yasuo hirose: 2010年4月 アーカイブ

 政治家の顔に "表と裏" があることは、これまでにも度々暴露されてきた。もとより "政治屋さん" という生業(なりわい)はそれがすべてであり、その "タテマエとホンネ" との "早変り" をいかにそつ無くこなすかが腕の見せ所といった商売なのかもしれない。 "ホンネ" を覚(さと)られずに、 "フェイク(見せかけ、偽物)" でどう飾り立てるかで日夜奔走しておられるのであろう。
  "政策" や "マニフェスト" にさえ "フェイク" が並べ立てられることに、人々は気づいているはずだ。そんな状況だから、人はふと "政治屋さん" の本質を忘れて、 "裏表の無い人柄" であったなら......という "無いもの期待(?)" なんぞをしてしまったりする。
 そんなワケがない。 "裏表の無い人柄" 、それを "KY(空気が読めない)" だとして侮蔑するのが "政治屋さん" なのだから、先ずは "政治屋さん" = "表裏の使い分け達人"、"フェイクの使い手" と考えるのが相場のはずであろう。
 しかし、時として「サルも木から落ちる」、「上手の手から水が漏れる」といった「ことわざ」どおりのことを仕出かしてしまうのもまた、 "政治屋さん" の行状のようである。そんな例をわれわれはしばしば見聞させられてきた。
 それも、 "政治屋さん" は "窮地" に追い込まれたりすると、やはり "貧すれば鈍す" というエラー・メイキングのスパイラルにジワジワと入り込むのかもしれない。
 次の報道は、そのすべてを雄弁に物語っていそうだ。




















  "普天間基地移設問題" は、国民各位をイライラ、ハラハラさせながら "迷走" している。鳩山首相の "瞑想" ゆえならまだ救われもするが、文字通りの "迷走" であれば、ここは注視し続けなければならない。
  "迷走" をもたらしている原因はいくつもありそうだが、有り体に言って "複雑" だからであろう。そして、その "複雑" さは、構成要素(論点)が多いからという点もあるが、 "階層(=レイヤー)構造" のようなかたちで問題が構成されているから、という厄介な点に多くが起因しているようだ。
 各 "階層(レイヤー)" は、一応、独自なロジックで蠢き、そして時として他の "階層" の蠢きと連携してみたり、離反してみたりするようだ。また、 "平面構成" ではないがゆえに、報道などによって "スルー(黙殺)" される "階層(レイヤー)" があったとしても、そんなもんか、と思わされてしまうところが厄介なのだと言えそうだ。

 持って回った言い方をしているようだが、 "普天間基地移設問題" を構成している "階層(レイヤー)" と思しきものを、ざっと列記してみる。
 先ずは "基地" 問題なのであるから、◆軍事的戦略レイヤーがあり、◆国家間関係レイヤー、◆国内政治レイヤー、◆国民生活レイヤー、◆自然環境保護レイヤー、そしてここが隠されがちとなるのだが、◆政官業の利権構造レイヤー! があるということになりそうである。もうひとつ、やや整合性に欠けるかもしれないが、◆歴史的経過レイヤーを挙げることもできようか。
 これら各レイヤーのロジックが、時と場合によって "見え隠れ" しながら蠢いているために、問題は "複雑" さを呈しているのかもしれない。先ずは、そんな印象を持つのである。

 ところで、ここで "レイヤー" 構造なんぞとヘンな言い方をする理由は三つある。ひとつは "皮肉" なのだが、もう一つは、情報の "専門性・機密性の壁" であり、三つ目は、それを "隠れ蓑(みの)" にした "政官業の利権" 暗躍が注視されなければならないからである。
 要するに、 "次元を異にする" ほどに "ロジックの相違" があれば、それを "階層" と位置づけた方が理解しやすいだろうし、なおかつそれら相互間に "拘束関係" があると見えるならば、 "階層(レイヤー)" 構造とたとえてみるのがよりわかりやすそうだからなのである。

※ 以下は、 "更新" にて追加した部分です!

 正直に言えば、現時点、 "民主政権潰し" とでもいうような不可解な "空気支配" の気配を感じていないわけではない。しかし、そうした "大(?)空気" に包まれている "小(?)空気" の方が、まるで "酸欠" 状態にも等しい喘(あえ)ぎを誘い、少々嫌気が差しつつある......。
 小沢氏は<「私としては意外な結果で驚いている。......与えられた職務を淡々と全力でこなしていく」と述べ、幹事長を続投する考えを示した。>(【小沢氏「起訴相当」】小沢幹事長「意外な結果」「やましいことしていない」と続投表明/2010.4.27 19:18)と、報じられている。
 だが、 "意外" と言うならば、実のところ "意外性" を強く感じているのは国民の方ではなかろうか。ここまで来てしまうと、小沢氏のセンスが、"民意" からのズレを益々拡大させているとしか思えなくなってしまう。

 一時期、 "検察" の動向をも批判的に "相対視" すべしという論調があり、 "検察" も "人の子 、そうしたシビァな視線で見つめたとしても不思議はなかろうと感じていた。
 しかし、今回の動きは、仮にも "民意" を反映した "検察審査会" 【 注.1 】がまとめたものだ。
 その "民意" 反映機関が、小沢氏「起訴相当」と決議したのだから、<職務を淡々と......>という<続投表明>は、やはり "意外" なレスポンスだとしか見えない。これは、今後の "検察" の具体的動向や判断にかかわらないことだと思える。一民間人の場合であれば、 "起訴" 段階だけで云々すべきではなかろうが。
 しかし、小沢氏は新政権政党の幹事長である。来る参院選の行方を人一倍腐心する立場にある存在だ。現時点での "民意" の状態に細心の注意を払って当然の立場にある。このままでは、虎視眈々と磨き上げている多数の牙が、新政権を血みどろの状態にするであろうことは眼に見えていそうではないか。そして、政権交代に託した実に貴重な "民意" を "台無し" にしかねない。

 先日、実に "奇妙な社会現象(?)" に関するTV報道番組を観た。薄々気づいてはいた "現象" であったが、ここまで "来てる(?)" のかとやや想定外であった。
 先ず概略を以下のとおり示しておこう。
<『"ひとり"が怖い』
 今大学生に「友達がいないと思われる」ことを極端に恐れる傾向が高まっているという。一人でいるところを友だちに見られたくないと、トイレにこもって昼食をとる「便所飯」をしている学生もいるという。
 専門家は、今の若者は身近な人とのつながりを持っていると実感することが自分の存在感(=自己肯定感)の大きな根拠となっているのではと分析している。
 大学側も「キャンパスでの孤独」を防ごうとさまざまな対策に乗り出している。
 若者の友だち関係に対する心理を探る。 >(『 "ひとり" が怖い』/NHK 特報首都圏 4月23日(金)19:30~19:55

 自分なぞは、学生時代、頻繁に "学食(学生食堂)" を利用したものであった。混み合う時間帯を敬遠するためか、大体一人で済ますことが多かったかと記憶している。友人と一緒となったらなったで別にそれを拒むことはない。が、自ら、連(つる)んでの会食を望む方ではなかった。下手な考え休むに似たり、ではあっても、一人 "瞑想(?)" なんぞに耽りながらみたいな食事が通例であったか。
 まして、傍目で「寂しそう......」なんて思われてはいないか、なんぞと心配するような出来合いの感性はついぞ持ち合わせてはいなかった。
 かつて、家内にそんなことを話した時、 "一人寂しく、物凄く" タイプの人はそれはそれよ、とからかわれたことがあった。
 そんな、幾分アブノーマルな自分だからでなのか、前述の<「便所飯」をしている学生>というのが、実に "哀れ" に思えてならなかった。 "見得(みえ)" を張って......、と言うよりも、ほとんど、 "いじめ" 状況に遭遇している当事者の "哀れ" に通じるような印象を受けたものだった。

  "アスペルガー症候群" 【 注.1 】という<脳の機能障害>の問題が取り沙汰されている。ここで今書こうとしているのは、そんな専門的資格もないことでもあるし、この "障害" としての "症候群" 自体についてではない。
 むしろこの問題の "周辺的現象" についてなのである。端的に言えば、ひとつは、 "空気を読む" ということに躍起となる風潮の方が "問題含み" なのではないか、という点である。また、もうひとつは、自分自身にもありそうな気がしている同 "症候群" 的要素・傾向は、個人の性格がどうこうと言うよりも、現在の時代環境や社会環境に "根を張る" 現象のように思えてならない点である。

【 注.1 】 つい先日、次のようなTV番組があった。
<引きこもり、うつ病など20~40代の間で深刻化する問題の背後の多くに、実はアスペルガー症候群が潜んでいることがわかってきた。アスペルガー症候群は脳の機能障害で、知的障害はないが他人の気持ちを推し量ったり、暗黙のルールを理解できないため、職場では「変わった人」と見られ、孤立を深めて社会からドロップアウトしていく人が少なくない。一方でIT技術など特定の分野において秀でた能力を持っている人も多く、周囲が障害を理解し、対応を工夫すれば、目覚しい活躍をすることも分かってきた。企業でも今、アスペルガー症候群の人を積極的に採用し、その力を活かそうという取り組みが始まっている。"アスペルガー症候群の人"たちが社会で活躍するためには何が必要なのか、当事者と雇用する側双方の取材を通して考える。出演者:正高 信男さん(京都大学霊長類研究所 教授)>「『アスペルガー症候群 活躍の場を求めて』/NHKクローズアップ現代(NO.2880) 2010年 4月21日(水)放送」
 なお番組では、この "アスペルガー症候群" (の特徴)として以下3点を挙げていたかと思う。
●相手の気持ちを推し量れない。
●会話がうまくできない。
●極端にこだわりが強い。
 また、キャスターから正高 信男教授への質問、「障害と性格との区別は?」に対して出演教授の回答は、「ひとつの決定的な基準があるわけではない。多面的・総合的に判断される。日常生活での社会的不適応の有無、その程度は留意されるべき。......」であったかと記憶している。

※ 以下は、 "更新" にて追加しました!

 やはり、ちょっと "異常!" なんじゃないのかな。他国政府の公式見解を "誤って(?)" 報道するというのは。しかも、つい先日には、他国の首相を "コケにする" ような下品な論調を展開しただけに、 "誤って(?)" の記事というよりも "意図性(!)" (世論操作?)を嗅ぎ取ってしまう。そう感じるのは自分だけではなさそうな気がしている。
 もちろん、呆れ果てて問題にしているのは、 "ワシントン・ポスト" による "度重なるフェイント" 報道のことである。否応なく、 "何を企んでのことか" と気になってしまうのである......。

< 【ワシントン=大石格】24日付の米紙ワシントン・ポスト(電子版)は、岡田克也外相が23日にルース駐日米大使に会い、米軍普天間基地の移設問題に関して、2006年に日米が合意した現行案を微修正する形で沖縄県名護市辺野古への移設を受け入れると伝えた、と報じた。
 同紙によると、岡田=ルース会談は東京の米大使館で開催。岡田氏は米軍キャンプ・シュワブの沿岸にV字型の滑走路を建設する部分に関し、形状の変更を希望。海兵隊の施設の一部を沖縄から160キロメートル離れた島に移すことも提案した。鹿児島県の徳之島を指すとみられる。......>(普天間「現行案修正で受け入れ」 米紙報道 外相が米大使に伝達 2010/4/24 13:32 (2010/4/24 15:13更新)

 現在のような時代環境では、何事につけ "転ばぬ先の杖" といった注意深さと警戒心が欠かせない。そんなことを促すような報道があった。
< 米格付け会社のムーディーズ・インベスターズ・サービスは22日、トヨタ自動車の格付けを全21段階のうち上から2番目の「Aa1」から3番目の「Aa2」に1段階引き下げたと発表した。
 「Aa2」は、日本国債と同じ格付け。格付けの見通しは「ネガティブ」(弱含み)とした。格下げの理由について、長期的に収益性が低下する恐れがあるとしたほか、リコール(回収・無償修理)問題などで「価格面での競争優位性が維持できるかについて不透明感が増大した」と指摘した。......>(「米ムーディーズ、トヨタを格下げ」(2010年4月23日 読売新聞)

 現代の(金融)経済の大きな特徴のひとつは、 "実勢" がどうかという視点とともに、 "資金" 供給・獲得の可能性に直結する "信用" 状況に関する視点の比重が大だと言う点であろう。金融市場において、いわゆる "信用不安" が高まれば、想定以上のリスクを背負うこととなり、カタストロフィ(危機)へと向かう "アリ地獄" に足を取られてしまいかねない、ということである。
ちょうど今、そんな危うさに遭遇している問題が、 "ギリシャ財政危機" ということであろう。一度は、 "危機回避" という評価もなされたにもかかわらず、まるで "焼け棒杭(ぼくい)に火がつく" ということわざさながら、現在、予断を許さない状態となっている。財政悪化に直面するギリシャでは、国債利回りが急上昇するなど市場圧力により "信用不安" が急速に高まっているとのことだ
<......ギリシャをめぐる信用不安は再び強まっており、同国の国債利回りは一段と上昇。信用力に欠けるギリシャが市場から資金調達するコストは増大し続け、同国の苦境は深まっている。......>(「ギリシャで公務員スト=信用不安再燃、市場圧力一段と」

  "事業仕分け第2弾" が始まり、これこそ国民が民主党に託した本流の課題なのであろうが、民主党政権はというと "放置し続けた別の火種" でてんてこ舞い状態となってしまっている。
 先ずは、迷走を続ける "普天間移設問題" があり、鳩山首相・小沢幹事長両氏にまつわる "政治とカネ問題" があり、打ち消しがたい "政府・与党の非一元性問題" がある。
  "非一元性問題" では、 "仙谷大臣のダブル選発言" と小沢幹事長の過敏な反応、 "高速道路新料金体系見直し" という小沢幹事長発言と前原国交相による「二律背反」との小沢幹事長批判などなど、国民が新政権に託した期待とはかけ離れた次元の火種に根ざす問題が噴出。

 が、最も表面化している難問は、 "普天間移設問題" であるに違いない。
 今日、鳩山首相は<普天間問題に進退懸ける>と述べたという。
<鳩山由紀夫首相は23日午前の参院本会議で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題に関し「首相としてすべての政策に職を賭す覚悟で臨んでいるのは当然のことで、その中には普天間移設先の問題も当然含まれている」と述べ、自身の掲げた5月末までの決着に進退を懸ける考えを表明した。
 首相は21日の党首討論で「すべての政策実現のため職を賭して頑張る」と述べており、さらに踏み込んだ形だ。自ら退路を断ったことで、5月決着に失敗すれば進退問題に発展する可能性が強まってきた。......>(「首相、普天間問題に進退懸ける 5月末決着で」

 ローカルなニュースながら、妙に今の世相を言い当てているようで気になったものだ。とかく、あっけらかんとした "風見鶏" 、"日和見(ひよりみ)" の振る舞いで "流れにただ乗りする" のが流行のご時世。自前で汗を流したり、苦境に耐えたりするのは二の次、三の次にされがち。 "利口" と言えば "利口" な振る舞いのようだけれど、その意図や下心が透け透けで何とも味気ない......。

< 宇都宮市中心部オリオン通りのマクドナルド宇都宮店が、今月末で閉店することが13日までに分かった。2月末の牛丼の吉野家、3月末のロッテリアに続く全国チェーン店の閉店。市民からは「マックまでも...」と驚く声が上がっている。......
 日本マクドナルドは店舗ごとの閉鎖理由は明らかにしていないが、「店舗の立地や規模、生産能力などさまざまな要素がある中で、総合的に決めた。会社として今後成長するための戦略的閉店」と説明。今年1年間で全国433店を閉鎖する計画だという。......>(「マックよ、お前もか・・・ 中心商店街また撤退 宇都宮」

 毎朝のウォーキングコースの途中に、その境内に見事な桜の木々がそびえるお寺がある。現在は、姿の良い桜の老木が二本あるだけとなった。だが、数年前までは境内の隅々に所狭しと桜の木々が生い茂る絶景を披露し続けていた。
 満開時には、中空全体が淡いピンク色の雲で覆われ神秘的な光景となった。そして、やがて散る無数の桜の花びらは、決して大袈裟ではなく "花びらで敷き詰められた絨毯" という風情をかたち作ったりもした。
 しかし、現在は、お堂に寄り添うように立つ二本だけである。どうしてこうなったのかを下世話に想像することがないわけではないが、それはおく。
 桜の木々はたとえ二本とは言えども、永くこの境内の移り行きを眺め続けて年月を重ねて来たその老木たちは、今年も観る者たちの感嘆を誘う開花を披露してくれたものだ。
 また今年は、五月雨的に訪れた異常寒気のせいもあってか、見応えのある満開時は比較的長かったかもしれない。

 その満開を、今日のような春日和にこそ観たかったと思いつつ、境内に近づいてみると、葉桜が影を落とした黒い地面には、桜の花びらが薄っすらと広がっていた。いくらなんでももう桜の時季は過ぎたということか......、と散った桜を惜しむ気分になっていた。
 とその時、どこからとなく鶯の鳴き声が聞こえてきたのである。ホーホケキョ、という典型的な鳴き声だった。しばらく間を置き、また、ホーホケキョ、と鳴く。
 耳を傾けているうちに、その鶯は、何かを囁(ささや)いてでもいるかのように感じられた。今、今、今......、何も終わっていない、桜も散ってはいない......、とでも言うような意味のことを繰り返して囁いているように......。
 ふと、自然に脳裏を過ぎる言葉があった。
「花びらは散っても花は散らない」(僧侶・金子 大榮 「金子大栄 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」
 仏教思想の根幹である「不生不滅(ふしょうふめつ/生死のこだわりを越える)」をわかりやすく説いた言葉だと言われている。
 そうかもしれないなぁ、「花びらは散っても花は散らない」と言い切る、そんな洞察と強い感性とが不可欠なのかも......。鳩山首相もその気概を...... (2010.04.21)

 毎朝のウォーキングコースの途中に、その境内に見事な桜の木々がそびえるお寺がある。現在は、姿の良い桜の老木が二本あるだけとなった。だが、数年前までは境内の隅々に所狭しと桜の木々が生い茂る絶景を披露し続けていた。
 満開時には、中空全体が淡いピンク色の雲で覆われ神秘的な光景となった。そして、やがて散る無数の桜の花びらは、決して大袈裟ではなく "花びらで敷き詰められた絨毯" という風情をかたち作ったりもした。
 しかし、現在は、お堂に寄り添うように立つ二本だけである。どうしてこうなったのかを下世話に想像することがないわけではないが、それはおく。
 桜の木々、今はたとえ二本とは言えども、永くこの境内の移り行きを眺め続けて年月を重ねて来たその老木たちは、今年も観る者たちの感嘆を誘う開花を披露してくれたものだ。
 また今年は、五月雨的に訪れた異常寒気のせいもあってか、見応えのある満開時は比較的長かったかもしれない。

 相変わらず、聞きしに勝る "やりたい放題" のようだ。国の財政逼迫が緊急事態となり、国民にも不安感が渦巻いている昨今、 "公僕(こうぼく/public servant)" の上層部が元々は税金であるお宝を、まるでドサクサ紛れに "掠め取る" ような振る舞いに及び、果たして "示し" というものがつくんですかねぇ?  "立ち枯れ日本" と揶揄される現実の一端、いやその象徴とでも言った方が妥当な事実が見えてくる。

 今、<鳩山政権が23日から始める「事業仕分け」第2弾で対象にする独立行政法人(独法)と事業名が明らかになった。>(「事業仕分け対象は47独法 性格ごとに分類し判定」)として、<独立行政法人(独法)>の活動の "たな卸し" が始まろうとしている。
 だからということなのであろうが、メディアもその周辺事実の "臭気" を、鼻をつまみながら公表している。
<わたり天下り57人 省庁→仕分け対象独法→随意契約先 2010年4月20日3時0分
 「事業仕分け」第2弾の対象となる独立行政法人(独法)から随意契約(随契)先の公益法人(財団法人と社団法人)などに再就職した延べ543人のうち、57人が国家公務員出身であることが分かった。省庁―独法―公益法人と、いわゆる「わたり」を繰り返し、多くは天下り先での報酬に加えて2回以上の退職金を受領。独法での退職金は1人平均1720万円だった。......>(「わたり天下り57人 省庁→仕分け対象独法→随意契約先」

 アイスランドの火山活動に伴う火山灰の影響で、北欧諸国の各空港、空の便が大混乱している状態は相変わらず続いている。何十年ぶりかで迎えている "異常寒気" と言い、乱調気味な自然現象の推移には自ずと眼が向けられてしまう......。
 アイスランド南部の火山は先月20日、今月14日と大きな噴火を起こしており、単なる一過性の噴火なのかどうかが気になるところでもあろう。
 映画好きの自分としては、『ボルケーノ』 (VOLCANO/1997年/アメリカ映画) というパニック映画を思い起こしたりもするが、そうしたフィクションよりも、火山活動による影響に関する "史実" の方に関心が向く。

 とりあえず二つの "史実" 、ひとつが、よく知られた名画、ノルウェーの画家ムンクの「叫び」(1893年)。手元に画集があれば参照していただきたいが、橋の上で不安の余り "叫び" をあげて "ひょうたん" 状の顔となった人物(ムンク自身)、それはそれとして、背後の空が不気味に "赤い" うねりとして描かれていることが要注意なのである。
 自分も、これまでは単なる "夕焼け" がデフォルメされたものとばかり思っていた。が、実はどうも、ムンクは "火山噴火" という自然現象の影響を忠実に再現していたようなのである。
 次のコラムがそのことについて触れていた。

  "瀬戸際外交" というと反射的に "北朝鮮" を思い起こす人が多い。そして眉を顰(ひそ)める。
 ちなみに、<瀬戸際政策(せとぎわせいさく)または瀬戸際戦術(せとぎわせんじゅつ)とは、緊張を高めることにより交渉相手に譲歩を迫る政治手法である。外交分野においては瀬戸際外交(せとぎわがいこう)とも呼称される。>(「瀬戸際政策」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 もちろん、 "友好的外交" が望ましいことは誰しもが口にする。だが、リアルに考えてみるならば、現代のような国家間利害関係での軋轢が噴出している時代に、 "友好的外交" だけを額面どおりに信じるのもいささか楽観的過ぎる。
 無用な緊張感を高めての "瀬戸際外交" は良識ある国民感情を逆なでする。何かと言うと、 "連立解消!" を口に出す某党代表なぞは、国民感情を激しく逆なでしている事実にもう少し感受性を持っても良さそうだ。
 ただ "瀬戸際外交" とは言わないまでも、外交においては "戦術的駆け引き" が不可欠であろうことは、市井の者でも心得ていそうである。

  "春の雪" (三島由紀夫)などと "優雅、高踏" を気取ってる場合ではなかった。(......もう一人の "由紀夫" さんの "優雅、高踏" 的アクションも、いささか気になるところではあるが......)
 異常低温の "実質" こそが身に凍みた次第なのである。昨夜の冷え込みと、みぞれ混じりの雨音の不気味な寒さといったらなかった。サラサラ、サラサラという雨音は、このまま世界が "氷河期" へと滑り込んで行くのではないかという不安を掻き立てた......。

 春だと思うからいけない、真冬だと思えばいい......。とは言っても、桜も咲き終わり散ったわけだし、現に、子どもたちが薄着になって水場で遊ぶ初夏のようなニュースの光景だって観る、そんな日もあった。これで冬だと思えというのは至難の技であろう。
 つまり、 "想定外" とか "フェイク、フェイント(特定動作をする振りをする)" のような "お天気動向" で翻弄されてでもいるかのようなわれわれが、実に "哀れっぽい" と思えたのである。

 わずかなことだけれど、先月、買い置きの "灯油" が切れた際に、 "間違って" 購入しておいたのが、 "結局は正解!" となった。切れたことに気づいた時、どうしようかと迷った。3月も半ばが過ぎ、これで買い足すと見す見す夏場まで持ち越してしまい、安全上の観点でも問題か......と。
 と、その時、ちょうど "灯油宅配車" が、チャラリンチャラリン♪ とテーマ音楽を流しながら自宅前の横丁に入って来たのである。その、あまりのタイミングの良さについつい "負けて(?)" しまい、その車を呼び止めてしまった。が、その直後、やっぱり "衝動買い" だったかな? と悔やんだものだ。
 しかし、この "異常な寒さ"がひるむことなく続いているため、つまらないことで溜飲を下げたりしている。昨晩も夜更けに石油ストーブの "給油モニター" からアラームが鳴ったものの、そうかそうか、とほくそえんで対処したものであった。

  "春なのに" という呟きをあちこちで耳にする。
<春なのに...金剛山雪化粧 近畿各地も冷え込み 2010年4月15日14時21分
 上空に流れ込んだ寒気の影響で、15日朝の近畿各地はぐっと冷え込んだ。大阪、奈良府県境にある金剛山(標高1125メートル)では、山頂付近の木々などがほんのりと白くなった。「金剛山ロープウェイ」金剛山駅に勤めて7年目という高村昭彦さん(47)は「ウッドデッキなどにうっすら雪が積もっている。4月半ばに雪が降るのは初めて」と驚いた様子で話した。兵庫県三木市君が峰町の池では同日朝、150匹以上のフナが死んでいるのが見つかった。県は、急激な気温の低下が原因ではないかと見ている。......>(「春なのに...金剛山雪化粧 近畿各地も冷え込み」

 もうこうなると "立派な異常気象" だとしか言いようがない。なのに、情けないのは、「ヘンよねぇ~」としか返す言葉を持っていないわれわれの "情報不足" 、 "無知蒙昧(?)" であるのかもしれない。
 尤(もっと)も、気象に関するマクロな科学的情報を得たからと言ってどうなるものでもないかもしれない。
 ただ、TVの "天気予報士" から、「お帰りの頃の急な冷え込みに備えて、寒さ対策をされて出掛けることを......」となんぞと聞いているばかりでは、ますます "無力感" が募る。
 別に、 "天気予報士" に当たっても何の意味もないが、彼らとて内心忸怩(じくじ)たる思いがあるのかもしれないと思ったりする。
「一体どうなってんの?」と食ってかかるムチャクチャな人もいないだろうが、そう言われはしないかとおどおどしているのではなかろうか。
『そりゃワタシだって、 "着せ替え人形" みたいに日毎にファッションを替えることで満足しているわけじゃないのよ。どうしてこんな異常な変化になっているのかを、ワタシなりの解釈で解説してみたいわよ。だけど、 "上" がそんな "波風の立つこと" を許すはずもないの。キミはね、とにかく明日は傘がいるのかどうか、上着が必要なのかどうかの心配に応えていればいい、とね......』

 ことさら、花見の宴会のごとき日常の空気を白けさせるつもりはない。ただ、あまりにも、 "本来ある事実" に目を背け過ぎる気がする。 "命あるものが最終で迎えるもの" に、 "まともに向き合うこと" をしないのが、現代文明の病的な習性であり、空々しさであり、嘘っぽさのようである。
 そして、人は突然、その "空々しさ" と "嘘っぽさ" との日常の地平から、たった独りで "突き落とされる" ことになる。想像だにすることがなかった恐怖と孤独の空間へと......。高死亡率の疾病に罹患する場合がこれであろう。
 昨日から、まるで "寝た子を覚ます" かのようなタッチで、 "癌罹患(がんりかん)" について書いている。わざわざこうしたテーマに接近することもなかろうに、という向きもないではない。
 しかし、いろいろな事に対して "まともに向き合うこと" を避けたり、先送りにし続けている風潮がいたたまれない。身近な人間関係から、生活習慣、政治的問題と、ありとあらゆる事柄に対して、自分を含めての話だが、われわれは "回避" と "先送り" の姿勢を常套手段としつつお茶を濁し続けている。
 まあ、 "まともに向き合うこと" ばかりが打開策ではないこともわかる。スマートな間接的アプローチによって、さりげなく事を往なすことで可能であればそれに越したことはなさそうだ。しかし......。

 先日、作家・劇作家の井上ひさしさん肺癌で亡くなられた。( 作家・劇作家の井上ひさしさん死去 「吉里吉里人」など
 日本語という言葉を極めて大事にした作家であったかと思う。その姿勢には自分も大いに注目し、手軽に読める文庫本の『井上ひさし作文教室』『文章読本』『井上ひさしの日本語相談』『にほん語観察ノート』『私案版 日本語文法』などは愛読してきた。
 もちろん、『ひょっこりひょうたん島』より始まった劇作家としての独自な明朗さにあふれた才にも敬服させられてきた。そして、社会的洞察力の鋭さも比類無きものであり、ユニークな著作『あてになる国のつくり方 フツー人の誇りと責任』には目を見張るものがあった。
 そんな同氏が、著作家としてはまだまだ今後に期待が寄せられる75歳という道半ばで、しかも "癌" で亡くなられたのは実に惜しい。

 メディアで名の知れた年配の方たちが、 "思いのほか" 多く、 "癌" に罹り、そして少なからず亡くなられている。が、 "癌" に罹る方は決してメディア界で忙しく過ごす人たちばかりではない。巷のごくフツーの人々も、やはりかなりの "高確率" で "罹患" されている。
 自分の身の回りにも、思い起こせばその数は片手の指がすべて折れるほどである。現時点でも、その動向が気になり気分が沈んでならない知人が二人いたりもする。その内のひとりは、 "手遅れ" という表現に近い宣告を受けたようであり、気の毒でならない。根が明るく活気ある人であるだけに、 "宣告後" も、尚も明るく振舞う姿によって胸を締め付けられる思いとなるのである。

 かつて、コンピュータ業界では"2000年問題"(グレゴリオ暦2000年になるとコンピュータが誤作動する可能性があるとされた問題)で大騒ぎしたことがあった。
 言葉が瓜二つの問題なのだが、"2010年問題"という、これも余談を許さない危機に違いない、そんな問題が起こっていることを知った。

<2010年問題(にせんじゅうねんもんだい)とは、医薬品業界において2010年前後に大型医薬品の特許が一斉に切れ、各メーカーの収益に重大な影響をもたらすと懸念されている問題である。>(「2010年問題」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 これがなぜ "危機" 的な問題なのかと言うと、次のような事情が関係していると言われている。
< アルツハイマー病、糖尿病、うつ病...。患者やその家族が待ち望む「新薬」の開発が、今後進まなくなるのではないかという不安が広がっている。今月には、アルツハイマー病の特効薬と期待された新薬「ディメポン」について、「効果なし」という治験結果が報告され、患者とその家族の間で落胆が広がった。
 実はこの20年、製薬業界では「ヒット新薬」が生まれない事態が続いている。
製薬会社は巨額資金を投入して新薬の開発に取り組んでいるが、アルツハイマー病やがんなどを引き起こすメカニズムの解明が思うように進まず、新薬誕生には至っていないのだ。さらに、こうした状況に追い打ちをかけるのが"2010年問題"と呼ばれる危機だ。製薬各社が収入源としてきた「主力商品の特許」が、今年に入って軒並み切れる。そのため、製薬企業の特許収入は激減し、新薬開発に必要な巨額の資金が手当できなくなる恐れが強まっているのだ。......>( 「新薬が生まれない」(NHK 追跡!A to Z / 2010.03.13 )
 こうした事情で、<"命に関わる新薬開発の危機">が広がろうとしているようなのである。

 ことわざに「大は小を兼ねる」とあるが、その逆で「小は大を兼ねる」ということになろうか。
  "単二電池" を使う家電製品に、一回り小さい "単三電池" を利用したいと思ったのである。昨今は、小指大の大きさの "単三電池" を使う家電製品が多くなった。そして、 "買い置き" する電池もまた "単三電池" が一般化したようだ。
 しかし、家電製品の中には、わずかながら "単二電池" や "単一電池" を使うものもある。これらの電池は、使う当てが少ないことと、何と言っても "嵩張って重い" ということなどから、家電ショップで安売りをしていても買うことを敬遠したりしてしまう。
 が、いざ、これらを必要とする際には、わざわざそれらを買うためだけに近所のコンビニや電気屋さんに跳んで行かなければならなくなる。厄介な代物なのである。
 自分の場合、 "愛用の家電製品" 一種類だけであるが "単二電池" 使用ということになっている。風呂場で聴く水滴防止のCDプレーヤー付きラジオがそれなのである。
 電池が消耗するとCD再生音が変調を来たす。その都度、電池の買い置きはなかったかなぁ......、と気を回すことになる。以前から煩わしいことだと感じていた。

 日常生活にも、 "危機" はしたたかに潜んでいる。そんな実感を呼び覚まされてしまった。
 今朝のウォーキングの時のことである。穏やかな田園光景を見渡す、そんなコースなのだが、その傍らに、静かな様子ではあるが尋常ではない、そんな光景を見出してしまった。
 二階建てアパートの端の部屋が火災を起こしたその跡なのである。一階部分の部屋はブルーシートで覆い隠されていたが、覗き見える内部は焼け焦げている気配であった。昨日の夕刻あるいは夜半の出来事かと推測された。
 二階へと繋がる白い壁面は、焼け焦げてはいなかったものの、惨たらしくも煤で黒くなっていた。激しい炎と煙で舐められた跡だと見えた。よくはわからないが、一階の角の部屋が火元で、その火が直ぐ上の部屋や隣の部屋へと延焼するのがかろうじて食い止められたというような光景であった。

 火元と思しき部屋にはどんな住人が暮らしていたのであろうか? 6畳位の居間に台所やトイレ・風呂といったワンKサイズの部屋のようなので、単身者が暮らしていたのかもしれない。若い人なのか、ご老人なのか? しかし、何が原因での出火なのだろうか?
 怪我人はなかったのであろうか? それが何よりの心配であったが、怪我のほかにも出火に伴う被害は、個人で贖うには決して小さくはなさそうに思えるのだった。
 多分、内部の家財はほとんど使い物にならなくなっていそうだし、まだ新しい建物を修復弁済するのは、いくら火災保険で賄われるとしても大変な事になりそうだ。他人事ではあっても、現状復帰に向けたあれこれの手立てを想像すると、一たび失火してしまうとまさに大事になってしまう......、と鎮痛な気分にさせられてしまった。

 昔、ジャン=ポール・ベルモンド主演の『気狂いピエロ』という凄まじい映画(ジャン=リュック・ゴダール監督/日本公開は1967年)があった。ラスト・シーンは、顔にペンキを塗りたくり、その顔にダイナマイトを巻きつけて自爆死するのだ。
 ストーリーの詳細は失念したが、とあるワンシーンだけは鮮明に覚えている。それは、ベルモンドが、馬鹿でかいフランスパン丸ごとを抱え、その隅にわずかなバターを付けてかぶりつくシーンである。とても、すべてを食い尽くすことなぞできるわけがないにもかかわらず、さも一気に挑み切るごとき気概だけは溢れさせていたのだ。
 その光景がおかしいと言うか、挑戦的だと言うか、あるいは哀れというか......。きっと、ゴダール監督はそのシーンにこの映画のエッセンスを埋め込んだような気がしたものであった。

 このシーンの記憶はその後幾たびも思い起こしてきた。無謀をそれとして受け止めずにあっけらかんとした表情で向かう者に、妙に愛しさめいたものを感じてしまうからであろうか......。
 で、今現在、われわれは、 "馬鹿でかいフランスパン" に決して引けを取らない、いや比較にならないと言うべきか、そんな困難で複雑な時代状況に遭遇している。
 そして、この時代状況は、それらを写し撮ろうとする "情報" 環境の "爆発的肥大化" と相俟って、事態全体を途方もなく捉えにくいものとしていそうである。昔の人たちならば、さしずめ "鵺(ぬえ。日本で伝承される妖怪や物の怪である伝説の生物。この意が転じて、得体の知れない人物をいう場合もある。)" とでも呼びそうである。

  "ロケ地巡り" と言うような "観光ツアー" がある。出不精な自分もかつて、北海道へのパックツアーにお供し、ラベンダーで有名な富良野市(ふらのし)に訪れた時には、ラベンダーもさることながら同時にテレビドラマ「北の国から」のイメージを想起したものであった。
 もちろん、現地のあちこちにそのアピールのための "タグ" (※注.1)が貼られてあったことは言うまでもない。だから仮に、ふらりと訪れた人であっても、へぇーそうなんだ! と一層興味が掻き立てられるに違いなかろう。そして、あの "田中邦衛" の "歪めた口" の表情を彷彿とさせたりもするのであろう。
 NHK時代劇大河ドラマが、全国各地の "観光ツアー" を刺激して、 "観光地興し" 、"地域興し" に一役買っているであろうことは容易に想像がつく。今年は、ドラマ「龍馬伝」によって土佐をはじめ、龍馬の行動圏に当たる地域各所が大いに注目されていることも、誰でもが推察するところだ。

(※注.1)<タグのもともとは tag 。商品や荷物に貼りつける札。転じてコンピュータで扱う文書において、テキストデータ中に埋め込む特殊な記号や文字列のこと。もう少し平たくは、ウェブサイトなどを使う際に効率よく検索や分類ができるようにつける、短いキーワードやフレーズです。いずれにしても、AをAだと識別するための目印であります。>(博報堂DYグループ エンゲージメント研究会『「自分ごと」だと人は動く 情報がスルーされる時代のマーケティング』2009.11.27 ダイヤモンド社)

  "こういうドキュメンタリー映画(映像)って良さそうだなぁ" と、思わず手を打ってしまった。
  "SL" が好きで、 "メカ" にも目がない......、というような者( boy )たちには待ち遠しくてならない映画ではなかろうか。そして、監督が "山田洋次監督" とくれば、自分なぞは今からワクワクとした気分となってしまう。

<「SL復元の過程、映像作品に残す 山田洋次監督が撮影」>( 日本経済新聞 2010.04.07 ) というものである。

< JR東日本の清野智社長は6日の定例記者会見で、同社がさいたま市の大宮総合車両センターで進めている蒸気機関車「C61」の復元作業を、山田洋次監督がドキュメンタリー作品にするため撮影を始めていることを明らかにした。
 C61は群馬県伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地で展示保存されていたもので、解体して運転ができる状態に復元する。山田監督がニュースで知り、JR東に映像化を提案。同社は「SL復元の貴重な映像を残してもらえるということで、全面的に協力させていただくことにした」としている。
 山田監督は「鉄道会社にいた父の影響で私も鉄道マニア。SLの仕組みを中心に、小中学生がわくわくしながら魅入る作品にしたい」とのメッセージを寄せた。
 映画にするか、テレビで放映するかなど公開方法は未定という。撮影は、試運転が始まる来年春ごろまで続く予定。〔共同〕>(同上サイトより)

  "所属(感)" というテーマについて今しばらくこだわって行こうかと思う。
 ところで、先月、痛ましい事故があった。佐渡トキ保護センターで、特別天然記念物トキ9羽が、ケージに侵入したテンに襲われ死んだ事故(事件)である。
 多分、多くの人々が落胆したり悲しんだりしたことだろうと思う。特別天然記念物としてのトキの繁殖計画がこれで破綻するのではないかという失望が先ずあろう。とともに、 "保護" されるはずのケージの内側が、逆にトキたちの逃げ場を奪い、残酷な修羅場となったことへの言い知れない思いが渦巻いているのかもしれない。
 ある識者は、この事故(事件)を、現代の日本(の経済)の問題を読み解く上での、暗喩的な視点として取り上げていた。

<......このニュースを耳にして私は「これはトヨタ問題や現代の日本に通じるものがある」と思った。......
 とても貴重な鳥であるにもかかわらず、ケージには隙間がたくさん空いていた。テンが侵入するくらいの大きさの隙間をなぜふさがなかったのか大いなる疑問である。トキの繁殖はかなりの予算と人手をかけて取りかかっていた事業だが、あまりにも管理が杜撰(ずさん)である。関係者の能力を疑わざるを得ない。
 なぜこのような杜撰な仕事をしていたかは容易に想像がつく。彼らにとってトキを囲うケージは、トキを守るためのものではなく、逃げないようにする檻(おり)だったのだ。だから外敵が侵入してくることは想定外で、まったく考えていなかったのだろう。こういう人たちが"専門家ヅラ"しているのは納得がいかない。......>( 『世界経済の地図から消えていく日本とトキの姿』/大前研一の「産業突然死」時代の人生論

 この間、 "所属(感)" について関心を外すわけには行かない心境であり、その周辺の事柄について二、三言及してきた。

「当たり障りの無い、拘束感の無い "所属" 、それが現代ならではの流儀?」(2010.03.31)

「東京・町田に "所属" (?)しながら、 "沖縄の興南" に傾くとは?」(2010.04.03)

 この "所属(感)" の "ありよう" が、やはり、現在のこの日本社会の現状に深くかかわっていると感ぜざるを得なかったからかもしれない。
 時代環境の実態というものが、 "個々人" と "集団・組織・社会" とのかかわり方や関係のあり方に凝縮されていると見るならば、それは、 "個々人" による "集団・組織・社会" への "所属(感)" の "ありよう" に表現されているはずであろう。
 ちなみに、われわれは自己紹介をする時、サラリーマンであれば "何々会社の誰々です" とかと、 "所属" を前置きにして紹介する。それが一般的であると同時に、それでお互いがわかり合ったような気にもなる。さしずめ、時代劇の昔ならば、 "出身" の村などの地名プラス名前をもって "通り名" としたことと共通しているのだろう。

 だが、時代の変化は、猛烈な勢いで "個々人" と "集団・組織・社会" とのかかわり方、 "所属(感)" の "ありよう" を塗り替える歴史でもあったわけだ。
 それは一方で、閉鎖的な "集団・組織・社会" が抱える "非効率性" を打破したり、それらに "所属" し、 "拘束" されていた "個々人" を流動化する自由へと解放するプロセスでもあったと言える。都市化現象という都市への "民族大移動" などの近代化の流れを思い起こせばわかり易い。
 しかし、今、残念ながら、この趨勢の辿り着いているのは、寂し過ぎる "無縁社会" や "無縁死" の広がる社会だと捉えられている。一体、どこで何が "狂って" しまったと言うのであろうか? 深刻な "少子高齢化" 問題もそうであるが、時代社会に関するマクロなグランド・デザインの欠落を今さら嘆いても始まらないが、想像力と予知の範囲内であったであろう問題が、 "見事に" 黙殺されて来たという政治貧困の歴史が先ずは悔やまれて良さそうだ。

 新聞の社会面の記事で、 <名古屋のため池に外来種との交雑カメ 在来種駆逐の恐れ> とあった。
 ちょっと気になったのでその記事に目を通すと、<名古屋市昭和区の住宅街にある「隼人(はやと)池」>という文字列が目に飛び込んだ。
 ええーっと、「隼人(はやと)池」というのは......、名前は覚えているけどどの辺にある池だったっけかな......。とにかく名古屋市内には、多くの "ため池" が散在している。それが名古屋の農業を支えてきたのであろう。また、自分は、そうした "ため池" の数の多さを "実感(?)として" も知っていたのである。

 もう、三十数年も前のことだ。名古屋大学から程遠くないアパートで、大学院生としての生活をしていた頃のことなのである。
 結局、<名古屋市昭和区の住宅街>では都合十年近くを暮らすことになった。そして、その間、学業・アルバイトという生活に色を添えてくれていたのは "釣り" であったかもしれない。 "ルアー・フィッシング" と "フナ釣り" で救われていたようだった。
 そうした趣味を誘い、支えたのが、市内に散在する "ため池" の多さだったと言えばこじつけとなるかもしれないが、まんざら無関係でもなかっただろう。
 とにかく、市内の "川や池" にはしばしば足を向けていた。中でも、東山動物園方面にあった "牧野ヶ池" には、始めたばかりの "ルアー・フィッシング" の腕慣らしで "ブラックバス" を狙ってよく通ったものだった。
 一方、「隼人(はやと)池」は、広いバス通りに面したまさに住宅街の只中にあるさほど大きくない "ため池" であり、いくら "釣り" 好きな自分と言えども、まるで公園の池のような風情のところにまでは手を出す気にはならなかったようだ。

  "選抜高校野球" の決勝戦、 "日大三か興南か" をTV観戦している。
 東京は町田に居住しているのだから、 "日大三" を応援するのが "順当" なところかもしれない。まあ、それもやぶさかではない。が、何故だか "沖縄の興南" への応援に気分が傾く自分である。特に根拠らしい根拠があるわけではない。現在5回裏、 "興南" は3:1でリードされている。
 東京は町田に "所属" (?)しているにもかかわらず、 "順当" な "所属感" が喚起されない自分は天邪鬼(あまのじゃく)なのであろうか? あるいは時代環境は、やはりそれほどに従来型の "所属" というものの "拘束性" を風化させてしまっているのだろうか......。そして、<当たり障りの無い、拘束感の無い "所属" >( 「当たり障りの無い、拘束感の無い "所属" 、それが現代ならではの流儀?」(2010.03.31) )という神出鬼没なかたちを生み落としつつあるのだろうか......。

 ナイーブな言い方をして、 "幸せ" というものは、もちろんモノの所有の "量的大小" に直結するものでもないし、さりとて "情報量" や "思考量" に相関するものでもなかろう。
 TVコマーシャルのごとく、幸せってなんだっけ、なんだっけ、と問えば余計に "混乱" させられるのかもしれない。
 そう、われわれは、 "幸せ" ばかりではないのだが、大事なことについてはことごとく "混乱" し、撹乱させられる、そんな環境のただ中に置かれているようだ。
 思うに(ナイーブに思うに)、 "幸せ" とは、何をおいてもそれを感じる自身の "感度" 、 "自家装置" の "感度" を外しては考えられない心の現象なのであろう。
 そして、その "感度" は "自生的" なものであることが最上なのかもしれないと思ったりする。余りにも、現代のわれわれは、 "自生的" な "感度" をあれこれと弄り回し過ぎ、あるいは手の込んだ加工に及び過ぎるのかもしれない。
 その最右翼にあるのは、こともあろうに "自生的" な "感度" を、 "ケミカルな薬物" の反応を借りて手懐ける(覚せい剤、麻薬などと言った薬物依存)と言った乱暴であろう。
 それは論外としても、 "幸せ" への "自生的" な "感度" を軽蔑し、馬鹿にして、結局は右往左往することに明け暮れているのが哀しい現状なのかもしれない。
 こうした視点を、まさに "ナイーブ過ぎる! 現代人はもっと複雑な現実を抱えているのだ!" とおっしゃる向きには、だったら金輪際 "幸せ" なんぞという言葉とは無縁でいらっしゃい、と言うべきか。

 名古屋に住んでいた頃の話だ。今でも健在なのかどうかは知らないが、 "明治村" という観光名所に行ったことがあった。そこは、明治時代の歴史的建造物が展覧してあり、それらによって、 "村" というよりもちょっとした "街角" が形成されていた。
 訪れたその日は、あいにくと小雨が降る肌寒い天候だったかと思う。そうした天候も手伝ってか、その "街角" の雰囲気は当初から "見覚え感" を誘う、何だかとても懐かしい気配を漂わせていたかに覚えている。

 ところで、昔、 "仁丹" の "看板" があったかと思う。覚えている人も少なくなったかと思うが、ポスター大の大きさの鉄板に、 "仁丹" の登録商標である制服姿の "軍人" が図案化された絵(ビスマルク像?)と、特殊な字体での "仁丹" という文字が描かれているというシンプルながら印象的なものである。
 どういうものか、自分は、この "看板" の存在に "明治" という時代を感じる、そんな "条件反射" が刷り込まれている。

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