yasuo hirose: 2009年1月 アーカイブ

 最近とくに思うのだが、自身の "精神衛生" をいかにうまく管理するかしないかは結構重要なことであるに違いない。
 こんな異様な時代状況であるから、そうしたことに無関心でいると、おそらくは無数のストレスによって "精神" は、手がつけられない "ゴミ捨て場" のようなありさまとなるのではなかろうか。そして、ほぼ確実に想定されることは、そうなってゆくと "うつ病" その他の "精神" 面での病はもちろんのこと、いわゆる "心身症" などのような身体的側面の病にまで影響が広がりかねない。
 現在進行中の "経済悪化" は、その固有の領域で猛威をふるっているだけではなく、さまざまな領域にいろいろな軋轢を発生させて、われわれをいろいろな角度から攻めまくっているかのようである。だから、 "同時多発" 的な原因群によって、被るストレスは半端なものではなくなっていそうだと思える。
 とりあえず、現時点では "職" や "経営" などに絡む "経済的問題" に関心が集まっているが、その水面下では、上記のような "過剰ストレス" 状況が日に日に深刻化しているのではなかろうか。他人事ではなくそんなことを考える昨今だ。




















 今日は、一日中、外は雨ということもあり、懸案中の技術的課題に掛かりっきりとなっていた。
 外界の悪化経済の情報に振り回されていても、ただただ気分が滅入るだけで何のメリットもないであろう。身近な範囲でのやるべきことを、それこそ "粛々と" (この言葉は、しばしば政府自民党の閣僚たちが使うので感じはよくないが……)こなすということは、決して悪いことではないはずだ。
 こうした "没頭する" スタンスで事に当たっていると、余計な感情をも封じることができて、頭脳活動を順調に推し進めることができるような気がする。そして、思考力、推理力も高揚し、きわめて効果的な頭脳の "試行錯誤" が可能となるようである。

  "GreenWebBuild" という奇妙な名称の "ブログサイト" を立ち上げ中である。
 この "GreenWebBuild" とは自分の造語であり、言ってみれば、 "Greenな(持続可能な)" 地球を願ってウェブをデザインする、ということになろうか。
 米国大統領オバマ氏の『グリーン・ニューディール』(A Green New Deal)政策に比べれば、取るに足らないアクションでしかない。
 ところで、この政策は "地球温暖化" という差し迫った課題と、 "世界金融危機" の克服というこれまた緊急課題とを、ひとつの坩堝で練り上げて解決しようという、まさに画期的な政策だと感心せざるを得ないのである。そして、この政策が軌道に乗るならば、これまでの偏った "文明観" さえ大幅に塗り替えられることにつながって行くに違いないと、そんな希望をも抱かせるものだとも感じさせた。全世界の人々が、ここまでの、巨大な "地獄" を潜り抜けるからには、小手先の政策ではなく、まさにドラスティックな政策こそがふさわしいはずであろう。
 もちろん、シニカルな現代人がこの政策の実現可能性に冷ややかさで遇することは容易に想像できる。また、 "世界金融危機" を引き起こした者たちが、性懲りも無くその貪欲さを再立ち上げしようとする向かい風もあるに違いない。前途多難さは火を見るよりも明らかなのかもしれない。
 ただ、何百万人もの失業者が溢れる社会に、相応の(500万の)新しい雇用を創出するという構想が持つ意義は、同時代人たちのシニカルさを諌(いさ)めて余りあるのかもしれない。

 厳しいご時世である昨今は、 "夢" が消え失せた分、眠って夜に見る "夢" だけがかろうじての救いとなっているのかもしれない。
 昨日の新聞社サイトの記事に次のような "ほのぼのとした" 記事があった。

<新一筆啓上賞の入選決定
 日本一短い手紙のコンクールで知られる福井県坂井市の「新一筆啓上賞」の入選作が27日、決まった。今回のテーマは「夢」で、6万1283通の応募があり、大賞5点、秀作10点などが選ばれた。
 大賞の「妻へ 時々お前の夢を見る。子供たちにも出てやってくれ」は、妻の23回忌をした岩手県奥州市の岩渕正力さん(64)の作品。亡き妻と、妻の夢を見ないという4人の子供への愛情がにじむ。……>( NIKKEI.NET 2009.01.27 )

 この日誌を公開し続けてきてはじめてこの日誌のスペースに "画像" を掲載することになった。もう、7、8年になるというのに、はじめてのことである。
 こうした "CGI" で作成したシステム(いわゆる "掲示板" 方式)は、その入力時にウェブ用の "タグ" という仕掛けを打ち込んでも、表示の際には "それとして" 認識されることなく "単なるテキスト文字列" として表示されてしまうのだ。
 したがって、 "タグ" とか "URL" を打ち込んでも「何か聞いたことはありますがよくわからないのでそのまま表示しておきます……」といった取り扱いがされるわけだ。
 そんなことで、これまでは深入りせずに、 "画像" は掲載しないし、また "URL" に関しても "クリック" でリンク先に飛ぶことのない "知らんぷり" をしてきた。まるで、死んだ振りをしているどこだかの役人のようにである。

 この世界同時不況で暗いニュースが続いている。
 昨日も、自分が子ども時代を過ごした "品川" 地域でのニュースが目を引いた。

<京品ホテルに強制執行 3カ月の自主営業終わる
昨年10月に廃業した東京・品川駅前の京品ホテルを占拠し、店舗などの営業を独自に続けてきた一部の元従業員らに対し、東京地裁の執行官は25日、同地裁の仮処分決定に基づき、ホテルから立ち退かせる強制執行に踏み切った。
 この日は未明から元従業員や支援する労組関係者ら200人以上がホテル前に集結。「家族の生活を守り抜くぞ」「強制執行反対」などとシュプレヒコールを上げながら、ホテル前でスクラムを組んで強制執行に抵抗した。
 午前9時ごろから執行官や警察官らと激しいもみ合いになったが、30分ほどで執行官が突破して建物に入った。この騒動で、元従業員側に軽傷者が3人出たという。>(asahi.com 2009年1月25日 http://www.asahi.com/national/update/0125/TKY200901250110.html

 先日、当社のHPに掲載している "日替りHP" というシステム製品に、久々に問い合わせがあった。これは、2001年にリリースして、当時はものめずらしさも手伝って各方面からの問い合わせがあったものだ。
  "CGI" という仕組みを活用して作ったウェブ・システムなのであるが、最大の特徴は、当該の自分のホームページを表示させているブラウザ画面から、そのホームページの記事の更新をラクラク行うことができる、というものだったのである。
 ホームページを運営している方にはわかるはずだが、記事の更新は、スクリプトをエディターなどで編集して、その結果のファイルをサーバーに送信しなければならない。
 そして、ブラウザには送信機能は備わっていないため、 "FTP" という通信用ソフトを立ち上げて行わざるを得なかった。この事情は、ホームページ用のオーサリング・ソフトを使っていても原理自体は同じことである。
 それが、使っているブラウザだけを通して、スクリプトも使わずに "文字と画像" の両面による記事を簡単に送信までしてしまうため、 "日替り弁当" のようにホームページを "日替り" にすることができますよ! という意味の "日替りHP" を打ち出したのだった。

 いろいろと雑事が多いため事務所に出て来ている。
 ひと作業が終わり、コーヒーカップを手にしながら窓の外に視線を落とすと、ほぉーと言いたくなる光景が目に入った。
 休日姿の熟年男性が、 "茶色の小袋" を胸に抱えて満足そうな顔つきで歩いて出て来たのである。出て来た所は、 "とあるお店" からである。
 もったいぶらずに言うと、その "茶色の小袋" には、 "壷焼き芋" が3本(?)ほど収納されているはずであり、 "とあるお店" とは、この事務所の窓からも良く見える "壷焼き芋" 屋さんなのだ。要するに、このお店のお客さんをはじめて目撃したのだった。
 この店は一、二ヶ月ほど前に新規開店した模様である。こんな最悪の経済環境で開店したお店だけに、また、何度も書くように、この通りはクルマの往来は激しいものの、歩道を歩く人の姿はめっぽうまばらな状況なので、うまく商売が成り立つのだろうかと、内心気になっていたのである。

 昼休みに、 "家電量販ショップ" を覗くと実に閑散としている。それに対して、食品類を品揃えした "スーパー型ショップ" へ行ってみると、複数のレジ・カウンターの手前にはいずれも行列ができている。
 事務所の近くにあるこの "スーパー型ショップ" は、自宅の近所にもあり、しばしば買い物をしているが、そこも大抵が "満員御礼" である。自分なぞは、行列に並ぶのが億劫なものだから買うことを諦める場合もあるくらいだ。
 やはり、 "食品関係" というのは "不況に強い" ものなのかなぁ、と感心したり羨ましく思えたりするのだ。まさに "不気味な不況" の中でのシンプルな感想である。
 とは言っても、もちろんどの "食品関係" ショップも一様に繁盛しているわけではあるまい。品揃え、品質管理、そして言わずもがなの価格に魅力があったればこそ、 "行列ができる" ほどに売れているに違いない。
 ただ、それでも "生活必需品" を商うということは "強み" であると思われる。 "デジタル家電" などは、無ければ無いで一向に差し支えないはずであろう。
 まあ、 "ケータイ" などは、もはや "生活必需品" の範疇に食い込む様相を見せてはいるものの、何も、ハイエンドな最新バージョンである必要はなさそうだ。ちなみに "型落ち" でも安ければそれでいい、というユーザーも少なくないと聞く。だから、 "ケータイ" のメーカーなり、新機種販売店は商売にならないわけだ。
 この傾向は他の家電製品の事情にも合い通じるのではなかろうか。
 今朝は、朝一番で市の "法務局" に出向き、必要であった所定の書類を発行してもらってきた。
 この "法務局" と、 "略称:職安(愛称:ハローワーク)" とは同じ建物にあり、駐車場も共用しているため、後者の利用者が多いと予想してわざわざ "朝駆け" に及んだのである。いつぞやは、日中にノコノコと出向いたら駐車場が満杯であり、かなりの時間待たされたものであった。そんな苦い経験を思い起こし、それならばと朝一番の時間帯を選んだのだ。
 その努力の甲斐あってか、駐車場もガラガラなら、 "法務局" に訪れている人もまばらであり、用件はあっという間に片付いた。ただ、こちらの方がボケていたためか、申請用紙を間違えたりして二度手間の記入になってしまったりしたから間抜けだった。
  "システム・サルベージ" という言葉があるのかどうか知らない。しかし、このような "経済環境の急激な悪化" の中では、そんな現象も起こっているのではないかと推測するのである。
  "サルベージ" とは言うまでもなく、 "海難救助" の意である。が、他のジャンルでも暗礁に乗り上げてしまった事態を "救出" するアクションの意味で使われている。
 ここで "システム・サルベージ" と言ったのは、要するに、ITシステム関係において、その運用・改造・開発を問わず、トラブルに遭遇してまさに "お手上げ状態" になってしまった状態を "救出" するアクションのことなのである。
 こんなことを今話題にするのは、まさに現状の "経済環境の急激な悪化" から、いろいろな事態が派生していそうだと想像するからである。
 もちろん、その当該システムが、 "寝かせておく" ことで間に合うのであれば、問題先送りという選択も可能であろう。しかし、必ずしもそんな悠長なことを言ってはいられないものもあるはずだ。
 これまで稼動しており、これからも稼動し続けることが不可欠であったり、その際に何らかの改造が必要であったり、また、一刻の猶予もないかたちで待ち望まれていながら、開発自体が滞っているようなケースも大いに考えられる。
 「いい若い者が、どこが痛いのとかへそが痒いなんぞと言ってんじゃねぇ」という荒っぽい江戸っ子口調を聞いて育ったが、しかし、身体のどこかの痛みというのは、やはり気になってしまう。
 それこそ、もはや "いい若い者" ではなくなってはいても、痛いの痒いの、なんぞと言ってご容赦いただけるご時世ではなくなっている時代環境である。だから、身体だけは万全でありたいと思っているところに、身体のどこかに妙な痛みを感じざるを得なかったりすると、がんばろうとする姿勢の足元を崩されるようで気にしてしまう。
 今朝ほど、そんな妙な痛みを覚えていた。左下腹部に妙な鈍痛があり、何か異常があったら厄介なことだな、と心配させられた。案の定、そんなものを抱えながら仕事をしていたら、今一、気分が集中できずに幾分困ったことだ、と思っていた。
 結局は、ほどなくその痛みは消えてしまったので安心したが、何がどうだったのかはわからない。以前に、 "尿管結石" を患ったことがあり、そういえばその時の痛みに似ていないこともなかったため、心して水を多く飲んだのが良かったのかもしれない。勝手な判断ではあったが......。
 身近にも、いよいよ "不況風" が接近している。まるで、得体の知れない台風が異様な雰囲気を醸し出しているのと同様である。
 どうも、事務所があるこのビルのとある法人テナントが出て行くような気配もあり、まさに足元に忍び寄っているという感触である。
 ソフト業界全体も "不況業種" という "お墨付き" をもらったとかどうだとかという話題も聞くようになった。十分に推測できる。
 多くのソフト関係会社は、やはり、自動車産業を筆頭にした製造業に依存するところが大である。その製造業全体が、人件費をはじめとしたコスト削減を徹底しようとしているのであるから、ソフト関係投資が絞りに絞られるであろうことは歴然としていよう。
 また、仮にそうしたものが存在したとしても、際立った "買い手市場" の需給バランスからいって、ソフト・ベンダー側は採算割れに至るように "買い叩かれる" のも目に見えていよう。とにかく、かつて、ソフト業界だけは別と見られていたような環境は、凄まじい勢いで一変しようとしている。
 様々な業界が結局、 "再編" の波に洗われているが、このソフト業界もほぼ確実にそうなって行くことになろう。
  "モノが安くなる" のは大変結構なことだ。そうでなければ、こんな時期、人々の生活が成り立たなくなる。収入が減ったり、無くなったりすることがめずらしくない不況の深まりなのだから、せめて生活必需品は "安く" なければなるまい。
 ただ、ふと考えざるを得ないのは、それではこんな時期に "稼ぐ" ことはどんなに大変なことかということである。
 生活者たちは、大半が、生活者であるとともに "働いて稼ぐ" 立場でもある。勤労者のみならず、企業経営者、とりわけわれわれも含まれる小規模経営者にしても、 "働いて稼ぐ" 立場に変わることはない。
 つまり、いくら "モノが安くなる" 傾向にあっても、その傾向だけを有難がっているわけにはゆかないということなのである。 "モノが安くなる" 傾向はイコール "稼ぎにくい" 傾向でもあるからだ。
  "稼ぐ" という言葉には、 "荒稼ぎ" というような悪いニュアンスが付着しているようだから釈明しておくならば、要するに、生活や事業経営などを再生産していくための "糧(かて)" を確保していくということである。決して "儲ける" などという欲深で贅沢なことを指しているのではない。
 何だか "足腰がだるい" と思ったら、今朝、 "自転車" で事務所まで往復したことを思い出した。ちょっとした "忘れ物" があってそれを取りに向かったのだった。
 別に大したものではない。土日のウォーキングの際に "鯉の餌" にしようと事務所近くのパン屋で購入しておいた食パンの耳の包みを昨夜持ち帰るのを忘れてしまったのである。仕事関係でいろいろと気を回していると、 "川の鯉たち" のことを忘れないでいることの方が難しい。
 それで、今朝は "手ぶら" でウォーキングするのも気が引け、どうしようかと考えた挙句、 "川の鯉たち" には明日のウォーキングを待ってもらうことにして、身体のためという点ではウォーキングをサイクリングに替えるという、そんな次善策を急遽講じたのだった。大したことではない話だが......。
 つまり、ウォーキングに充てていた時間で、事務所まで "自転車" で向かって "忘れ物" を取ってくる、という段取りだったのである。
 今日は、ふと、とある言葉が心をよぎった。 "モラトリアム" という言葉だ。とくに直接的なきっかけがあったわけではないのだが、強いて言えば、現時点でのわれわれは、やがて来る "大顛末" (あえて、 "カタストロフィー" とまでは言いたくないが......)までの "カウント・ダウン" が開始されたような境遇にあると感じるからなのかもしれない。
 少なくとも、景気状況については、現時点でも惨憺たる状態であるが、言ってみれば、 "今が最高!" なのであって今後はただひたすらに下降するものと思い描いていた方が妥当なのではないかと感じ取っている。
 だから、現時点は酷い状況ではあっても、やがて来るかもしれない "大顛末" 状況に対する "モラトリアム" 的時間帯だというように思えるわけだ。
 昔、ある人が次のようなことを言って(書いて)いた。
 朝一番でやる仕事はというと、しばしば "新聞を読む" という応えが帰ってくるが、それは最も愚の骨頂ではないか、と。一日で最高にリフレッシュされ、脳活動も疲れがなくて高水準が期待できるそんな時間帯を、 "新聞を読む" というような凡庸な作業に当てていてはもったいない、というような主旨であったかと思う。
 では何をすればいいのかということになるが、 "最も重要だと思われる作業" をこそ思い切って始めた方が良い、と。
 何か "コンテンツ" を創るにあたって、専ら制作プロセスを味わおうとする趣味のジャンルであれば別だが、 "コンテンツ" 制作をビジネスとして進めようとする場合には、制作活動をより効率的・効果的に処理しなければならない。
 それは当然のことかと思われる。そうなってくると、道具、ツールというものが重要な役割を果たすことになる。そして、それらは、使い勝手が良いとか、耐久性に優れているとかという "単機能" において優秀であるだけでなく、一連の制作プロセスを制作者の立場に立っていろいろと "支援" してくれるものであればありがたい。
 この辺の機能を果たすものとしては、まさに "PC" やその "アプリケーション・ソフト" が得意とするわけだが、それらを総称して "オーサリング(authoring)・ソフト" と呼ぶ。
  "オーサリング(authoring)" というのは、<文字や画像、音声、動画といったデータを編集して一本のソフトウェアを作ること。プログラミングを伴う場合もあるが、一般には複数のマルチメディア要素を編集・統合して一つのタイトルとしてまとめることをオーサリングと呼ぶ。>( IT用語辞典 )とある。
 その "オーサリング・ソフト" の具体的なジャンルとしては<グラフィックツール、音楽ツール(DTM系)、出版系(DTP用)、ウェブサイト制作や運営管理に用いるWebオーサリングツール、ゲームやスライドショーなどの制作に用いるマルチメディア系、DVDソフトの制作用など>が挙げられる。
 もう十年ぶりになろうか、いやもっとご無沙汰してしまっているかもしれない知人が、今日、事務所に尋ねて来られた。
 朝一で電話が入り、近くまで来ているので寄らせてもらっていいか、ということなのであった。自分としては、良くないわけがなかった。
 その方とは、一番最初に勤めた会社で一緒であり、その後、二つ目の会社でも縁がありお付き合いさせていただいたものだった。そして、非常に "誠実な方" であったので、現在の会社を設立した際には、 "監査役" としてのご協力までしていただいた。
 名義上とはいうものの、他人の会社の役員になるということは、やはりリスキーなことであろう。それなのに、自分を信用してくれて快く応じていただいたのであった。
 こちらとて、これまた名義上とはいうものの、人柄が知れない人に自社の役員となってもらうのは気が進まないが、彼はまさに "裏表" のない "誠実な方" であったため、安心してお願いしたのであった。
 今日は久々に "技術的" な作業でほぼ一日集中することになった。
  "技術的" な作業といっても大したことでもないのだが、ただ長時間に渡って集中できたことがとりあえず好ましく思えたのである。
 このところ、時代環境や周囲の環境がざわつき、とかく気分さえも浮き足立った雰囲気に追い込まれがちであった。また、もとより加齢のためか集中力以前に根気が続かない状態になってしまったのではないかとの、多少の弱気も気にならないわけではなかった。
 環境が浮き足立っている時にこそ、散漫となりがちな気分を引き締めて、できれば "一心不乱" で事に当たることがベストだと考えてきた。中途半端な力量しかない者が、いろいろな意味で "危機" だと称される状況にあって、まともに闘えるとするならば、集中力と粘りという攻め口しかないはずであろう。
 だが、とかく現状のような環境は、人をして "浮き足立った" 姿勢へと押し流し、その挙句に "右往左往" としか言いようのない判断や行動を誘う。
 大相撲初場所をTV観戦している。 "問題文脈" の最中にある "朝青龍" がどういう展開になるのかで、この初場所を多くの相撲ファンが見守っているはずであろう。
 これを書き始めるまでに二、三番の観戦を楽しんでいた。
 相撲の勝負というものは、凝縮された "技" と "精神力" との掛け算の結果であるため、相撲ファンのみならずいろいろな立場の者を楽しませてくれる。そして、何がしかのことを "示唆" してくれたりするから、なおのこと惹きつける。
 大体、 "バブル" で儲けた者は "元の木阿弥" になりがちだと聞いている。現に、今回の "金融危機" では、それまでの "金融バブル" で大儲けをしていた者が大損をしているというケースをいろいろなところで耳にする。まさに、 "イージーカム・イージーゴウ" なのであろう。
  "魔法の杖" のような "レバレッジ" を効かせて儲けることは、逆もまた真なのであり、いずれは "レバレッジ" のマイナス効力を被ることになるというわけだ。別に、 "レバレッジ" なんぞに縁がなく、だから破格に儲けることにも縁のない者の僻みで言っているのではない。まったくないとは言わないが......。
 要するに、 "イージーカム・イージーゴウ" という慣用句の意味するところは、統計的な事実を言っているのではない。言うならば、 "人間心理" に潜む危うさに焦点を合わせているだけのことのように思える。
 つまり、人間の心理においては、 "好ましい事象" は信じ易く、そしてどうしても "過大評価" しがちなものであろう。だから、過剰に "継続する(してほしい)" という思いに支配されてしまうのであろう。だれだってリスクテイキングをする際には、 "自分だけは......" という思い込みや、事実認識とかけ離れた "希望的観測" などによって一歩も二歩も踏み込み、勇み足となってしまうものであろう。
 リスクテイキングにおける勝ちの秘訣なんぞは、あるようであって結局はないと言うべきなのかもしれない。もしあるとするならば、妥当な "潮時" を読み、リスクテイキングの土俵から思い切りよく去ることなのかもしれない。しかし、並みの人間にはそれができない "人間心理" の虜となっているのであろう。
 昨夜の天気予報では、東京地方の今日は "初雪" が降るということであった。ただし、気圧配置の関係が微妙であって、確実に降るという予報ではなかった。また、仮に降ったとしてもやがて "雨" に変わっていくとの予想もなされていた。
 そんなふうだったから、事前にクルマのタイヤチェーンを付けることはしなかったし、できれば雨に変わってくれた方がいいかな、と思ったりしていた。特に困る理由があるわけではなかったが、積もったら積もったでその後の除雪作業が面倒かな、と思ったに過ぎない。
 むしろ、このカラカラ天気で "乾燥注意報" も出されていたことだし、 "お湿り" のための "雨" となった方がよかろう......、と。 "火災予防" と "インフルエンザ予防" のための恵みである。
 ほほぉー、同じことをやってるな、と思わされた。
 先日、TV番組での "吉本隆明" 氏の講演のことについて触れたが、これをプロデュースしたらしい "糸井重里" 氏が、 "iPod(アイポッド)" に吉本氏の講演記録をセーブして、空き時間・待ち時間などに聴いている、ちょうど文庫本を読むように、というようなことを紹介していたのである。
 実は、自分も、同じようなことをしているのは以前にもこの日誌で書いた覚えがある。ただ自分の場合には、テープやCDに納められた音源、例えば "小林秀雄" 氏の講演記録などを "MP3 ファイル" に圧縮変換したりして聴くとともに、いささか手が込んだこともやっている。ネットのサイトから "テキスト記事" を拾い起こして、それを "音声ソフト" で "音声" に変換し、それを "MP3 ファイル" 化して "iPod(アイポッド)" のような携帯用サウンドプレイヤーに収納する、という手口である。
 今日も、日経BP社のサイトで公開されている "大前研一" 氏の<「産業突然死」の時代の人生論 第158回:金融大地震に世界がやるべきこと、日本ができること>をおよそ10分足らずで "MP3 ファイル" 化したものであった。
 気に掛かること、やるべき事が多々ある時期ではあるが、毎年の恒例であるため、 "松の内" 7日の今日、川崎大師に初詣をして護摩の御札をもらって来た。
 途中で時刻を確認してみると、10時開始の護摩に間に合うかどうかという成り行きになっていることがわかった。京急の川崎大師駅を降りてからは急ぎ足とならざるを得なかった。
 今日が早7日ということだからか、あるいはウイークデイの午前ということだからか、駅前から参道までの道すがらの人通りは思っていたより少なめであり、露天商の商い風景も何だか薄ら寂しい限りであった。三が日の人出の状況は知らないが、やはり、未曾有の景気悪化という情勢が、こうしたところにも水を打って静まらせるように波及しているのだろうか、と感じさせられた。
 かつての "不況" の際、われわれに協力してくれていたソフト会社の社長が言っていたものである。仕事は、どんなに忙しく、たとえ徹夜続きになろうとも音をあげたりはしないが、受注がパタリと止まり手持ち無沙汰となってしまうと何をしていいかわからなくなる。本来は、日頃、時間があれば研究しようとしていたことなどを手掛ければいいところなのだろうけれど、どうもそうしたことにも集中できずにただただ居心地悪さに "呆然" としてしまう......、と。
 そうしたものだろうと共感せざるを得ない。長年、技術畑で忙しい仕事に追われていると、いつの間にかそうした "習性" となってしまうもののようである。
 ただ、これまでの "不況" では、しばし "呆然" としているうちに、やがて次のポジティブなうねりがやって来て、またまたそれまでのことが嘘のような繁忙期がやって来たりしたものだった。
 そんな周期が、ますます、受注の "空白時" に "独自なアクション" をしてみることをおざなりにさせて来たのかもしれないのだが......。しかし、今回の "不況" こそ、相応に長引く様相を見せており、 "待てば海路の日和あり" というようにのんびりと構えてはいられない気配ではなかろうか。
  "紋切り型" の表現ほど人を "げんなり" させるものはなかろう。 "紋切り型" 表現の代表格はいわずと知れた "祝辞" 、さまざまな祝典の挨拶といったものであろうが、決してそればかりではなさそうだ。
 マス・メディアのニュース報道にしたところが、 "耳に優しい" 内容、と言わぬばかりに随所にに "紋切り型" 表現を組み込んでいる。これらは、むしろ "言葉での表現" というレベルではなく、 "発想や視点" そのものが "ステロタイプ" 化(形式化)というか "紋切り型" 化していたりするから恐れ入る。
 夕刻、雲が多くなって急に冷え込んできた。午前中は風もなく暖かい陽射しでまるで春のような陽気であった。
 寝室の窓を開けた途端、子猫がベランダに跳び出したのでしばらく様子を見ながら遊ばせることにした。暖かい陽気であったため、寒さを心配する必要はなく、ただ、手すりのそばに寄って跳び出すことだけを警戒していた。
 このところ、家人がいない時には子猫を二階の寝室で遊ばせている。居間を本拠地とする内猫二匹と一緒にすると、神経質な一匹の方が "フゥー" と脅しをかけるため、しばらくは子猫を隔離しておこうとの配慮からであった。
 ただ、子猫一匹だけだとこれまた心配なので、特に警戒心を持たない方の内猫一匹、ルルを "保母さん" 代わりに一緒にして面倒を見させる格好としている。
 冷え込む朝晩が続いている。だが、春へと近づいている指標はある。
 以前から "日の出" の時刻にはどういうものか関心を寄せているが、今が "遅い夜明け" のピークであり、一分一分と確実に "日の出" 時刻は早まっている。
 調べてみると、冬至が過ぎて以降、東京では、1月1日から1月13日までが "6時51分" で "遅い夜明け" のピークをなし、その後は次第に早くなるということである。
 だからどうしたと問われても困るし、むしろ寒さはこれからなのだろうから、手放しで喜ぶこともできない。
 ただ、季節の "基本" は、冬から春への "折り返し" を確実に始めつつあるというのが実情のようである。
  "お一人様" の "仕事始め" は、何とも静か過ぎる。近辺の商店も事務所もまだスタートを切っていないようで、まるでフリーズ状態となっている。まあ、普段から人出の少ないこの近辺であるから、正月2日から店を開いたところで空っ風が吹き込むだけと決めてかかっている模様か。
 そう言えば、昨日の元日、ちょっとしたものを買うべく近所の書店に向かってみると、さすがにどこも開いていなかったが、レンタル・ビデオと書籍とを扱っている Tutaya のチェーン店だけは無休で営業していた。
 こうした冴えない時期でもレンタル・ビデオにはそこそこ集客力があるようで、普段から駐車場も埋まっている。しかも、このチェーン店は返却方法に郵便を利用するなどの工夫を凝らしているようで、先ず先ずの活況を得ている気配である。
 商売というものは、そこそこ "回っている" と努力のし甲斐があるのか、前向きさが維持され、熱意がさらなる熱意を生むものなのかもしれない。その逆に、低迷の度合いが深まると、やる気さえ殺がれて、ますます消極的となり、そして投げやりになっていくものなのであろうか......。
 今年はやはり "正念場" だ、という思いがじわじわと湧いてくる。別に力(りき)もうとするつもりはないが、それでも "My Best" を尽くしたいと願う。
 今年がどんな年になって行くのかをつぶさに想定できる者はほとんどいないのかもしれない。それほどに "仕掛けられた爆弾" は不気味なほどに破壊力を隠し続けているような気がしてならない。
 先ず、何とかなるだろうと高を括ることだけは禁物であるように思える。どちらかと言えば、最悪を想定しつつ取り越し苦労をするくらいが、意外と適切だということになりかねない。歳をとると、ほかのことはさておいても、経験的な実感から物事への予想が案外妥当な範囲で行えるようになる気がしている。

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