2010年10月 アーカイブ

 "PDF ファイルや電子書籍" に "フォント埋め込み" をするための最も "イージーな方法" は、"仮想プリンタ方法" であることは良く知られている。

<アプリケーション(ここでは "ブラウザ" になる)の「メニューバー」から、「ファイル」⇒「印刷」へと進み、"仮想プリンタ" としての "Adobe Acrobat" なり "PrimoPDF" なりを選択して、"PDF 作成" を実行させる方法、つまり "仮想プリンタ方法" >(<"Webページ"の"ePub"化(再)/"フォント埋め込み"ならば、"仮想プリンタ方法"か?! (当日誌 2010.10.15)>

 この方法を利用するならば、 "ブラウザ" を通した "Web ページ(Web スクリプト)" でも、"Text エディタ" を通した "Text 文書" でも、とにかく印刷可能なあらゆるアプリケーションから "PDF ファイルや電子書籍" を作ることができるばかりか、そこに "Text" が盛り込んでいたならば、"フォント埋め込み" がほぼ同時に達成できるのだから便利である。自分で作成した文章、盛り込んだ "Text" ならば間違いなくその "フォント" は "埋め込まれる" ことになる。
 しかし、やっかいなのは、"自炊 PDF"、つまりスキャニングを通して作成した "PDF" の場合である。
 スキャニングした活字、画像文字の "PDF" を読むだけならば、そもそも "画像" を見るのだから "フォント" 自体が問題になりようがない。
 ところが、その "画像" に、"OCR" を通じて、"PDF" ならではの "透明テキスト" を加えた場合、それはそれで "検索" や "読み上げ" が可能となる "透明テキスト付きPDF" としての付加価値が増すのは良いのだが、 "フォント埋め込み" のかたちにはなっていないのである。この点は、ちなみに "Adobe Acrobat" では、<"フォント埋め込み" の指標、すなわち、「メニューバー」から「ファイル」⇒「文書のプロパティ」⇒「フォント」タブのフォント一覧で "......(埋め込みサブセット)" という表示が出てこない>(同上)ことでわかるわけだ。




















 どうということもないと言えばどうということもない話だ。今さら言うのもおかしいが "PDF ファイル" は、やはり "Portable Document Format (ポータブル・ドキュメント・フォーマット)" なんだなぁ......ということ。"PDF" の良さは、何も "ポータブル性" だけではなかろう。多機能性であるとか、セキュリティ性、また使い易さなど、多くの好ましい特徴を持っている。
 正直言って、実感的には "ePub ファイル" よりもこの "PDF ファイル" の方に軍配をあげたいくらいである。もし、難点があるとすれば、一歩踏み込んだ時に理解に苦しむほどに "仕様" の複雑さがあるという点になるのだろうか......。 "透明テキスト" やら、"フォントの埋め込み" といった技術要素は、いつまでたってもわかったようでわからない不透明さが付きまとう......。その点、 "ePub ファイル" の方は、 "圧縮ファイル方式" という鎧(よろい)を脱がせれば、わかり易い。全体が "Web ページ" の延長線上にあり、理解が助けられるからだろう。

 それにしても、"PDF ファイル" の "ポータブル性"、それを成り立たせている<微細sizeの文字を正確に再現する"PDF"、"outline font"、"PostScript"の三位一体(当日誌 2010.10.02)>の技には、いつでも子供のように感心(?)させられる。
 以前にも、以下のように書いている。

 "PDF 電子書籍(eBook)" における<正確な"読み上げ">にこだわるあまり、スキャナー付属の "OCR" 機能では満足できず、"OCR 専用ソフト" である<"読んde!!ココ">を利用している。
 その結果、ほぼ "全文" のテキストをカバーすることができ、"読み上げ" 音声を "mp3" ファイルに仕上げ、"朗読風メディア" にして活用している。( c.f. <"読み上げ"を可能にした"PDF 電子書籍"の音声を、"mp3"に変換の上"iPod touch"へ(当日誌 22010.10.07)>
 正直言って手間の掛かる作業ではあるのだが、仕上がったメディアの小さくない利用価値を改めて実感させられる。聴いているだけで思考が促進させられるので、ウォーキングの際などには有意義な時間を過ごせるというわけである。

 ところで、前から関心を持っていたのだが、"PDF" のあの "透明テキスト(付 PDF)" というものの技術面での構造はどうなっているのだろうか......。未だ、ビジュアルな解説に出会ったことがないので、疑問が残り続けていた。そこで、ちょいと "面白半分" の小手先遊びをしてみた。
 ちなみに、"Adobe Acrobat" においては、 "透明テキスト(付 PDF)" 部分を "TouchUp テキストツール" (メニューバーの「ツール」⇒「高度な編集」)で "なぞる" ことや "消去" ができる。あるいは、"加筆" することも場合によっては可能なのである。
 しかし、なんせ "画像テキスト一字一字" の上に被(かぶ)せられている "透明な状態" な文字にアプローチするのは結構厄介なこととなる。
 そこで、何か "良い手(?)" はなかろうかと "裏口(?)" に回って "変則技(?)" に及んだのである......。

 "電子書籍(eBook)" というものは、それだけで "きっと良いもの" に違いないはず、という先入観や思い込みは取り除いた方が良さそうだ。ホントに "良いもの" に仕上げるためには、"副次的な段取り" こそが必要となろう、ということなのである。気取って言うならば、"ユースウェア" への配慮となろうか。
 "膨大なページ" の "紙の書籍" をデジタル化して "電子書籍(eBook)" にすれば、確実に "ポータブル" にはなる。この点は、間違いのない事実であるが、片や、変換されたその "膨大なページ" の "電子書籍(eBook)" の "ページ数" が変わるわけではなかろう。つまり、それをいざ読む際には、"膨大なページ" だからこそをデジタル化したはずのその "電子書籍(eBook)" の "膨大なページ" を "捲(めく)る" 動作までが軽減されることにはなっていないのである。当然のことながら......。
 この点を口にする人はあまり多くなさそうだが、皮肉っぽい言い方をすれば、ことによったら、本気で "電子書籍(eBook)" を使い倒してはいないのではないかとさえ言いたくなる。あるいは、新しく登場した "電子書籍(eBook)" の "こけおどし" の前で、これはこんなもの......、という妙な "諦め" に陥ってでもいるのだろうか......。
 せっかくの "快適操作" が売りの "電子書籍(eBook)" ならば、 "もっと快適に!" と構えてみなくてはいけない......。

 先日、"電子書籍(eBook)" に関して、かなり "ナイーブ(素朴)な叙述" をしました。つまり、<"新しい革袋"である電子書籍(eBook)を充たすのは"メッセージ性"(≠コンテンツ)! >である、と。
 この主旨は、これまでの "紙の書籍" を司ってきた "出版業界"、"マス・マーケティング" が経営の視点で打ち出していた "コンテンツ" という "粗雑" な発想を、"電子書籍(eBook)" という現今のニュー・メディアがまたぞろ踏襲するのであったならば、決してさしたる "ニュー" 局面は現れてこないのではないか、ということであった。
 "電子書籍(eBook)" は、この製品スタイルの斬新な技術的・インフラ的な構成面だけに漫然と自足しているのならば、これまでのニュー・メディアが何度となく辿った「新しい革袋に古い酒を入れる」という安直さに流れることとなり、その結果、ほぼ確実に "陳腐化" の坂を転がり落ちて行くに違いない......。いや、ことによったら既にその "下降傾斜" に差し掛かっているのかもしれない......。
 とすれば、その "古い酒"(="コンテンツ")に、"何" が取って替わるべきか? もちろん今時、"べき" 論ほど虚しいものはないのだが、前回は、"メッセージ性" のある "酒" が "新しい酒" となるべきだ、と書いた。
 少なくとも、 "コンテンツ"="出版業界" というアンシャン・レジーム(旧秩序)が変わらなければ "書籍" の未来に明るい展望が見えない以上、"コンテンツ" 視点でお茶を濁し続けることだけは "The End" にしたいものと思われた。そして先ずは、その対極にあるかに見える "メッセージ性" の視点が打ち出されて良い、と。
 だがしかし、"メッセージ性" のある "酒" というのも、これはこれで "ナイーブ(素朴)" に過ぎる視点なのかもしれない、という反省も生じたのだ。

 長らく "こだわる" 向きのあった "縦書き" 仕様の "ePub 電子書籍" 制作アプローチであった。
 現時点では "棚上げ" にしておくのが賢明であろうと判断しているが、現状の再確認だけはしておくべきかと思い、この間の結果の "サンプル" を公開することにした。
 下の "画像" はすべて、ブラウザ "Firefox" の "アドオン" である "EPUBReader" で表示させた自前 "ePub 電子書籍" の部分的サンプルであり、別に "iPod touch" に転送して確認した表示とまったく同様である。

 ところで、"電子書籍" 制作へのアプローチには、大きく分けて "グラフィカルな構造" のフォーマット方式と "スクリプト構造" のフォーマット方式があるとされる。
 詳細はおくとして、前者は、ページ・レイアウトが固定しているため、どのようなプラットフォームに持ち込まれても、"ページ・レイアウト崩れ" は発生しない。しかし、フォント・サイズだけの変更は不可となる。サイズ変更は、ページ丸ごとで実行されることになるからだ。まずは "PDF" が代表格だと言えよう。
 後者は、"HTML" の "Web ページ" が代表格である。仮に、テキストのフォント・サイズの変更があったとしても、ページとしての "括り" が無いために、行数の自動的な加減によって柔軟に対処される。だが、初期のページ・レイアウトは "有って無い" ものとされるわけだ。
 ここなのだが、もし、"横書き" の "Web ページ" であったならば、順次、"字送り"、"行送り" がなれるため、外見上の "不具合" は生じないで済む。
 ところが、これが "縦書き" 仕様となると、"縦書き" では "行の折り返し字数" 設定が不可避なので "ページ・レイアウト" という視点を持たざるを得ない。にもかかわらず、ここでフォント・サイズの変更がなされると、文字数や行数の増減に直結してしまうこととなり、これらが何とも "見苦しい" としか言いようのない "ページ・レイアウト崩れ" をもたらしてしまうのである。

 「新しい酒を古い革袋に入れる」(新約聖書マタイ伝)とは、新しい内容を古い形式で扱うということの意で、これでは内容も形式もともに生きない! と暗喩している言葉のようだ。
 だとすれば、この "逆" もまた "真" だと言うべきなのだろうか。つまり、「新しい革袋に古い酒を入れる」ことも、ミスマッチであり、"新しい革袋" と古い酒の両方を台無しにしてしまう......。
 今現在衆目を集めている "電子書籍(eBook)" を、まさしく "新しい革袋" として見なしてみると、もしそこに "古い酒" を流し込む粗雑さを続けるならば、 "新しい革袋" としての "電子書籍(eBook)" は、その可能性を閉じてしまうのであろうか......。

 "電子書籍(eBook)" というメディアは、もちろん多面的な可能性を持っている。しかし、そうした多面性に幻惑されずに、その "正体" 、その "本質" (コアな部分)を掴んでおきたい、とこれまでにも書いてきた。それが、一時的なブームに終わらせないための秘訣だとも思えるからである。
 では、その "正体"、その "本質" とは何であるのかと言うと、言い当てるのにやや戸惑うわけだが、どうも、一般的な "コンテンツ" のキャリア(運び手)なのではなくて、いわば "メッセージ" のキャリアなのではないか、との意を強めている。
 この解釈に促されたのは、次のブログからであった。長くなるが、意が損なわれないように引用しておきたい。

 "電子書籍(eBook)" の "ハイパーリンク" 性だの、"インタラクティブ" だのと昨日は書き出してやや唐突な感じがあったかもれない。これに関して若干の補足をしておくべきかと思った。
 直接的な動機は、"縦書き ePub変換法" を模索している際に、"インタラクティブ" 性で欠かすことのできない機能だと思われる "全文検索" 機能、それが成立しない "ePub変換" に遭遇したことにある。この点は、先日以下のように書いた。繰り返しとなるが再確認しておきたい。

 <OpenOfficeのWriter文書をEPUB文書へ変換する拡張機能「writer2epub」>を、自分なりに試してみてのことであった。

 秋の夜、独り静かに読書に勤しむ......。灯下に、インクの匂いを漂わせる "紙書籍" の頁(ページ)が白く照り映える......、という日常の喧騒から "隔絶した" 風情もまた悪くはない。元来、"読書" とはそうした "個人的営為" であるのかもしれない。
 ただ、ページの文脈に蠢く "知識・情報" や "観念・想念" というものは、決して "孤立" して納まっているのではなく、"連想" の動きのように、あるいは "脳細胞ニューロン" の働きのように、絶えず関係付けやリンケージへの触手を延ばしていそうである。
 つまり、"書籍" (=読書)というものは、どのページを取り上げても、どの言葉を取り上げても、要するにどの部分を取り上げてみても、決して閉じたかたちで "孤立" してはいないわけだ。網の目のような "相互関係" (リンケージ)で充ち充ちている。
 この辺の事情が、"ハイパーリンク、ハイパーテキスト" (※ 1.)という視点の大元になっているのであろう。

(※ 1.) <文書内に埋め込まれた、他の文書や画像などの位置情報。ハイパーリンクを用いて複数の文書、および関連する画像などのオブジェクトを関連付けたシステムをハイパーテキストという。WWWはハイパーテキストの代表例で、Webブラウザで文書を表示し、リンクのある場所を,マウスでクリックすると、関連づけられたリンク先にジャンプするようになっている。><IT用語辞典 e-Words ハイパーリンク 【hyperlink】(リンク)より>

 "縦書き・縦表示の ePub変換" への道は平坦ではない、と思いつつも、数ページの素材で何とか見るに堪える "形" を仕上げることができた。 "iPod touch" への転送で表示確認済みである。もちろん、"フォント・サイズ可変" と "全文検索可" という条件も充たしたものである。
 その方法は、この間レポートしてきたように、 "CSS" を駆使した "縦書きWebページ" からの、"Sigil" を使った "ePub 変換" である。
 ついでに書いておくと、やはり "Sigil" の "有能さ" は使えば使うほどに了解されてくるようだ。
 "Sigil" が、ユーザーを支援るかたちで自動的に "CSS" 部分を "書き添える" こともしばしば行うのは知っていたが、"縦書き" 表示で生じるとある "不具合" に対しても、自動的に察知したらしくて、"CSS" スクリプトを付け足してくれたのである。実はこの "不具合" については、どうしたものか?! と思案に暮れていたのだったが、何と、「こうしてみたらどうですか」と言わぬばかりに "style" 指定ラインに "書き添え" がしてあり、その "不具合" が解消されていたのである。大したものてある。"ePub 変換" を手掛ける者にとって、"Sigil" はやはり "頼りになる友" だと再認識させられたものだ......。

 もはや "意固地" にも似た心境となって "縦書き・縦表示の ePub変換" への道を探っている。が、どうやら自分が目指すところの<"縦書き・縦表示" で、しかも "フォント・サイズ可変" や "全文検索可" という条件付きの "ePub 変換" >実現のためには、差し当たって次のような方法が妥当だと確信し始めた。
 とりあえず、"プロトタイプ" 的なかたちでトライしてみたところ、細かい問題点は残っているものの、手順の "アウトライン" だけはかなり明瞭となってきた。
  "ePub 変換" 部分自体については、やはり "Sigil" を活用する。"Text" ファイルだけではなく "Web ページ(=XHTML,HTML)" をも、良い "操作性" で "ePub 変換" する "Sigil" を使わない手はなかろう。
 しかし、"Sigil" に "縦書き" 仕様まで要求することはできない。そこで、問題となるのは、"Sigil" にインプットする "縦書き" 仕様の "Web ページ(=XHTML,HTML)" を、どのように事前に用意しておくかということになるわけだ。

 "縦書き・縦表示" を目指す "ePub 変換" に関しての試行錯誤を続けている。
 最初に断っておくと、自分が "ePub 変換" にこだわる理由があるとすれば、簡単に言えば、"PDF 電子書籍" では不可能な "フォント・サイズ" の "可変性" なのである。
 確かに、"PDF 電子書籍" では、"ピンチアウト" 機能による表示画面の拡大がこれを代替している。しかし、ページ数が多いコンテンツの "読書" となると、頻繁に "ピンチアウト" を重ねるのは煩わしいに決まっていよう。
 一旦、読み易い "文字サイズ" の大きさがわかったら、それが持続しなければ煩わしさは解消されない。となると、読み手側での "フォント・サイズ" 設定が可能な "可変性" がなくてはならないはずである。差し当たって、この点が "ePub 電子書籍" を目指したい小さくないポイントだと言える。もちろん、"PDF 電子書籍" でも可能な "全文検索" も果たせなくてはならないのは当然である。

 どういうわけか "セレンディピティ(serendipity)" という言葉やその発想が好きである。過去に何度もこれについては書いてもきた。
( c.f.< "サプライズ"、"セレンディピティ" を喪失する時代?(当日誌 2008.08.19)>
 ちなみに、<セレンディピティ(英: serendipity)とは、何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」のことを指す。(平たく云えば、ふとした偶然をきっかけに、幸運を掴む事。)>(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)とある。
 だが、自分の解釈では、脳というものは、実は "意識下" でも "メタ思考(?)" を続けているのであって、その結果、"思いがけず妥当性のあるアクション" を誘発することもあり、それが囚われていた考え事を一気に "氷解" させることがある......、というものではないか、と。 過去に何度も実感したことがあるため、そんな解釈をするようになったわけだ。

 これまでに、"縦書き" 仕様の "PDF 電子書籍" 作りについては何度か書いてきた。ちなみに以下が参照可能である。

<"Word"を使った"Text文書のPDF変換"/メリットは①縦書き可②ページ単位編集可!(当日誌 2010.09.27)>
<"縦書き指定"の"Word"×"印刷"操作からの"PDF変換"法⇒"縦書き"の"PDF電子書籍"(当日誌 2010.09.28)>
<自前の小説を"縦書き"仕様の"PDF電子書籍"に仕立て上げるとこんな風になります!(当日誌 2010.09.29)>
<"秀丸エディタ(Ver8)×秀丸パブリッシャー"では、"縦書き"の編集・印刷も可能!(当日誌 2010.10.03)>

 要するに、いわゆる "仮想プリンタ方法" を使うワケで、その "前段" の作業として、 "縦書き" 仕様が可能な "テキスト・エディタ" ( "Word" や"秀丸エディタ(Ver8)×秀丸パブリッシャー"など)で "Text 文面" を作成し、"印刷" へと進み "縦書き" 仕様の "PDF 電子書籍" を作り上げてしまうという方法である。

 昨日は、「"Web ページ" ⇒ "PDF 電子書籍"」の作業では、<"Adobe Acrobat" を使った方法>(「メニューバー」から「ファイル」⇒「PDFの作成」⇒「Web ページ」⇒「Web ページから PDF を作成」......)が、 "最良" だと書いた。
 <一連の "書式体裁" という点>からすれば、いろいろと調整が可能であるところからそう判断したわけだ。
 が、ひとつ思わぬ "落とし穴" (?)に気づくことになったので、その点について補足しておきたいと思う。
 この方法で仕上げた "PDF 電子書籍" は、"全文検索" も "読み上げ" も可能であるためついウッカリと見過ごしていたのである。それは、気にする人は大いに気にする課題である "フォント埋め込み" の成否なのである。
 冒頭の<"Adobe Acrobat" を使った方法>では、自分の実行方法に問題があるのかどうか、何度トライしてみても、"フォント埋め込み" の指標、すなわち、「メニューバー」から「ファイル」⇒「文書のプロパティ」⇒「フォント」タブのフォント一覧で "......(埋め込みサブセット)" という表示が出てこないのである。
 これが "無い" ということは、"フォント埋め込み" はなされておらず、PC側に備わった "システムのフォント" によって賄われている、ということなのだ。

 昨日は、"Sigil" を活用させてもらいながら、「"Web ページ" ⇒ "ePub 電子書籍"」という、 "電子書籍(eBook)" 作りでは結構ありがちなケースについて試行錯誤してみた。その経緯については昨日の当日誌を参照していただくとして、最も配慮せざるを得なかった点を振り返ると、やはり、 "ブック・リーダー" である<"iPad" , "iPod touch" という異なった "画面サイズ" ( "1024 * 768" と "480 * 320" )のリーダー向けに、調整しつつ>トライ&エラーを重ねる......、という点であったかと。
 もともと、Web ページの作成にしたところが、ブラウザの違いで生じる表示不具合をどう克服するかが思案のしどころであったわけで、ここでも、Web ページ作成と "電子書籍(eBook)" 作りとの共通点を意識せざるを得ない。
 こうした "画面サイズ" 問題では、結局、"XHTML(HTML)" や "CSS" の "数字" をいじるということになるワケで、慣れてくれば大したこともないが、そうでないとイライラが嵩じること不可避の作業であろう。この点で、"Sigil" の "エディティング支援" 機能が有難かったのである。

 ところで、「"Web ページ" ⇒ "ePub 電子書籍"」の作業の "勘所" を掴んだ気になったからと言おうか、すでに "克服" したつもりでいる「"Web ページ" ⇒ "PDF 電子書籍"」の作業手順を "おさらい" してみる気分となった。

 "Donationウェアー"(※ 注1.)の "Sigil" というソフトは、まさに "セルフ・パブリッシャー" の "良き友人・まじ友" のような気がする。ベタベタするわけではなく、こちらが助けを求める時にだけ、「こんなのがあるけど、良かったらコレ使ってみて......」と言葉少なげに手を貸してくれるような "時代遅れ" の男のような存在か......。

(※ 注1.) 有料市販ソフトではなく、さりとてフリーウェア、シェアウェアとも区別されていて、"気に入った人は好きな金額を<Donation(寄付)> してね" といったスタイルのソフト。カッコいいですねぇ......。

 何をワケのわからないことを......、と言われそうか。
 今日は、朝から晩まで一日中、"Sigil" と向かい合っていた。そして、ジワーッと感じたのが、「こいつ、"男惚れ(?)" するほどいい奴だなぁ......」といった印象。
 "Sigil" の性別は不詳だが、どこか "男っぽい" 雰囲気の、そんな "実(じつ)" が備わっているように感じたので、勝手なことを言っている。
 どこが気に入ってこんなことを言うのか。
 "Sigil" は、これもまた "ePub" 変換ソフトである "華やかな calibre" とは対照的な感触を受ける。"Sigil" には、そうした "華やかさ" がなくて、専ら "地味" である。
 "calibre" が "ePub"「変換ソフト」と呼ばれるのならば、"Sigil" はどちらかと言えば、"ePub"「エディタ」だと呼ばれてよいソフトなのかもしれない。そこそこ Web ページなどの作成にまつわる辛酸(しんさん)を舐めた者向きとさえ言えるのかも......。
 だから "地味" であって当然であるし、その分、 "ePub" 変換のいわば "縁の下" に相当する、ジメジメとした "XHTML" スクリプトや "css" (カスケーディング・スタイル・シート)の部分をしっかりと視野に入れている趣きがある。

 ちょっと腰を据えて "ePub 形式" での "電子書籍(eBook)" 作りにも馴染まなければと思い始めた。その動機の一つは、いわゆる<アクセシビリティ>(※ 注.1)の点で、やはり "ePub 形式" は尊重されて然るべきなんだろうなぁ、と気づき始めたからかもしれない。

(※ 注.1)「Web アクセシビリティとは、直接的な言い方をすれば『見えない、聞こえない、からだの一部が動かせないなど、心身の機能になんらかの能力的障害があっても Web を利用できること』となります。この『 Web を利用できる』ということには、まず情報自体を得ることができ、得た情報の内容が正しく理解でき、必要な操作を行うためのユーザーインターフェイスも利用可能である、という3つの意味が含まれます」( 大藤 幹『Standard Web Design Course 標準 Web デザイン講座』/翔泳社/2006.09.20 )

 先日、<"電子書籍(eBook)"への関心は、"自炊"から"セルフ・パブリッシング"へと向かうか? (当日誌 2010.10.09)> という、やや奇妙な視点からの感想を書いた。
 要は、"電子書籍(eBook)" という時代現象は、"自炊作業" に象徴される面と、"セルフ・パブリッシング" に象徴される面との二面を持つということなのである。しかも、それらは表裏一体で不可分な関係であるに違いない。
 どういうことかと言うと、"電子書籍(eBook)" が否応なく注目される時代環境は、一方でこれらを購入して読んだり、あるいは読むためのプラットフォームとしてのリーダーを入手したりすることが、いとも簡単に進められる環境として整備されてきたということであろう。
 さらに、こうした動向と並んで、"電子書籍(eBook)" もどきを "自前・自作" するための、高性能なスキャナーをはじめとしたハード・ソフトなどのIT製品が一般の個々人からも手が届く棚にラインアップされる、そんな時代環境でもあるということだ。また、関連技術的情報にしても、その気になればネットを通じても苦労なく入手できる環境でもあるわけだ。
 つまり、こうした技術的リソースの "平準化・一般化" という "技術的環境" があったればこそ、"自前・自作" の "電子書籍(eBook)" もどきを、自身のために仕立て上げる "自炊作業" 派が跋扈(ばっこ)できるようにもなったのであろう。
 "自炊作業" 派たち(自分も含め)というのは、こうした "技術的環境" の恩恵を "個人的範囲" で貪欲に享受している姿だと言えそうだ。

 "セルフ・パブリッシング" という "本命" ステージにさっさと突き進めばいいものを、相変わらず "紙" 書籍を "裁断機" でバラし、"Scan Snap 1500" をフル稼動させるといった "自炊作業" にも余念がない。
 そればかりではなく、そうしてバラした "紙" 書籍の残骸を、再度 "綴じる!" といった極め付けのバカまでやっている始末である。
 と言うのも、昨今では購入したばかりの新刊本を、より効果的に "精読(?)" せんがためとばかりに、思い切って "解体作業"("自炊作業") を敢行しているのである。
 で、古い "蔵書" 類の残骸に関しては無造作に処分してしまうのであるが、読みかけの新刊本に対しては何となく "未練" が残ってしまう始末なのだ......。

 "電子書籍(eBook)" の "正体" とは、"セルフ・パブリッシング" の可能性が盛られた新しい "表現装置" なのだと言ってみたい。
 これまで "書籍" とは、一般の個々人にとっては、読者としての立場以外、つまり "出版" という面では "蚊帳の外" だったはずである。いや、そうでしかなかったわけだ。
  "紙" が媒体となっていたことは、単にそれにとどまらなかったわけで、"出版" という事象そのものが "紙書籍" にまつわる "大掛かりな装置" (=業務用印刷装置をはじめとした製本・流通販売などの一連の装置)と分けては考えられなかった、ということでもあった。その結果、一般の個々人にとって "出版" とは "大それた事"、"他人事" 以外ではなかったのだ。
 ところが、 "紙" の活字が "電子"、"デジタル" に置き換えられる技術的インフラが一般化するに至り、事情が大きく変わり始めたわけだ。まるで、厚い壁に風穴が開けられたかのように、"出版" という事象が、にわかに一般の個々人にとっても "自分事" へと変貌するキッカケとなったということである。
 この辺の推移の "先駆け" 現象としては、言うまでもなく "Web" における "ホームページ" 公開の一般化に見ることができるはずだ。
 ある意味では、"Web" の "ホームページ" と "電子書籍(eBook)" とは "双子の兄弟" のような関係ではなかろうか。両者の差異点を見出そうとすることの方が難しい位だ。

 この間の自分の日誌を振り返ると、"電子書籍(eBook)" というテーマをめぐっていろいろと書いている。そして、その書き振りからすればやや "テクニカル面" に比重を置いているかのような感触である。
 別に、それが悪いとは思わないし、そんなことにこだわることなく、書きたい衝動に駆られたことを書けばいいはずに違いなかろう。

 ただ、ひとつ留意しておきたい点は、事、"電子書籍(eBook)" というテーマには、多面的な要素が絡んでいるということなのである。
 もちろん、大小の "技術的課題"、"テクニカル面" の要素が多々含まれているし、また "ビジネス的" な要素も、大は アップル vs. アマゾン vs. グーグル などなどが "プラットフォーム戦争" でしのぎを削るビジネス戦略的問題から、巷のニュービジネスに至るまで多彩なかたちで遍在している。こうした側面を鳥瞰するだけでも、このジャンルに足を踏み入れてみる価値はありそうな感じであろう。
 が、今ひとつこだわってみたい点は、"電子書籍(eBook)" というジャンルには、"小説"などが典型的であるように、時代の人間たちの "マインド" の問題が深く関係していると思われる点なのである。このあたりの問題を、言ってみれば "電子書籍(eBook)" というテーマの "本質面" だと捉えてみたい気がするのだ。

 そろそろ、"PDF 電子書籍(eBook)" に向けていた関心を、"ePub フォーマット" を含む "電子書籍(eBook)" 全般へとシフトさせて行こうかと思ったりしている。
 振り返れば、このニ、三ヶ月、かなりの頻度で "電子書籍(eBook)" 関連の情報を中心に、その周辺情報を追っかけて来た。
 そもそものキッカケは、"電子書籍(eBook)" の "リーダー" である "iPhone、iPad、および iPod touch" 、および "Kindle(キンドル)" などの "携帯端末" の突然の大ブレイクだったかもしれない。
 そして、常々、IT分野の進展動向の理解に関しては、 "実体験" が何よりも重要かつ効果的だと考えてきた自分だったから、手頃な "教材" としての "iPod touch" を入手した上で、"実感" を伴った環境理解へと突っ込んで来たようだ。

 ところで、高性能な "携帯端末" が触発する分野は、何も "電子書籍(eBook)" の分野たけに限らず、ゲームなどの "アプリケーション" の分野もある。現に、自分は "いい歳をして" そんな分野にも "色目" を使ったりしないわけでもなかった。
 が、今や、ほぼ確実に "電子書籍(eBook)" の分野に関心を集中させている気配のようである。"紙" の書籍を "PDF 変換" させる "自炊" 作業も "ホビー" としては面白い。が、それ以上ではなさそうだと感じつつある。何しろ、この分野は、この間にちょっと垣間見ただけでも、知的好奇心を引き摺り回すような "情報や仕掛け" などが蠢いているのがわかったからかもしれない。
 しかも、それらは決して関与できないほどに難易度が高いものでもなく、"興味があり好きだ" という "足元" さえしっかりしているならば、どうにかアプローチできそうな感触だからである。この点が、ことさら知的好奇心ややる気を刺激する誘因となっていそうな気がしている。
 何でもそうだろうが、いかに初期的な興味があったとしても、そのジャンルに入れてもらえるハードルが高過ぎたりすると、遅かれ早かれ挫折しそうである。

 昨日は、<"読み上げ"音声のサウンド・ファイル化>について書いた。つまり、"PDF 電子書籍" に関して、"Text 文書起こし" を済ませた上で "全文検索" のみならず、ほぼパーフェクトに近くなった "読み上げ" の "音声サウンド" を "mp3" ファイルへと加工して、 "デジタルミュージックプレイヤー" でもある "iPod touch" に収めてしまうという話であった。
 もちろん、自前で作成した "Text 文書" を対象とする場合は、話は実に簡単なことになろう。昨日紹介した<東芝音声合成コントロール サンプルアプリケーション SpeakPad Ver.1.1>を活用して、その自前 "Text 文書" をその "ワークエリア" に "コピペ" すれば済むことだからである。
 だから、昨日の話が多少とも意味や "ありがた味(み)" を持つのは、あくまでも "紙" 書籍の中に "テキスト" が "画像データ" として "埋もれている" 、そんな場合に限るわけだ。まさに、 "スキャナーやOCR" で武装(?)した "自炊派" の作業の文脈での "付録" 的な話題なのであった。

 "PDF 電子書籍(eBook)" における<正確な"読み上げ">にこだわる理由はいろいろとあるわけだが、<"読み上げ"音声のサウンド・ファイル化>という点もそのひとつである。今日はこの点について書くことにする。
 以前、つぎのようなことを書いたことがあった。"iPod touch" を入手したばかりの頃の事である。

< これまでに、PCと連携できる "デジタルミュージックプレイヤー" というものを各種使ってきた。特別、ミュージックが好きだというわけでもない。
 何かと情報を耳からインプットするのがラクだという思いがあって、テキスト情報を "音声ソフト" などを利用して自前で "サウンド化" したりするのである。これらを "mp3" ファイルなどへと加工しておき、 "デジタルミュージックプレイヤー" に格納して気が向いた時に聴くというわけなのである。
 いつだったかとあるTV番組で、コピーライターの糸井 重里(いとい しげさと)氏が同じようなことを得意そうに語っていたのを目にしたことがあった。なるほどねぇ、と思ったものだった。>(<"iPod touch"の、先ずは "デジタルミュージックプレイヤー" としての快適な機能(当日誌 2010.06.22)>

 やはり、目を疲れさせずに読書をするには "Kindle[キンドル]" かもしれないとは思っている。 "Kindle" に関しては、もうすぐ "amazon.co.jp" でも購入できそうだという噂もあるので、そうなってからでも遅くはなかろうと、今は、"iPod touch" をとことん "使い倒そう" としている。
 昨夜は、就寝前、寝床に持ち込んだ "iPod touch" で、<ポケット文庫 SkyBook>という "App(アプリケーションソフト)" にハマっていた。もちろん、"青空文庫" に犇(ひしめ)く "古典作品" のコンテンツだ。

 利(き)いた風なことばかりが並べ立てて、詰まるところ "カネ儲け" 視点以外ではない昨今の新刊本! そんな後味の悪さに対しては、薄味ながら深みとコクのある"古典作品" で口直しするに限るといったところである。
 ところで、読み進めているうちに、昨今益々 "眼" にいささか自信が無くなって来た自分は、ヨシ、もうちょっと読み易く "設定し直そう!" というつもりになっていた。
 ただでさえ "iPod touch" は、タバコの "ショート・ホープ" 程度の小ディスプレイである。それで書籍の文面を読もうとするからには、"ベスト環境" こそが望まれた。

 "紙" 書籍をスキャニングして "PDF 変換" をしただけで、"PDF 電子書籍(eBook)" でござい! と言うのはやはりイージー過ぎるかと思われる。仮に、「検索可能なPDF」へと自動変換したとしてもである。
 たとえば、その水準の仕上がりで視覚障害者が "読み上げ" を聴いて、その書籍の内容が了解できるのか、という一点を考えただけでも "不完全" だとしか言いようがないと思われる。
 現在では、ウェブページの "読み上げ" も一般化しており、その要求度に応えられないウェブ作成が問題視されるほどである。
 "PDF 電子書籍(eBook)" が、時代を一歩先んじたメディアだと言うのであれば、"かなり精度の高い"、そんな "読み上げ" を可能とする条件を備えて然るべきだと思えてならない。
 また、書籍内 "検索" をする場合であっても、キーワード検索だけではなくて、やはり "全文検索" が可能であることが望まれるのではなかろうか。通り一遍の "読み" から一歩踏み込んで "深読み" してみたい、そんな読者にも応えられるためには、"全文" が検索対象になっている必要があろうかと......。
 まあ、書籍にもいろいろと種類がある(漫画などもある)から一概に決めつけることもなかろうが、自分としてはどうしても"かなり精度の高い読み上げ" や "全文検索" が可能という水準を "PDF 電子書籍(eBook)" の必要条件に加えておきたいと思っている。

 久々に、常用ノートPCの "HDDクローン・コピィ" を実行した。
 使用したソフトは、もちろん <EASEUS Partition Master 6.1.1 - Best Free Magic Partition Manager> である。
 このソフトに関しては、既に何度も実行済みでありその "安定性" は確認し続けてきたし、この "体験" に関しては過去のこの日誌でも書いてきた。( c.f. < "HDDクローン・コピィ" フリーソフトに関する "体験的情報"( 当日誌 2010.03.09 >

 ところで今回の "HDDクローン・コピィ" は、先ずは "そろそろその時期か......" という "定期的な実施" という意味合いがあるにはあった。ここ最近、新たなアプリ・インストールもかなり続いていたことだし、こんな時期に "HDDクラッシュ" でもしたらかなわないという予感に苛(さいな)まれていたものである。
 また、愛用し続けてきた<EASEUS Partition Master>が Version Up されていたことに気づいたこともある。これまで使っていたものが "Ver.5.0.1" で、最新版は "Ver.6.1.1" となっていた。概観に大きな変化はないとしても、きっと "処理過程" や "安定性" に改善が施されていると思われたものだ。

 "縦書き" 仕様の "PDF 電子書籍" 作りにおいては、"縦書き" 対応の無い通常の "Text エディタ" では不可能であり、"縦書き" 対応が可能な "MS Word" が適している、と以前に書いた。

<ところが、たとえば "秀丸" などの "Text エディタ" ( Windows の"メモ帳" も同様)には、 "縦書き" というオプションがない。......だが、比較的簡単に "縦書き" 仕様に変換できるのである。それは、昨日の方法をベースにしながら、 "MS Word" を使う方法なのである。
 "MS Word" では、オプションで "縦書き" 仕様を選択(メニューバーから「ファイル」⇒「ページ設定」で「文字方向」の「縦書き」にチェックを入れる)しさえすれば、文書はたちまち "縦書き" 仕様に変換される。>(<"Word"を使った"Text文書のPDF変換"/メリットは①縦書き可②ページ単位編集可!( 当日誌 2010.09.28 )>

 "iPhone、iPad、および iPod touch" (および "Kindle[キンドル]")などの "端末" で "PDF 電子書籍" を読もうとする動機は、言わずと知れた "ポータブル" だからという点があろう。分厚い "紙" の書籍やバインダーを持ち歩かずとも、携帯型の "端末" には "紙" 書籍何冊分もの "電子書籍(eBook)" を収めておくことができるからだ。
 しかし、"PDF 電子書籍" の見過ごしてはならない魅力のもうひとつは、比較的軽量な容量でありながら、文字をはじめとしたコンテンツが "自由に拡大" 可能でかつ "輪郭が崩れない" という点ではなかろうか。

 自分は、 "Mindjet MindManager Lite 7" という "知的作業支援" 型のアプリソフトを活用する時がある。
 <マップを利用してアイデア、目標、行動、コミュニケーションを明確に連携させて整理し、日常業務の生産性と効率を向上します。>(「Mindjet Mindjet MindManager Lite 7」
と謳われるソフトであり、使い慣れると結構 "考えの整理" に役立つものである。
 とにかく、考えやアイディアを "ブレーン・ストーミング" ふうに次々と画面に打ち込んで行く。それらを後で、ラインを引いたり、移動させたりしながら相互関連付けをして行くのである。
 次々と打ち込む考えやアイディアのブロックはどんどん増えて、まるで細胞分裂のように広がって行くことになる。
 それは良しとして、一つ懸念する点は、最終的に出来上がった "マップ" (相互関連図)を印刷したり、他人に見せようとする時なのである。
 一応、保存ファイルの形式は "PDF ファイル" となっており、この点は助かるのだが、 "紙の印刷物" にしてしまうと、 "文字サイズ" がとんでもなく "微細" なものになりかねないのである。
  "マップ" (相互関連図)方式の良さは、とにかく全体の構図や関連が一目瞭然となることに違いないが、それにしても個々の項目部分の文字が判読し難くなるのが厄介なのである。
 こんなときにこそ、一目瞭然の全体も表示できれば、個々の部分の "拡大表示" も思いのままで、しかもどんなに拡大しても "文字や画像の輪郭が崩れない" という点は有難いに違いない。これぞまさしく "PDF ファイル" のメリットだと思われる。
 そして、今や、この "PDF ファイル" は、PCだけではなく "携帯端末" でも十分に閲覧可能だから、適用範囲は広がったはずである。

 "PDF 電子書籍" の作成で "気配りしたい点" は、"表示文字サイズ" の大きさの問題をはじめとして多々あるかと思われる。
 その一つということになるが、出来上がる "PDF ファイル" の "容量サイズ" も可能な限り抑えたいものである。
 まして、"小説" などの読み物の場合にはページ数が多く、何百ページに及ぶことも少なくないはずだからだ。
  また、"iPhone、iPad、および iPod touch" (および "Kindle[キンドル]")などの "端末" で読ませようとしたならば、昨今の "端末" の処理能力はかなりの水準だとは言え、"容量サイズ" は抑えられて "軽い" ものであることに越したことはなかろう。
 自分の場合、"iPod touch" に転送して確認しているが、"PDF 電子書籍" の場合、やはりページ表示に多少の時間が掛かっているのがわかる。
 その点、"PDF リーダー" として優れている "GoodReader" ( c.f. <PDF電子文書技術活用のすすめ_④/"iPod touch"でPDFビュアアプリ"GoodReader"を (2010.07.28)>)での表示処理速度にはまったくストレスを感じない。

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