2008年9月 アーカイブ

 経済状況(株価状況)は今日もまた惨憺たるありさまとなった。
 昨日米国での株価が、 "777" ドルの下落という事態に見舞われ、その余波が世界中を駆け巡ったということだ。米国の株価大幅下落の原因はというと、ブッシュ大統領が梃子摺っている "金融安定化法案" が米議会下院で否決されたことにある。現時点での金融破綻のために "公的資金=税金" を負担することには納得できないとする国民感情(勘定)がそうさせたらしい。
  "緊急回避" 対策云々という視点もわからないわけではないが、金融資本がまさに "自己利益・自己責任" で推し進めて来た挙句の破綻を、 "公的資金=税金" で後始末をするというのは、やはり即座には了解しにくいであろう。しかも、報じられているところによれば、破綻当事者たちが現状相変わらずの "優雅な" ステイタス(資産・収入状況......)をキープしているとなれば、納税者だけがなぜ "詰め腹を切らされる" のかと不快に思うのも無理からぬ判断ではなかろうか。
 それに、米国政府自体が、決して "一律の判断" を採って来たわけではない。米保険最大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)は救済しましょう、しかしリーマン・ブラザーズは破綻するしかありません、という具合にである。
 こうした差異にはそれなりの理由はあるとしても、 "公的資金=税金" の使われ方としては気になるところなのかもしれない。加えて、今回の "金融安定化法案" が果たして泥沼のような現状を首尾よく解決するものなのかどうかに関しても、かなりの程度 "グレー" だとも言われている。



















 そこまで、何か得体のしれないものに引き回されていてどうするの? と思えた。大したことではなく、よくある些細なことなのではあるが......。
 先日、家内があることを話していた。とある知人が、 "バナナ" が "ダイエット" に効果的だと言うので、ちなみに、では、と思ってスーパーで買ってみようかと思ったところ、 "バナナ" のコーナーが空っぽになっていたというのである。売り切れ御免、ということだったらしい。皆が、 "ダイエット" 食 "バナナ" を買い切ってしまったらしい。
  "ダイエット" に関しては、皆がそんなに強い関心をお持ちなのかと先ずは知らされたものである。が、それ以上に、現代人がいかにメディアに翻弄されがちな体質を持っているかという事実に、今さらながら感じ入ってしまった。
 今朝も、出勤前で観るとはなくTVを掛けていたら、トーク番組がこの件を駄目押しするかのように報じていた。ご覧の通り、バナナの売り棚は "空っぽ" になっています......、と。

 まあ、別に目くじらなんぞを立てる現象でもないが、どうしてすぐにこんなことになるのかなぁ、と訝しく思えたのだ。
  "空っぽ" なのは、バナナの売り棚ではなくて、 "自分なりの考え" が "空っぽ" なんだろうな、と感じたのである。 "主体性" とか "ポリシー" なんぞという上等なことを言う気にもならない。
 要するに、頭や心といった自分側には、カラカラになったスポンジというか海綿体しかなくて、TVや雑誌その他のメディアが垂れ流す "それらしい情報" があると、何の躊躇いもなくそれらを旺盛に吸引してしまう、といった風情のようである。

 部屋にあるデジタル温度計は、23.8 度を表示している。戸外では20度を割っている様子だ。
 涼しいのはいいとして、こんな薄ら寒さまでは "注文" した覚えはないヨ、といったところだ。身体を動かしてのスポーツなどに興じる分には絶好の気温であろう。朝のウォーキングも、最初は半そでシャツでは寒い感じであったが、やがてウォームアップしてくるとちょうど良い快適さを味わった。ただ、陽射しもないため、一瞬、季節感に戸惑ってしまい、晩秋か冬であるかのような錯覚に陥ったりした。
 が、椅子に座ってじっと固まる姿勢のデスクワークをしていると、九月とは思えない薄ら寒さを感じる。いささか "いきなり" といった冷え込み方である。半そでから出た腕に寒さがしみたりする。

 朝のウォーキングと言えば、めずらしく義兄と出会った。義兄の家は、ウォーキングのコースである境川の遊歩道の近くにあるため、出会ったとしても決して不思議ではない。だが、これまで何年にもなるのに一度として会うことはなかった。かつて、姉が散歩をしているのに遭遇したことは一度だけあったかに覚えている。
 ことさらこんなことを書くのは、その遊歩道で出会う直前に、ふと何気なく義兄のことを思い起こすといった、妙なタイミングがあったからなのである。義兄の家の近辺を通り過ぎようとする辺りで、ちらっと義兄や姉のことが脳裏をよぎることはないではない。しかし今日は、ことさら義兄のことを何か考えていたようであった。さしたることでもなかったが、何かを考えていた。そしてその直後に、向かっていた遊歩道の前方に見覚えのある義兄の姿を目にしたのであった。

  "暑さ寒さも彼岸まで" とは良く言ったものだとつくづく思った。それほどに、今日は涼しくて秋らしい一日となった。こうした陽気が続くと、秋の感触を代表する、あのキンモクセイの香りもほどなく漂ってくるものと思われる。
 時代環境の変化がおびただしく、頭ではわかっていても、感性は "古き良き時代" の落ち着きを必死で求めていることを自覚する。いわゆる、季節の風物ということになろうか。
 「近頃は、風物というものが戻りませんで、何だか寂しいもんですな......」という言い回しがあったのを思い出す。何度も聴いている馬生(ばしょう)の落語・富久のまくらに出てくる。もう何十年も前に録音されたもので、すでにその時分から "風物" の廃(すた)れが懸念されていたということになるわけだ。

  "歯応え" のない物ばかり食べていると......、という現代生活に対する批評は幾度となく聞いたような気がする。顎の筋肉が弱くなるだけでなく......、という警告であったかと思う。
 今日は、ふと、 "手応え" という言葉が脳裏に浮かんだ。
 どうも、昨今は、日常、口にするものに "歯応え" が無くなっただけでなく、日常生活におけるアクションにおいて "手応え" というものが薄れているのではないか、と唐突に感じたのである。
 もちろん、これも自身の昨今の生活に関する、自身の主観でしかない。言ってみれば、そんな気がするというレベルの話でしかない。

 個人的生活を、つらつら振り返ってみるとそこかしこに思い当たることが見当たりはする。若い頃のように、求めるものへの "熱烈さ" が確かに薄れたりしているのも理由のひとつなのであろう。よく口にしたり、思い浮かべていた言葉、 "一心不乱" という言葉もすっかりとご無沙汰している感がある。
 多分、自身の姿勢側にそうした "熱いもの" が希薄となっていることが、日常的なアクション、行動から "手応え" というものを薄れさせている原因なのだろう、とは推測している。
 こうした状態を "歳のせい" にして収まり返ってしまうのもひとつであろうが、勢い、時代環境の問題としてぶち上げてみることもあるいは必要なのかもしれない、という気がしている。

 PC関連のデータが漏洩するという事故が跡を絶たないようだ。学校の先生による生徒たちの情報に関するデータ、ビジネスにおける顧客データなどが、フロッピーやUSBメモリといったメディアごと紛失されてしまったり、最悪の場合にはノートPCごと紛失されてしまうケースもあるようだ。
 そうした場合、 "個人データ" などは "悪用" される危険が小さくないと思われる。犯罪に至らない場合でも、昨今ではビジネスにおける過激な販売状況のせいで、住所や電話番号などをはじめとした "個人データ" が平然と売買されているとも聞く。
 自宅に居ると、営業関係の電話が突然入り、不快な思いをすることも珍しくはなくなった。よっぽど、この電話番号はどこから入手されたのですか、といった皮肉を言ってやりたくもなるほどだ。

 つまり、問題は、ネット上で "ウイルス" や "スパイウェア" などが仕掛けられ "個人データ" が失われるだけではなく、通常の日常行動の中で、いわゆる "オフライン" の現場で大事なデータを漏洩させてしまうことも少なくないということなのである。
 その原因のひとつは、ノートPCやUSBメモリのように "携帯" に便利な環境が広がったことがあるのだろう。そして、こうしたIT機器は、かつてに比べて "大容量化" していることと、今では誰もが容易に操作できる状況となっているから、いざ他人の手に渡ってしまうと一気に厄介なことになるわけだ。
  "セキュリティ" の重要さが叫ばれてはいるのだけれど、不運にも、メディアを無くしてしまったとかというアクシデントを発生させてしまうと、どうもお手上げに近い事になってしまうようである。

  "ラミネート加工" という意外と便利なものがある。フォト関係が好きな自分は、A4大、B5大にプリントアウトした自作の写真を、 "ラミネート加工" を施して飾ったりしている。 "額" に入れるほどのことがなくて、さりとて印刷したままだでの劣化を嫌う場合、手頃な処理となるのだ。
 出来上がりは、気の利いた "下敷き" のような雰囲気となり、もちろん印刷物は "真空状態" で密閉されるため扱いやすいし、丈夫なことこの上ない。社員証だとか会員証などは早くからこの加工法が使われてきたものだが、最近では、いろいろなショップでポスターとか、お品書きなどにも使われて重宝がられているようである。
 自分も、写真以外で、ちょいとした "マニュアル" めいたものの印刷物を "ラミネート加工" して書棚に挟み込んだりして活用している。
 この加工は、実用的であるのは当然として、加えてちょいと "バリュー感" の加わるのがうれしい。ハンドメイドのものが、何となく "製品" めいた感触となるのがおもしろい。いろいろと "手製自作" をする自分としては、妙に頼り甲斐があったりする。
 そんなわけで、時々、 "ラミネーター" を起動させて "ラミネートごっこ" をして悦に入っている。
 つい先ほど、噛んでいたガムに "歯の被せ金属" がくっついて外れてしまった。しばらく前に、やたらに外れてしまい歯医者通いとなり "しゃくな思い" をした箇所とは別の箇所なのである。
 もっとも、そうした "歯の被せ金属" は、まるで虫歯の穴を塞ぐマンホールの蓋(?)のような形状なので、物理的に言って外れない方が不思議なのかもしれない。前回、同様の治療をした時にも医者が言っていたものである。
「こういうものは取れやすいんですよね。だから今日、セメントで修復しても、今日中にとれてしまう場合だってないとは言えません」
と、ご丁寧に "保証" (?)までしてくれたものであった。その箇所はどういうものか大人しくなっている。
 やれやれまた、手間の掛かる歯医者通いかと思うと何だかウンザリ気分となる。

 メモリ(半導体)類が相変わらず "安い" 。
 そこで、個人レベルでは、さほど必要でもなのだけれど、PC関係でノートPCのメモリを補充すべく購入してみたり、大容量のUSBメモリや、コンパクト・フラッシュメモリを買ってみたりしている。メモリ類が高かった頃のことがどうしても忘れられずに関心を持ってしまうからなのであろうか。

 しかし、自社のビジネス環境からすれば、メモリ(半導体)類が "安い" こと、つまり半導体需要が低迷していることはありがたくない傾向なのである。半導体メーカーが、増大する需要を見込んで、増産のための設備投資を精力的に進めてもらえれば、それが当社の業務にも良い影響となってくるのだが、このところかなり良くない。
 景気全体が低迷して消費全体が落ち込んでいると、半導体需要につながる生産財への投資が足を引っ張られてしまう。しかも、現在の半導体製造パワー、供給力は非常に高水準にあるため、すぐに需給バランスが崩れて半導体価格はコスト割れ状況へと追い込まれたりするわけなのである。

 今朝の地震には驚かされた。まさに寝込みを襲われた "朝駆け" のような感じで、突然の揺れに驚き飛び起きたものだった。早速、TVで情報を得てみると、震源地は千葉北西部で、震度3だとわかった。比較的震源地が近かったためか、横揺れの初期微動が少なかった分突然の縦揺れとなった模様である。
 七時過ぎであったためそのまま起床ということにしても良かったが、昨夜眠りに就いたのが遅かったこともありそのまま朝寝を決め込んでしまった。おかげで、久々にダラダラと惰眠することになった。

 昨夜は、さて眠ろうかとした際にちょっとした "夜討ち" の出来事に災いされてしまったのだった。近所の犬がいやに吼えるため、何ごとかと不審に思った。そのうち、聞き慣れない男の叫び声が聞こえたような気がして、ますます訝しく感じ、窓の外を覗いてみた。
 すると、隣の庭の向こうで、何かを探すかのような懐中電灯の光が忙しく動く光景が見えたのである。これはおかしい、何かあったようだ、と感ぜざるを得なかった。
 時刻は午前一時頃で、自分はもうすでに、寝床に入っていたのだ。が、黙って放っておくわけにも行かず、壁に掛けた懐中電灯を掴んで外の様子をチェックしに表に出てみることにした。

 夕食後、窓の外から "市の広域拡声器による広報" が聞こえてきた。自分も良く知る市内のある町で、七歳の女の子が朝から行方不明となっているというのだ。何でも自転車に乗っていたそうだがそのまま行方がわからなくなっているとのことであった。
 昨日だかにも、ある地域の小さな男の子が無残にも殺害されたとの事件があっただけに、不吉な印象がぬぐい切れなかった。
  "市の広域拡声器による広報" では、これまで認知症にかかったお年寄りの行方がわからないというものが大半であった。そして、ほどなく、無事に保護されたと知らされ皆が胸を撫で下ろすことになる。
 今回も無事に保護されることを祈るばかりである。不吉な印象、予感が取り越し苦労であってほしい。
 明日は、関東地方にも台風13号が接近してくるようだ。この台風が台湾近くにいた時、そのまま北上を続けて中国大陸へと向かうのだとばかり考えていたが、中国への接近直前で急に右旋回して日本列島を縦断する方向へ舵を切ったのには驚いたものだ。
 まさか、台風に何らかの意思があって、中国へと向かうと何をされるかわからないとばかりに、日和(ひよ)ったのでもあるまい。多分、大陸の高気圧が、台風を寄せ付けなかったというところなのであろう。
 しかしそれにしても、踵(きびす)を返すがごとく日本列島方面へと旋回した時は、思わず、 "なんじゃこれは?!" と感じずにはいられなかった。ちょうど、 "メラミン" 混入の粉ミルク問題で騒がしい時であり、餃子や事故米の "メタミドホス" 問題とてメディアを賑わしていた時でもあった。だから、台風とて、そんなことが日常茶飯に引き起こされる危なっかしいところへは行きたくなかったのかと、そんな想像をしてもあながち無理はないように思えた。
  "バブル時のようには行かない" という言い方はしばしば耳にしてきたところである。しかし、ふと翻って考えてみると、じゃあ "バブル時のよう" ではない状況というものをわれわれは一体どう経験したというのであろうか。
 いや確かに、戦前戦後の混乱期もあったし、不況にあえいだ時期もあったにはあった。しかし、それらは "バブル時" とは確かに異なった状況ではあったに違いないが、そうは言っても荒っぽく言ってしまえば、大きな "右肩上り" のトレンドの中の一部であったような感触を持つ。

 昨今のPC周辺機器はプラグアンドプレイという方式で簡単にインストールできるはずである。要するに、周辺機器のドライバーが自動的に探し出されて、自動的にインストールされるわけだ。しかし、今日、ちょっとした戸惑いに遭遇してしまった。
 データのバックアップには、CDやDVDが適しているが、一定期間で更新されるデータでしかも比較的大容量となると、追記できないDVD(ROM)よりも、追記が可能な "DVD-RAM" が適切だということになる。まるで、HDDのように扱えるところが便利なわけである。
 そんなことで、以前から "DVD-RAM" ドライブをセッティングして活用してきた。ところが、久々に更新データを書き込もうとしたところ、以前とは勝手が違って上手く行かない。 "久々に" ということで、使い勝手を失念してしまったのかと、ややもたついた。いろいろと思い出しながらあれやこれやとやってみたが、それにしても上手く行かない。

 ハード環境を変えた覚えがないのだけれど上手く行かず、手を焼いてしまった。まあ、こんなことはよくあることで、わざわざここに書くほどのことでもないとは思われる。
 しかし、奇妙な気がしてならないのでさらにあれやこれやとかかわらざるを得なかった。それで、関連情報の検索の結果、Windows 側の設定に新たな変更を加える必要があるとわかった。しかし、以前に問題なく稼働させた際にはそうした設定をした覚えがなく、まるで狐につままれたような気分となってしまった。
 考えられるのは、この間、頻繁に Windows のアップグレードをセキュリティ上行っているその際に、従来のドライバーとの間に変化が生じてしまったのか......、ということくらいである。

 現代という時代環境に特徴的なことは、 "不確かさに便乗して悪意を埋め込む者がいる" とでも言えそうだ。
 昨日からのリーマン・ブラザース証券会社の破綻は、世界金融状況に対してかなり深刻な引き金をひいたことになるが、もとを糾せばあのサブプライムに関する怪しげな金融商品の新種であったことは周知の事実だ。
 新聞報道で以下のような街の声が報じられていた。

<以前は証券会社に勤務していたという同市南区の県職員肥後孝さん(40)は、値下がりを示す緑色の数字がほぼ全銘柄に並ぶのを厳しい表情で見つめ、「歴史的な日ですね。リーマンをつぶしたということは、サブプライム問題は米国政府も手がつけられないほど底なしだということを、世界に宣言したようなものだ」と話した。>(asahi.com 2008年9月16日13時0分)

 <米国政府も手がつけられない>サブプライム問題というのが、 "不確かさに便乗して悪意を埋め込む者がいる" と思わせるのである。
 金融新商品の詳細なことはわかりようもないが、サブプライム領域の "リスキーな債権" を他のまともな債権とごったまぜにして世界中に売りさばいたのだから、米国住宅経済の悪化によって大元のリスクが発火してしまえば、世界中に火の手が上がるという事情は大方頷けるというものであろう。

 昨日のウォーキングの際には、また "カワセミ" を目撃した。もう境川で "カワセミ" を見るのは何度目であろうか。しかも、昨日は川岸で二羽並んでいたのを見ることができた。 "つがい" だったのかどうかは定かではないが、仲良く並んでいたところをみると多分そうだったのではないかと推測する。確か、 "カワセミ" は、オスがメスに餌の小魚などを採ってやる習性があったかと思う。

  "カワセミ" が飛来していると、対岸にアマチュア・カメラマンがカメラを構えて立ち並ぶため、一目瞭然にわかるのである。
 昨日も、ウォーキングで境川のいつもの側の道を行くと、対岸に数名の男たちがカメラを構えてこちら側の岸に注意を向けていた。
 この様子では飛来しているな、と感づき、静々と川べりのフェンスに沿って歩き、こちら側の川岸を目で探った。すると、 "カワセミ" が二羽、川岸に生えた背の低い木の枝につかまって、カメラマンたちの方の岸を向いて並んでとまっているのが見えた。
 なるほど、カメラマンたちの数がいつもより多いのはそういうわけだったのかと合点した。自分も、そんな光景ははじめてだったので、持参していた携帯電話のカメラを用意した。近づくと気配を感じ取られそうだったので、距離を置き、例の "二倍望遠レンズ" はあまり頼りになるものではなかったが、無いよりはましだとして、構えようとした。が、一羽が飛び立ってしまい、残り一羽の姿のみを写すことになった。

 TV番組などを録画したものを若干編集してDVDに焼くということを続けている。それなりに続いているから趣味のひとつと言っていいのかもしれない。
 ますます "劣化" していくようなTV番組状況かと思えるが、それでも玉石混交の観があり、後日ゆっくりと鑑賞したいと思わせるものや、これは保存版としたいというようなものもある。そんなことで、自分なりに作り上げたスタイルでDVDライブラリーを作り続けている。

 さしたることをした覚えがないにもかかわらず、今朝はやたらに身体のあちこちの筋肉が痛くて、朝寝をしてしまった。今日から三連休だという思いがあったのだろう。それで、一日くらいはのんびりと寝ていようと思ったに違いない。
 秋の涼しい朝であればもっと気持ちよく眠れたものだろうに、あいにく今朝は陽射しも強く残暑の寝苦しい朝であった。

 しかし、思えば天候について、人は勝手なことを言い放題に言っているようだ。天候の方もこのところ異常気象だとされているが、人間が天候のことについて言うのは、ほとんど自分本位の愚痴であるような気がしないではない。
 こんなことを思うのは、昨晩、寝床でうとうととしていた時、空耳だったのであろう、あるいは遠くでのバイクのエンジン音かジェット機か何かだったのかもしれないが、雷鳴が聞こえたような気がしたからである。
 が、すぐさま、今晩あたりの雷の予報はなかったはずだし、そんな気象状況でもないことに気づいた。やはり、バイクのエンジン音か何かだったのだろうと思い直したが、そうすると、何だか急に夏の夜の雷鳴というものが懐かしくなってきてしまった。そう思うと、多分、もう来年の夏まではあの雷鳴も聞くことはないだろうということに思い至り、なおのことじわぁっと、あの人騒がせな雷が無性になつかしくてたまらなくなったりしたからおかしかったのである。

 ずっと以前から "夢" というものには関心を持ち続けてきた。この日誌にも何度か書いてきた覚えもあるし、 "夢" についての著作も少なからず読んできたかと思う。
 しかし、未だによくわからない。 "夢" 一般についての仕組みがわからないとともに、自身が見た "夢" ( "夢" は、「見る」という漢字を使っていいものかどうかも微妙なところであろう)についても、どうしてそんな "夢" を見るのかは不可解でしかない。

 このところも、わけのわからない "夢" を随分と多く見ているようだ。最近は、加齢による "前立腺" の兆候もあってのことか、夜は頻繁に目を覚ます。一晩で、3回はトイレのために起こされる。そして、その度に直前まで "夢" を見ていたことを反芻する。
 つまり、毎晩のように "3本立て" の "夢" を見ているようなのである。
 昔、庶民の手軽な娯楽が "映画館へ行くこと" であった頃、 "3本立て映画館" というものがあったと記憶している。どういう映画興行の都合があったのか、こうした複数本同時映写というスタイルが結構、一般的であった。楽しみが "3倍" とも言えそうだが、今振り返ると、鑑賞後の余韻もへったくれもなく、下手をすれば頭も心もごった煮のような混乱の極みということであったのかもしれない。
 で、このところ続く "3本立て" の "夢" に戻るが、不思議とも言えるが、どうもそれら "3本" の関係はほとんど脈絡がないようなのである。 "続編" というような関係があっても良さそうであるが、まったくそれはない。いいところ(?)で目が覚めてしまう "夢" もないではないのだが、寝床に戻って再び眠りにつくとまったく関係のない別な "夢" を見ているようである。

 事務所の近辺に比較的大きな幼稚園がある。二、三ヶ月前から鉄筋コンクリート造りの立派な増築工事をしていて、秋の新学期がはじまるつい先頃、漸く完成した模様だ。
 その幼稚園の脇を通りがかったので、覗くともなく複数の教室の開け放たれた窓から教室内に目をやると、まるで小学校の教室のような構造になっていた。
 幼稚園や保育園というと、簡単な室内構成を想像してしまうのだが、何と "立派" な構成であったことか。そこは、教会付属の幼稚園なのだが、さぞかし信者さんその他関係者は思い切った寄付金を提供したのであろうか......。ここに通える幼児たちは幸せだなぁ、なぞとふと考えていた。

 あまり熱心に見ていると不審な年配の男が中を覗いていたと怪しまれたりするといけないので、一瞥するにとどまったが、ふと気づいたのは、壁際の造りについてであった。
 幼児たちの手提げ袋などの持ち物を引っ掛けておくスペースがゆったりと設定してあったり、各自の教材を収納しておくのであろう棚のボックスが、教室にいる幼児の人数分なのであろう、整然と備えてあった。そこには、何やら教材がトレイに載せられてそれぞれが収まっている。
 別にどうということのない造りではある。それらを見て自分は何かを考えていた。
 先ず、そうした造りからして、幼児たちに "自分のモノ" を "自分のモノ" としてしっかりと対処させる躾というか、教育のあり方が彷彿として浮かんできた。こうして、小さい時から、 "自分のモノ" をそれとして管理していくように躾られれば、おのずと自己管理の能力が身についていくんだろうな......、と。
 そして、こうした落ち着いた躾、教育を受けられる幼児たちは先ず先ず "幸せ" と言うべきなのだろう、と感じていた。 "三つ子の魂百まで" ということわざがあるくらい、幼児期の躾、特に自分と他者との関係や、共同生活に関する訓練は重要であるに違いない、とも考えたりしていた。

 とりあえず、自分の手で "修理" をしてみる、ということに関心が向く。そんなことをしているバヤイかと自身を揶揄することにもなるが、手に負えそうな可能性があればとにかくやってみたくなる。まして、プリンターというような、機種のバージョンが次から次へと変化してしまう機器となると、いわば自己防衛的な意味においても "修理" に挑むことになる。

 これまで使用してきたとあるプリンターにはいろいろな点で思い入れをしてきた。付属アプリソフトを十分に使いこなしてきたこともある。機種を変えた場合、そのソフトならではの作品データが生きるかどうか定かではないという点が大きい。
 そんなことで、買うと高いインク類も詰め替えインクで再利用して安く上げようとの努力にも余念がなかった。さらに、いずれ故障に見舞われるだろうことを想定して、同型の中古品をスペアとして入手したり、現状機種のスペックを引き継いだ後継機種をかつて入手しておくといった予備の段取りまでしてきた。
 ところが、ついに現状品とその同型の中古品が、揃って故障してしまったのである。未使用の後継機種があるとはいうものの、それらの故障を何とか "修理" できないかと未練が残った。

 今日は申し分のない "秋晴れ" である。古くは「重陽の節句(菊の節句)」と呼ばれた日だとかだそうだ。「菊花酒」に因(ちな)んで、芭蕉の句を味わっておこう。

<草の戸や日暮れてくれし菊の酒  芭蕉 >
 (平安の昔より、重陽の節句には菊花酒という酒を飲む風習があった。長寿を祝うものであったという。世間で祝われている菊の節句の酒も隠遁の自分には無関係とあきらめていたところ、思いがけなく日暮れになって一樽届いた。うれしくないかといえばそんなことはないが、日暮れて届いたところになお一抹の淋しさがないわけではない。
 ここに草の戸は、義仲寺境内の無名庵のこと。日暮れて酒を届けてくれたのは乙州[おとくに 『ひさご』の連衆の一人]であった。 http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/kikusake.htm より)

 もう、ひところほどには熱くならなくなったが、それでもPC関連のアレンジ作業にはそこそこ注力してしまう。
 つい先日も、ネットで "モバイルPC" の中古で良さそうなものが目に入り、まあ購入するほどでもないかと醒めていたのだが、結局入手してしまった。
 現在使用中の "モバイルPC" が今ひとつ精彩がなく、多少不便を感じていたこともあった。何日間か、サイトを覗いては様子を見ていたのだが、結局買うことにしてしまったのだ。
 ネットショップで中古PCを買うのは、当たり外れがあるものだが、今回のものは、まずまず満足のゆくものだったと言えそうである。早速、使い勝手が良くなるように、ハードディスクを交換してみたり、もちろんOSを再インストールしてみたりと、いろいろ自分向けのアレンジ作業をしている。
 確かに、自分が使うPC環境を少しでも性能アップさせたり、使い勝手を良くしたりするということには意味がある。ストレスを感じなくて済むような快適なPC環境は、それだけで作業がはかどりかつ楽しくなるものだからだ。多大なコストが掛かるとなれば考えものであるが、中古PC程度のコストであれば問題はなかろうと感じている。

 午後5時過ぎであるが、戸外は急に雷雨となりはじめた。とりわけ雷鳴が途絶えることなく鳴り響いている。だんだん近くなるようでやや気味が悪い。
 窓からは、雨に伴う涼しい風が入り込んでくる。これで、豪雨というような酷いことにならなければ、気温が下がり過ごしやすい夜になりそうなのでありがたいのだが......。
 明日あたりからは秋めいた陽気になるようなことを伝えていたかに思う。涼しく爽やかな天候が続いてくれないかと、まるで農村の年寄りのような心境となっている。

 最近はやたらに天候のことに関心が向いてしまい、やや不本意な感じがしないでもない。というのも、自分の意思とはほとんど無関係な事柄に注意が奪われるという点が情けないと感じるからである。
 もとより、現代の人の世もまた、人々の意向とはかけ離れているかに思われるような動向を示している。つまり、経済現象、政治現象、社会現象が人々の思惑とはかけ離れて想定外の動きをしているような雰囲気である。多分、これまでに経験したことがない、 "グローバリズム" 化、 "グローバライゼーション" のうねりがますます顕著となり、それによって国内空間の材料だけを想定して過ごしてきた者たちにとっては "未曾有" の環境が広がっているからなのだろうと想像している。
 まさに、何から何までが "従来の経験" では推し量り切れない新奇な状況に変わろうとしている、いや変わっている、ということなのであろう。

 今朝の朝食は牛丼屋の朝食定食で済ました。家内が実家の母親のケアに出かけて留守の際には時々利用している。自宅にあるものを適当に見繕って済ます場合の方が多い。が、時として気分を変えようと利用したりする。
 今日は、事務所に出てすべきこともあったため、事務所へ向かう途中の店に寄ることにしたのだ。

 昼食などで外食をすることも少なくないが、待つのを好まないため、ファーストフード的な牛丼屋に飛び込むことがままある。5分足らずでトレイが出てくるのがとにかくありがたい。ちなみに、最近では牛丼ならず豚丼を頼んでいる。やはり牛肉への不信感が残っているからであろう。
 自分は、決してグルメなんぞではないし、食事に関してうるさい方では毛頭ない。特に、カロリーのことを配慮しなくてはならなくなってからは、比較的好物であった揚げ物類を避けることだけを念頭に置き、いたって簡素に済ませるようにしている。とにかく、空腹の不快感が収まればそれでいいかという横着ぶりである。

 このところあちこちで "豪雨" について懸念されている。
 しかし、きっと "豪雨" が恐れられるのは低地であるとかの地形的な問題を抱えている特殊な地域のことに違いない、とそう高を括っていた。
 ところが、昨日、クルマでの帰宅時にやや驚かされた。いつもの道路を走っていたのだが、とある交差点に差し掛かると唐突に冠水していたのである。十数センチ程度の深さであろうか、その交差点付近のみが降雨で覆われていたのだ。

 前のクルマが停車したりノロノロと走るので気づかされたのだった。それらのクルマは、タイヤを幾分水没させ、大きな波を立てながら静々と走っていた。
 今までならば、なあーに、どうってことはなかろう、と気にもしないところであっただろうが、このところの "豪雨" による予想外の被害を知らされていただけに、若干、不安な気分とさせられたりした。
 何よりも、あのガード下の低地の道路上でクルマが立ち往生した上にあっと言う間にクルマ全体が水没してしまった、という事故が強烈な印象をもたらしていた。また、冠水した道路でエンストさせられてしまう事例が少なくなかったのも不安材料となった。
 その種の情報によれば、クルマの排気マフラーが水没すると、水がエンジンの方に逆流することになりエンストを招くらしい。地表からマフラーまでの高さは、そんなにあるものでもなく、もし冠水が30センチの高さになるとそうした危険率が一挙に高まりそうな気配である。

  "どうなるかわからない" ということがあるから、 "希望" が生まれ、人は生きてゆける、と言い切っていいのだろう。いや、 "希望" とはそういう筋合いのものであり、だからこそ、 "どうなるかわからない" という事象を公式的にはパージし続ける現代という時代環境では "希望" が抱きにくくなっているのかもしれない。
  "希望" というものはそんな柔(やわ)なものであってはならないとか、もっと確たる裏づけを持ったものでなくてはいけない、とそう言いたい人もいようが、そんな人には困ってしまうけれど、まあそんな人はとりあえず "希望" なんぞにかかわらない方が良さそうだと忠告すべし、か。無いものねだりほど、事態を拗らせることはなさそうだからである。

 今日、次のような一文を目にして、意を強めた次第であった。

<...... 希望というものは、ある程度の知性がなければなりたたないが、一方で知りすぎてもいけない。不可視の大きな空白領域をいかに確保し、ふくらませるかが「希望の技術」。......>(「空白をつくることもまた」 茂木健一郎 クオリア日記 2008/09/04 あるシンポジウムでの『脳に学ぶ遇有性の設計原理』というテーマの報告をされたとか。)

 茂木健一郎氏は、かつて次のようにも述べていた。

<「偶有性」(どのように変化するか判らないこと)>(「文脈の自由、偶有性の空間。」 茂木健一郎 クオリア日記 2005/08/15 )
< 創造的な人は、だいたいにおいて、偶有性(どうなるかわからないこと)を大切にしている。そのことは、会って話していればピンとくる。一方、教条主義の人はいわば文脈の中の蛙であって、精神を硬くして動こうとしない。>(同上)

 自分は "自転車操業" 的人生を走っているため、まだまだ "現役" で走るほかないのだが、同年輩の友人たちの中には停年退職という "上がり" に至ったものも少なくない。
 悠々自適の生活に辿り着き羨ましいと感じないわけでもない。が、その反面、じゃあ、これから何するの? と言ってやりたくもなる。
 確かに、趣味の道だ、やり残したことだ、時間がなくてできなかったことだ......、と一見、やりたいことややるべきことが山積しているのかもしれない。そういう者もいないわけではなかろう。
 が、実際はそんなに都合良くは行っていないのではなかろうか。別に、 "ひがみ" から言っているのではない。もっとシビァな次元で心配している。

 つまり、人が行動するために不可欠な "動機" という問題について懸念しているのである。つつがなく停年退職に辿り着いた者たちというのは、概して、 "素直に働いてきた" 者たちということになるはずである。自分(自我)を出して、アーダコーダと屁理屈を言ってみたり、環境や成り行きに距離をおき、それ以外の人生を想像するようなそんなタイプの人間ならば、三十数年もの長時間、同一のレールの上で我慢できるわけがない、と言えようか。
  "素直" で "従順" 、 "生真面目" であり続けたからこそ、所定のエンディング・テープを突き出した胸でさばいたのであろう。とすれば、そんなに短時間で簡単に、三十数年もの長きにわたって全身に染み込ませた "体質" を改変することは難しいのではなかろうか。

 知識・情報を自身の脳(心)によって十分に咀嚼すること、言い換えれば、自分の言葉で知識・情報を獲得すること= "自立的思考" 。そんなことの重要さを知らされた。

 <コピペ>という奇妙な言葉があるらしい。 "コピー&ペースト" の略だそうで、こうした略語からして首をかしげてしまう。
 パソコンやインターネットを頻繁に使っていると、単語やフレーズを、とある箇所から "コピー" して、それを他の文面に "ペースト" (貼り付け)する "技" を使いがちとなる。言ってみれば、それがパソコンによる文章作成作業の便利なところでもあろう。
 これが、自分の作成した文章の範囲内であるならば、ほとんど何の問題もない。ワープロ作業の入力において、あらかじめ "辞書機能" に簡略入力で当該単語が表示される段取りをしておくのとさほど変わらない。あるいは、文章の推敲や編集で速度アップを図るというまともな方法ということになろう。

 しかし、問題視されることになる<コピペ>というのは、他人の文章や言い回しを、ネット上から手軽に "コピー" できるのをいいことにして、それらを、あたかも自分の文章であるかのように、自分の文面に "ペースト" するという行為なのである。
 もちろん、ここから発生する第一の問題は、 "著作権侵害" 問題であろう。 "剽窃" と呼ばれることもあるはずだ。
 しかし、そうした次元未満の領域で、膨大な量の<コピペ>が積み上がり、さまざまな点での問題が生じているという。

  "インターネットカフェ" というものをようやく "実地体験" してみた。
 ネットに関する技術的なことでちょっと確認してみたいことがあったのだ。たまたま、事務所の近くにも "インターネットカフェ" と称するショップがあったので、散歩がてらに覗いてみることにした。
  "最短時間" では30分という料金システムがあり、入会した方が入会金を取られても安いため、とりあえず入会することにした。チェックしてみたかったことは、ほんのちょっとしたことであり、短い時間で済むはずであった。

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