yasuo hirose: 2008年11月 アーカイブ

 もはや "Suica" を知らない人はいないのではなかろうか。もちろんJR東日本で運用されている電子乗車券システム、 "非接触型ICカード" のことである。この便利さは画期的なものだと思う。利用者乗客もラクなら、鉄道運用側もどんなに業務の省力化が図れたか想像を絶する。鉄道側には、列車の安全走行に関する重要な責務というものがあり、そうした面にこそ何重もの人手を割いてもらいたいのであり、売上・収益管理に関する改札業務に梃子摺っていたってはじまらないはずであろう。
  "Suica" のほかにも、ここに来てプリペイド式電子マネー "Edy" とか、高速道路料金自動支払いサービスの "ETC" が運用されているし、住民基本台帳に関するICカードや運転免許証のICカードも実用化が近いとも言われている。
 従来の、あるいは現行のカードシステム、 "磁気ストライプ式カード" では防ぎ切れなかった偽造などのセキュリティ問題やら、限られた搭載情報量という問題などが、 "ICカード" では無難に解決されるだけに、期待のほどは計り知れないということである。
 たまたま、今、個人的に "ICカード"に関心を持ってみると、いろいろと興味深い事柄に行き当たることとなったのである。



















 朝9時過ぎくらいであっただろうか。ウォーキングに出かけるべく、家の前の袋小路(クルマの往来が可能)を出て行こうとすると、見覚えのない若い男が自転車に乗ってぶらぶらとした雰囲気でその道に入って来た。
 とっさに感じたのは、 "見覚えがない" ということであり、そこから来るどこか "怪しい" という感触であった。自分とて、常に自宅付近でたむろしているわけではないので、近所の人やそこに出入りしている人たちをくまなく知っているわけではない。しかし、 "見覚えがない" という点と "怪しい" という感触を自覚せざるを得なかった。
 迷い込んで "保護" されることとなった "子猫" は、万事お任せのスタイルでわが家に滞在している。ケージの奥にトイレを設え、出入り口扉側に端切れを敷いた寝床を作ってもらい、カプセルホテル並みの滞在生活を送っている。
  "情" も移りはじめ、できることならば飼い続けてやりたいところだが、わが家には既に二匹の内猫が先住している。彼らとの間で、ひと悶着もふた悶着もありそうなことが当然推定されるので、できればどこかに貰われて行くべきだと考えてはいる。
 やはり人間は、 "言葉によって" 考えるべきである。そして、 "言葉によって" という部分の最も大事な含意は、合理的にという観点のほかに、 "他者とともにあって" ということなのであろう。
 とかく人間は、孤立して考えると当人は必死で考えているつもりではあってもさにあらず、いわば "同語反復" 的な "堂々巡り" をしているだけの場合が多くなり、ただただどんよりとした感情部分だけがボルテージを上げていくものなのかもしれない。
  "他者とともにあって" という状況では、先ず自身の主観的な考えが他者の主観によって確実に相対化される。あわよくば客観化される。その過程は必ずしも心地よいものではないかもしれないが、孤絶した主観というものが "堂々巡り" をするか、病的な変貌に紛れ込む以外に可能性がないのに対して、他者の主観と向き合った自身の主観的考えというものは、具体的な発展経路を探り当てながら、無理のない発展の経路に乗って行くものではなかろうか。孤立、孤絶の怖さと、他者との対話が持つ意味はこんなところにありそうだと思っている。
 先日、ノートPCの "液晶ディスプレイの故障" について書いた。( 08.11.13 「 "新規の製品が買えてしまう額!" の修理費には敏感となるべき ......」)
 そのPCは返送されて来ていたが、画面が映らないのではしょうがないと思い、ほぼ諦めて部屋の片隅で眠らされていた。
 が、それでも諦め切れない気分が残っていたのか、何か手掛かりが得られるかもしれないと思いつつ、ネット検索で当該PCの型番を入力してみたりした。
 いろいろと渡り歩いていると、ノートPCの液晶画面の背後にある "バックライト" という部品を交換して修理できるという業者さんを見つけるに至ったのである。
 この急激な経済危機によって、既存の従業員も何かと大変であろうが、新規参入組の学生たちも大変なことになっているらしい。新卒採用の門戸が急激に絞られつつあり、いわゆる "氷河期" が再び始まっているというのだ。
 昨晩、こうした状況を、TVのとあるニュース・ショー番組で観た。その際、学生たちが大変なことはよくわかるとして、自分は採用担当者に目が向いた。
 すでにアップロードしたこの日誌を読み直してみることはめったにしない。どちらかと言えば毎日書くことで精一杯といったところだったからだ。
 ただ、むしろたまには読み返してみた方が良さそうだとは思ってきた。まだ、同じテーマを同じように繰り返して書くほどには "ぼけ" てはいないつもりだが、自身の日々の関心のあり様がどう変化しているのかしていないのかとか、関心事に対する思考の深さが深まっているのかそうでもないのかなどを自覚することはあって良いに違いなかろう。

 日本もそうでなくてはいけないのになぁ、とつくづく思った。
 米国新大統領オバマ氏の最新の動きを知らされてのことである。

<オバマ氏、250万人の雇用創出  経済再生計画で2年間に
 【ワシントン22日共同】オバマ次期米大統領は22日の国民向けラジオ演説で、深刻化する雇用情勢を受け、大統領就任後2011年1月までの2年間に250万人の雇用創出を目指す「経済再生計画」の立案を次期政権の経済チームに指示したと言明した。
 オバマ氏は「われわれはデフレスパイラルに陥る危険にさらされている」との認識を強調。
 今年は既に120万人が失業したとして「迅速かつ果敢に行動しなければ、来年は数百万人の雇用が失われる」と警鐘を鳴らし、政権が交代する来年1月20日を「雇用創出と長期的な経済成長促進」への転換点とする決意を示した。
 その上で「経済再生計画」の内容を今後数週間で詰め、大統領就任後ただちに実行に移すと表明。実現には共和党の支持も必要だとして、超党派で経済危機の克服に取り組む姿勢を強調した。
 米連邦準備制度理事会(FRB)は10月下旬時点の経済見通しで、09年の失業率が7・1-7・6%に上昇すると予測。予測の上限に達すれば1992年以来の高水準となり、雇用情勢は厳しさを増している。>( 2008/11/22 20:05 【共同通信】)

 今日は "冬晴れ" の良い天気だった。空気は、肌にしみる冷たさであったが、透明感のある晴れ具合が冬場の心地よい緊張感をかもし出すことになっていた。
 寒い冬も、こうして明るい陽射しが伴えば何ら嫌うべ気候ではなさそうだ。むしろ気分を引き締め、心を清々(すがすが)しくさせてくれるようで好ましいとさえ思える。
 実にたわいないことなのであるが、PCの使い勝手で気になっていた事があった。その原因(というほどのものでもないのだが......)を、試行錯誤(というほどでもないのだが......)の末、ようやく究明した。
 慣れ切った自身の行動というものは、意外と "視界の外" となってしまって意識にさえ上らせることなく淡々と進められてしまうようだ。それがとんでもない間違いであったとしたら、それこそ他人から顰蹙を買ったり、笑い者になるのだろうと冷や汗が出る思いであった。とかく、 "自己本位に行動する人間" というものは、結構、危ういのかもしれないと知らされる思いであった。
 事務所が面している通りは、以前にも書いたことがあるように、 "店舗の新旧交代" が激しい通りである。いや、こうした事情はここに限らず、全国津々浦々の地域がそうなっているのかもしれない。
 今や、全国の商店街が多かれ少なかれ "シャッター通り" と指摘される現状からしてみると、まだ "新旧交代" というかたちで "新店舗" が登場してくるだけまだましだと言えるのかもしれない。
 この通りでは、この一、二ヶ月の間に二店舗が開業した。自分がそれらを知った時、こんな "落ち目" の景気で、いわば "地合(じあい)" が尋常ではない時期に開業するとは、かなり "挑戦的" だなぁ、と感じたものだった。
 まあ、景気の客観的状況は良くなくても、人にはそれぞれの事情もあるし、また目論見や勝算もあるのだからつべこべ言うべきではないはずではある。みながこの景気を悲観視して、とことん萎縮していたのでは何も始まらないのだから、むしろ、 "火中の栗を拾う" ようなアクションもあっていいと思う。
 関心を寄せてそうした新規店舗に目を向けるならば、それぞれが慎ましい "前向きさ" を感じさせる雰囲気を秘めている。痛々しいほどに......。やはり、いかにも厳しいことだろうな、と思わざるを得ないのが正直なところではあるが。
 昨晩は、またまた風邪気味となってしまい早めに床に就いた。
 おかげで、いやというほどいろいろな夢を見ることになった。まあ、昨今は気の利いた夢を見ることはほとんどない。
 大体、覚えているものは、明け方近くの夢であり、昨晩の夢も良く覚えているものはその類である。

  "定額給付金" という景気対策は、すこぶる人気がない。というよりも、この対策が、この間猛威を振るい、今後さらに悪影響を引きずり続けるであろう金融危機・経済危機の、その破壊力に対して、 "......の突っ張りにもならない" ようだと国民自体が感じ取っているということか。だから "選挙対策" という実施側のもうひとつの狙いの方も功を奏していない。
 そればかりか、これを "目玉" にして消費税アップをアナウンスしてしまおうという見え透いた "作法" もバレバレとなったし、 "所得制限" がどうたらこうたらとか言ってダラダラ振りを露呈もしたし、挙句に、面倒だからと地方の市町村に "責任転嫁と丸投げ" をするといういい加減振りもいかんなく曝け出してしまった。
 結局は、ほとんど誰もが喜ぶことのない "八方ふさがり" の愚策に墜してしまった観がありありではなかろうか。

 何が、問題だといって、 "不純な動機" と "成り行き任せ" という二大要素が揃って事が始められたのだから、こうなることは至極当然なのかもしれない。
 われわれとて、降って沸いたようなシチュエーションに遭遇した際には、似たような経験をしてきたかもしれない。じっくりと考えてみたり、日頃のポリシーに沿って動こうとはせずに、浮き足立って浮ついた判断や行動に出て、結局は、虻蜂取らずの手痛い失敗に至るという、そんな経験のことである。

 あまりネガティブな事象ばかりに目を向けたくはないものだ。とは言っても、社会的なニュースはそんなものばかりである。
 最近、大学生たちが "大麻" という違法薬物に汚染されているという事件が頻繁に報道されている。多分、発覚している事実はほんの氷山の一角であり、 "大麻汚染" の実態は想像以上ではないかと推測される。
 そして、しばしば解説されるように、 "大麻汚染" の怖い点は、決してその域に留まることなく、やがて "覚せい剤" などの危険性がより高い薬物へと誘われることだろう。もしや、そこまで突き進んでしまった "薬物汚染" とて、実態は驚くべき蔓延ぶりなのではなかろうか。
 思うに、関係当局は、こうした危険な実態については時代社会に警告を鳴らす意味でも、実態の事実を広く公表して、社会問題として対処する空気を作り出すべきかと思う。また、薬物医学に関する有識者たちは、もっと社会的観点に立って啓蒙活動に精を出すべきかと。また、医療費コストの点から予防医学にために目を向け始めた行政サイドとて、今後さらに薬物汚染患者が増大したならば、どんなに大きなコスト負担となってしまうかをもっとシビァに見つめ、その対策を講じる必要があるのではなかろうか。
 事は、 "暴力団の資金源" という観点からだけではなく、不条理で残忍な犯罪を誘発する土壌を広げて市民生活を脅かすとともに、あたら若い世代の精神荒廃を取り返しのつかないかたちで広げてしまいかねないからだ。
 そして、昨今、これだけ若い世代に忍び寄っているという事実は、この風潮が相当の "感染性" を秘めていると先読みしてもいいのではなかろうか。望ましいことは "感染" しにくい時代環境であっても、イージーに個人的な "快" をもたらす事柄については歯止めなく広がっていくであろうことは、まさに現代という時代環境の最大の特徴なのだろうと見受けられる。
 そのタバコ・ショップを知ったのはネット検索からであった。昨日、そのショップを訪れてみて、ねらいの用件はともかくとして、そのショップで出会ったそのおやじさんが実に話し好きで面白い人物だったのである。
 禁煙をしている自分がいまさらタバコ・ショップでもないのだが、ちょっとわけがあった。いわゆる "刻みタバコ" の "小粋" という銘柄がいきなり気になり始めたからだった。喫煙習慣のある時分には、面白半分にパイプタバコも時々愛用していた。パイプも何本か用意して、特に冬場には、手のひらが温まるのが心地よく吹かしたものだった。
 だが、パイプタバコを火が消えないようにパイプで吸い続けるのは、そこそこテクニックが必要で、言ってみれば結構厄介だったのである。
 そこで、パイプタバコを "煙管" で吸うというヘンテコなことをやるようになった。 "煙管" だと火も行き届きやすく、比較的 "きつい" パイプタバコもそれなりにまろやかに吸えたりしたからだったのかもしれない。
 まあ、しょうがないか、にしてもこれからどうする? という事態が生じた。またわが家に猫が一匹増えそうなのである。
 昨夜帰宅すると家内が鎮痛な面持ちで、
「大変なことになっちゃった」
と言って、事情を話した。日中、庭のフェンス越しで鋭く鳴き続ける猫の声がして、放っておくこともできないので傍に寄ってみると、子猫がうずくまっていたというのだ。手にしてみると、つぶらな目にはベットリと目やにがこびり付いていて、それが放置して置けない引き金のようなきっかけとなったという。
「で、今どこにいるの?」
「猫用のミルクを買って与え、とりあえず、出窓の下の物置に......」
 自分は、着替えもせずにさっそく顔を見ることにした。まあ、後先のことはおくとして、どんなやつなのかに興味を持ってしまったのだ。
 すぐに家内が連れてきたが、そいつは、暖かそうな毛布のかけらに包まって、寝ぼけ顔をのぞかせていた。多分、あちこちを彷徨い歩き、そしてありったけの声で鳴き続けて疲れ切ったところで満腹になり、今度は眠気に襲われているといったところなのであろうか。
 両手で包めるほどのいかにも頼りなさそうな大きさの子猫である。が、生後まもないという感じでもない。模様は三毛で、顔のつくりは小さいが、結構、耳が大きいような印象を受けた。動物の赤ちゃんといものはみなかわいいものだが、まずまずの器量かと思われた。
 この日誌を書こうとしてしばしば陥る罠がある。書きたいテーマが一目瞭然の場合はそんなことはない。しかし、そんな場合は実に少ない。
 大抵は、さぁーて何を書こうかとしばし足踏み状態となる。やがて、思考が固まってしまい、 "フリーズ状態" とも言えそうな雰囲気に舞い込む。
 そうした推移を自覚的に振り返ると、多くの場合、手に負えないような重くて、大きなテーマを掲げようとしているかのようである。それで、どこから手をつけていいのやら困惑したり、そのテーマに迫るだけのエネルギーが今現在あるだろうか......といった懸念も生じ、うろたえて、そうこうしているうちに思考が "フリーズ状態" に近くなってしまうようだ。
 理想を言えば、日誌なのであるから、まさに日常的なこじんまりした材料を見つめ、それを叙述しながら自身に潜伏する感想や問題意識の一端を添える、というスタイルでありたいと思っている。
 が、しかし、これだけ問題が山積し、かつまた "複雑骨折" を何十回と繰り返したと思しき時代環境を目の当たりにしていると、その状況に見合った自分なりの何らかの視点を形成したいと欲張ってしまう。そして、どこから手をつけるかという無謀なことを仕出かそうとするもので、荷が重くなりその挙句思考の "フリーズ状態" に接近してしまうのかもしれない。
 今時、PCの修理費で "6万円プラスα" を出費する人がいるだろうか。まあ、余程高価な構成のPCであるならばいないとは言えないかもしれない。しかし、通常のPCであれば、 "6万円プラスα" を用意すれば新規の製品が買えてしまうだろう。
 実は、先日、長く愛用してきノートPCのディスプレイが急に著しく暗くなってしまった。画像出力機能には問題なく、現に外付けディスプレイには鮮やかに出力できる。
 若干調べてみると、ディスプレイ本体の交換が必要な場合と、ことによったら "FLインバーター" という液晶のバックライトを光らせる部品の交換で済む場合とがあるらしいことがわかった。後者であれば比較的小額の修理費で済むようだった。
 そこで、以上の状況をメーカーのサービス部門担当者に電話で話し、とりあえず当該PCを送り込むことにした。そして、検査の上、価格見積を依頼したのであった。
 < "2兆円" もあれば、耐震不備な学校の校舎の補強工事が、全国で必要な分の半分ができる勘定になるんですよね。しかも、建築工事とあっては、その経済的波及効果も大きいし、 "給付金" バラマキよりもはるかに景気対策としてはいいんじゃないでしょうか......>
とは、昨夜のとあるTV番組でのニュース・キャスターの弁であった。
 そういうことだ! と思わず頷いてしまったものである。
 今日、ようやく政府与党は "給付金" 対策の方針を固めたようだ。まるで、町内イベントの方式を巡って、あれやこれやと行きつ戻りつの小田原評定を重ねてやっと見切り発車した町内会そのもののような印象である。
 こうした知恵も工夫もなく、もとよりビジョンも方針も描けない政府の現状をありありと見せつけられると、コメディアンいかりや長介のセリフ、 "ダメだ、こりゃ" をそのままなぞって言いたくもなる。
 もとより政治とは予算なりと言う人もいるくらいだが、これからの政治の舵取りで重要なことは、 "少ない財源" を何に、いかに効果的に配分するかであろうことは政治家ならずとも了解可能な話である。
 社会全体のパイが自然成長的に増大する時代とはわけが違い、経済成長の低迷と増大せざるを得ない福祉予算だけを見つめてみても、納得できることであろう。
 遅ればせながら、<Google マップ (maps.google.co.jp)>の<ストリートビュー>なるものを試用してみた。
 最近、このシステムに自身の姿が写っていてプライバシーや肖像権の侵害ではないかという話も聞いていたので、一体どれほどのものかと興味があった。
 <Google マップ>の<航空写真>の方は、これも興味本位で何度か試してみたりはしていた。確かに、このような詳細なものであれば、例えば物騒な話である "北朝鮮" の核施設の有様も手に取るようにわかるはずだと思ったものだ。いや、実際その現場を鳥瞰したのではないが......。こちらはもっぱらちまちまとした試用なのであり、かつて自分が居住した名古屋市内のとある町内の様子を、ほぉ~、あまり変わってないもんだな、なんぞと渡り鳥さながら "見下ろす" 暢気さだったのだ。
 景気悪化で、需要の低迷が否応なく意識される。恐らく、今よりもさらに今後の方がその傾向は強まるのであろう。
 そんなことを思いながら、一体、この時代、低迷しない需要なぞというものがあるのだろうかと考えたりした。
 窓の外に目をやると、気づかされることがひとつあった。どの街でもそうなのだろうが、最近ますます "宅配便" の箱型トラックの往来が目につく。
 流通業は、この間の燃料費の高騰という苦境を抱えたはずではあるが、そこそこに "繁盛" しているのかもしれない。逆に考えれば、燃料費の高騰という事態は、クルマを使った消費者のショッピングそのものを抑制させるであろうから、配送業にとっては必ずしも否定材料ばかりでもないとも考えられる。
 急に "冬" となってしまった。もう "立冬" も過ぎたので、そうなっても不思議ではない。早、冬到来、といった感じがする。日暮れも早くなった。 "秋の日は釣瓶落とし" と言われるとおり、午後4時過ぎでもう薄暗い。今日は雨混じりの曇天であるためなおのことなのだろう。
 薄ら寒いこともあって、今日は朝一番のウォーキング以外は外出もせず自宅にこもって過ごしている。録り貯めたTV番組をチェックしながらDVDに焼くというようなことが時間を埋めてくれている。NHK ETV特集「神聖喜劇ふたたび ~ 作家・大西巨人の闘い ~」とかNHK 「世界ドキュメンタリー オバマ対マケイン」などは、チェックのつもりがじっくりと鑑賞することとなってしまった。
 昨今は、フィクションの映画作品よりも、ノンフィクションやドキュメンタリーなどが強く興味をそそるようだ。
 寒い雨の休日となり、いやでも気は滅入りがちとなった。だが、おふくろの "心臓検査結果" は無難なものとなり、とりあえずほっとさせられた。
 担当医は、 "薬服用による治療" で様子を見ましょう、という無難な診断をしたのである。
 冠動脈にはほとんど問題はないとのことであった。若干の動脈硬化の兆しは診てとれるものの、措置を必要とする段階ではないと。むしろ、血管は丈夫そうだとの感想まで述べていた。
 そして、懸念された "弁膜" の方は、確かに、心臓内の血流に一部逆流現象が認められ、その点では "弁膜" に異常なしとはしないけれど、手術を要するほどの容態ではない。若ければ手術による治療も薦めたいところだけれど、高齢なので "薬服用による治療" の方が妥当だと思われる、というものだったのである。
 担当医は、こうしたことを、昨日の検査の映像を流しながら説明をしてくれたのだが、 "弁膜" の異常に関連する映像もさほどの異常感を与えるものでもなかったし、医師が説明する様子も過度の心配を誘発するような、そんな感じでもないようであった。そんなことで、 "薬服用による治療" という診断は、額面どおりその場の "同席者たち" をほっとさせたのである。
 診断室のその場には、患者本人、そして自分のほかに、姉と昨日の姪っ子などが同席しており、皆が一様に胸を撫で下ろすことができた。
 こうして、おふくろの "検査入院" は一日半で完了することとなり、午後に退院できる運びとなったわけである。
 それにしても、今回の検査は、短い時間ではあったものの緊張と不安に満ちた気苦労の伴った出来事だったと言えそうだ...... (2008.11.08)
 今日は、再びおふくろの "心臓検査" の "付き添い" 役を果たした。
 以前にも書いたとおり、おふくろは、<心臓関連に加齢特有の複合的な不具合の症候群が現れているとのこと>である。そこで、 "カテーテル" による "造影剤" 注入によるレントゲン撮影という精密検査が必要となったわけである。
 口から "内視鏡" や "カテーテル" を挿入しての検査は、 "胆石" の除去で経験していたおふくろであったが、今回は、腕の "血管" から "カテーテル" を挿入し、冠動脈やら心臓内部にまで届かせて、 "造影剤" を注入しつつそれらの状況を映像化するという、ちょいと想像し難い検査であった。
 他の臓器であればともかく、こともあろうに心臓周囲や、心臓の内部に "カテーテル" というリモート・コントロールの管を挿入する、そんな検査が、とても恐ろしい印象をかもし出すのである。
 操作のミスでその先端が血管を損傷させて不測の出血をもたらしはしないかとか、高齢者の心臓の動きが、そんな "異物" の浸入によって鼓動停止に陥ったりしないだろうか、とかといった不安、心配が、当然のごとく湧き上がってくるのである。
 当の本人も不安であったに違いなかろうが、こちらとて、正直言って、昨晩そして今朝は神妙な気分とならざるを得なかった。

 米国の "一大政治スペクタクル" である大統領選を目(ま)のあたりにしたところで日本の国内政治に目を向けると、いかにもスケールが小さい。発想水準が "ちまちま" としている。まるで、小中学校の "学級" 内での出来事を見ているかのようでさえある。
「みんな、人に言われないでも "自主的・自発的" にやりましょうよ......」
という声が聞こえてくるようでさえある。

 いや、別に "空耳" でもないようである。
 今日、二つの政治関連記事が目についた。ひとつは、政府の追加経済対策の "給付金" 関連の記事であり、もう一つは、防衛省の田母神俊雄・前航空幕僚長更迭と退職金支給に関する記事である。その共通点が、 "自主的・自発的" という言葉なのである。
  "自主的・自発的" とは、インフォーマルな集団や組織にあっては、個人尊重の視点が生かされた麗しいアプローチだとして拍手喝されもしよう。
 しかし、国の政治領域の出来事に関して、そんな言葉が使われると、えっ?  "学級活動" みたいね、と言いたくもなる。謝って済めば警察はいらない! という荒っぽい言い草と一緒にまではしないけれど、法制度が仕切りをせざるを得ない一般社会にあって、"学級活動" の基準のようなタラタラした責任逃れ対応はよそうじゃないか、と言いたいものである。

 予想されていた通りだとはいえ、米国大統領選挙結果は喜ばしい事実だ。
 とにかく、ブッシュ政権による手が付けられないような悪政に、終止符ないしは休止符が打たれるのは、米国民だけではなく、世界中が歓迎できそうである。
 今回の "金融危機" は、言ってみれば "やりたい放題" の金融パワーに起因していると考えられるが、その意味では、<共和党のレセフェール(市場放任主義)と異なり、インターベンショニスト(市場介入主義者)である民主党の大統領が誕生すれば、公共投資や市場規制強化などによって、世界経済が直面している戦後最大の危機が収束に向かう>(ロイター 2008年 11月 5日 14:17 JST 「米大統領選はオバマ氏が勝利:識者こうみる」)と期待できそうである。
 今回、オバマ氏を支持した米国民の意図の共通する点は、この<共和党のレセフェール(市場放任主義)>によってもたらされた "腐った果実" はとても食えたものではない、ということだったはずではなかろうか。
 ブッシュ大統領は、イラク問題をはじめとして他にも数え切れないほどに "腐った果実" を撒き散らかしたかと思えるが、その極め付けはやはり、世界中が近所迷惑をするような "金融危機" を誘発させてしまった、ということであるに違いなかろう。
 そして、その責任はと言えば、大統領ブッシュひとりがどうこうというよりも、現状の "共和党" の失策であったと見ていいはずである。
 まさに、米国民は "レセフェール(市場放任主義)" の自堕落な面をさらけ出していたのかもしれない現状の"共和党" に三行半(みくだりはん)を叩き付けるという英断をしたものだと思えた。
  "自家中毒" という現象が気になる。
 この言葉ですぐに思い起こすのは、何十年も以前に大学院での研究生活をしていた頃のことなのである。
 個々人の研究が深まってくると、院生たちは自宅に篭って "集中" するようになるものだ。しかし、確かに "集中" はできるが、時として研究が "行き詰まる" こともままある。そんな場合、個人作業の "集中" と裏腹に、孤立して篭っていることが裏目に出ることもままあるのだ。そのケースに陥ってしまうと、いわゆる "堂々巡り" に嵌まり込んでにっちもさっちも行かない行き詰まりに直面することになる。
 研究者たちは、領域を問わず大体こうした経験をするもののようだ。
 ある時、そんな "罠" に落ちてもがいている先輩が、研究室に顔を出して印象深い言葉を口にしたのであった。
「最近、どうも思考が "自家中毒" になってしまったようで、研究が暗礁に乗り上げて先に進まない......」
と。
 今日は "文化の日" ということになっている。しかし、見回してみても、その気配がほとんどない。まあ、そんな気配を期待する方が能天気なのかもしれないが......。
 メディア環境にしても、かつてはあったような気がするが "文化の日" にちなむ番組も特に見当たらない。(TVディレクターであった "吉田直哉" 氏の業績を紹介した "テレビの可能性" という番組だけは興味深く観た)せいぜい、ニュースで "文化勲章" などの受勲に関する報道があるだけのようだ。
 時代環境に "文化" 的な要素が希薄、散逸しているかのような現状、そして "文化" という概念自体が掌握しにくくなっている現状などが、 "文化の日" と銘打った祝日を捉えどころなくしているのだろうか。
  "文化の日" とは直接関係しないが、このところ "源氏物語" という "文化" が、紫式部生誕千年ということなのか持てはやされているようだ。生憎と、 "源氏物語" については馴染みが薄く何とも感想が持てないでいるのが残念だが、これなどは "文化" の視点で関心が持たれてもよさそうだ。
 休日だとほかに書くこともなく、結局、ウォーキングあたりのことに落ち着いてしまう。
 連休だと遊歩道にはジョギングをする人たちを多く見かける。体力増強に体重コントロールと、健康を意識した人たちが結構必死の形相で走っている。
 自分も、以前はジョギングに精を出すこともあったが、如何せん長続きしなかった。それに、減量なんぞにはさほど効き目もないし、下手をすると膝などを傷めてしまい、あまりメリットがあると認められなかった。
 そこで、長続きという観点ひとつでウォーキングに落ち着いたわけだ。減量などにもさほどの効果があるとは自認していないが、一時間程度のウォーキングは何よりも気分転換には持って来いなのである。
 一頃は、デジカメをぶら下げてその気分転換を増幅させたりもした。そして、このところは、川の鯉たちへの "餌やり" でその気になっている。
 今朝は、 "川の鯉たち" がちょいとかわいそうだと思えた。というのも、先週に比べて与えた餌の量が貧弱だったからだ。
 先週に入手した食パンの耳が、今週は入手不能で間に合わせの餌になってしまったからだ。先週は、事務所の近くの、自分の昼食用のパンを求めるショップで、食パンの耳だけが一斤ほど袋詰めされているのを入手したのだった。
 が、今週はその "掘り出し物" に出会うことがなかったのだ。ことによったら、こんな不景気な時だから、節約家の主婦が買い求めてしまったのやも知れない。
 ウォーキング途中での境川の鯉たちは、先週のことを覚えていたわけでもあるまいに、量的にやや後ろめたさがあったパンやら "せんべい" (どうも、家内の話だとこの "せんべい" には、あの人騒がせだった "汚染米" の工業用米粉が混じっている疑いがあるとかで、自宅の棚の中で未開封のままにされていた代物なのである。人間にとってもさほど問題だとは思えないが、とりあえず鯉たちに与えることにしたのだ)を撒くと、押せや押せやの物凄い賑わいとなってしまったのだ。例によって、カルガモたちまでもである。
 先週は、そこそこの量があったため、大多数の鯉たちに行き渡らせることができたものだったが、今朝は、 "あぶれる" ものたちをかなり出してしまったのだ。せっかく、エネルギーを使って勢いよく集まって来てくれたのに、ひとかけらの餌にもありつけないものたちが多く、まあ気の毒な気がしたということなのである。
 しかし、こういう推移になってしまうと、鯉たちの身の上になってみると、餌をやったりやらなかったりという気まぐれは禁物なのかもしれないぞ、と気づき始めた。可能な限りあの "20円(!)の掘り出し物" をゲットするようにしてムラのない餌の提供を心がけるべきかと......。

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