皆が財布の口を締めようとしているようだ。わずかでも安く買えるところを必死で探してもいる。
こうした雰囲気は、これまでのどんな時期よりもよくわかる。共感もできる。そうでもしない限り、生活が成り立たない、というところまで来ていそうだからだ。
自分も昨日、 "一割引サービス券" を持って、とあるホームセンターで買い物をした。以前に、月末の昨日、今日だけに有効な "サービス券" をもらっていたのでそれを活用したわけだ。何をいくつ買っても、 "一割引" となるというのは有難さがあると思えた。店側にしても、ただでさえ利益の薄い商いであろうに、必死なのだろうと思う。
振り返ってみると、今までにも何度もこの種の "サービス券" をもらった覚えがあるが、今回は妙に感じ入って活用させてもらった。それほどに、現状の "不景気感" はただ事ではなく、おまけに今後は改善されるどころか逆に想像できないような悲惨な状況が訪れようとしているようなので、そんなことになったのかもしれない。
やはり "為替" 変動に振り回されている、ということなんですね。
今日は、 "98円台の円安" で、それで日経平均が "9000円台" に納まることができた。まさに、実経済やファンダメンタルズとはほとんど無関係に株価が変動するということのようだ。
したがって、これで "底打ち" したとか "回復基調に入った" とか言うことは全然できないはずに違いない。
"為替" 変動はほとんど予測不可であり、またまた "ドル売り・円買い" の動きが出てくれば、それが株価に反映されることになるのだろう。
まして、 "金融危機" が生み出された構造はまだまだ改善されている状況ではなさそうである。恐らく、現在の "為替" を変動させているグローバルなマネーは、今、瀕死の重傷の中で、被害を少しでも小さくしたいともがき、右往左往しながら "通貨" の移動をしているのだろう。それも、長いスパンでの判断なんぞではなく、目先の状況に振り回されながら反射的に "ドル" から "円" へ、そして "円" から "ドル" へと乗り換えをしているのであろう。だからこそ、今日の "円安・株高" は今日現在の事実ではあっても、それを額面通りに受けとめられないように思うわけだ。
"足を引っ張られる" とは言うが、 "頭を引っ張られる" とは言わない。しかし、相変わらず続く "頭痛(緊張型頭痛)" が、 "フットワーク" ならぬ "ブレーンワーク" の支障となっていることが否めない。
この "頭痛" が、何かまとまったことを考えようとすることを妨げているかのようなのである。まるで、足にまとわりつくかのようにくどく現れる。ちょいとあることに考えを向けようとすると鈍い痛みが訪れるのだ。
こんな厳しい環境の時期である。持てる頭脳のパワーを100%発揮したところで十分だとは言えない。なのに、この執拗な "頭痛" は寄り添って離れようとしないのは困る。
考えてみるに、いわゆる "眼精疲労" というやつが "頭痛" の症状をこじらせているのかもしれない。ふと、そんなことを思った。
ウォーキングの際に、今日は川の鯉たちに "特別誂えの餌" を持参した。
近所のパン屋で入手した食パンの耳を、ご丁寧に "さいの目状" に細かく刻み、鯉たちがのどに詰まらせないように用意しておいたのである。それら全体は体積にすれば一リットルほどはあっただろう。小袋に入れて携えて行ったのである。
当初、 "量" はやや多すぎるかと懸念したが、どうしてどうして、足りない位であった。というのも、川で見かける鯉たちに "あまねく" 振舞ってやろうとしたら、意外とあっちこっちに棲息していることがわかったからだ。
そいつ等が、餌を撒き始めると四方八方から鼻ッ面を出してくるのである。どうも、餌の匂いでわかるというよりも、同輩たちが餌にありつくために水面でジャバジャバ騒いでいる様子がかなり遠方にまで伝わるらしいのである。だから、匂いが届くはずのない上流の方から勇んで駆けつける、いや泳ぎ込んでくるのである。
そして、水面に浮いているパンくずの下は、黒い鯉たちが芋を洗うようにごった返すありさまとなる。
最近気になる言葉として、 "方向感(がない)" とか、 "持続性(に乏しい)" という言葉がある。
"方向感" については、やはり株式市場での株価の動向などでしばしば見受けられる。もっとも現時点は、金融危機、経済不況の煽りで大きくは "下げ・反落" というマイナス "方向" に変わりはなさそうだ。
ただ、このところの日々の株価変動を見ていても、まるで "ジェット・コースター" のように激しく上下動している。その変動幅が何百ドル、何百円という大きな幅であり、ちょっとした "材料" に対して過敏・過激に市場は反応している。この辺から、市場の動向に "方向感がない" と言われる理由があるのだろう。
有り体に言えば、金融危機なり、経済不況なりの正体が掴めず、現状認識が極度に揺らぐところから "方向感" のない取引が展開しているということになるに違いない。
昼前、病院でのおふくろの診断に付き添うことにした。歳のせいであちこちに支障を来たし、糖尿・胆石のほかに心臓周辺にも懸念される箇所があったのだ。
先日、胆石に関する定期検査で超音波検査を行ったところ、心臓にも心肥大などの異常のあることが発見され、その精密検査の必要性が指摘されたのだった。すでに、その関係の治療も近くの別の専門病院で続けてきたのであるが、そこではその症状は見過ごされていたようであった。そこで今回、当方側から催促するかたちで検査をすることになったのであった。
情けないことに、この三連休は風邪治療のための "静養" に費やしてしまった。
"静養" というと大袈裟に過ぎるが、これまでひいた風邪の経過からすると、ぐずぐずと二週間も長引いたりすることさえあった。呼吸器系統が必ずしも強くなさそうなのである。そこで、ここは "短期決戦" で済ませようと目論んだのだった。
今回の場合、 "勝算" があるとすれば、すでに "禁煙" をしていることである。そのことで、きっと "治り" が早いのではなかろうかという希望的観測は先日にも書いたとおりである。いや、そうあって欲しいものだと思っている。
毎回、熱の出ることはないのだが、咳き込み方が酷い方だ。今回も、相応のクスリを服用しているにもかかわらず、その効き目は頼りない感じである。
最近ますます、人の病というものは "気" (マインド、神経系......)のバランス不調から生じると考えることが頻(しき)りである。その視点からすれば、ストレス過剰な昨今は、まるで病の "地雷" が埋め込まれたエリアを歩くようなものなのかもしれない。
とにかく、 "気" を養うことに留意すべきであろう...... (2008.10.13)
「きっと、 "治り" が早いんじゃないですか」
とは、掛かりつけの近所の医者の言葉だ。
今年、早くも風邪に見舞われてしまい、近所の街医者に伺ったのだ。
「禁煙をしたのに、甲斐もなく風邪をひきました」
と自分が言うと、
「いやぁー、それは "がんばりました" ね」
との言葉の後で、言われた言葉だったのである。
別に、禁煙をしたからといって風邪をひきにくくなるというものでもないらしい。自分は、タバコを控えると呼吸器官が丈夫になり、風邪なんぞひかなくなるに違いないと勝手に期待していたのであった。だが、そこまで効果的でもなさそうである。
年々、風邪のウイルスは "進化" して "競争力" (?)を高めているようなので、それらを撃退するには喫煙を止めたくらいでは何ともならないのかもしれない。
ただし、 "治り" が早くなるという点については、幾ばくかの期待をさせてもらおうかと思っている。
人知れず、せっかく "がんばりました" のその結果が、何ら目に見える "メリット" をもたらさないのであれば、いささか拍子抜けの気がしないでもないからだ。
秋の気配は、戸外のあちこちで漂う "キンモクセイ" の香りだけではない。自宅でも、事務所でも、静かに耳を澄ましていると慎ましやかな "虫の音" がいたむ気分を癒してくれる。
先ほどから、事務所の窓際でそんな "虫の音" が聞こえている。 "チッチッチッチッ" というかわいい鳴き声 or 羽音を立てている。
よく聞き慣れた音である。それが聞こえるだけでも相応に味わい深い。が、多少気になるのは、一体何という名の "秋の虫" だろうかという点であった。それがわかれば、なおのこと親しめそうな思いがあった。
この秋の季節にこそ馴染んでいるのかもしれないが、 "命の幽(かそけ)さ" とでもいうものを感じさせられている。
幅広い演技力で好感が持てた名優・緒形拳さんが71歳という惜しまれる若さで亡くなった。緒形拳さんの演技で印象的だったのは、先ずはNHK大河ドラマ「太閤記」の主役・豊臣秀吉役であり、そのほかにもいろいろとあるが、映画「砂の器」での生真面目な巡査役もまた実に好印象を与えられたものだ。凄みのある人物像も上手にこなしていたが、概して、地に足のついた男の強さを演じ続けていたかに思う。そんな緒方さんには、今後、歳にふさわしい円熟した大人役を大いに期待していたのだったが、それだけに寝耳に水といった訃報として受けとめることになった。
今日の株価もかなりの異常事態に違いない。日経平均は一時500円を越す下げの勢いとなり、結局465円下げて1万473円となった。今日のような下げがもう一日続けば、1万円という大台を割り切るという事態に突入することになる。もはや確実に日経平均1万円割れが視野に入っているかのようである。
週末の米国で、例の "金融安定化法案" が下院を通過したため、株価はいくらかの戻し(反発)があるのではないかとの見方もあったわけだが、さにあらず市場全体は景気状況をかなり深刻視しはじめているようだ。
つい今しがた、どういうことになっているのかと "幾分かの興味" を持って覗いてきた。
小雨が降りそうな気配であったが、 "現場" 周辺には、夜店が二~三十店舗ほど設えられ、近所の人たちがそこそこそんな店に群がったりしていた。先ず先ずの秋祭り風景が作り上げられていた。
実は、この町内の "秋祭り" なのである。家内は、町内会の当番で、子ども御輿周辺の管理ということで、朝一番で現場へ出向き、お役目ごくろうさん、を務めてきていた。
ようやく秋らしい陽気となってきた。事務所の近辺も、歩いていると "キンモクセイ" の香りが漂い、これだこれだという心地にしてくれる。
これで、経済不安だ、社会不安だといった重苦しい状況が、人の頭や心を悩ませないならばどんなにか気分の良い季節かと思う。
しかし、残念ながら、心地良い天候とは裏腹に、人間界の出来事はどちらを向いても修羅場のごときありさまだ。どうしてこんなに住み辛く、生き辛い生活環境なってしまったのかと、今さらのように嘆かわしく思ってしまう。
不況と物価高で苦しい庶民にとっては、モノの値段は少しでも安いに越したことはない。だが、気をつけなければいけないのは、安いモノはそれなりの "ワケ" があるという点だろう。
昨日だったかのTV番組で、 "ワケあり" という付帯条件のついた低価格商品に、結構人気が集まっているという情報があった。例としては、 "割れた煎餅" とか "業務用" に販売していた食品であるとかだそうだ。
自分も、ネット通販でIT機器やパーツを探す時、時々この言葉、 "ワケあり" につきお買い得! という表示に注目させられたりする。
その "ワケ" がオープンにされていて、さほど気にするものではない場合には、これでいいかぁ、という判断に至る。例えば、 "バルク" 商品であったり、何らかの都合で一度 "開封" されたとか、パッケージに汚れがあるとか......、ならばよしとしてしまえる。
しかし、 "ワケあり" と断っていながら、その "ワケ" について説明されていなかったり、機能面に影響が及んでいる場合などは敬遠することになる。
昨日であったか、現政府の閣僚の発言で気になったものがあった。もっとも、昨今では気にならないものなんぞはないというのが正直なところではある。
米国での金融経済破綻とその国際的影響に対して、<日本政府が何ができるといって、それは極めて限られている。注意深く見守ることだ......>という意味のことを言っていたかに思う。
確かに、事態がここまで拡大、炎上して、当事国のブッシュでさえ手に負えないようになると、 "できることが限られる" のは当然なことかもしれない。
状況安定化に向けた国際協調の意味で、大規模な金融破綻に伴う信用収縮現象に対抗する市場への資金投入といっても、まさに "限られる" はずであろう。
確かに、ここは、世界経済の "クラッシュ" を回避すべく国際協調的に可能な限りのことをやらなければならないことは重々わかる。
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