もあってのことか、<「ドーピングで金メダルが保証されるなら、5年以内に死んでも構わないか」と質問したところ、過半数が「イエス」と答えた>という調査結果があるそうだ。
 たとえ、<命の危険や未知の副作用があったとしても>、それでもなお、金メダルの持つ魔力が、アスリートを危険な「遺伝子の領域」に踏み込ませてしまう可能性は、誰にも否定できないのだという、そんな現代をどう考えればいいのか......。

 グローバルな異常気象により、米国などでの "干ばつ=穀物不作" が深刻な事態を招きつつある点については、この間も関心を向けてきた。

  ◆参照 「米国での"干ばつ=穀物不作"は、食糧輸入の大半を米に依存する日本への影響甚大か!?」( 当誌 2012.07.22 )

 その最新情報は、下記の【 引用記事 2 】7月の国連食料価格指数が6%上昇、食料危機再来の懸念/REUTERS/2012.08.10 が報じている。

 <天候の見通しは思わしくない>ようであり、さらに<インドやオーストラリアはエルニーニョの脅威にさらされている>点も懸念され、予断を許さない事態を迎えているという。

 そんな中で改めて注目する必要があるのが、この日本の "食料自給率" の "低さ" の実態であろう。

 <11年度の食料自給率(カロリーベース)が前年度と同率の39%/ 自給率が40%を切るのは2年連続/ 低い水準が続いている/ 39%の自給率は、主要先進国の中で最も低く、食料の多くを輸入に頼っていることを意味する

 こうした事実を再確認するたびに "不安感" だけが掻き立てられる日本の実情! 何にせよ "展望" が見えてこない政府の無策ぶり! 国民に安心感をもたらすまともな仕事をしてもらいたい......。

 その "扱い方・操作方法" がイージーな "モバイル(型PC)" の急速な普及で、モバイル/PCにおけるユーザーの内実に "少なからぬ変化" がもたらされていることは、これまでにもいろいろと指摘されてきた。
 要するに、"PC" 志向の "マニア型" ユーザーから、"モバイル(型PC)" 活用の "一般層" ユーザーへのシフト! という趨勢だと言える。いわゆる "大衆化" である。
 もちろん、これらの趨勢を陰で推し進めているのは、"IT の発展" によるデバイス操作の "自動化技術" であり、また、デバイス価格低廉化による裾野拡大的な普及であろう。

 こうした趨勢は、デバイスの周辺を起点としながら、あらゆる社会現象に影響を及ぼしている。唐突に言えば、政治ジャンルでの "ポピュリズム" 云々という議論もこの趨勢と無縁ではなかろう。
 それはともかく、今、"モバイル(型PC)" の急速な普及が大きく揺さぶりをかけているジャンルのひとつは、"電子書籍" ジャンルだ。

 "楽天の電子書籍端末「kobo Touch」" の "一連の話題" も、この文脈で考察できるはずだ。
 "一連の話題" 自体に深入りするつもりはない。ただ一点、"UX"(User Experience/利用者体験)の視点からどう評価できるのか、その点だけに関心が向かう。( 参照 「電子書籍とは"UX"(User Experience/利用者体験)によってインスパイアされる商品!」( 当誌 2012.08.03 )

 さて、この辺の事情に関して "やや興味深い視点" を提示している記事があった。
 下記引用サイト記事:楽天「kobo」大不評に見る、電子書籍成功のヒント?/Business Journal/2012.08.08 である。
 <大量の不満レビューから見えてくる「一般層」ユーザー>という "逆説的(?)" な観察である。

 <今回の騒動で意外だったのは、荒れに荒れた楽天レビューや各種SNSコメント等の中に、あまりこの手の端末やサービスに詳しくなさそうなコメントが目立ったことだ。/ ユーザー自身の知識不足や勘違い/ 知識がないのが悪いわけではない。そういう、ごく普通の層がユーザーになったことが驚きだったのだ。/ つまり、楽天で販売されているほかの家電等と同じく、どこか的外れなレビューもたくさんあるという状況は、これまで電子書籍端末に触れてこなかった一般ユーザーを振り向かせることができたということではないだろうか。
と指摘されている。
  言いかえれば、<なによりも価格だ。税込、送料無料の定価が7980円>という点や<告知力と楽天というプラットフォームでの販売>という点によって引き出された事実、それは、<これまで電子書籍端末に触れてこなかった一般ユーザーを振り向かせること>( 一般ユーザーの新規参入? )になったのではないかと。

 この推移こそは、"IT の発展" に促される製品・サービスの急速な普及が辿る典型的な軌跡なのだと改めて思い知らされる。
 そして、そこでは、<ある意味マニア層からは出てこない>ところの "「一般層」ユーザーによる苦情" 散乱に向けた蓋が開いてしまうことになるわけだ......。
 価格面その他によって "ハードルの高さ" の下げられたことが、逆に "新たな問題状況" を照らし出し始める、という成り行き!
 どうも、現代という時代が遭遇している "解き難い難問" の好例が、ここでも立ち上がってきているのだと思えた......。

 再生可能エネルギーの中で、"ソーラーパネル" などの "太陽光発電機(太陽電池)" が占める位置は大きい。が、言わずと知れた課題は "設置コスト" という点だ。
  "太陽光発電機(太陽電池)" の仕組みは、簡単に言えば、太陽光によって "プラスの電気(正孔)" と "マイナスの電気(電子)" を発生させるために、材料として "結晶シリコン" を用いているために "コスト高" となる。(それだけではないが......)ここで使われる "結晶シリコン" は、IT デバイスの "半導体素子" 向けの "シリコンウェーハ" ほどの純度は求められないものの、高純度の "ケイ素(珪素)" であるから "コスト高" になると考えられる。

 専門的な基礎知識がないと、やや理解に苦しむところだが、下記引用サイト記事:「ソーラーパネルの超・低価格化を、ナノ技術が切り開く」/WIRED JAPANESE EDITON - SCIENCE/2012.08.06 によると、その高価な "結晶シリコン" を用いずに、安価な素材で作られたソーラーパネルから電気を取り出す方法が見つけ出されたのだという。

 従来から "ボトルネック" となっていた点に焦点が当てられ、次々と解消されるに至ったのだという。

ソーラーパネルのセルから電気を取り出すのに必要な原動力>は、<製造の際に「ドーピング(doping)」と呼ばれる化学処理>が施されて作られる。
 ところが、<ソーラーパネル自体は安価な物質で作ることもできるが、現状これらの多くはドーピングをすることができない>。
 そこで、<化学物質の代わりに 電界 を利用することで、ほとんどあらゆる半導体から電気を取り出すことが可能になる>という点に着眼するに至る。
 ただし、<電界がドーピングに利用できることは半導体業界では昔から知られていたものの、これまでの電極のデザインではソーラーパネルには応用できなかった>ため、<半導体のドーピングを可能にする新たな電極を設計する方法>探しに目が転じられることになる。
 そして、<印加電界>という事象を発見することになり、この発見を活かす<電極設計>に辿り着いた、という推移のようである。

 不案内なジャンルの研究開発プロセスではあるが、知的営為が事態を解析しつつ次々と問題の核心へと迫って行く様子が伝わって来る......。

 この "CNET" での "IT業界" に関する記事を読むたびに、海外(米国)の "IT業界" での "人材" への洞察が如何に豊饒であるかを思い知らされてきた。だから、このブログでもしばしば引用させてもらっている。

 "IT" の成果を、"技術的な専門知識" の累積だけで可能であるとは見なさなず、"技術的人材" の "幅広い能力資質" や、その集合体としての "組織・プロジェクトのあり方" などに細心の注意を払っている事実が素晴らしいと思えるのだ。
 これは決して "美しい作法" とかという筋合いの話ではないのである。より高度で安定した成果を産み出そうとリアルに追及したならば、必然的に逢着する "科学的スタンス"、"リアル・ビジネス!" の姿なのだと言うのが正解であろう。

 "IT" の成果を、限定された "技術的な専門知識" 周辺だけの構成物とは見なさずに、"多重構造的" な人間的能力資質の結晶物と見る洞察は、かつてのこの日本の業界にもあったことを自分なりに記憶している。
 ところが、いつの間にか "了見の狭い観点" で捉えられた "技術的専門知識" だけが "過大に評価" されるようになり、これらの "根" であり "土壌" でもある<"技術的人材" の "幅広い能力資質" や、その集合体としての "組織・プロジェクトのあり方" >という課題が、 "不当に軽視" されるようになってしまったようである。"洞察力の劣化!" と言うほかなさそうだ。

 このおかしな推移にはいろいろな原因が介在していたようだが、とりあえず、"IT(ソフトウェア)技術者" における "能力構造定義" が実に曖昧なままにされ続け、その上、市場環境に翻弄され続けてきたという事情が指摘できそうだ。―― "理系"、"文系" という図式的分割が教育制度において支配的であり続けた経緯も、決して小さくない問題だったのではないかと振り返る ――

 "愚痴" めいたことを言ってみてもしょうがなさそうだ。
 残念ながら、今、日本の "IT(ソフトウェア)" 業界が "踊り場" 的状況にあることは否定できないと見える。が、そんな時期だからこそ、これを機に見直すべき点は果敢に見直す必要があるのではなかろうか。
 そうした観点に立つならば、"IT(ソフトウェア)技術者" における "能力構造定義" の問題は見過ごせない課題だと思われる。"能力育成" の指針も、これなくしては叶わないはずだから。

 さて、下記引用サイト記事:「IT業界で高く評価される10のソフトスキル」/CNET Japan/2012.08.07 の内容は、上記のような筆者自身の問題意識と大いに重なり、実に興味深く思えたものであった。

現代のITプロフェッショナルには技術的な専門知識ソフトスキル双方が要求される。このようなことはずっと昔から言われ続けている。しかし、そういったソフトなスキルに対するニーズはどんどん膨らみ続けている

と述べられ、さらに、実はこうした点は<30年ほど前>から既に気づかれていたのではないかとの指摘もなされる。まさにそのとおりなのである。

 こうして、以下 "10のソフトスキル" が、現時点の実情を踏まえて提起されることになる。

#1 : 交渉力と会議力( Deal making and meeting skills )
#2 : 高度なコミュニケーション力( Great communication skills )
#3 : プロジェクトにまつわる第六感( A sixth sense about projects )
#4 : 人間工学に関する感性( Ergonomic sensitivity )
#5 : チームプレーヤーとして振る舞える協調性( Great team player )

#6 : 政治力( Political smarts )
#7 : 教育や指導を行ったり、知識を共有する能力( Teaching, mentoring, and knowledge sharing )
#8 : 「灰色の問題」を解決する力( Resolving "gray" issues )
#9 : ベンダーマネジメント力( Vendor management )
#10 : 契約折衝力( Contract negotiation )

 これらは、まさに<現代のITプロフェッショナル>にとって欠かせない "ソフトスキル" であるに違いない。
 なお、詳細は省くが、筆者はかつて "SE(システムエンジニア)" の "人事考課" における "技術力プラスα の 資質"( =上記の "ソフトスキル" ) として位置づけつつ "13 の資質項目" を実質的内容を添えて下記のように提起したことがある。
 要するに、現場サイドでは、こうした "スキル" の必要性はかねてより気づかれていたのである。問題は、その必要性を軽視し続けてきた "IT、ソフト会社" の経営側における洞察力の無さであったのかもしれない......。

★人事考課 PartⅠ:SEの持つべき資質A
 No.1.幅広い視野と経営的視点での発想力
 No.2.柔軟性・弾力性のある思考力
 No.3.真の問題・本質を見抜く能力(問題発掘能力)
 No.4.システム構築能力と問題解決能力(問題形成・解決能力)
 No.5.変化対応能力
 No.6.情報収集能力
 No.7.情報整理・分析能力
 No.8.文書化能力
 No.9.発表・説得能力
 No.10.折衝能力
 No.11.助言・指導能力
 No.12.チームプレー能力(チームマネージメント能力)
 No.13.システム・マネージメント能力とプロジェクト・マネージメント能力
>( SE Human Assessment ソフトウェア技術者のための評価と人事考課

 タコのような姿の "火星人(知的生命体)" かどうかは別にしても、もし地球以外の天体で生物が存在するとすれば最も可能性が高いとされてきたのが "火星" だ。

 ただ、"知的生命体" への想像を駆り立てた "運河(?)" にしても、また "バクテリア" のような微生物の存在にしても、これまでの "火星探査機" の調査によっては否定されている。
 火星は大気が極端に薄く、酸素などもほとんど無い状態(0.13%)らしいので、"生命の存在" は "望み薄" のようだ。

 が、そうした結論を出すにしては、これまでの "短期滞在型" 探査機での調査は説得力不足であるとか......。
 今回の "重さ約1トンの火星探査機「キュリオシティ」(好奇心!)" が起用されたのはそのためにだとも言われる。

 下記引用サイト記事:NASAの火星探査機 無事に着陸/NHK NEWS WEB/2012.08.06 によれば、今回の探査機は "長期滞在型" だそうで、<今後2年間にわたって火星の表面を走行しながら、搭載されたさまざまな観測装置で火星の岩石などをその場で詳しく分析し、有機物など生命が存在する痕跡がないか調査する>という。

 だが、"長期滞在型" 探査機には "資材重量増大" というリスキーなボトルネックが伴い、大気が薄い火星地表への "軟着陸" を非常に困難にさせると想定されてきた。
 そのために、<火星の大気圏に突入したあと、着陸の衝撃を和らげるためにパラシュートを開いたうえでロケットエンジンを逆噴射させ、一気に減速>という "難関" に最大の関心が寄せられ、知恵も絞られてきたようだ。

 だからこそ、今回の "無事着陸!" は、"NASA" のみならずかたずをのんで見守る世界中がホッとしているわけだ。今後の "有人探査機" 計画にも明るい展望をもたらしたようである......。

  
 この "連続猛暑&熱帯夜" には参っている。
 日中の暑さも困ったものだが、夜になっても一向に涼しくならないのが憎たらしい。ロンドン五輪観戦で凌ぐも、ついつい熱狂して、却って眠りから遠のいてしまう。

 そんな折、下記引用サイト記事:節電の夏、知恵で涼しく 暑さに負けないアイデア商品/日本経済新聞/2012.08.04 の "オーロラ" という文字が目に飛び込んできた。その言葉の響きは、如何にも涼しそうである。


 どういうものか "オーロラ" には心惹かれている。時折、唐突に "オーロラ" の夢を見て、夢の中でひとり感激していたりする。実際の "オーロラ" を見たこともないのに夢で勝手に想像するとは、よほど魅了されているに違いない。そんなことで、この記事を取り上げてみた。  昨今は、光学精度が高まったこともあってか、"プラネタリウム" の人気が高まっているようだが、この製品も、レンズ・メーカーの "ケンコー・トキナー" が提供しており、<セガトイズのHOMESTAR(ホームスター)シリーズは光学式の家庭用プラネタリウムの草分けだ。光学式はレンズを通して画像を投影する仕組みで、旧来のピンホール式に比べて精度が高く、数多くの星の画像を映し出せる。>だそうである。  "オーロラ" の背後には、<約1万個>の "北欧の星" が投影されるそうだから、"家庭用プラネタリウム" とはいうものの本格的な雰囲気になりそうな気配だ......。

 「下手の考え休むに似たり」という格言がある。しかし、「下手な考え」は場合によっては "害毒" となることさえありそうだ。
 ロンドン五輪でのアスリートたちの活躍を観ていると、競技での "最後の敵" は、外部の競合相手というよりも "自身内部の雑念"(「下手な考え」)なのかもしれない、と感じさせられる場面が多い。

 感情や思考は、上手に活用されると当人の "能力" を発揮させるが、「下手に」介入されてしまうと、逆に "能力" 発揮の "ストッパー" 役に転じてしまうもののようだ。感情や思考は、アクションにとっては "諸刃の剣" のようである。
 凡人の日常生活でも、"緊張" による失敗や、能力発揮とはやや異なるが、"不眠症" 気味で寝付けない症状などの足元では、意外とこの「下手な考え」の "渦" が災いしていそうである。

 事ほど左様に、人の能力発揮(=自然体となること)のためには、「下手な考え」などを含む "ストッパー" から、如何にして上手に自由となるかが必須課題だと思われる。

現状の凡庸なパワー水準は、脳の働きその他によって "抑制されている状態"(ストッパーが掛けられた状態?)であり、だから何らかの手立てでこの "ストッパー" を解除すれば、封印されていた「潜在能力」が立ち上がり、 "いきなりパワー・アップ!" も可能だ......、と。
 確かに、「火事場の馬鹿力」ということわざを待つまでもなく、一理ある視点だとは思われる。日常生活での人間のパワーは、決して "Max" 水準ではなくて、いわば "エコノミー走行" 的水準に抑えられているようだから。
>( サヴァン症候群:"脳によって抑制"された"潜在能力"を"解き放つ"!挑むのはリスキー!?( 当誌 2012.07.26 )

 ことさら新しい視点でもなさそうだが、"音楽を聴きながら" という条件が、<アスリートの能力を向上させる効果>があるという。下記引用記事:音楽はアスリートの「合法的な麻薬」、能力向上を研究で証明/REUTERS/2012.08.03 は、そんな実証結果を報じている。
 要するに、<ネガティブ思考>などの、<「思考はアスリートにとって最悪の敵」>であると判断され、それらを "遮断する" ところの<音楽は「アスリートにとって合法的な麻薬のようなもの」>とまで強調されることになるわけだ。
 "競技への集中" を妨げるものとしての<ネガティブ思考>という図式は、実に分かりやすい。

 久々に "Cold War(冷戦)" という言葉を目にした。下記引用サイト記事:コラム:ソーシャルメディアと新たな冷戦 By Philip N. Howard/REUTERS/2012.08.03 においてである。

 ちなみに "Cold War(冷戦)" という言葉の意味を踏まえておくと......。

< 冷戦(れいせん、Cold War)とは、第二次世界大戦後の世界を二分した、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造である。
 1945年から1989年までの間続き、直接武力衝突して殺戮を伴う戦争を生じなかった為、殺戮を伴う「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれた。......>(ウィキペディアより

 <既存の放送メディアと急成長を遂げるソーシャルメディアの間で、政治のあるべき姿についての戦いが繰り広げられている>状況! ただし、<そこに軍事力の対立はない>という点から、"新たな冷戦" と称されているわけだ。
 だが、当コラム筆者が "新たな冷戦" という言葉をあえて選んでいるのは、言外に、この "戦い" が現代において "構造的な性格" を秘めている点を見抜いているからであろう。

 <ロシア、中国、サウジアラビア>などの<権威主義的な国家>では、<放送メディアを国営もしくは独占企業の傘下に置き>、いずれの政府も<常に放送メディアの後ろ盾>となっている点。また、<政権を操るエリート層は放送メディアの保護に尽力している>点。
 これに対して、<ソーシャルメディア市民が政府を監視する手段として使われている>という、まさにくっきりとした "対立構造" !
 こうした "対立" は、かつての "イデオロギー" をめぐる対立ではないものの、それにも似た "包括性" をもって表面化している "新たな構造的対立" だと、当コラム筆者は認識しているいるものと思われる。

 "権力" と "権威主義" とが、ほぼ表裏一体・相即不離であるかぎり、現代におけるこの "新たな冷戦" は止まないに違いない......。

 かつて佐々木俊尚氏は『電子書籍の衝撃』( 2010.03 ディスカヴァー携書 )の中で、"電子書籍" の本質は "『アンビエント』" という言葉で照らし出せると書いた。

 多くの人気書籍をラインアップできている。
 読者が議みたいと思う本、あるいは本人は知らないけれど読めばきっと楽しめる本をきちんと送り届けられる。
 そうした本をすぐに、しかも簡単な方法で入手できて、その時々に最適なデバイスを使い、気持ちよい環境で本が楽しめる。
 つまりは本を取り巻く環境を、最もよいかたちで提供できるところが最終的に電子ブックリーダーの戦争に勝つということなのです。その購読環境さえ素晴らしければ、リーダーの製品そのものの完成度などはっきり言って重要ではありません。


そして、<「電子ブックによって本は『アンビエント』化する」>と述べたが、引き続く "電子書籍戦争" は、まさにこの "『アンビエント" を基軸にして展開されてきたと言えるだろう。

 なお、この "『アンビエント』" という言葉の含意は、"UX(ユーザエクスペリエンス)" という言葉と多くが重なると見てよい。

 UX【ユーザエクスペリエンス】

 ある製品やサービスを利用したり、消費した時に得られる体験の総体。個別の機能や使いやすさのみならず、ユーザが真にやりたいことを楽しく、心地よく実現できるかどうかを重視した概念である。
 UXは、認知心理学者でApple Computer社(当時)に勤務していたDonald A. Norman博士の考案した造語と言われている。操作感や使いやすさといった「ユーザインタフェース」「ユーザビリティ」という概念は個々の要素やその振る舞いに着目して使われることがほとんどだが、UXはより包括的な、一連の操作から得られる体験の総体を意味する概念である
 UXと密接に関係するもので同博士が発表した概念として「ユーザ中心設計」がある。これは、ユーザにとって何が望ましいかを検証しながら開発を進めることによって、製品がユーザにとって使いにくいものにならないようにするための考え方である。
 ちなみに、Microsoft社のWindows XPの名称の由来となっているのは、UXの「experience」である。現在では、UXという言葉は、インターネットやコンピュータの分野だけでなく、幅広いビジネスの分野で使われている。「UX」と略称で表記されることもある。
IT用語辞典 e-Words

 さて、つい最近、電子書籍サービス "楽天コボ" がスタートした。その印象はさまざまで、評価は分かれているようだ。
 下記引用サイト記事:アマゾンの引き立て役になりかねない楽天コボ  カギは「UX」の追求 編集委員 小柳建彦/ITトレンド(日経産業新聞)/2012.08.02 では、上記の "UX(ユーザエクスペリエンス)" という視点に立って、その "楽天コボ" についてレビューしている。
 かなり "切れ味の良い" 批評ではないかと思えた。電子書籍サービスにとっての "勘所" がしっかりと見据えられているからだ。

米アマゾン・ドット・コムが1995年にインターネット上の書店としてサービスを開始したとき、まず人々をとらえたのがその使いやすさだった。もっと分解すると、ウェブサイトの各ページの設計、ブラウジングによる本のショッピングのしやすさ、検索による本のみつけやすさ、各書籍の各種情報の充実度、商品の価格と購入決済のしやすさなどなど、多くの要素で構成される使いやすさだ。ウェブ上の店に来店した瞬間から、本を買って届くまでの一連の体験全体、つまりUXが優れていた。>

 "UX(ユーザエクスペリエンス)" の向上ばかりは、"研さん" とし言いようがないものを積み上げなければ装備できないのかもしれない......。

 
 連続猛暑日の最中に、沖縄、九州南部には台風9号・10号が接近して脅威を与えているという。実に、"手に負えない暴走ぶり" を発揮している昨今の気象状況である。
 こうした状況下にあっては、短絡志向の現代人は、「科学の力で何とかならないの?」と考えたりする。
 かく言う自分も、恥ずかしながらそんな衝動に駆られないわけでもない。まったく手前勝手に、"気圧改変爆弾" か何かを仕掛けて、"気圧配置状況" を "操作" できないものか......、と。

 しかし、頭を冷やして考え直すならば、その "危険さ" に気づかざるを得ない。
 気象状況というものは、"部分的地域" が孤立して在るのではなく、周囲の状況と密接に連関しており、極端に言えば地球全体の気象状況が一体的連関で存在していると言っても過言ではない。
 したがって、"部分的地域" のいわば "サブ・システム" に手を加えれば、周辺地域のみならず、地球全体の "トータル・システム" を想像のつかない "不安定さ" に追い込むことになりかねない。
 これは、ちょっとでも "システム"(ウェブシステム、ブログシステムでもよいが)に携わった経験がある者ならば容易に想像できる事実であろう。

 ただ、現代人は、身体の不調についても、"局部的・一時的対応" としての "対症療法" に慣れ切っているため、場違いの "気象状況" に関しても同様の "短絡的" 視点を持ち込んでしまうのかもしれない。

 下記引用サイト記事:気象を操作したいと願った人間の歴史 ジェイムズ・ロジャー・フレミング著 科学者らの試みを批判的に検証/日本経済新聞 - ブック/2012.07.29 は、いわゆる "書評" である。
 <天候を人為的に操作>することに関する歴史と、その<自己欺瞞(ぎまん)の悲喜劇>とを焦点とした著書を扱っている。

 科学に不可能なことはない! とばかりに挑まれている<「地球工学」>などが、もっと "冷静" でなくてはならないとする "警告" 的な視点、そこにに共感を覚える。次のように指摘している。

だが、科学者たちは海洋生物への悪影響はおろか「そうした計画に現地の住民が賛同するか、たずねることも思いつかなかった」という。まさに倫理観の欠如、公共政策への無知を非難されても仕方がない。地球工学の暴走は、地球温暖化にも増して危険なのである。

 ここでの<傲慢さ>とは、決して "倫理観" の上での問題というよりも、科学的姿勢に関する "粗雑さ" なのだというように聞こえてくる......。

 
 高校生時代のことだ。受験勉強で利用した人も少なくないと思われるあの『試験にでる英単語』(森一郎 著)に、自分もまたお世話になった。
 と言うよりも、当の "森一郎" 先生の授業を受けていた。当時はまだ、"出題事例" に "統計的処理" を加えて、"頻出する英単語" をあぶり出し、そのデータをもとに効果的な英単語記憶をするという手法はめずらしいものであった。

 しかし、考えてみると、入試試験に出題される素材というものは、掴みどころがないようであって意外と限られていたりするもののようだ。出題者側の姿勢に、重要なことは外したくない点、前例主義的安全に囚われる点があるかぎり、似たような内容となるからだと思われる。だから、"統計的処理" を踏まえての洞察から編み出された『試験にでる英単語は、"威力" を発揮し続け、今日に至っても受験生たちの眼を引いているわけだ。
 こんなことを書いていると、当時のことが懐かしく思い出されて来る......。

 そして、現在はモバイル向けの "アプリ、アプリ" の時代である。次のような記事まで現れている。

 ◆参照 アプリ開発私塾に小学生 スマホが迫るIT教育の変革/日本経済新聞 電子版/2012.07.31

 となると、受験生たちが "頻出する英単語" に関心を寄せる様と同様に、モバイル向けの "アプリ" 制作者たちが、その "タイトル名" に目を向け、いわば "頻出タイトル名" に関心を寄せたとしても不思議ではない。
 マーケティングの定石には、"二匹目、三匹目のドジョウ" 狙いがあるくらいだから、ヒットしがちな "タイトル名" 探しは、マーケティングにとっては "イロハ" なのかもしれない。

 ということで、今回は、下記引用サイト記事:iPhone/iPad アプリのタイトルに最も使われている言葉は?/japan.internet.com/2012.07.30 を取り上げてみた。  <5.最も人気なのは「HD」
「HD」という言葉は、アプリの美しさを示すためのマーケティングターム。この言葉が上位にくること自体は不思議ではない。だが「Free」よりも上位にあったことは驚きだった。
>とある点がやはり驚きである。  ちなみに<「HD」>とは、High Definition(ハイディフニッション)の略で、高解像度(高精細・高画質)を意味している。  つまり、モバイルジャンルのアプリでは、"内容はともかく(?)"、画像が "ハイディフニッション" であること(デバイス自体の "ハイディフニッション" 性を活かしていること)が "ともかく重視" されている気配が濃厚であるかのようだ......。

2020年11月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          














関連サイトへのリンク


  • 電子書籍(eBooks)制作にフォーカスしたサイト
  • 明けない夜はないことを確信するサイト
  • Green(地球環境改善)にフォーカスしたサイト
  • ソフトウェア技術者やSEのための評価と育成、人事考課制度を考えるサイト
  • さまざまな業種・業態でご利用可能なモバイル活用の予約システム!
  • 創作小説『海念と保兵衛』のサイト
  • 創作小説『かもめたちの行方』のサイト
  • 当ブログ推奨の商品を展示したAmazon ストアー!
  • 当AdhocBlogブログの過去のエントリー
  • 株式会社アドホクラット当時のサイト

★売れ筋! No.1!
家庭用"放射線測定器"

日本通信 bモバイルWiFi ルータ+1 ヶ月定額SIM BM-U300W-1M
価格:¥ 20,208
国内配送料無料 Amazon





このアーカイブについて

このページには、yasuo hirose2012年8月に書いたブログ記事が含まれています。

前のアーカイブは、
 yasuo hirose: 2012年7月
です。

次のアーカイブは、
 yasuo hirose: 2012年9月
です。

最近のコンテンツは、
 インデックスページ
で見られます。

過去に書かれたものは、
 アーカイブのページ
で見られます。

年月別アーカイブ