2012年2月 アーカイブ

 "ソーシャルネットワークサービス(SNS)" は "時代環境" と "人の本性" とをしっかりと照らし出す "鏡" のような役割を果たしているのかもしれない。
 "時代環境" と言えば、ネット上での "プライバシー" は日ごとに危うい状況へと追い込まれているかのようである。
 そして、そのためかこれまで "無頓着(?)" だったかもしれない "プライバシー保護" について、利用者個々人が相応に意識するようになってきたかのようだ。
 その傾向を奇しくも下記の【 引用記事 1 】:SNS ユーザーの間で「友だちから削除」が増加中/japan.internet.com/2012.02.27 が表わしている。
 調査の結果、SNS サイトでのプライバシー設定に以前よりも注意を払うようになっていることが明らかになったというのである。

 環境変化で次第に変わってくるものがあるかと思えば、片や、"変わらぬ" ものは "人の本性" であるのかもしれない。
 下記の【 引用記事 2 】:ネット上で共有する記事やコンテンツと本当に好きなものとの落差は大きい-Diggの調査結果より/TechCrunch/2012.02.25 では、"SNS" 上で照らし出された "人の本性"、その一つであるに違いない "見栄っ張り" 根性の度し難さが叙述されている。
 人びとが実際に読むものと、Facebook Timelineで共有するものとの、違いを調べる調査の結果、両者の間には見過ごせない "隔たり、落差" が認められる、というのである......。




















 東日本大震災の際、"SNS(Facebook,Twitterなど)" の活用は、人々にタイムリーな情報を与え、どんなにか人々の不安や恐怖感を癒し続けたであろうか。それについては、もはや広く知れ渡っている。( ex. 東日本大震災でSNSが私たちを支えて助けてくれたこと | DIME

 そんな中で、<特にリアルタイムの情報収集に威力を発揮し、地震発生直後の安否確認から現地の被災状況、復興支援計画に至るまで、今回の震災に関するありとあらゆる情報発信に使われているTwitter(上記サイト)に対して、実名利用で比較的プライバシーが保てることから、位置情報や個人情報が公開しやすく安否情報の確認に使えたと言われるFacebook(同上)は、"知人・友人" の "安否確認" においては的確に役立ったと評価されている。

 現在、"大震災予測" については日本各地で指摘され続けるといった "不安な日々" でもある。こうした状況下で、Facebook が「災害用伝言板」を世界に先駆け日本で開始することになった、という。( 下記引用サイト記事:Facebook、「災害用伝言板」を世界に先駆け日本で開始/INTERNET Watch/2012.02.27

 なお、この運用に向けて、いわば "予行演習(?)" が2月28日~29日に日本国内限定で機能のテストを実施というかたちで行われるとのことだ。
 こうした「災害用伝言板」は、もちろん使われないに越したことはない。が、いざという場合には慌てることもあり得る。"予行演習(?)" には参加しておこうか、と......。

 <"Facebook vs. Google+" の熾烈なバトル!>( ◆参照 ① )なんぞと "観戦気分" に浸っていたら、にわかに頭上から火の粉が舞ってきたという印象か......。
 グーグルが、個人情報を1つにまとめて管理する新たな方針を示したという報道のことだ。(【 引用記事 1 】:「 グーグル 個人情報はどのように/NHK NEWS WEB/2012.02.26 」、【 引用記事 2 】:「 グーグル 個人情報の新方針で波紋/NHK NEWS WEB/2012.02.25 」)

 この "方針" 実施によってプライバシーが侵害されるリスクが高まるのではないかという懸念が広がっているようだが、 "グーグルの狙い" はどこにあるのだろうか?
 恐らく、次の点にあることは間違いなさそうだ。

企業の広告が主な収入源となっているIT企業にとって、個人情報はいわば「宝の山」です。個人の趣向や行動を細かく把握しターゲットを絞って効率的に広告を出せれば、企業の広告を集めることができます。グーグルが今回、サービスごとに管理していた個人情報を一元的に管理する方針を示した背景には、ライバルで世界最大の交流サイトフェイスブックの台頭があります。>(【 引用記事 2 】)

 そして、フェイスブックは個人の趣向や行動などの膨大な情報が蓄積され、広告の表示媒体としての価値を急速に高めているとなれば、グーグルとしては "フェイスブックへの対抗" をより効果的に展開するためには、"個人情報の一元的集約化" が何としても必要だったのであろう。
 なお振りかえってみれば、こうした措置への流れは、かねてより始まっていたのだと推測される。"Google SNS = Google +" の立ち上げや それへのテコ入れとしての "Google+ Pages" の開始といった動きは、まさにこの流れへの "布石" であったのだと推測されて余りある。

 ◆参照 ① 米Google"企業向け SNS"機能を矢継ぎ早に増強予定!会員数でなくデータ量狙い!( 当誌 2011.11.18 )
 ◆参照 ② 米Google SNS:やはり"Google+ページ"を武器に,Facebook一角への追撃戦開始か!?( 当誌 2011.11.16 )

 "個人情報の一元的集約化" による広告の表示媒体としての価値のアップ! それに基づく "企業広告量 = 収入源" の維持と拡大! というのが "グーグルの狙い" だと理解するのが極めて自然なのかもしれない......。

 何によらず物事には "両側面" が備わっていると思われる。
 そして、往々にして、長所(可能性)と短所(課題・問題点)とが分かち難く結合し、まるで "ヤヌス(双面神)" のような状態であることが少なくない。

 ソーシャルメディアと "政治" との関係について考える場合(下記参照)、ソーシャルメディアについても、こうした "二面性" に留意すべきかと思えた。

 ◆参照 SocialMediaと政治!課題は,"にもかかわらず鈍感な日本の政治"に各論で迫る事!( 当誌 2012.02.24 )
 ◆参照 "仕掛人"が語るこれからが本番"ウォール街占拠"運動/第3政党,ロビンフッド税!( 当誌 2012.02.24 )

 ソーシャルメディアはいろいろなかたちで理解されているが、今注目してみたい点は、それらが、"ゆるやかな部分結束" によって展開しているという特徴を持っていそうな点である。
 今回、下記に引用するサイト記事: 「【日本版コラム】ソーシャルメディアの「怒れる人々」 野尻哲也のアントレプレナー・アイ/THE WALL STREET JOURNAL 日本版 | ビジネス・企業/2012.02.23 」では、3点の特徴づけがなされているが、その1点目で以下のように述べられている。

<言うまでもないことだが、ソーシャルメディアでは簡単に自分の意見を表明し、他者に賛同することができる。そのために必要な行為は、PCや携帯電話で投稿するだけ。旧来的なデモや署名活動への参加と比べたら、物理的なハードルは圧倒的に低い。またソーシャルメディアでは、部分的な論点に限って結束できるという、良い意味での都合のよさがある。お互いが直接顔を合わせる機会が少ないため、何かしらのイデオロギーや他者の人格を全面的に肯定する必要がない。他者の考えにズレを感じたら、人知れずその輪から外れることもたやすい。このようにソーシャルメディアの緩やかで部分的な結合性が、より多くの人々の感情の受け皿となる。>

 つまり、ソーシャルメディアでの "ゆるやかな部分結束" は以下の点によって "促進" されることになる。
 1.必要な行為は、投稿するだけで、物理的なハードルは圧倒的に低い
 2.部分的な論点に限って結束できるという、良い意味での都合のよさがある
 3.人知れずその輪から外れることもたやすい

 しかし、考えてみればこれらは "促進" 要因であるだけではなく、まさにそれぞれが "二面性" を秘めてもいるわけだ。
 まず "政治的" 活動の場合、"継続・持続" という条件が不可欠であるのに対して、"1" や "3" は、運動が "下火" に向かった際には逆作用をも果たすことも懸念される。
 さらに、懸念されるより重要な問題は、"2" であろう。一般的に "政治的" 活動の最終局面では "政策化" が想定されざるを得ず、その際には "オピニオンの多面性" がより上位の "アジェンダ(争点、政策)" に "収斂" されなければならないはずであろう。この "収斂局面" が必ずしも容易いことだとは思えない。
 この局面において、"ゆるやかな部分結束" の状態、運動は、"織り込み済み" とさえ言える決して小さくはない "試練" を避けるわけにはいかないのだ。この辺の事情は、ソーシャルメディアをフル活用した "ウォール街占拠" 運動が今現在遭遇している大きな課題なのでもあろうし、大統領選でソーシャルメディアを駆使したオバマ大統領が抱えている苦境だとも言えそうだ。

 ソーシャルメディアは、こうした "二面性"("ヤヌス(双面神)" )を秘めているから良くない、というのでは決してない。
 それは、いわば "ボトムアップ" 活動全般に共通する不可避の課題と言うほかなく、ただ、"ネット上の" という条件があるだけに、この "想定範囲内の伏兵(?)" を十分に意識した活動スタイルが求められると思われるのである......。

 今、各企業によるソーシャルメディアの活用はますます高まっている。そして、どう展開すれば効果的なのか、奏功するのかと、各企業が鎬(しのぎ)を削っていそうだ。
 そんな中で、"ソーシャルメディア活用ランキング" というものが発表された。
 下記に引用したサイト記事(【 引用サイト記事 1 】:「 ソーシャルメディア活用ランキング、1位ユニクロ--20万人を店舗に 目黒譲二/CNET Japan/2012.02.23 」)がそれである。

 第一位は "ユニクロ" であったという。で、"どうしてそうなのか?" が当然、関心の焦点となるはずだ。
 当記事中には、<既存のブランド力に加え、Facebookとの連動企画で、店頭で位置情報登録すると、その場で最大2000円の割引クーポンが当たるキャンペーンを実施。20万人超を店舗に誘導し、売り上げにつなげた。>とある。
 そこで、この調査が実施された<2011年12月28日~2012年1月17日>の直前に実施されていた "キャンペーン" について下記引用サイト記事(【 引用サイト記事 2 】:「 ユニクロ、Facebook チェックインで2,000円クーポンなどがもれなく当たる「UNIQLO CHECK-IN CHANCE」を開催/japan.internet.com/2011.11.17 」)を振り返ってみた。
 確かに、この "キャンペーン" はまさに創業62周年に向けた "総力戦" の観を窺わせる。
 企業による "ソーシャルメディア活用" の "お手本" さながらだと言うほかなさそうだ......。

 ソーシャルメディアの普及が、"政治" 状況に影響を及ぼしていること、あるいはその可能性などに関する "総論!" についてはほぼ周知のはずではないか。今問題なのは、"希望的観測(?)" から "リアルな各論!" へと突き進むことだと思われる。

 今回、後半で引用している記事:「 ソーシャルメディアで政治を変えることができるか 【Social Media Week 鈴木寛 x 津田大介】 #smwtok/WIRED JAPANESE EDITON | CULTURE/2012.02.21 」は、"総論!" 的内容としては概ね了解できる。そして "総論!" に留まったのが、"イベント向け対談" という文脈のためだったのであろう点も了解する。
 しかし、それにしても、もう少し "辛口(リアル)!" であって欲しいという思いが禁じえなかった。もはや "待ったなし" 水準にある "政治" 状況と対峙するには、今少し "ポリティカル(戦術)?!" な視点をも交えた "各論的" な議論でなければならなかったのではないか、と思うからだ。
 "ソーシャルメディア戦略" とでも言うべきスキームがなければ、"政治的ソーシャルメディア" というものは "小田原評定" や "床屋政談" と区別がつかなくなりかねない......。
 ソーシャルメディアとしての "対マスメディア対策"、"新しい公共性創造" のための具体的手順、ソーシャルメディア成熟の阻害要因対応、"ソーシャル・キャピタル" との連携、ソーシャルメディア・リーダー育成対応、"アジェンダ形成過程" などなどといった具体的ジャンルでの課題に踏み込んで、"政治" 状況とソーシャルメディアとのリアルな関係について議論して欲しかった。今求められているのは、もはや "総論" 水準ではないと思われる......。

 "政治" 状況においても、ソーシャルメディアが果たす役割の重要性や可能性が大であることはもはや周知の事実であろう。しかし、現状では "にもかかわらず!" という実態水準であり、そのことが問題なのであろう。
 以下の "別記事" では、この "にもかかわらず!" の地点からこそスタートすべきだと述べているかに思われた。

 <ソーシャルメディアの普及とグローバル化によって、社会的なパワーバランスは明らかに変化しました。グローバルなレベルでの双方向のコミュニケーションが当たり前となり、一般大衆でも容易に世界の常識を知り、意見発信や合意形成を行えるようになったことで、一部の"権威"やその取り巻き (既得権益層)と普通の一般大衆とが対等の立場に立てるようになったのです。一般大衆の方が、数が圧倒的に多いことを考えると、社会のパワーの源泉は一部 の"権威"から一般大衆の側にシフトしたと言っても過言ではないのかもしれません。>ソーシャルメディア普及に伴う 民主主義の変質に鈍感な日本の政治/岸博幸のクリエイティブ国富論|ダイヤモンド・オンライン/2012.01.13

 この筆者は、このように、政治ジャンルでのソーシャルメディアの役割の重要さを踏まえた上で、"にもかかわらず!" 以下のような現状にあることこそが問題なのだと注意を喚起しているのであろう。

 <社会保障・税一体改革は、いかにもオールドファッションなやり方で策定されています。御用学者が多数を占める審議会や 税調で検討するとして実際には官僚が中身を作り、それを民主党の中で国会議員だけで検討して最終版としました。......社会保障や財政の本当の状況について素人でも分かるような形で情報は提供されていません。......国民的な議論を喚起して広く意見を求めることもしていません。>(同上)
 <いったい日本の政治と行政は、いつまで20世紀的な価値観の下で政策を決定しようとするのでしょうか。そして、消費税増税に賛成するマスメディアは、いつまでそうしたオールドファッションな民主主義の御先棒を担ぐのでしょうか。>(同上)

 ソーシャルメディアと "政治" 状況との関係というテーマは、一般論と現状の政治実態とのこの "落差!" を凝視することから議論されるべきなのだと聞こえてくる。ソーシャルメディアは、"官僚主導型政治" にどう迫れるのか......、それをしっかりと見据えた取り組みでなければならない。
 そして、その時、"御先棒を担ぐマスメディア" の問題が避け難く視野に入ってくるのではないか、と......。

 ソーシャルメディアと言えば、"ステマ(ステルスマーケティング)" を思い浮かべる人もいれば、"アラブの春" や "ウォール街占拠(OWS)" を想起する人もいる。
 が、このところ "ウォール街占拠(OWS)" の話題が途切れがちだったかに思われる。
 そんな中で、突然(?)、この運動の "仕掛人" と言われてきたカナダの雑誌発行人のカレ・ラースン氏が、これまでにはなかったかと思う同運動についての "サマリー" な語りを披露している。
 その記事は、下記引用のサイト記事:"ウォール街占拠"運動の仕掛人カレ・ラースンに聞く 「世界の若者たちは新しい経済モデルを求めている!」/DIAMOND online | World Voice/2012.02.22 で伝えられている。

 そのきっかけは、"ダボス会議2012"(この1月25日からスイスの保養地ダボスで開催された世界経済フォーラム年次総会)で、<「これからの資本主義をどうしたらよいか」についての議論が相次いだ>ことのようだ。
 また、<5月のシカゴでのG8サミットに向けた運動を準備中で、実は"占拠"運動はこれからが本番という意気込みからのアピールでもありそうだ。

 この運動の主旨を概ね了解していた自分にとって、今回注目してみたポイントは、以下の4点であった。

 1.投機的な国際取引に課税する "ロビンフッド税"の導入を求めている点。

 2.長期的戦略としては 米国で第3政党を立ち上げる戦略を描いている点。

 3."米大統領選" への対応としては、仕方なくオバマに投票するかもしれない。という点。

 4.ポスト米国型経済モデルの先には、注目すべきは日本である。との見解が示されている点。

 これらの諸点への評価はいろいろとあろうかとは思われるが、今のところ何ら行動的とはなっていない自分が口を差し挟むことは差し控えたいというのが心境か......。

 どちらかと言えば "バーチャル" な人間関係が比重を占めていた "ソーシャルメディア" であったかもしれないが、"実名で交流" する Facebook などの浸透によって、"リアル空間" に寄り添った使われ方の比重が増し、その注目度も高まっているかのようだ。
 "ソーシャルメディア" は "バーチャル"(匿名登録)が良いか、"リアル"(実名登録)が良いか、それは一概に言えない。それぞれに一長一短があるし、ケースバイケースなのであろう。
 むしろ最も大事なことは、切実に希求された "人と人とのつながり" に対して、"ソーシャルメディア" という場が "どれほど有効に活かされているのか"、またその可能性があるのかという点であるに違いない。

 そんなふうに思いを巡らせる時、ふと気づかされる点がある。"新たに形成" される "人と人とのつながり" としての "ソーシャルメディア" 活用ばかりに目を向けるのではなくて、種々の点で "支援・補完" されるのを待つかのような "人と人とのつながり" ( "傷み" が進む "リアル・コミュニティ"!)自体への着目があってもよい、と。
 Facebook などによる "リアル空間" に寄り添った "バーチャル空間" の使われ方が示唆していることの一つには、そんな点があるのかもしれないと......。

 確かに、"ソーシャルメディア" という "バーチャル空間" での人間関係の場に "人と人とのつながり" の新たな転機を見出そうとする、そんな傾向の足元には、いろいろな点で行き詰まった(?) "リアル空間でのコミュニティ" が横たわっているはずであろう。だからこそ "バーチャル空間" での場が志向されたのだとも想像される。
 したがって、たとえ "リニューアルな視点" からとは言っても、その "リアル空間" に再び目を向け直すことは、困難極まりない回帰志向だと言えなくもない......。
 だが、果たしてそうなのかどうか、それは未知数であろう。"リアル空間" と "ソーシャルメディア" 上の "バーチャル空間" とが相互補完的に "融合" されたかのような、そんな "人と人とのつながり" をイメージすることは決して不可能ではないのかもしれない......。

 "リアル空間" における基本的な "人と人とのつながり" は "家族" だ! そこでの "家族間コミュニケーション" が、"ソーシャルメディア" 上の "バーチャル空間" によって "支援・補完" され得るという着眼に気づかせたのは、下記に引用した二つの記事であった。
 コミュニティに関して、"リアル空間" と "バーチャル空間" との "融合" をマクロな視点で予想するフリージャーナリスト・佐々木俊尚氏の見解と、"IT と家族コミュニケーション関係"研究のお茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授・石井クンツ昌子氏による調査結果である。

 不幸にも現在は、われわれの不安を掻き立てる事柄が多過ぎる。自然現象、社会現象と......。確かに、それらを一々真に受けていては身が持たない。ほどほどに聞き流しておくのも一つの処世術かもしれない。
 ただ、どう考えても "好転" しない事柄、なおかつ必ずしも "対策ナシ" とはしないかもしれない事柄については、意を傾けるべきだと思える。
 そんな事柄としては、"地球環境問題" があろう。だが、今一つ、この国この社会にとっては、著しく急速に進む "人口減少" の問題が挙げられる。

 そんな不安な思いがあって、ここでの記事でも取り上げ続けてきた。

◆参照 ① もはや待ったなし危機!"生産年齢人口がほぼ半減する社会はサステイナブルか"?!( 当誌 2012.02.12 )
◆参照 ② Socialメディアではこんな議論もアリでは?2500万円以上の損か,300万円程度か!( 当誌 2012.01.11 )

 この "マイナス・スパイラル!" が加速するならば、対策の可能性の大半が失われてしまう......。だからこそ、"想像するだに辛い近未来" をリアルに視野に入れなければならない。
 今回は、<◆参照 ①>で目を向けた、この "人口減少" で<社会はサステイナブル(持続可能)か"?!>の具体例として、<企業活動はサステイナブル(持続可能)か"?!>という点に関心を向けてみた。
 引用するサイト記事は次のとおりだ。

 人口8000万人、うち3000万人が老人の国になるニッポン 客がいない! 商売が成り立たない! 人口激減社会有名企業はこう考える

 大アンケートを実施! 鉄道、コンビニ、デパート、食品、銀行、NHK、ホテル、新聞業、学校、病院、不動産業者ほか「存廃の危機」
 人が減ることの恐ろしさを、まだ日本人は分かっていない。わずかこの20年ほどで1割、1200万人もの人間が消える。何もしなければ、市場も当然1割縮むだろう。この縮小スパイラルがずっと続いていく

 

人口8000万人、うち3000万人が老人の国になるニッポン 客がいない! 商売が成り立たない! 人口激減社会有名企業はこう考える/現代ビジネス|経済の死角/2012.02.20

 ソーシャルメディアは興味深く利用できる。だが、望みの情報に巡り合ったり、うっかり見落としたりしないためには "こまめなアプローチ" が必要となる。何よりも、煩わしさを厭わないことが求められる。
 ところで、ソーシャルメディアの役割には、"情報流通" と "人と人とのつながり" の2つがあるとされるわけが、今書いたように、前者にあたる情報収集においては、とにかく異なるサイトに散らばる情報を丹念に追う姿勢が要求されて手間ひまがかかる。
 昨日は、どちらかと言えば後者の "人と人とのつながり" を維持することが意外と厄介であることを書いた。( c.f."ワン・フレーズ・ポリティクス"を想起させるSNS!みんな"ムリ"させられてる?( 当誌 2012.02.1 )
 しかし、ソーシャルメディア上で日々大量に提供される情報を相手として "目当ての情報" をタイムリーに入手しようとするのも、結構、骨の折れるタスクに違いなかろう。

 "情報収集" を目当てにしてソーシャルメディアを利用している利用者が多いとも聞くが、そんなこともあってか、ソーシャルメディアからの"情報収集" に対してスマートな支援をする "ソーシャルマガジン(ソーシャル雑誌)" と言うアプリが注目を浴びているようだ。ソーシャルメディアが一つの流行だとするならば、次に流行するのはこれではないか、と目されてもいるらしい。
 下記引用のサイト記事:最新情報ひとまとめ、SNSの次は「ソーシャル雑誌」/日本経済新聞|業界動向/2012.02.18 は、そうした動向を報じている。
 実際、iPad で<「Flipboard(フリップボード)」>を使って、リストの "Facebook" を覗いてみると、自分が "いいね!" を施したサイトの最新記事サマトリーが、まさに "フォト" 付の "雑誌記事" のようにページ・レイアウトされて表示されている。
 個々の記事をタップすると、そのサイトのウェブページがスムーズにブラウザ画面として表示されるので、気になった記事の全文もチェックすることができる......。

 手間がかかるサイトの巡回が不要というだけのことがあって、関心を持ったソーシャルメディア・サイトが実にラクラクとチェックできてしまうのは快適この上ない。
 Flipboard(フリップボード) は "iPhone向けアプリ" もリリースされているし、この種の "ソーシャルマガジン" サービスはほかにも続々と登場しているとのことで、"次の流行" と目されても無理はないのかも......。

 ひと昔前、『自民党を変えます』『日本を変えます』『構造改革なくして景気回復なし』と、ショートなスローガンを絶叫する首相がいたのを思い起こす。それをマスメディアは "ワン・フレーズ・ポリティクス" だと揶揄したりもしていた。
 良い悪いの観点から離れると、そうした手法が政治家としては一定程度奏功していたのであろうという、そんな印象が残っている。
 聞くところによれば、そうした "ワン・フレーズ・ポリティクス" 手法の出所は、とある "広告業界" トップとの会食だったとも言われてもいる。真偽はともかく、頷ける話である。
 それと言うのも、広告業界と言えば、まさに "ワン・ワード"、"ワン・フレーズ" でのコピーが消費者のココロを掴むかどうかの生命線だからだ。

 "SNS" というのはツイッターやフェイスブックによる "交流" の場であるが、まるで "ワン・フレーズ・ポリティクス" の世界とも言えそうか......。特に "投稿字数に制限" のあるツイッターでは、"コピーライター" の職業的苦痛にも似たものが強いられているのかもしれない。
 確かに、現代という "忙しい時代" にあっては、どんなジャンルにおいても "要約" や、"ブリーフィング" の作法は不可欠ではあろう。それは分かる。そして、専ら "分かり易さ" が過度に求められている時代の傾向を睨むならば、"ワン・フレーズ・ポリティクス" 的手法に目が向けられる風潮に納得感が生まれたりもする。

 しかし、物事は "白黒" がつき易いことばかりとは限らず、それゆえに "ワン・ワード"、"ワン・フレーズ" で表現できることばかりとは限らないはずだ。いやむしろ、複雑化し、錯綜した現代にあっては、環境も人の心もその表現においては費やす言葉を制限するのが難しいのが現状ではなかろうか。逆に言えば、そうであるからこそ "ワン・ワード"、"ワン・フレーズ" 方式での表現が "ムリ強い" させられているのかもしれない。
 そして、"SNS"、"ソーシャルメディア" の場では、いつしか "ワン・フレーズ・ポリティクス" 的手法が定石と見なされつつあるのかもしれない。
 元々、これらの場は、必ずしも政治やマーケティングの場と言うより、平凡な日常的 "交流" の場であっただろう。そんな場に、表現手法のある種の "ムリ強い" 傾向が見受けられそうな気配である。

 こんな思いに意を強めさせたサイト記事があった。下記引用サイト記事:SNSを自在に使いこなす若者がSNSに傷つき悩んでいる/香山リカの「ほどほど論」のススメ|ダイヤモンド・オンライン/2012.02.13 だ。

 複数のPCやデバイスを使用していると、いずれのデバイスも "同一" の環境設定で使いたいと思うようになる。たとえばブラウザであれば、保存した "ブックマーク" や閲覧 "履歴" がデバイスの違いにかかわらず共通で使いたいと......。
 以前はそれぞれのPC毎にエクスポート・インポートなどを手入力で行ったりもしていた。煩わしいことこの上ないので、バラバラでもしょうがないと諦めたりもしていた。

 自分はブラウザでは "Mozilla Firefox" を愛用しているが、"Sync"("同期" 機能)を活用して使用中の "Mozilla Firefox(v.10.01)" のすべてを "同期" させ、"同一" の環境設定にしたのは、つい最近のことだ。
 これについては、複数の Windows PC間のみならず、これらと "iMac" との "同期" についても実行できたのはうれしい驚きであった。
 これがいわゆる "クラウド" に基づくメリットなのであろう。有難さが実感として享受できる身近な例だ。
 ほかにも自分にとっての実感的な "クラウド" の例としては、"iTunes" と "iPad,iPhone,iPod touch" に関するケース、"ウイルスバスター2012 クラウド" によるもの、そして最近ジワジワと使い勝手の良さを感じ始めている "Evernote" での "デバイス間同期" などがある。

 いよいよ "クラウド" が一般ユーザーにも浸透してきたと実感しているわけなのだが、今日引用するサイト記事:「iCloudはDropboxキラーではない(それ以上だ)/TechCrunch/2012.02.17」は、Apple による "クラウド" に関する一歩踏み込んだアプローチを伝えるものである。
 自分が使っている "iMac" は、"Mac OS X 10.7.3 Lion" であるが、"次期バージョンOS X ― OS X 10.8、別名Mountain Lion ―" では、AppleはiCloudサービスをいっそう深くオペレーティングシステムに統合した ...... OS自身の一部になろうとしているとのことである。

 自分の場合はまだ確認できていないが、AppleはiCloudをOS X新バージョンの奥深く「開く」と「保存」のダイアログボックスに直接組み込んだ。Mac Storeアプリはローカルファイルシステム、iCloudどちらへもすぐに保存できるようになる ...... あらゆる物を同期させようとしている ...... それは、どこでどのデバイスを使っていても、一つのコンピューター環境を維持するための仕組みなのであるというものであるようだ。

 システムとしての "環境コスト" が割安というメリットも手伝い、かつビジネス・ユースのみならず個人ユーザーにとっても大いに "便利!(デバイス間同期)" となれば、今後ますます "クラウド" 方式が普及してゆくことは間違いなさそうだ......。

 
中川 こうじ
STREET CATS
-のらねこ。写真集
 フクシマで見捨てられた "のら猫" たち(Street Cats)は、今さぞかし "凍える" 苦痛の中で耐えているのだろうと想像させられる。まさに、"人の勝手で追いやられ......" た "のら猫" としての哀しさの極致を背負わされて......。

 もちろん、震災・津波・原発事故を被災した人々の苦痛・苦悩への共感、思い入れが先立つのは言うまでもない。むしろ、そうした感情が "ゆれるちいさな命たち" の健気な姿によってより鮮烈に湧き上がってくる、ということなのだと思う。
 TV報道で、"のら" となってしまった犬たち、牛たちの姿が伝えられ、そのたとえようもない "所在なき彷徨" が映し出された時にも、絶句させられてしまったものだ。誰かれを恨むわけでもなくただ "漂う命たち" の、その姿が、逆に "人間たちの責任" を寡黙ながら糾弾しているように感じられたからだ。

 今回、下記に引用したサイト記事:「フクシマ残された猫たち 戦場カメラマンが写真展/大阪日日新聞/2012.02.15」 は、"のら猫大好き" 人間としては、目に留まらないわけがなかった。
 自分は、猫とは相性が良く、自宅では今4匹と共生している。
 ◆参照 奇跡の"クロネコヤマトなでしこ"(外猫)/行方知れずの十日後に疲労困憊で生還!( 当誌 2011.09.06 )

 そんな "猫大好き" 人間なのだが、強いて言うならば "のら猫大好き" 派なのだ。
 いや、それはともかくとして、危な気ながらも横暴な人の世で "インディ" に生きる "Street Cats" が、素直に好ましく思えてならないわけだ......。

 しかし、"フクシマに残された猫たち" となると事情はまったく違う。人が住まない見放された地平は、たとえ "インディ" を誇る "Street Cats" であっても "地獄" 以外ではなかろう。しかも、彼らの大半が直前までは "Home Cats" であっただろうことを思えば......。

 戦場カメラマンがファインダーから見つめた "フクシマに残された猫たち" の姿とその表情は、見たいと言うよりも見て何かを感じ取らなくてはならないと思えた......。

 "ソーシャルメディア" を "相対化" する眼差しがジワジワと広がっているような気配を感じる。そりゃそうなのかもしれない......。
 マスメディアでは、"ソーシャルメディア" の本質論なんぞは踏み倒し、もっぱら "マーケティング( or マネタイズ )" ジャンルに視線を定めつつ、どの企業がどんな新製品ツールをリリースしたとか、どんな新サービスを始めたとかという "ごみネタ" ばかりの "御用取材" に明け暮れていたのでは、たとえ "ソーシャルメディア" に好意的な者とて "興醒め気分" になりそうである。
 また、それを埋め合わせる程に、一般利用者間での "交流" に内実が伴っていれば話は別となろうが、この辺についても現状では "?" がつきまとっていないとは言えない......。

 かく言う自分も、"そんな気分" に浸されながら昨日はややクールな記事を書いたりした。( c.f. "ソーシャルメディア"は平凡な事実に立ち返るべし!"前提"があってこそ活きる!( 当誌 2012.02.15 )
 まだ "ピーク超え" したと言うには早い気もするが、"熱し易く、醒め易い" 国民性や昨今流行り(?)の急速な "持ち上げ、突き落とし" 現象(マスメディアの "マッチポンプ" 的習性?)という傾向を踏まえれば、あながち見当外れではないのかもしれない......。

 こんな空気を見透かしたかのように、下記引用サイト記事:「発信箱:ネット革命の正体=伊藤智永(ジュネーブ支局)/毎日新聞/2012.02.15」 は、"ソーシャルメディア" を "シニカル" に扱き下ろしている。
 およそ "65%" 程度の共感(?)を込めて引用しておきたい......。

 やはり、"人間的・社会的事実" としての "ソーシャルメディア" 上の現象を考察する場合には、"ツール" 的側面を "過大視" するのは禁物だと言うべきか......。
 当たり前と言えばそうなのだが、どうも "ソーシャルメディア、ソーシャルメディア" と "連呼(?)" されると、この "IT ツール" や "仕組み" 自体がまるで "魔法の力" でも秘めているかのような錯覚に陥ってしまう。そしてそのうちに、「王様は裸だ!」とは口に出せなくなる空気が醸成されてしまう。
 まして、"アラブの春" などの "一典型" が立ち上がってしまうとなおさらのことかもしれない。
 ちょうど、以下のようなサイト記事(部分)が目に留まった。

<...... 田原氏は、「世界では、TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアは政治への影響力も強く、独裁政権を崩壊させたケースも 出てきている。しかし、日本ではそうした影響力は感じられない。なぜなのか」と、佐々木氏に疑問をぶつける。
 すると佐々木氏は、「ソーシャルメディアが政治に影響を与えられる前提としては、中東の国家に代表されるように、若者の人数が多く、政府に強い不満をもっていることが挙げられる。これに対して、日本では若者の割合が少ないうえに、権力への強い反抗感がないのが現状。しかも、政治に怒りをぶつけようにも、ぶつける相手がいない」と、その理由をわかりやすく説明してくれた。...... >
サイバー・コミュニケーションズ、SOCIAL MEDIA WEEK TOKYOを日本初開催、初日には田原総一朗氏と佐々木俊尚氏が基調対論/マイライフ手帳@ニュース/2012.02.13

 端折って言うならば、"ソーシャルメディア" という "IT 環境" 自体が<独裁政権を崩壊させた>ワケなんぞではないのだ。だから、<日本ではそうした影響力は感じられない>としたって何の不思議もないのである。
 ソーシャルメディアが政治に影響を与えられる前提としては......>の、その "前提" の基盤こそが "重い" のであり、いや場合によってはそれが 90% 程度だとさえ言っていいのかもしれない。

 "ソーシャルメディア" 周辺については、もっと "複合的" な視点で考察されるべきであろうし、"ソーシャルメディア"="つながり" という局面にしても、"ソーシャルメディア" が "つながり" を生み出すと一方的に "強調" する前に、その "逆" の、"つながり" という "前提" 基盤が "ソーシャルメディア" を活性化するという平凡な事実の "重み" に目を向け直すことが妥当なのではないかと感じている。

 そんな折、下記の引用サイト記事:ソーシャルメディアを利用した講義スタイルの提唱者、「講義にはつながりが必要」と悟る/Slashdot/2012.02.14 が、新鮮な感触で目に映った。

 "ソーシャルメディア" はいろいろなことを考えさせるものだ。利用者の立場でもいろいろと考えさせられることに事欠かないが、きっと、コンテンツ制作提供側にとっても、果たしてこんな仕組みでペイできるのか? と悩んだりする向きもあるに違いない。
 たぶん、"コンテンツ(著作)のあり方" 自体が "問われ直している" という "大変な過渡期" に遭遇しているのではあろうが、この辺の問題に関しては "奥行きが深い!" ため、腰を据えて考えてみなければならないような気がしている。

 そんな観点に立ってサイト記事を振り返ってみた時、下記引用サイト記事:忍び寄る新たなネットバブルの正体 ソーシャルの名のもとにあなたが消費される デジタル植民地時代がやってきた/岸博幸のクリエイティブ国富論|ダイヤモンド・オンライン/2011.02.12 に出会った。
 ちょうど "一年前" に書かれた記事ではあるが、"その主旨" は何ら風化していないかに思えた。"その主旨" とは、"コンテンツ制作提供側の立場を憂えるもの" だとして、取りあえず了解しておく。

 現在、一世を風靡している "ソーシャルメディア" に対し、当筆者は歯に衣を着せない表現をしている。

<今回のネットバブルのキーワードは"ソーシャル" ...... ソーシャルメディアの企業や、ソーシャルな機能も駆使したハフィントン・ポストのようなサイトがその主役 ...... 今回のネットバブルの本質は、ユーザーなどローコストなコンテンツを作る者から搾取して、そのコンテンツをユーザーに過剰に共有させるという点にある ...... フェイスブックなどのソーシャルメディアやハフィントン・ポストなどのサイトは、プラットフォームを提供するだけで、そこを利用する者が作るローコストなコンテンツを使い倒すというかたちで"地代"を徴収している ...... 今回のネットバブルの主役たちは凄まじいまでに錬金術に長けている

 当筆者が "牙をむいている(?)" のが、凄まじいまでに錬金術に長けている とされる ソーシャルメディアの企業や、ソーシャルな機能も駆使したハフィントン・ポストのようなサイト であることは、搾取、使い倒す、"地代"を徴収という表現からもすぐに分かる。
 要は、"他人の褌で相撲をとる" ことで膨大な収益を上げていることへの "憤り" と言っていいのかもしれない。この辺は受けとめ方が分かれるところだろうが、共感を覚える向きも少なくなさそうだ。
 ただ、それだけではなさそうである。"こんな仕組み" の中では、"コンテンツの劣化傾向" に歯止めが掛からなくなる! と憂慮しているスタンスが透えて見えるからだ。
 冒頭の "果たしてこんな仕組みでペイできるのか?" と懸念する "コンテンツ制作提供側" から、"クリエイト意欲" を殺ぐことになれば "良質なコンテンツ" がスポイルされ、駆逐される......、そんな可能性が容易に想像できるからである......。

 またも "スマホ" での全国規模の "通信障害" が発生した。今度は、"ドコモ" にあらず "KDDI(au)" だ。実情は、下記引用サイト記事のとおり。

 KDDI:また通信障害 スマホ中心、全国規模

 KDDI(au)は11日、同日午後8時35分から、スマートフォン(多機能携帯電話)を中心とした同社の携帯電話の一部機種で、インターネット の利用などのデータ通信がしづらくなる通信障害が発生したと発表した。全国で影響が出ていたが、12日午前0時ごろに復旧した。同社は原因について、設備 故障としている。
 同社の夜間お客様センターには、メールの送受信やインターネット、KDDIのホームページへの接続ができないという問い合わせが相次いだという。
 auのスマートフォンは、ネットワーク設備の故障のため9日にも約1時間の通信障害が発生。約130万回線に影響が出た。
 障害が2時間以上続き、3万人以上に影響した場合、電気通信事業法の「重大事故」となり、総務省が行政指導を行うことができる。スマートフォンを 巡っては、NTTドコモが昨年6月以降、対応設備の増強が不十分だったために大きな通信障害を4回起こし、先月26日に行政指導を受けたばかり。【黒田阿 紗子、種市房子】 
KDDI:また通信障害 スマホ中心、全国規模/毎日jp/2012.02.12


 つい先日、"ドコモ" による "通信障害" に関して書いたばかりだ。

 ◆参照 利用者に"リスクを振る甘え"!/"通信障害,ドコモになぜ集中 背景に3つの死角" ( 当誌 2012.02.06 )

 こうなるともう、消費者が憤る範疇を超えてしまったと言うべきか。
 消費者が "通信安定度がその程度ならば、むしろ値下げしてよ!" という、キャリア側にとってはなお一層困る事態へとエスカレートしかねないからだ。
 現にこうした危惧の視点で述べられた下記のようなサイト記事:「実はケータイって大したことないんじゃない?」 ドコモの大規模障害で見えてきた 消費者の潜在的批判意識/スマートフォンの理想と現実|ダイヤモンド・オンライン/2012.02.09 が眼についた。

 日本での "少子化" 推移がこのまま続けば、<今後100年間で100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく。この変化は千年単位でみても類を見ない、極めて急激な現象>となる点、これについては、以前にも書いた。

◆参照 Socialメディアではこんな議論もアリでは?2500万円以上の損か,300万円程度か!( 当誌 2011.01.11 )

 その際に引用した図表を再度取り上げておくことにする。



 その時には、いずれほぼ確実に訪れるであろう "年金制度破綻" に注意を向けた。
 だが、それ以前に "気づくべき重要なこと" があった。そもそも、こんな急激な人口減少の推移では "この国は持ち堪えられるのか?" という点なのである。

 様々な悪条件によって日本経済が概してヘコむ中で、ソーシャルメディアの "ソーシャルゲーム" は "元気な柱(?)" の様相を見せていた。
 だが、下記引用サイト記事:「国内ソーシャル3社に変調の兆し、事業モデルに弱点 編集委員 小柳建彦/日本経済新聞/2012.02.09」 によれば、グリー、ディー・エヌ・エー(DeNA)、ミクシィの国内ソーシャル3社に "変調の兆し" が出ている、とのことだ。

 "日本のソーシャルゲーム業界" に関しては、別な記事で以下のような懸念が語られていたため、やや注意を向けていたところでの "アラーム" である。

<ソーシャルゲーム業界はアイテム課金収入が収益のメインであるため、ヘビーユーザーを増やす必要があります。そのためにテレビCMで芸能人を起用するなど、とてもコストがかかっており、収入が急増して好調のように見えても、同時に支出も増えていますから、決してビジネスとしておいしい状態ではないと思います。そうは言っても、SNSやソーシャルゲームは、日本で頑張っている数少ないプラットフォームプレイヤーなのは間違いありません。ですから、正しい形で永続的に"日本型ビジネス"をする方向に進化をしてほしいですね。> ( 「【テーマ13】 日本の文化やジャーナリズムはこのまま衰退するか ネット、スマホに搾取されるテレビ・音楽業界の行く末 ――岸 博幸 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授/ダイヤモンド・オンライン - 2012年の論点を読む/2012.01.30」

 そこでは、<ネット世界では、コンテンツ業界が垂直統合型で担っていた流通網は崩壊し、流通は他人まかせ、つまりプラットフォームサービスを提供するグーグルなどの米国ネット企業が事実上、情報の流通を担うようになって>しまい米国ネット企業の一人勝ちとそれによる日本の国益搾取の現状が危惧されていたのである。
 そうであるだけに、その "日本のソーシャルゲーム業界" が "変調の兆し" を見せているという観測からは、やや考えさせられてしまった......。

 "アラブの春" 以降、"SNS" を活用する反体制活動スタイルが一般化する状況下で、各国政府はネットの規制や "検閲" で応じている実情が伝わっている。
 ネット検閲は、良く知られた中国のみならず、インド、イラン、シリア、キューバなどでも行われているとされ、最近では米国自身でさえ "ネット規制法案(SOPA)" が浮上しその行方が注目されてもいる。また、米国では言わずと知れた "OWS運動" が潜伏し、この "検閲" 問題では微妙なな立ち位置にあるかにも見える。

 ◆参照 ツイッター社:法律違反の投稿削除措置/検閲助長の恐れ/その背景と詳細事情!( 当誌 2012.01.30 )
 ◆参照 インドで「中傷サイト」削除 フェイスブックとグーグル/【共同通信】/2012.02.07

 下記引用サイト記事:ネット上の反体制活動支える検閲回避技術、米国が開発支援/CNN.co.jp/2012.02.06 によれば、オバマ政権は発足以降、インターネットの検閲を迂回(うかい)して民主化活動家が連絡を取り合い、組織化できるようにする技術の開発を支援してきた。こうした開発に取り組む非政府組織に総計7000万ドル(約53億5000万円)以上の助成金を提供している。>という。
 外交上は独裁政権の維持を支持し、他方では政権の弱体化につながる技術の開発を支援するのは偽善だとの声もある。>とのことでもあるし、国内の "OWS運動" との関係では "ねじれ?" ではないのか、という老婆心も禁じえない......。

 が、<言論の自由と人権保護>の "守護神" を自任する米国は、他国の"ネット検閲" 体制に風穴を開ける "検閲回避技術" の開発支援を続ける......。

 下記引用サイト記事: 時系列で見た「2011年の地震」:動画/WIRED JAPANESE EDITON - SCIENCE/2012.02.07 で紹介されている 動画 を観るならば、「見ざる、聞かざる、言わざる」の "人生観" がメルトダウンしてしまいそうだ......。

 もはやこの世界に "あり得ないこと"( the impossible )は無くなったと作家・辺見庸が語っていた( c.f. 私にとっての"3.11"「作家・辺見庸」(こころの時代~宗教・人生~ シリーズ)/NHK 番組表/2012.02.04 13:00~14:00 )のを思い起こす。
 "あり得ないこと" 自体が "あり得ない!" ということを、"3.11" の悲劇的事実はわれわれに知らしめた。だが、それでも "知らんぷり" を決め込む "鈍感さ" に、このビジュアルなメディアは、静かに迫ってくるかのようだ。
 
 勝手に信じ込んできた "平穏な日常"( c.f. 「終わりなき日常」宮台真司 )自体を、自身の頭と感性でじっくりと再吟味してみることが迫られているかのような気がしている......。
 いつも "誰か任せ" となり、"いいとこ取り" さながらに振舞いつつ "気休め" に終始してきた、そんなライフスタイルが、徐々にメルトダウンしていることを、この動画は淡々と語っている......。

 今現在のこの国この社会の "危機的状況" に目を向ける時、立ち上がってくる茫漠とした "不安感" と、まぁ、きっと何とかなるのだろうとする "気休め感"、それらが入り混じった何とも居心地の悪い心境にさせられる。
 巨大な財政赤字(デフォルト危機)、高まる年金制度破綻可能性、急激な少子高齢化、産業空洞化、東日本大震災と引き続く大震災危機可能性、政治混迷......。
 現況が深刻であることは伝わってくるが、それに輪を掛けて不幸な事態だと思われるのは、"不安感" が "不安感" のままであること、つまり、現況の深刻さが重みのある事実として共通認識されない(?)、そんな環境に放り出されていることなのかもしれない。

 だからこそ、表題の日本社会が抱えこんだ一番の問題はリアリティの欠如である( 下記引用記事: 「31年ぶり」貿易赤字の大嘘、国内生産はもはや消滅の危機/nikkei BPnet〈日経BPネット〉財部誠一の「ビジネス立体思考」/2012.01.31 )というフレイズが応えるのである。
 よく言われる方便に、より深刻な事態が知れ渡ると "パニック" が起こるから! と言われたりもする。だが、推測可能な事実が濁され共有されないでいると却って状況は悪化するはずであろう。その方便の背後には、「知らしむべからず、依らしむべし」という "官僚的思い上がり!" が色濃く隠されているかに窺える。
 そして、この "官僚的思い上がり!" は、実際の "官僚" のみならず、彼らと共通利害関係を持つ "お仲間さんたち"(政治家、マスメディア、有識者......)にも共通している......。

 こうして、"不安感" と "気休め" は充満しているものの、事態打開の大前提であるはずの認識における "リアリティ" が一貫して濁されていることになる。
 まさに、日本社会が抱えこんだ一番の問題はリアリティの欠如であるというアンビリーバブルな現実が、人々をたぶらかし続けている......。
 "ソーシャルメディア" とてこの国の場合は、上記の "お仲間さんたち" と仲良しクラブを作っているに過ぎないのかもしれない......。

 以下の引用記事は、"貿易赤字" の一点に話題は絞られているが、それに尽きない広がりを持っていることは簡単に読み取れるはずだ......。

 この世界には、物事の "不均衡" を言い当てた "80対20の法則(パレートの法則)" というものがあるという。たとえば、もし成果全体の 80% が、全体メンバーの 80% によって成し遂げられていたのなら、何の不思議もないわけだが、多くの場合、20% のメンバーによって達成されている、というのだ。
 裏返して言うならば、メンバーの 80% は、成果全体の 20% 分しか貢献していない......と。あるいはまた、交通事故の 80% を 20% のドライバーが占めている......と。
 周囲の現象をシビァに思い返してみるならば、なるほど、と頷かされてしまうから興味深い。

 下記引用サイト記事:「Facebookユーザーの7割以上は「受動的」/WIRED JAPANESE EDITON - BUSINESS/2012.02.06」 は、そうした "法則" をも思い起こさせる。
 要するに、Facebook という超大規模な "SNS" が回っているのも、同社が超膨大な収益を手にしているのも、"20~30% の利用者(「パワー・ユーザー」たち)" のおかげではないか......、というわけだ。

 Facebookユーザーの7割以上は「受動的」だという点は、事の "片面" について述べたに過ぎない。
 しかも、この「受動的」という点は、しばしば指摘され続けてきた。

 ◆参照 SNSユーザーの多数派は「見るだけ」で「テレビ好き」
 ◆参照 <意外とつぶやかないスマホユーザー 「Twitterつぶやき数」は1日2回以下が約70%>意外とつぶやかないスマホユーザー/"何となく暇だから"閲覧! が案外多い実情!( 当誌 2011.12.16 )

 むしろ、ここで注目すべきは、もう "片面" の事実ではないかと思われる。もう片面の "20~30% の利用者(「パワー・ユーザー」たち)" 存在こそが、超巨大なFacebook を成立させているからなのである。
 そもそも、いわゆる「パワー・ユーザー」たちがいるおかげで、大多数のFacebookユーザーは、自分が貢献する以上の情報を得ていることになる。
 また、同社にとって貴重な閲覧数を稼いでくれているのは、少数の「パワー・ユーザー」たちによるものだとも言える。さらに37億ドルという巨額の売り上げをもたらしてくれる広告にしても、少数の「パワー・ユーザー」たちが "ページ数" を増やしその分 "ディスプレイ広告" を増加させているからなのである。

 Facobookの課題は、コンテンツを単に入手し消費するだけという人々を、今後も維持することにあるとされる。そして、今後懸念される収益性に関する最大のリスクのひとつは、ユーザー・エンゲージメントの低下だと明言されてもいるとかだ。
 とすれば、この "ユーザー・エンゲージメント" を生み出している少数の「パワー・ユーザー」たちの動向こそが、Facobook社の最大関心事だと言わなければならない......。

 下記引用サイト記事:「通信障害、ドコモになぜ集中 背景に3つの死角/日本経済新聞/2012.02.05」を読んでいると、つくづく思い起こすことがある。この国全体に滲む "無責任" 体質だ。
 今、多くの人々を悩ませている急速な "高齢化" であり、とても間に合わない "年金制度" などが例となる。これらは決して自然現象の範疇の問題ではないだろう。"先々を見通して、制御されて然るべき(対策が講じられるべき)" 社会現象のはずだ。

 ◆参照  Socialメディアではこんな議論もアリでは?2500万円以上の損か,300万円程度か!( 当誌 2011.00.00 )

 この国全体の振舞いは、いつからこんなふうに "無責任" 体質へと変質してしまったかと思われてならない。"この国全体" という表現に語弊があるとすれば、"政府" をも含めた "大手!" と言ってもいい。
 本来、巨大な社会的存在( "大手!" )は、相応水準を超えた "責任" 体質を備えて、規模に見合った振舞いをするべきであろう。そのために "特権" が付与されているはずだからだ。
 だが、"特権" は振り回すけれど、その影響をカバーする "責任" については疎いというアンバランスがあれば、"非・特権" 領域の人々がただただ間尺に合わない "しわ寄せ" を喰らうことになってしまう。この構造は、それ自体が "Social bad" であろう。

 大手企業が、利用者に "リスクを振る甘え"!なぞを引き摺っているのは、どんな内部事情があろうとも論外ではなかろうか。"周回遅れ" も甚だしい。時代はむしろ、利用者・消費者一般に対して "利益還元" の姿勢を示すことを求めているのだと思われるが......。

 最近、"Windows" から "Mac" へと "乗り換える(?)" PCユーザーが増えているとも聞く。"iPhone,iPod touch,iPad" という Apple デバイスが人気を博しているからであろうか。
 自分も、"乗り換え" とまではゆかないが、"Mac" PC( "iMac" )に親しむ頻度が増えてきた。きっかけは、例の Apple による "電子教科書" 作成無料ソフト:"iBooks Auther" のリリースである。

 ◆参照 "iPad 1"では残念にもレビューできない"Life on Earth"?! 注目のiBook2教科書! ( 当誌 2012.01.26 )
 ◆参照 米Apple社:"iBooks Auther(& iBooks2)"は"電子教科書"へのジョブズ氏の"遺志"!( 当誌 2012.01.22 )

 いざその気になって "iMac" を操作し始めると、"Windows" 操作ほどの慣れはなくとも、実に直観的に操作し易いこと、万事が "粋(スマート)" であることに気を良くしてしまう。こんなことならもっと早くから馴染んでおくべきだったと後悔するほどだ。
 しかも、昨今では、"Windows" で使っていた "アプリ" の多くに "Mac版" が登場し、それらを利用するならば "アプリ" ノウハウが活かされるのも有難い。

 Facebook社の新規株式公開(IPO)申請で判明した同社の財務状況については、昨日も紹介した( 米Facebook上場申請で、非公表だった同社の業績が明らかに/前期比80%増成長!( 当誌 2011.02.03 ) )が、さらなる新情報が伝わっている。

 下記引用サイト記事: FacebookのIPO申請でわかった6つの新事実/WIRED JAPANESE EDITON - BUSINESS/2012.02.03 によれば、以下の驚くべき6つの新事実が浮かんでいるという。

  1. Zynga社の大きな影響力
  2. モバイルをマネタイズしていない
  3. Twitterにならった「スポンサード投稿」?
  4. いまだに「ザッカーバーグのサイト」であること
  5. ユーザーベースの巨大さ
  6. 知的財産裁判の問題

 明るみに出た "米フェイスブック" の経営状況の "数字" は、経済不況が荒れ狂う現在の世界経済から、まるで異次元へと飛び抜けた観さえある水準だ。
 "株式上場" 自体に関しては、すでに周知の事実となっていただけに、何らの驚きもないようだが、下記引用サイト記事:フェイスブック上場申請 広告けん引、80%成長/日本経済新聞/2012.02.02 から見る一連の業績 "数字" は、今さらのように同社の "巨大規模" に目を向けさせる。

 インターネット広告収入というものがいかに威力のあるものかを知らされるとともに、業績成長率では同業種のグーグルを大きく上回っているとなると、やはり "SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)" というジャンルに立脚したことの狙いが奏功したと言うべきなのであろう。
 下記記事でも、実名で交流するネット上のインフラに近づきつつあるとあるが、まさに事実上の "インフラ(社会基盤)" としての位置づけへと進撃していると言えそうだ。

 "Amazon" は、"購入履歴" や "検索履歴" などからユーザーの "関心対象" を何らかのアルゴリズムで推定して、商品の "リコメンド" メールなどを送り付けてくる。
 "Google" は、これと類似することを 効果的な "広告表示"のために行っている。ただ、"Google" が実施しているのは検索など同社サイトとのやり取りを基にして、利用者の関心カテゴリーや年齢、性別を推測することだだという。

 その仕組みは、ユーザー側の "Cookie" に残される "アクセス履歴" が利用され、<ユーザーのブラウザに保存された Cookie の番号のみを使用して、ユーザーの Cookie に関連付けられたインタレスト カテゴリや Cookie から推定されるユーザー属性カテゴリ>【 引用記事 2 】)が判断されることになるらしい。"プライバシー、個人情報" に踏み込まれたようでやや "気色悪い" 感じが否めない。

 ところで、こうした仕組みの "Google" のアルゴリズムによる、ユーザー各位に対する "Google" の "お見立て(推定)" は、ユーザー自身が "確認可能!" となっている。次の箇所で閲覧できる。"自分がどのように推定されているか" を "確認" してみるのは、面白いと言えば面白い......。(ちなみに、自分の場合、性別が "男性" はご明察であったが、年齢は "老けて" 見られていた......)

 ◆ 参照 「広告表示設定」

 ここには、ユーザー自身が "削除または編集" 可能なかたちで以下のようなリストが表示される。

  ・興味のある広告を表示する
  ・カテゴリ
  ・ユーザー属性
  ・Cookie

 こうした "手の込んだ仕組み" が、閲覧者個人に向けた "より効果的な広告表示" にねらいがあることは言うまでもなかろう......

 今、"電子書籍" が溢れ返るように出版され続けている。そんな中で、"電子書籍" とは一体何であるのか? いや、それ以前に "(紙の)本" とは何であり、何であったのか? という問いもまた改めて浮上していそうだ。
 技術のイノベーションに任せて、何でもあり、で良さそうな気もしないではないが、こうした問いに耳を傾けて何らかのベクトルを探ってみることも興味深い。

 今回レビューしてみたい下記引用のサイト記事: <「本」は物体のことではない。それは持続して展開される論点やナラティヴだ - 読むが変わる from 『WIRED』VOL.2/WIRED JAPANESE EDITON - MAGAZINE/2012.01.28 は、広範囲に渡って淡々と述べられているかの印象だが、意外と含蓄があり示唆的だと思えた。
 語り手の主要な関心事と思われる「本とはなんだ」という再定義が必要というポイントに目を凝らしてみると、三つのキーワードが注目されて良いかと思えた。 ナラティヴ(語り/ストーリー) ソーシャル キュレーションの三つである。

ナラティヴ(語り/ストーリー)

 「本」は、その物体のことを指しているわけではない。「本」とは、持続して展開される論点やナラティヴ(語り/ストーリー)のことだとされる。

 このナラティヴ(語り/ストーリー)という表現には大いに共感を覚える。
 "ナラティヴ" とは、物語、物語文学のほか語りという意味があるが、"主体的に語る" という意味が適切ではないかと思う。最近は、"ナラティブセラピー (Narrative therapy)" という精神療法もあるらしいが、自分に軸足を置かない客観に対して、"自分=主体" に立脚した( 自分の "視座" を持った! )語り、それが "ナラティヴ" の本質であり、また "「本」" の正体ではないのかと......。

ソーシャル

 「本」は、"読む" こと、"書く" ことの両面において "ソーシャル" な性格を持っていること。

 書き込みをしたいし、カット&ペーストしたいし、読んだものを「シェア」したい。タブレットの登場によって、こうしたことがより簡単になった。つまり読書は「ソーシャルな行為」になった

 <考えてみれば、かつて読書という行為はソーシャルなものだった。字が読める人が少なかった時代、読書は読める人が読んで聞かせる行為だったからだ。そしていま、読むという行為は、またソーシャルなものになりつつある。テキストや本はネットでシェアされ、テキスト同士はハイパーリンクでつながっている。

 メディアはよりソーシャルな存在になってきているいま「書く」ということがよりパブリックな行為となって、読者から連絡があったり、書く過程をツイッターで中継したり、「書く」ことに付随する行為も変わってきている。紙の媒体では刷ってしまったら修正はできないが、いまの世の中では、自分の作品を半永久的に修正し続けることも可能
 元来「本」というものが持つ "ソーシャル" な性格が、今 "電子書籍" によって蘇ったと見てよいのだろう。

キュレーション

 "キュレーション(Curation)" とは、<「情報を価値付けし、情報と情報をつなぎ合わせて新しい価値(文脈=コンテキスト)を生み出す」という行動や概念>( 参照 スマホとは"機能をキュレートされたデバイス"!/"キュレーション"概念に注目!( 当誌 2011.08.31 ) )だと理解するなら、「本」(「雑誌」だけではなく)と "キュレーション" とは別物ではないかと思われる。

 「雑誌」とは、アイデアや視点の集合体を、編集者の視点を通して見せるというものぼくが今後「雑誌」を作るとしたら世界でいちばん高い雑誌」そこでは、究極のキュレーションを目指す

 10年後には「本」そのものは基本的にすべて無料になる。そして会員は、本をガイドしてもらうというサーヴィスに対して定額の会費を払う。......このようになっていくと、生身の人間の「ガイド」の存在価値もあがるだろう。アルゴリズムよりすぐれたガイドが欲しければ人間を雇えばいいわけだ。今後、アルゴリズムと人間のキュレーション

 以上の三つのキーワードが照らし出している点は、アバウトに過ぎるかもしれないが、「本」というものは "人間としての視座" から産出されるものだという点なのかもしれない。

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